北大阪急行電鉄
北大阪急行電鉄株式会社(きたおおさかきゅうこうでんてつ、英: KITA-OSAKA KYUKO RAILWAY CO.,LTD.)は、大阪府吹田市・豊中市・箕面市において南北線を運営している鉄道事業者である。通称および略称は北大阪急行または北急(きたきゅう[注釈 1]、Kitakyu[注釈 2])。 千里ニュータウンと日本万国博覧会(大阪万博)の会場アクセスのために阪急電鉄や大阪府などの出資で設立された第三セクター鉄道会社である。阪急電鉄の子会社で、阪急阪神ホールディングスの連結子会社でもあり、阪急阪神東宝グループ所属企業の一つとなっている。全営業区間は8.4kmと短いが、準大手私鉄に分類されている。本社所在地は大阪府豊中市寺内二丁目4番1号で、緑地公園駅に併設している。 社紋は「輸送の安全と平和」を二羽のハトで象徴すると共に、ハトの姿をかりて北大阪急行の「北」と「大」の文字を表している。コーポレートカラーは赤■(乗り入れ先の御堂筋線に準じた色)とマルーン■(親会社の阪急電鉄の阪急マルーンに準じた色)のツートンカラー。 概要北大阪急行電鉄は1967年(昭和42年)12月11日に当時の京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄。以下「阪急」と略す)の子会社として設立された。路線は当初、相互直通運転を行っている地下鉄御堂筋線(当時は大阪市営地下鉄1号線、現在のOsaka Metro)の延伸線、そして日本万国博覧会(大阪万博)会場への路線として計画された。現在はベッドタウンとして千里丘陵に開発された千里ニュータウンから、梅田や淀屋橋などの大阪市中心部への通勤・通学路線としての役割も担っている。 当初計画では、御堂筋線のこの地域への延長は早くて1971年度を想定していた。だが、1965年(昭和40年)に日本万国博覧会の千里丘陵での開催が決定し事態は一変する。会場へのアクセス路線として重要視されたため、地下鉄6号線(現・堺筋線)・阪急千里山線(現・千里線)延長線ともども早期着工を促されたのである[注釈 3]。 しかし、大阪市側の動きは遅かった。大阪市域外のため、当該自治体である吹田市ならびに豊中市との協議が必要となるうえに大阪府の補助金が出ないことや、そもそも市域外に地下鉄を建設すること(計画自体は戦前から榎坂への延伸計画があったが)に対する市民の理解を得られるかという懸念、建設費と万博閉幕後に発生するであろう莫大な赤字、そして御堂筋線のパンクなど、これらがネックであった。そのため、「会場輸送は江坂駅からのバスで十分」という態度をとった。同時に依頼されていた阪急も同様の考えであり、早々と自社線の会場への直接の延伸は諦めていた。路線計画に積極的だったのは財団法人日本万国博覧会協会と府、消極的だったのは市と阪急であった。 路線延伸計画に積極的だった協会と府は菅野和太郎通産大臣兼万博担当大臣の調停を仰ぎ、市と阪急に改めてプラン呈示を要求した。大阪市は建設費を120億 - 206億円と試算し、阪急は86億 - 115億円と試算した。その結果、比較的費用を安く抑えられる阪急案が採用され[注釈 4]、路線自体も阪急主導で建設されることになった。 南北線は主要地方道大阪箕面線[注釈 5]と、会場線は中国自動車道・主要地方道大阪中央環状線と一体で建設されたものの、軌道法ではなく地方鉄道法での建設となった。 1970年(昭和45年)2月24日、南北線・会場線 江坂 - 千里中央(仮駅) - 万国博中央口間が開業。万国博開催中、千里中央(仮駅) - 万国博中央口駅間は、現在の中国自動車道の上り線部分を会場線として使用した[注釈 6]。万国博閉幕後の同年9月14日、会場線千里中央(仮駅) - 万国博中央口間が廃止され、現在の千里中央駅が開業(駅そのものは事前に建設済み)。会場線廃線跡のうち地上部分は中国自動車道上り線に転用され、トンネル部分は資材置き場として現存している(→大阪万博の交通も参照)。また、万国博会場への大量な旅客輸送での収益で建設費を償却できたことに加え、会場線の撤去費用は跡地に中国自動車道の建設が決定済みだったので国が負担し、北大阪急行としてはほとんど支出が無かったことは、現在も初乗り運賃(2017年〈平成29年〉4月1日現在100円[5][6])を低金額で設定できている理由の一つである。 歴史
路線駅の一覧・運行形態などは以下の項目を参照のこと。 車両自社車両2000形と8000形は阪急系列のアルナ工機製であったが、9000形は近鉄系列の近畿車輛製である。
過去の車両
乗り入れ車両
過去の乗り入れ車両
運賃大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2024年(令和6年)3月23日改定[21]。単位:円。
対距離区間制運賃[22]であり、2 kmにつき1区となる。箕面船場阪大前駅または箕面萱野駅を発着とする区間の普通運賃は60円を加算した加算運賃が適用される。 2014年(平成26年)3月31日までの1区運賃の大人80円は当時、日本国内の鉄道でもっとも低額の運賃であった。低廉な運賃体系は、地下鉄御堂筋線との相互直通運転が行われることから輸送人員が非常に多くかつ2社間をまたいで乗車する利用客が非常に多いこと、両路線をまたいで利用すると2社の運賃がそれぞれ必要となることから割高感を抑えていることおよび、徹底した合理化が行われていることなどにより実現しているが、開業時から万国博閉幕後の運営について考慮された結果、建設費の償還を期間中にできるだけ進めるという目論見がなされ、実際には想定以上の結果(運賃収入)を得られたことも大きな理由である。 開業当時の初乗り運賃30円は、阪急電鉄、大阪市営地下鉄と同額であったが、値上げの頻度と値上げ幅が少なかったことから、次第に運賃差が拡大して今日に到る。 2016年(平成28年)12月16日、安全関係への投資などを理由に、1区・2区運賃を10円、3区運賃を20円値上げする旨の発表を行った[5][23]。値上げ実施日は2017年4月1日[6]。実施後の初乗り運賃は100円となり若桜鉄道や岡山電気軌道などと並んだ[23]。2024年3月の箕面萱野駅までの延伸開業の際も、それに伴う値上げは行わないことを明らかにしている[24]。 大人普通旅客運賃の変遷開業時からの大人普通旅客運賃は次のとおり[25]。単位:円。
乗継割引江坂駅で、北大阪急行の各駅(箕面萱野駅 - 緑地公園駅)と、Osaka Metroの1区(大人190円区間/東三国駅・新大阪駅)の相互間を乗り継ぐときは、大人運賃で合計額から40円が割引される(小児半額)[26]。 2025年1月18日までの乗継割引は、北大阪急行の1区・2区(桃山台駅・緑地公園駅)とOsaka Metroの1区の相互間が対象で、割引額は大人20円(小児半額)であった。2025年1月19日のOsaka Metro中央線のコスモスクエア - 夢洲延伸に合わせて割引対象区間と割引額が拡大され、箕面萱野駅 - 千里中央駅については40円の割引新設、桃山台駅・緑地公園駅については20円の割引拡大となった[27]。 乗車カード磁気カードの導入は1989年10月に回数券カードとして「KITA Q CARD」が発売されたのが最初で、自社線内だけでなく大阪市営地下鉄との連絡回数券も発売された[28]。 1996年3月20日よりスルッとKANSAIが導入され、北大阪急行電鉄ではこれに対応するプリペイドカードとして「レジオンカード」を発売していたが[29]、2017年3月31日で発売を終了した[30]。カード裏面の利用履歴に印字される会社符号はKEであった。関西のほどんどの鉄軌道事業者が西日本旅客鉄道(JR西日本)主導のICカード「ICOCA」を発売し、それに移行する中、2017年4月1日からは阪急・阪神・能勢電鉄・北大阪急行電鉄のみで利用できる磁気プリペイドカード「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発売していたが[31]、2019年2月28日に発売を終了し、同年9月30日でレールウェイカードのほか、スルッとKANSAI時代から続いていた全ての磁気プリペイドカードの自動改札機での利用も終了した[32]。なお、かつては自社で発行していたが、2000年から阪急電鉄による発行となった[要出典]。 なお、千里中央駅構内の売店では阪急電鉄の「ラガールカード」を購入することができた。 2006年(平成18年)2月1日より、ICカード乗車券としてポストペイ式の「PiTaPa」を導入し、同時にJR西日本のプリペイド式IC乗車カード「ICOCA」が、2013年(平成25年)3月23日には交通系ICカード全国相互利用サービスへの対応を開始し、Suica、PASMOなども利用できるようになっている。2019年3月1日より、北大阪急行電鉄においてもプリペイド式IC乗車カードの「ICOCA」、および「ICOCA定期券」の発売を開始した。 施設阪急電鉄西宮北口駅今津南線ホームの高架化工事においては、北大阪急行電鉄が国土交通省の鉄道駅総合改善事業における補助金を受けられる第三セクターであることから事業主体となった[33]。 その他
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |