桑名市(くわなし)は、三重県の北部に位置する市。
概要
伊勢湾の堆積平野の伊勢平野と木曽三川による沖積平野の濃尾平野の境にある都市。愛知県と岐阜県に接しており、名古屋市から25km圏に位置する[1]。名古屋市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいる。無形文化財に石取祭や連鶴の折り方の「桑名の千羽鶴」などがある。
2004年(平成16年)12月6日に桑名市、桑名郡長島町、多度町の3市町村が合併(対等合併)して誕生した市である。
蛤(はまぐり)料理に代表される食文化を有し、ナガシマスパーランド、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市であり[2]、機械・金属系を中心とする工業都市でもある [3]。
地理
木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の河口にあり、北西部に養老山地、南東部に伊勢湾がある。地形的には養老山地南東部にあたる山地や丘陵地帯、伊勢湾に面した木曽三川と員弁川による堆積平野、木曽川や長良川周辺の輪中に代表される水郷地帯からなる[1]。
伊勢神宮の「一の鳥居」が設置されるなど、伊勢国の東の玄関口として位置付けられる。その地理的条件により、江戸時代には東海道でも指折りの宿場町、城下町、港町として栄えた。
隣接している自治体
主な地形
- 河川
- 木曽川
- 長良川
- 揖斐川
- 新堀川、大山田川、沢北川、東川、流石川、三砂川、新田川、多度川、肱江川 (県管理)
- 山江川 (市管理)
- 員弁川(町屋川)
- 三孤子川、弁天川、嘉例川 (県管理)
- 笹貝川、蓮花寺川 (市管理)
- 湖沼
- 山岳
気候
太平洋側気候で、一般には温和な気候であり、日照時間も多い。夏は非常に蒸し暑く、最高気温が38℃を超える日も珍しくない。2024年(令和6年)8月9日には三重県内で初めて最高気温が40℃を超えた[4]。また、熱帯夜となる日も多い。冬は乾燥した晴天の日が多いが、強い冬型の気圧配置となり滋賀方面から鈴鹿山脈を越えて雪雲が流れてくると大雪に見舞われることがある。
- 気温 - 最高40.4℃(2024年8月9日)、最低-6.4℃(1999年2月4日)
- 最大日降水量 - 358ミリ(2000年9月11日)
- 最大瞬間風速 - 27.8メートル(2018年9月4日)
- 夏日最多日数 - 147日(2023年)
- 真夏日最多日数 - 94日(2023年)
- 猛暑日最多日数 - 24日(2010年)
- 熱帯夜最多日数 - 52日(2023年)
- 冬日最多日数 - 50日(1981年、1984年)
桑名の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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17.7 (63.9)
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21.8 (71.2)
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24.9 (76.8)
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30.8 (87.4)
|
34.1 (93.4)
|
37.5 (99.5)
|
39.7 (103.5)
|
40.4 (104.7)
|
38.0 (100.4)
|
32.3 (90.1)
|
26.3 (79.3)
|
21.9 (71.4)
|
40.4 (104.7)
|
平均最高気温 °C (°F)
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9.2 (48.6)
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10.2 (50.4)
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13.9 (57)
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19.3 (66.7)
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24.0 (75.2)
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27.1 (80.8)
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31.0 (87.8)
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32.7 (90.9)
|
29.0 (84.2)
|
23.3 (73.9)
|
17.3 (63.1)
|
11.6 (52.9)
|
20.7 (69.3)
|
日平均気温 °C (°F)
|
4.8 (40.6)
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5.5 (41.9)
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8.9 (48)
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14.2 (57.6)
|
19.1 (66.4)
|
22.8 (73)
|
26.7 (80.1)
|
28.0 (82.4)
|
24.4 (75.9)
|
18.6 (65.5)
|
12.6 (54.7)
|
7.3 (45.1)
|
16.1 (61)
|
平均最低気温 °C (°F)
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1.2 (34.2)
|
1.5 (34.7)
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4.5 (40.1)
|
9.6 (49.3)
|
14.8 (58.6)
|
19.3 (66.7)
|
23.5 (74.3)
|
24.6 (76.3)
|
20.9 (69.6)
|
14.8 (58.6)
|
8.6 (47.5)
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3.5 (38.3)
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12.2 (54)
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最低気温記録 °C (°F)
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−5.7 (21.7)
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−6.4 (20.5)
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−4.4 (24.1)
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0.2 (32.4)
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6.0 (42.8)
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11.6 (52.9)
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16.3 (61.3)
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15.5 (59.9)
|
10.9 (51.6)
|
4.5 (40.1)
|
−0.7 (30.7)
|
−5.0 (23)
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−6.4 (20.5)
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降水量 mm (inch)
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54.3 (2.138)
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63.2 (2.488)
|
112.8 (4.441)
|
141.7 (5.579)
|
166.8 (6.567)
|
209.5 (8.248)
|
193.2 (7.606)
|
137.1 (5.398)
|
233.3 (9.185)
|
165.8 (6.528)
|
79.7 (3.138)
|
59.0 (2.323)
|
1,616.3 (63.634)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
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6.3
|
7.1
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9.2
|
9.3
|
10.2
|
12.3
|
11.8
|
8.7
|
11.1
|
9.3
|
6.4
|
7.1
|
108.8
|
平均月間日照時間
|
159.8
|
158.3
|
188.5
|
194.3
|
199.9
|
154.2
|
175.2
|
218.6
|
163.3
|
167.1
|
157.8
|
156.7
|
2,093.6
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出典:気象庁
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歴史
- 律令制による国郡の制定時には桑名の大部分は伊勢国桑名郡(くわなのこおり)に、七和地区、久米地区は員弁郡に属していた。
- 平安時代より、主に京都及び畿内で生産されていた物資を尾張以東の東海道諸国へ送り出すための中継拠点として、また東海道諸国で生産された物資を集めて近江や伊賀を経由して京都及び畿内へ送り出す中継拠点として繁栄した[5][6][7]。
- 多度町の愛宕中世墓群から古瀬戸や常滑焼の骨壺が発掘されており、平安時代の後期から鎌倉、室町、桃山期にかけて尾張から輸入されたことが明らかになっている。
- 桑名は本州の太平洋側における上方文化圏(京都文化圏)の東端の地であり、尾張以東の東日本文化圏との接点の地でもあった。
- 室町時代には商人たちによる自由都市が形成され、堺、博多、大湊と並ぶ日本屈指の港湾都市となり、商業、海運の中心地として栄え「十楽の津」と呼ばれた。
- 桑名から京都・近江へ向かう際に横断する鈴鹿山脈の峠は、主なものとして、北から鞍掛峠・治田峠・石榑峠・八風峠・根ノ平峠・安楽峠などがある。中でも菰野町千種から根ノ平峠を越えて、現在の滋賀県東近江市永源寺町甲津畑まで至る千種街道「千種越え」と菰野町田光から八風峠を越えて、永源寺町杠葉尾までの八風街道「八風越え」とが多く利用された。
- 「八風越え」は桑名と近江の八日市・近江八幡を結ぶ重要な通商路であったが、近江の得珍保の保内商人(四本商人)(近江蒲生郡得珍保内の今堀・蛇溝・中野・今在家などの諸郷の商人で、鈴鹿山脈を越える山越商人)が商業を独占していた。永禄2・3年(1559年・1560年)の「保内商人申状案」によると、保内商人(四本商人)が八風・千種越えで、千種氏から両峠の流通独占権を認められ、その見返りとして役銭を支払っていた記録がある。
- 保内商人(四本商人)は桑名で東海地方の産物[注 1]を仕入れ近江や京都で販売した。また近江からは、京都や周辺で生産された物資の他、木地師の盆、椀、曲物、木炭、麻などの山のものが桑名へ運ばれ伊勢湾を経て尾張以東の東海道諸国へ送られて販売された。
- 戦国時代には長島の願証寺を中心として一向宗の一大拠点が形成され、一向宗門徒らによる自治が行われていたが、やがて尾張の織田信長と対立し戦乱が起きるようになった。
- 1570年(元亀元年)から1574年(天正2年)にかけて長島一向一揆が起きたが、信長の軍勢により鎮圧されて自治領は崩壊した。
- 1571年(元亀2年)5月 - 長島一向一揆の際、織田信長の命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂、塔、伽藍が全て焼きつくされ焼失した。
- 1580年(天正8年) - 織田信長の家臣滝川一益が尾張から北伊勢に侵攻した際に、四十三の子院を持ち、約千人の僧兵が居たという聖衆寺や飛鳥寺等の多くの寺院が焼き尽くされて消失した。
- 江戸時代には桑名藩11万石の城下町、および東海道五十三次で知られる東海道42番目の宿駅・桑名宿として栄えた。宮宿(名古屋市熱田区)との間の七里の渡しが有名である[8]。幕末には、佐幕派の中核をなす、いわゆる一会桑政権(一橋慶喜、会津藩、桑名藩)の拠点の一つとなった。
- 1753年(宝暦3年)‐治水工事のため江戸幕府は外様の薩摩藩に対し御手伝普請を命じ、翌年2月に工事が始まった。いわゆる宝暦治水である。工事は1755年(宝暦5年)に終わったが、総奉行の平田靱負は多くの犠牲者を出したことや多大な予算の超過の責任をとり切腹した。
- 桑名は木曽三川の河口に位置しているため、日本屈指の穀倉地帯であった伊勢平野と濃尾平野からの米の集積地となり、江戸時代の天明4年(1784年)から米相場の商いが始まり、米の町としても繁栄した。また明治27年(1894年)12月29日に桑名米穀取引所が開設され、昭和6年(1931年)12月に同所が閉鎖となるまで、37年間にわたり米相場の取引が行われた。当時は取引所を中心に40数軒の仲買店が軒を並べ、相場通信連絡には手旗信号を利用し、多度山を中継所として名古屋に値動きを伝えた。当時国内の主な米穀取引所としては他に、大阪堂島、東京蛎殻町、下関赤間関の3ヶ所が存在したが、桑名は全国で唯一、夕方にも相場を開き「桑名の夕市」と呼ばれ,全国にさきがけて相場を決めるため,桑名の相場が全国の米相場を決める」と言われた。
- 明治時代になると廃藩置県によって桑名藩は桑名県、長島藩は長島県となった。その後、近隣の県との合併によって安濃津県(後の三重県)ができ、その一部となった。
近代以降の沿革
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、桑名郡桑名城下(桑名三之丸・桑名吉之丸・桑名内堀・桑名元赤須賀・桑名伊賀町・桑名外堀・桑名八幡町・桑名柳原・桑名新屋敷・桑名一色町・桑名矢田川原・桑名新地・桑名船馬町・桑名本町・桑名舟町・桑名小網町・桑名宝殿町・桑名清水町・桑名宮町・桑名風呂町・桑名川口町・桑名江戸町・桑名片町・桑名京町・桑名宮通・桑名職人町・桑名油町・桑名田町・桑名北魚町・桑名三崎通・桑名南魚町・桑名殿町・桑名吉津屋町・桑名鍛冶町・桑名紺屋町・桑名入江町・桑名葭町・桑名新町・桑名萱町・桑名伝馬町・桑名鍋屋町・桑名矢田町・桑名福江町・桑名太一丸・桑名今一色大北町・桑名今一色北町・桑名今一色中町・桑名今一色片町・桑名今一色寺町・桑名堤原・桑名住吉町・桑名相生町)および江場村・大福村・本願寺村・矢田村・桑名村の各一部の区域をもって桑名町が発足。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 桑名郡赤須賀村を編入。
- 1933年(昭和8年)3月20日 - 桑名郡益生村を編入。
- 1937年(昭和12年)
- 3月20日 - 桑名郡西桑名町を編入。
- 4月1日 - 市制施行して桑名市となる。
- 1951年(昭和26年)3月2日 - 桑名郡桑部村・在良村・員弁郡七和村を編入。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 桑名郡深谷村および員弁郡久米村の一部(大字坂井・赤尾・友村・島田・志知)を編入。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 桑名郡城南村を編入。
- 2004年(平成16年)12月6日 - 桑名郡多度町・長島町と合併し、改めて桑名市が発足。
都市情報
市章
現在の市章は、合併を機に、全国から寄せられた公募から選ばれ、2004年12月6日に制定された[9]。市章は1本の青色のライン(帯)と2本の緑色のラインで構成される。これらのラインを円周状に配置することで、「水と緑の交流の輪」を表現している。そして、中央の余白を名産の蛤の形状で浮き上がらせ、「市の文化や歴史」を表現している[9]。
市名のいわれ
地名・桑名の由来は諸説あるが、桑名開発の祖となる豪族・桑名首(おびと)の名前から採られたという説が有力である。なお、地名・桑名が記された最古の史料は『日本書紀』である。壬申の乱の際、672年6月26日に天武天皇が桑名郡家(くわなのこおりのみやけ)に宿泊したとの記述がある。
市認定キャラクター
- ゆめはまちゃん
- 桑名商工会議所が「桑名の活性化を応援するキャラクター」として公募で決定したゆるキャラ。2011年1月28日に市長が「桑名市の活性化を応援する市のキャラクター」として認定した[10]。本来のデザインでは、名産の蛤をイメージした桑名のロゴが入った貝殻の中から頭を出しているだけで胴体は存在しない。着ぐるみでは胴体が存在し、木曽三川をイメージした3本の白いラインが入った水色の衣装を着ている[10]。
人口
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桑名市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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桑名市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 桑名市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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桑名市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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101,403人
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1975年(昭和50年)
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105,583人
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1980年(昭和55年)
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110,310人
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1985年(昭和60年)
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119,855人
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1990年(平成2年)
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124,042人
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1995年(平成7年)
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129,595人
|
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2000年(平成12年)
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134,856人
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2005年(平成17年)
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138,963人
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2010年(平成22年)
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140,290人
|
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2015年(平成27年)
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140,303人
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2020年(令和2年)
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138,613人
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総務省統計局 国勢調査より
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行政・議会
市長
- 桑名市長:伊藤徳宇(2012年12月19日就任、3期目)
- 歴代市長
- 2004年の新桑名市誕生に伴い、新市長就任までは、市長職務執行者として平野久克(旧長島町長)が就任した。
- 初代市長:水谷元(合併前の桑名市長も歴任)、任期は2004年12月19日 - 2012年12月18日
議会
議員定数:26人[11]
任期:2018年12月6日から2022年12月5日[11]
会派名 |
議員数
|
絆 |
10
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桑風クラブ |
7
|
フォーラム新桑名 |
3
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公明党桑名市議団 |
2
|
日本共産党桑名市議団 |
2
|
無会派 |
1
|
無会派 |
1
|
欠員
|
0
|
(2020年3月31日現在[13])
2004年の新桑名市誕生に伴い、合併前の在任特例規定の適用により、旧市町議員が2006年11月まで残った。議員定数は、2006年11月時点で34、2014年12月から26。
※なお、衆議院議員選挙の選挙区は「三重県第3区」[14]、三重県議会議員選挙の選挙区は「桑名市・桑名郡選挙区」(定数:4)[15]となっている。
2016年7月、大森啓桑名市議が万引きの容疑で逮捕された。9月には懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受け、桑名市議会は辞職勧告を決議したが、大森は辞職しなかった[16]。2018年6月、大森啓市議が再び万引きを行い、市議会は大森に対して2度目の辞職勧告を決議した[16]。
姉妹都市・提携都市
- 姉妹都市
- 苫前町(北海道)
- 1981年(昭和56年)9月 旧長島町と姉妹都市提携。明治時代に長島町から集団移住したことにちなむ。
- 行田市(埼玉県)
- 1998年(平成10年)11月9日 姉妹都市提携。江戸時代の三方領知替えにちなむ。
- 白河市(福島県)
- 1998年(平成10年)11月9日 姉妹都市提携。三方領知替えにちなむ。
- その他
- 全国門前町サミット - 全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町を有する自治体・観光協会・商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議。
広報活動
施設
役所
旧桑名市役所が市役所本庁舎に、それ以外の旧町役場が総合支所となっている。
- 桑名市役所
- 多度町総合支所(旧多度町役場)
- 長島町総合支所(旧長島町役場)
警察
- 交番
- 大山田(松ノ木4丁目)
- 桑名駅前(桑栄町)
- 内堀(内堀)
- 馬道(矢田)
- 駐在所
- 久米(志知)
- 深谷(下深谷部)
- 多度(多度町多度)
- 御衣野(多度町御衣野)
- 長島(長島町又木)
- 楠(長島町西川)
- 伊曽島(長島町福吉)
- 検問所
消防
桑名市消防本部
- 消防署
- 分署
- 西(赤尾)
- 大山田(大山田)
- 多度(多度町小山)
- 長島木曽岬(長島町松ケ島)
医療
図書館
国の機関
- 厚生労働省
- 国土交通省
- 財務省
- 法務省
- 裁判所
経済
産業
- 鋳物
- 桑名の代表的な地場産業で全国的に高い知名度を持つ。かつては日本の二大鋳物産地の一つとして「東の川口、西の桑名」と言われた[17][18]。桑名には約34社の鋳物工場があり、1,300人以上が従事している。製品出荷額は約394億円(2002年)で、全国でも有数の規模を誇っている[19]。製造される鋳物製品は多種にわたっており、日用品、土木建築用資材(マンホール、グレーチングなど)、産業機械器具部品、電動機器部品などがある。
- 桑名鋳物
- 梵鐘などを製造する伝統的鋳物産業も健在で、梵鐘は海外に輸出されることもある。地場産業としての鋳物が桑名で発達したのは明治時代以後だが、桑名鋳物の歴史は古く、本多忠勝が桑名藩主となり(1601年)、鉄砲の鋳造をはじめたのが起源とされている[18]。当時の製品は銅合金による神社仏閣の灯籠、梵鐘、鍋釜類、農具などが主な物であった。桑名の鋳物師(いもじ)としては廣瀬、辻内の両家が活躍した[注 2]。廣瀬与左衛門による仏眼院の「喚鐘(かんしょう)」(桑名市指定有形文化財)と辻内善右衛門による桑名宗社の「春日神社の青銅鳥居」(三重県指定有形文化財)が現存しており、桑名鋳物を象徴する文化財となっている[17][19]。
- 桑名萬古焼
- 萬古焼の一種で、赤絵(赤い絵付け)を特徴とする[20]。三重県指定伝統工芸品であるとともに、三重県指定無形文化財(工芸技術)である[20][21][22]。桑名の豪商、沼波弄山が開窯した古萬古は後継者の無いまま廃絶していたが、桑名・田町生まれの森有節(ゆうせつ)、千秋(せんしゅう)の兄弟によって、古萬古ゆかりの桑名藩領、小向(おぶけ)村(現朝日町)で再興された[注 3]。森兄弟は分解できる木型に棒で伸ばした薄い土を貼り付けて成形・量産する方法を編み出し、その方法は秘密とされた。しかし、急須木型の注文を受けた桑名の木型師佐藤久米造にその秘密が漏れ、佐藤が1840年頃に開窯することとなった。これが桑名萬古の始まりである。街道の土産物として人気を得るとともに、佐藤の弟子(水谷孫三郎など)や布山由太郎などの優れた陶工を輩出したことから、桑名萬古は質、量ともにの萬古焼における一つのブランドとして確立していった。幕末から明治初期にかけて最も盛業であったが、明治後期には販売戦略に優れた四日市萬古に合流、縮小していった[23][24]。
- 桑名盆(かぶら盆)
- 欅(けやき)、栓(せん)、檜(ひのき)などの木目が美しい木地に、漆の木地呂塗り(きじろぬり、木目が透けて見える塗り方)を施して作られた盆[21][25]。典型的には、丸盆で、かぶらの絵が描かれている。三重県指定伝統工芸品である。
- 桑名箪笥(たんす)
- 桑名刃物
- 多度の弾き猿
- 三重県指定伝統工芸品で、明治時代中頃から多度大社門前町の土産物として親しまれている[21]。「はじきざる」の名称が「(災難を)弾き去る」という言葉と語呂が合うことから縁起物とされる[21]。
名産
- 蛤(はまぐり)
- 焼き蛤、時雨蛤、酒蒸しなどとして食され、「その手は桑名の焼き蛤」という言葉遊び(地口)があるほど全国的に有名である[注 4]。松尾芭蕉もおくのほそ道が終わった大垣を発つときに「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」という句を残している。また、桑名産蛤の貝殻は、漆喰、藍染め等の原料となる貝灰(貝焼灰)として全国的に輸送販売されていたほか[27]、色彩が美しいことでも有名で、貝合わせや貝絵や膏薬の容器のための加工用として珍重された[28]。
- 現在、日本で「蛤」の名称で流通、消費されているものの多くは、別種のシナ蛤であるが[29]、桑名市は、蛤(本蛤、学名 Meretrix lusoria)が獲れる日本で数少ない漁場の一つとなっている[29][30]。主な漁場は木曽三川河口域で、淡水と海水が程よく混ざった汽水域になっており、蛤の生育に最適な、肥沃で広大な干潟が形成されている[28][31]。この環境下で育った「桑名の蛤」は大型かつ美味上質となり[32]、条件の良いものは生食も可能となる[31][33][35]。桑名産蛤が全国的に有名になったのは、桑名が交通の要衝であったことに加え、上記のように良質の蛤が採れたことが理由であると考えられている[36]。
- 遺跡(貝塚)の発掘調査で蛤の貝殻が出土しており、古墳時代から鎌倉時代の頃には、現在の桑名市で蛤が食されていたことが確認されている[37]。桑名の名産として全国的に認知されるようになったのは江戸時代頃からと考えられる[38][39]。木曽三川河口域で獲れた桑名の蛤を歴代の将軍に献上するのが慣例となっていた[28][40]。江戸時代初期に、河口域に漁村が存在した記録が残っているが、漁村の蛤漁は盛況で、蛤の貝殻で地面が厚く覆われるほどであった[41]。江戸時代後期の滑稽本『東海道中膝栗毛』では、「…熱田の神の慈眼(みそなは)す、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、めいぶつの焼蛤に酒くみかはして、…」[42]と、宮宿から船で桑名宿に渡って来た主人公の弥次郎兵衛と喜多八が、早速、名物の焼き蛤を楽しむ様が描かれている。当時、焼き蛤と時雨蛤は桑名宿の名物とされ、焼き蛤が即席で旅人に供され、時雨蛤が土産物として売られていた[18]。さらに、桑名宿から富田の立場にかけての街道沿いでは、焼き蛤を食べさせる店が多数軒を連ねて繁盛していた[43]。
- 地蛤の年間漁獲高は、ピーク時には約3,000トンと日本一を誇ったが、1995年には過去最低の0.8トンを記録した。近年の漁獲高は、資源管理、稚貝放流(栽培漁業)によって回復傾向にあり、2000年19トン、2001年15トン、2002年16トン、2003年20トン、2004年62トン、2005年52トン、2006年47トン、2007年95トン、2008年140トンとなっている[40]。焼き蛤など蛤料理を提供する店は多数あるが、代表的な老舗の例としては、「料理旅館 山月」(船馬町、脇本陣「駿河屋」跡)、「魚重楼」(南魚町)、「割烹 みくに」(川口町)などが挙げられる。
- 焼き蛤の伝統的調理方法
- 江戸時代、桑名周辺では、焼き蛤は松かさを燃やして加熱することで調理されていた。葛飾北斎の浮世絵『桑名 四日市へ三里八丁』などにその様子が描写されている[44]。この調理法では、松脂を含んでいるために火力が強い松かさで覆い、蝶番(ちょうつがい)を切ってから加熱するため、殻が開くことなく短時間で調理できる。このため、一般的な調理方法よりも柔らかく蒸しあがる。なお、NHKの「ためしてガッテン」ではこの調理方法が紹介され、桑名市でこの再現された焼き蛤が住民に披露されたがその味は住民からは好評であった[44]。
- 時雨蛤
- 佃煮の一種。蛤の時雨煮。ボイルした蛤のむき身を、生引溜(きびきたまり)を沸騰させたハソリ(大鍋)に入れ、「浮かし煮」と呼ばれる独特な方法で煮て調理する[45]。その際、風味付けに刻んだ生姜を加える[45]。時雨蛤にすることで蛤の保存性が高まり、土産物として高い人気を誇った[46]。もとは「煮蛤(にはまぐり)」と呼ばれたが、松尾芭蕉の高弟、各務支考が「時雨蛤」と名付けたと言われている[47]。
- 騒ぎ唄(広く宴席でうたう歌)の『桑名の殿様』で、「桑名の殿様、時雨で茶々漬」と歌われて有名である。なお、この唄に出てくる「桑名の殿様」とは、桑名藩主のことではなく、明治から大正にかけて米相場で儲けた桑名の大旦那衆(お大尽、成金)のことである。東京の料亭で盛大な酒宴を行い、芸者衆と大いに遊んだ桑名の大旦那衆が、宴会の最後に時雨蛤の茶漬けを食べた様を唄にしたのが、『桑名の殿様』である[48]。この唄は、神宮式年遷宮の御木曳木遣唄の一種である『松前木遣り』がお座敷唄化したものと考えられている[49]。ちなみに、この唄の「~の殿様~で茶々漬け」のフレーズは、日本各地でその土地の名物、名産を読み込んだ替え唄となって楽しまれた[49]。
- 『桑名の殿様』の歌詞
- 桑名の殿さま ヤンレー ヤットコセー ヨーイヤナ 桑名の殿さん 時雨で茶々漬(ちゃちゃづけ) ヨーイトナー アーレワ アリャリャンリャン ヨイトコ ヨイトコナー
あれは当麻(たいま)の あれは当麻の 中将姫だよ
泣き泣き入れるは 泣き泣き入れるは 六条さんの賽銭箱
源氏は白旗 平家は赤旗 天保山(てんぽうざん)は沖の旗
やれ出るそれ出る やれ出るそれ出る 矢橋(やばせ)の舟だよ[50]
- 白魚紅梅煮(しろうおこうばいに)
- 安永餅
- つぶ餡(あん)の入った細長く平らな焼餅。「ともち」、「牛の舌もち」とも称された。桑名の代表的銘菓で、江戸時代から安永立場(安永)において桑名宿を往来する旅人などに人気を博し、茶店で、または土産物として広く親しまれた[51][52]。現在、安永餅を製造、販売する店は2つあり、「永餅屋老舗」(1634年創業)と「安永餅本舗 柏屋」である。桑名で隠居していた松平定信(楽翁公)が非常時の食糧として安永餅を考案したという伝承がある[53]。しかし、安永餅と同形態の餅を食する文化は桑名から四日市、鈴鹿にかけて広く分布しており[54]、創業当時の史料も残っていないため、安永餅の発祥は、はっきりしていない[53]。
- 蛤志るこ(はまぐりしるこ)
- 桑名特産の蛤を模した懐中汁粉。蛤形状の最中を割って湯をかけて溶くと即席で汁粉ができる。
- アイス饅頭
- 饅頭を模した小豆が中に入った氷菓。マルマン(京町)、末廣屋(深谷町)、寿恵広(三ツ矢橋)などが製造販売している。特に寿恵広は知名度が高く、1950年からアイス饅頭の製造を開始し、デパート、スーパー、おかげ横丁(伊勢市)、インターネット通販などによって全国的に販売を行っている[55]。
- なばな
- アブラナの一種で若芽や茎を食用にするもの。長島町は「なばな発祥の地」である。
- 八壺豆(多度豆)
- 大豆を核にきな粉と砂糖水を練り合わせて白砂糖をまぶした豆菓子。多度大社門前町の土産菓子として親しまれている。
- 紅梅焼
- 多度の紅梅をかたどった山椒風味の堅焼き煎餅。八壺豆とともに多度大社門前町の土産菓子として親しまれている。
- 都饅頭
- 表面に黒ごまがちりばめられ、こし餡が入った焼き饅頭。桑名市が発祥とされる[56]。比較的、日持ちすることもあって、贈答、仏事の品として、よく利用される。
- 鯉料理
- 江戸時代創業の鯉料理専門店「大黒屋」(多度町柚井)が有名である[57]。池波正太郎がお忍びで食事に訪れたことがあり、自身のエッセイでこの店の鯉こくを賞賛している[58]。
- 手延べうどん
- 手延べ方式で作られる干し麺の一種。冬期に、伊吹おろし(鈴鹿おろし)と呼ばれる寒冷で乾燥した強風が吹きつける桑名の風土を利用して、乾燥・熟成して作られる。桑名の隠れた特産品で、麺のまろやかな舌ざわりと透き通るほどの色と艶が特徴とされる[59][60]。
- しぐれ肉巻きおにぎり
- 時雨あさりを用いた時雨ご飯を、豚肉で巻いて作るおにぎり。2010年に、桑名の新名物を決める「くわなめしグランプリ」の優勝作品となり[61]、桑名市の新しいご当地グルメとなった[62]。
農業
- トマト(ハウス桃太郎)(長島地区)
- ハウス栽培向きの完熟出荷用桃色トマト[63]。歯応えが良く、糖度が高いため、フルーツ感覚で食される。1988年に全国に先駆けて旧長島町で試作栽培に成功した[64]。出荷量は年間約1,000トンで、5月初旬が収穫のピークとなる。高級トマトとして、京都方面をはじめ、近郊にも出荷されている。
- みかん(多度地区)
- 「多度みかん」のブランドで栽培されている。果汁が詰まり、甘みが強いといった特徴を持つ[65]。収穫時期は10月上旬から翌年3月頃まで[66]。秋季には、みかん狩りが行われる。
- 竹の子(桑名地区)
市内に立地する主な企業・工場
大型商業施設
郵便・通信
日本郵政グループ
その他簡易郵便局を除く各郵便局にATMが設置あり。★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。(2024年9月現在)
※桑名市内の郵便番号は「511-00xx」「511-08xx」「511-09xx」(以上は合併以前からの桑名市域)「511-01xx」(旧多度町域)「511-11xx」(旧長島町域)となっている(いずれも桑名郵便局の集配担当)。
電信電話
- NTT西日本 三重支店
- 市外局番は市内全域で0594(桑名MA)が使用される。
- 同じ市外局番(MA)のいなべ市ならびに員弁郡東員町との間で市内料金での通話が可能である。
マスメディア
教育
市内に大学はない。
高等学校
- 公立
- 私立
中学校
- 公立
- 私立
小学校
- 公立
- 私立
特別支援学校
閉校した学校
交通
鉄道
市の中心となる駅:桑名駅
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 近畿日本鉄道(近鉄)
- 養老鉄道
- 三岐鉄道
なお、1927年から1944年には、路面電車の桑名電軌が桑名駅前と宿場町時代からの市街地を結んでいた。
路線バス
高速バス路線
一般路線バス
空港へのアクセス
- 中部国際空港高速バス 桑名中部国際空港線
- 2018年現在、三重交通が桑名駅前・長島温泉-中部国際空港(セントレア)間の高速バスを運行している。所要時間は約55-85分[69]。
道路
高速道路
一般国道
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
観光・レジャー
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桑名市は水郷県立自然公園に指定されている。また名古屋に近く、観光スポットが充実していることから、三重県では伊勢市に次いで2番目に観光客数が多い自治体である。2007年度には約798万人[90]、2013年には10,003,347人が訪れた[91]。
スポーツ施設
祭り・イベント
祭り・イベントは年間を通して開催されており、比較的大きなものは、旧桑名宿周辺、多度大社・多度山周辺、木曽三川・長島温泉周辺に集中している。全国的に知名度の高い石取祭は春日神社から市内各地にも波及して行われている。また、太夫を拠点に現在でも三重県・滋賀県・和歌山県・京都府・大阪府・福井県・兵庫県・岡山県・鳥取県・広島県・山口県・島根県・香川県の二府十一県を回檀する伊勢大神楽の本拠地奉納は年末、増田神社で行なわれている。
2011年現在、秋季には多度町観光協会によって、みかん狩り、柿狩り、芋掘りが催されている[102][103]。
主な祭り・イベントの年間スケジュールは以下のとおり。
著名な出身者
政治・行政
経済
軍人
学術
文化
芸能
スポーツ
プロレス
サッカー
バスケットボール
ラグビー
アナウンサー
その他
ゆかりの人物
過去の事案
- 毎日新聞が桑名市に対し情報公開請求を行なった所、既に逮捕・起訴された組合長を務める漁業協同組合(漁協)に対し、当市市長公室政策創造課・下水道課・水道課が「補償金」や「補助金」などの名目で2010年度から10年間で総額653万円を漁協に公金支出をしていた事が報道された。市は漁協への公金支出について「逮捕者が出た団体に公金を支出しないのは当然」などとし、今後は行わない方針を明らかにしているとも報道された[145]。
- 桑名市では2007年度時点で条例などを制定しないまま一部の在日韓国・朝鮮人を対象に住民税を半減する特例措置がとられていた[146]。なお2008年度以降は、この措置を是正する方針が示された。詳細は「在日韓国・朝鮮人」の項を参照のこと。
桑名市を舞台とした作品
映画
桑名市にちなむ名称
- 桑名市にちなんで名付けられた「桑名」という小惑星が存在する。
脚注
注釈
- ^ 主に麻の苧・紙・木綿・土の物・塩・油草・若布・鳥類・海苔類・荒布・魚類・伊勢布など。
- ^ 鋳物師は朝廷の許可がなければ開業や家業継承ができなかったこともあり、当時、両家以外で桑名に鋳物師がいた記録はない。
- ^ 有節萬古と呼ばれる。
- ^ 「その手は喰わない」と「桑名の(名物の)焼き蛤」を掛けたもので、「その手にはひっかからない」ことを意味する[26]。
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
桑名市に関連するカテゴリがあります。
外部リンク