森茂生森 茂生(もり しげお、1865年6月18日(慶応元年5月25日[1][2])- 1929年(昭和4年)8月22日[3][4][5])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、三重県桑名郡桑名町長。幼名・栄次郎[1]。 経歴伊勢国桑名郡矢田村(三重県[3]桑名郡益生村[5]大字矢田[2][4]、桑名町を経て現桑名市矢田)で、森純次郎の二男として生まれる[1]。慶應義塾で学んだ[3][5][4]。1889年(明治22年)6月に家督を相続した[1]。 政界では、益生村会議員、町村組合会議員、桑名郡会議員、同参事会員、同議長、三重県会議員(1890年-1902年)、同参事会員、同副議長、桑名町長などを務めた[1][2][3][4][5]。1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(三重県郡部、中正倶楽部)で初当選[4][6]。以後、第11回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続4期在任した[3][4][5]。 実業界では、桑名商業銀行頭取、桑名米穀取引所理事長、桑名商業会議所副会頭、桑名商工会長などを務めた[1][3][4][5][7]。 また、古萬古焼の愛好者で沼波弄や森有節などの作品を集めていたが、自分の手で万古焼を焼こうと50歳で代議士を引退、自宅に窯を築き森陶華園を開設[7]、森翠峰と号した。名工と言われた細工物師や絵付師を雇い入れ、精力的に作品を作った。 作品の一部は桑名市博物館に寄贈されており、展示会などで見ることができる。また新潟県柏崎市の木村茶道美術館にも作品がある。 国政選挙歴
脚注参考文献
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