大阪空港交通
大阪空港交通株式会社(おおさかくうこうこうつう、英称:OSAKA AIRPORT TRANSPORT CO., LTD.)は、大阪府豊中市にある大阪国際空港(伊丹空港)・関西国際空港を中心にリムジンバスを運行していた阪急バスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属していた。2022年3月1日、同年7月1日をもって阪急観光バスを合併することが発表された。なお、法手続き上の存続会社は大阪空港交通だが、大阪空港交通が社名を阪急観光バスに変更する形となる(所謂逆さ合併)[2][3]。 概要1964年(昭和39年)5月1日に運行開始。空港営業所(本社)の敷地は池田市と豊中市にまたがっており、法人住所は2017年(平成29年)3月まで大阪府池田市だったが、2017年4月に現在の本社ビル社屋がある大阪府豊中市へ変更した[4]。株主は、阪急バスが100%保有している。伊丹空港発着便については市街地中心部へ乗り入れることで高いシェアを維持していた。 営業所は大阪国際空港近くに空港営業所と空港南営業所を設置、後者は主に関西国際空港関連の路線を担当した[5]。 沿革・歴史もとは、1950年(昭和25年)3月末日創立で、阪急電鉄が発起し関西大手私鉄5社の共同経営として設立された「関西観光自動車株式会社」である[6]。戦後、日本が占領下にあった時期に外人観光客を受け入れるためのバス会社として誕生した[7]。関西観光自動車は観光バス専業者だけに留まらず、日本航空と契約して伊丹空港〜大阪市内の空港輸送を行い、極東航空(現在の全日空の一部)とも業務提携し、空港送迎バスの運行も始めた[8]。 その後、共同運営していた私鉄各社が自社で貸切バス事業に進出したことで、1954年(昭和29年)12月に阪急電鉄直系となるが、経営の不合理を排除するため、1962年(昭和37年)4月に阪急バスに吸収合併された[9]。これにより関西観光自動車が日本航空と契約していた空港送迎バスの輸送も阪急バスが引き継いだが[6]、日本航空と阪急バスは空港連絡バスに特化した会社の必要性を感じたため、1963年(昭和38年)6月25日に日本航空と阪急バスがそれぞれ50%出資して「大阪空港交通株式会社」が設立された[6]。これより前の1958年(昭和33年)2月に阪神バス(当時は阪神電気鉄道自動車部)が全日空と貸切契約を結んでいたため[10]、会社設立時は「阪急=日本航空」、「阪神=全日空」の関係となっていた。 1964年(昭和39年)5月1日に大阪(梅田)・京都・神戸の3路線で運行を開始したが、日本航空系の会社ということもありいずれも日本航空の支店・営業所を発着地とし、乗客も運行当初は日本航空の利用者とその送迎者、日本航空の社員に限定されていた[11]。しかし、開業当初は累積赤字に悩んでいた[11]。そこで日本航空利用者に限定していた方針を改めることになり、まず1966年(昭和41年)に京都線で競合していた藤田観光自動車の路線を譲り受けたが、その路線は全日空の京都営業所があった京都国際ホテルを発着地にしていた[12]。譲渡を受け京都線を京都国際ホテルまで延伸し、京都線は大阪空港交通に一本化された[12]。神戸線についても1968年(昭和43年)10月に阪神バスと相互運用することになり、神戸側では日本航空・全日空双方の営業所に乗り入れることになった[13]。さらに1969年(昭和44年)2月1日に伊丹空港に新しいターミナルビルが完成、これにより航空会社別にあった待合室が統合されたため、日本航空利用者に限定することが完全に困難になり、1970年12月正式に日本航空利用者限定の規定が撤廃された[14]。これと相前後して1966年12月1日に京都線が名神高速道路、1967年11月に大阪(梅田)線が阪神高速道路、1968年10月に神戸線が名神高速道路経由となり所要時間の短縮が図られ、利用客の増加につながった[15]。1969年には初の新規路線として難波線・大阪中央線(中之島のホテルを発着)が開業、特に難波線は基幹路線の一つとなった[16]。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際には伊丹空港と万博会場を直結するバスが運行された[17]。万博終了後も新規のバス路線やバス停の再編が行われ、1971年3月に新大阪駅を結ぶ路線が開業[18]、1975年10月には京都線を京都駅前を経由するルートに変更[19]、1976年8月には阿倍野線が開業した[20]。 社章については当初日本航空と阪急バスの折半出資だったことから、日本航空の鶴丸マーク[注 1]に阪急電鉄の社章[注 2]を組み合わせたものが使用されていた。しかし、日本航空利用者以外にも利用可能になったことからこの社章では不具合となり1978年に会社の略称の「OKK」を用いたものに変更した[21]。 1994年に関西国際空港が開港。これに伴い関西空港から大阪駅前(梅田)・神戸・伊丹空港を結ぶ路線の運行が開始された[22]。反面、関西空港の開港により伊丹空港路線利用客数の減少を招き、同路線の減便が進められた[23]。一方で新規路線の開設も行われ、1997年7月には関西空港と京都を結ぶ路線[24]、1998年7月には第二阪奈道路を経由した伊丹空港と奈良を結ぶ路線[25]、2000年5月には伊丹空港と姫路を結ぶ路線[26]、2001年には同年にオープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパンと伊丹・関西両空港とを結ぶ路線が運行を開始した[27]。 2007年に日本航空インターナショナルが35%の株式を阪急バスに譲渡。阪急バスの出資比率が85%となり同社の子会社となる。その前年には阪急・阪神の経営統合により阪急阪神東宝グループが発足、大阪空港交通もその一員となった[28]。 なお、2020年6月1日をもって貸切事業を廃止している[29]。 2022年3月1日、同年7月1日をもって阪急観光バスを合併することが発表された。なお、法手続き上の存続会社は大阪空港交通だが、大阪空港交通が社名を阪急観光バスに変更する形となる[2][3]。また、車両の塗装やデザインは変更されず、マークのみOKKからHKに変更されている。 路線方面の後の(括弧内)は共同運行会社 大阪国際空港発着出発は南北ターミナル間の中央ブロック。到着は南ターミナル・北ターミナル。
関西国際空港発着出発は旅客ターミナル1階。到着は旅客ターミナル4階。
宝塚大阪ライナー
休廃止系統
乗継割引以下の路線同士を太字停留所にて当日に乗り継ぐ場合、出発地にて乗継割引乗車券を購入できる。 乗車カードPiTaPa・ICOCAは、伊丹空港及び関西国際空港発着の以下の便で使用できる。2016年4月1日よりSuicaなど交通系ICカード全国相互利用サービスにも対応した。
2009年10月1日に廃止された川西系統では、PiTaPa・ICOCAに加えてスルッとKANSAI対応磁気カードも使用可能であった[32]。 車両2020年7月現在、105台が在籍し、在籍比率は日野車と三菱ふそう車が40%台ずつ、残りはいすゞ車(日野車と同じジェイ・バス製)、日産ディーゼル(UD)車が1割弱ずつ在籍する[33]。 2004年式以前は空港路線用は三菱ふそう車のみが使われ、西日本車体工業(西工)製のボディが架装されているのが一般的であった[34]。ただし、三菱ふそう車でも純正ボディ(三菱自工名古屋製作所・MFBM製)が架装される場合もあった。また2010年に西工が解散した以降は、全て純正ボディでの導入となっている。2005年以降UD車(西工解散まで)、ジェイ・バス製(日野・セレガ及びいすゞ・ガーラ)も投入されている。三菱ふそう・エアロエース発売以後はこちらも積極的に導入されている。 一般的な空港リムジン路線用は、東京空港交通などで一般的な直結式クーラーではなく、長らくサブエンジン式を標準としていた(ジェイ・バス製は直結式のみであり、2020年現在は旧年式車を除き三菱ふそう車も直結式になっている)[5]。関西国際空港発着の一部にはトイレを装備する。 現在の塗装は、白と青をベースとしたデザインで、ラッピングを施した車両も多いほか、後面には広告看板・ステッカーが取り付けられているのも特徴である。 子会社
脚注注釈出典
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