防長交通
防長交通株式会社(ぼうちょうこうつう、通称:防長バス)は、山口県および島根県でバスを運行する山口県周南市のバス事業者。近鉄グループ。 概要山口県中東部(山口市・美祢市・長門市以東のほぼ全域[注釈 1])と島根県鹿足郡津和野町の一部を路線バスの運行エリアとしている。近鉄グループホールディングス(近鉄)の資本が入っているが、設立当初からバス事業専業である。ただし、吸収合併した防石鉄道はかつて軽便鉄道事業を行っていた(同社が鉄道事業を廃止しバス専業に転換後に合併しているため、社として鉄道事業を行ったことはない)。 エリア内で廃業した他社の路線を車両ごと引き受ける(その際、車両の塗り替えはほとんど行われない。後述)一方で、他の事業者で見られる地域分社の動きがないなどの特徴が見られる。 貸切バス事業は専業子会社の防長観光バスを設立する一方で、直営事業としても行っている。 なお、社名の「防長」は律令国である「周防国」と「長門国」の一文字ずつを採ったもので、長州藩の別称である。 歴史
各営業所(車庫)の所在地津和野出張所は島根ナンバー、防長観光バス広島営業所は広島ナンバー、その他は山口ナンバー。 防長交通
防長観光バス
主なターミナル路線※詳細な運行案内は外部リンクの防長交通サイトを参照。 高速バス広島線広島県広島市(広島バスセンター)と山口県各地を結ぶ路線。現在は「山口大学・山口湯田温泉・防府駅前・徳山駅前 - 広島バスセンター」系統のみだが、かつては「田布施・平生・柳井 - 広島バスセンター」の系統を運行していた。 車内設備は各路線とも4列シート。一部トイレ付の車両あり。運行支援業務は防長観光バス広島営業所が担当している。 周南・防府・山口発着便広島市と、岩国市西部・周南市・防府市・山口市を結ぶ系統。かつては美祢市東部を経由し萩市まで運行されていた。 この系統は、防長交通が以前から自社の幹線として運行してきた山陽街道のバス路線(小郡 - 山口 - 防府 - 徳山 - 下松 - 柳井。現在は系統が分断され、快速便として近距離輸送に徹している)を、山陽自動車道開通にあわせ実質的に引き継いだものと位置づけられる。そのため、防府営業所発行の時刻表をはじめとして山陽街道のバス路線と広島 - 萩線をひとつの路線として掲載する時刻表が存在するほか、ルートも一部(山口市内 - 周南市内)で山陽街道線と重複している。また、防長交通は山陽道開通以前に山口湯田温泉 - 広島バスセンター間に中国道・広島道経由の高速バス路線を運転しており(当時は広島電鉄との共同運行)、実質的にこの路線の運行経路を変更して復活したものともいえる。 2023年3月18日現在、以下の計7往復が運行されている。席は全席自由席(座席定員制)。
その他の路線
急行バス快速バス
一般路線バス防長交通では循環系統の行先名を「○○じゅんかん」と平仮名表記している。 広域路線
柳井市・熊毛郡周辺路線
これにより柳井駅から大畠駅までバス移動が出来なくなった
大島郡周辺路線
周南市・下松市・光市周辺路線2021年4月1日のダイヤ改正にあわせ、系統番号が変更された。 それまでは、周南市付近の系統番号は、徳山駅前のバスのりば番号と連動していた(ハイフンより左側)。したがって徳山駅前に入らない路線については系統番号がなかった。なお、0-1、0-2番は徳山駅前付近を通っていたため系統番号が設定されているが、これらの系統が新設された当時は全便徳山駅前を通過していたためハイフンより左の番号が0となっていた。また、2019年に徳山駅前広場の完成に伴い乗車ホームの再編が行われた(乗車ホームを8面に増設し、1番のりばを高速バス専用に変更)[26] ため、系統番号とバスのりば番号に一部ずれが生じていた。
防府市・山口市徳地周辺路線なお、文中の「防府駅前」バス停はJR防府駅北口(てんじんぐち)、「防府駅南口」バス停はJR防府駅南口(みなとぐち)の位置にある。
山口市・吉敷郡周辺路線一部を除き、旧山口市交通局の路線を承継している。なお、文中の「湯田温泉」バス停はJR湯田温泉駅から徒歩10分の位置(県道宮野大歳線沿い)にある。 2013年4月1日のダイヤ改正にあわせ、旧山口市交通局の路線に3桁の系統番号が導入された[27]。 2016年2月現在山口市街地~新山口は平日午前は15分間隔正午から17時までは20分間隔のパターンダイヤとなっている(土日は20分間隔)。また日赤口~下湯田は1時間に8本走る時間があり本数が多くなっている。
長門市・美祢市周辺路線
萩市・阿武郡周辺路線
コミュニティバス(運行受託)
車両日野自動車製と三菱ふそう製を併用している。資本関係の深い近鉄バスからの移籍車も多い。近鉄バスからの移籍車で一部いすゞ自動車製も存在する。路線車の基本的な塗装デザインは白地に濃淡緑のストライプで、近鉄バスの前身である近畿日本鉄道自動車局の古い貸切車に準じたものである(色は近鉄とは異なるが、一部に近鉄と同じオレンジ色と紫色のものも)。多くの車両で左後輪に巻き込み防止カバーが取り付けられているのも特徴(近鉄バスと同様、2008年以降に導入された車両には非装着)。 ノンステップ車両は従来の路線車と異なるデザイン(白地に緑の斜めストライプ)が用いられている。 なお、合併により移管された旧防石鉄道・旧山口市交通局の車両や近年の近鉄バスからの移籍車は(貸切車を除き)塗装を部分的に手直しをしただけでほぼそのままの状態で使っている(近鉄バスの手直しの例は同じ近鉄グループの明光バスや北日本観光自動車にも見られる。また、明光バスから防長交通に移籍した車両は明光バス時代の塗装のまま稼働している)[30]。近鉄バスからの移籍車で、関西国際空港リムジンバスに使用していた車両では、関西空港交通と同一デザインまま「BOCHO」のロゴを入れたものもある。 貸切車両は導入時期によってデザインが異なる。昼行高速バス・長距離路線用は初期の貸切車両と同デザインのものが多い(多くが貸切車の転用により充当されているため)。 方向幕は基本的に青地に白抜きである。英字補記は原則としてないが、高速バスや萩 - 秋芳洞 - 新山口線などで英字補記が行われている車両もある。効率化を図るため、経由地と行き先を矢印で結んだもの、両側に始発駅と終着駅を並べたものが多い。同社が受託するコミュニティバスも同様。但し山口市交通局からの移管車の大半は従前の山口市交通局時代の方向幕(白地に青文字・経由地を縦書き)を使用していた。 ノンステップ車両には初期のものを除きLED方向表示器を装着している。一方で(一般路線車を含めて)方向幕搭載車からのLED方向表示器設置改造は今まで行われていなかったが山口市コミュニティバスから一般路線車に転用された2台が初めてLED方向表示器に改造された。なお、LEDの場合は表示部分の上段に経由地を、下段に行き先を大きく表示することが多い。2012年4月からは、LED方向表示器装着車の回送車において「回送中 申し訳ございません」との表示を行っていた。[31][32][注釈 2]
その他特徴ダイヤ運行時刻は概して保守的である。近年は特に長距離路線の減便が多く行われている(もちろんこれは全国で共通に見られる現象である)。また、鉄道との接続はほとんど考慮されていない。 山口市内と徳山市内ではパターンダイヤがみられる。運行間隔は周南・山口地区において、都市部でおよそ15分以下の間隔で運行されている。土休日・年末年始ダイヤ : 土平日・休日と、平日・土休日の2通りの別れ方が混在している(土)休日ダイヤは本数が1 - 3割程度間引きされる。また、終バスが大幅に繰り上がる事がある。年末年始は(土)休日ダイヤに加え、年末年始運休便が運休する。年末年始ダイヤで運行される期間は、以前は12月30日からだったが2006年末からは、12月29日から1月4日に拡大された。 防長交通の速種には速い順に特急、急行、快速、普通がある。特急は、高速バスやはぎ号などが名乗っている。急行は、東萩-秋芳洞だけである。特筆されるのは快速で、たとえば、快速・東萩-青海大橋があるが、普通便はなく、区間の全バス停に停車する。他にも、東萩-津和野、徳山-柳井、徳山-岩国などがこれと同様である。このため快速と普通の区分があいまいで、同じバスに快速と普通の2種の速種が付されている場合がある。 案内→路線図・時刻の詳細は公式サイトを参照
路線図は市街地では多くのバス停に貼られている。デフォルメされているものが多い。郊外ではほとんど貼られていない。路線図は営業所別になっており、隣接地域のバス路線は描かれていない。 配布用時刻表が各営業所ごとに作られていて、バス車内や営業所・案内所で無料配布している。周南地区では早くから冊子での配布を始めていたが、多くは壁張り一枚物で、他営業所管内の時刻はほとんど記載されないのが特徴。山口営業所では2006年から、防府営業所では2007年から冊子型の本格的なものの配布を始めた。 運賃は三角表方式で決められている。乗り換え通算など乗り換え時の割引は、バスカードを用いたときの割引のみ(30分以内で一律20円)。概して鉄道と並行する部分できわめて安く(鉄道と同程度の水準)、並行しない部分でやや高めか一般的な水準である。 車内放送では、次の停留所を案内する際、「次は○○です。(自社案内、広告放送)。お降りの方はお知らせください。○○です。」と放送の最後は単なる「○○です」で締めくくっているのが特徴である。 バス停バス駅・ターミナルなどは主なターミナル参照。発券業務を扱う場所は少ない。
グループ会社
かつては東京都にニュー東京観光バス、大阪にニュー大阪観光自動車を傘下に持っていた。前者は1965年に名鉄グループに譲渡(その後ジェイ・コーチグループを経て、2016年現在はケイエム観光バス傘下となっている)。後者は防長交通とともに近鉄傘下[33] となった後、1969年に城東近鉄タクシーに社名・業種を変更、同年近鉄タクシーに吸収合併[34] された。 注釈注記出典
関連項目外部リンク
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