木羽敏泰木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 2017年2月20日)は、日本の化学者、教育者。 経歴1913年(大正2年)大阪市に生まれる。大阪府立浪速高等学校を経て東北帝国大学に進学。1937年(昭和12年)同大理学部化学科卒業。1939年(昭和14年)金沢高等工業学校に勤務。1941年(昭和16年)名古屋帝国大学工学部助教授、1949年(昭和24年)金沢大学教授。金沢大学では理学部分析化学講座を担当した。1969年(昭和44年)同大学理学部長,1979年(昭和54年)同大を定年退職、金沢工業大学教授に就任。1984年(昭和59年)金沢工業大学学長。1988年(平成元年)任期満了により同学長を退職[1]。 2017年2月20日、急性気管支炎のため金沢市内の病院で死去[2]。 受賞歴等
著作
家族脚注
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