大島孝一大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2012年8月27日[1])は、日本の教育者、物理学者、平和運動家。女子学院院長。 経歴熊本市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館[2]、1937年旧制福岡高等学校理科乙類[3]を経て、1940年、東北帝国大学理学部物理学科卒業。 1941年、福岡管区気象台に勤務中に応召し陸軍の気象班員となる。終戦後、1945年の暮れに九州に向かう途中で、原子爆弾で焼野が原となった広島を見て衝撃を受け平和運動を志す。 その後、東北大学理学部地球物理学教室助手を経て、岩手大学学芸学部の物理学の助教授となり、岩手県農村文化懇談会の一員として『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1961年)の編集に参加している。 1966年、女子学院院長に就任。さまざまな学校制度の改革を行い、制服の服装規定などを廃止している。この間も、日本戦没学生記念会(わだつみ会)常任理事、キリスト者政治連盟委員長、日本キリスト教協議会靖国神社問題特別委員会委員長などを務めた。平和問題、天皇制問題、靖国神社国有化問題、台湾における人権問題などで積極的に発言している。 1980年に女子学院院長退任後も精力的な活動を続け、戦後補償実現市民基金共同代表も務めた。 2012年8月27日死去。95歳没[1]。 著書参考文献
脚注
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