丸山儀四郎丸山 儀四郎(まるやま ぎしろう[1]、1916年4月4日 - 1986年7月5日[2])は、確率過程論研究の指導者として知られる日本の数学者である。オイラー・丸山法(Euler–Maruyama method)でも知られる。日本学術会議会員、日本数学会理事長。 人物長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学卒業。昭和16年(1941年)九州帝国大学助手、同25年(1950年)お茶の水女子大学教授、同31年(1956年)九州大学教授、同40年(1965年)東京教育大学教授、同48年(1973年)東京大学教授、同60年(1985年)東京電機大学教授、理学部数理学科長などを歴任した[3][4]。昭和35年(1960年)からはアメリカ合衆国、同43年(1968年)からは西ドイツにそれぞれ留学、東教大では大学の筑波移転に反対した(筑波移転反対闘争)。 脚注
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