江坂江坂(えさか)は、大阪府吹田市南西部、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)御堂筋線・北大阪急行電鉄(北急)南北線の江坂駅一帯の広域地名である。 概要千里丘陵の南麓ないし南西麓に位置し、いずれも天井川である糸田川と高川に挟まれた低地で、一般にはおおむね江坂駅が最寄り駅となる地域を江坂という。吹田市の都市計画などの政策では、江坂町一丁目~四丁目、江の木町、垂水町一丁目~三丁目、豊津町、広芝町、芳野町を「豊津・江坂地域」としている[1]。なお、豊津町は江坂駅の西側に面する町域であり、当地域の東端にある阪急千里線豊津駅とはまったく異なる場所である。また、江坂町五丁目は、名神高速道路の北側で国道423号(新御堂筋)の東側の地域である「千里山・佐井寺地域」に分類されている。 「江坂」と名の付く施設(ビル・マンション、店舗など)は、上記の各町域のほか、糸田川を越えた東側の南金田一丁目・二丁目、金田町に見られる。ただし、垂水町一丁目の東部、垂水町二丁目は当地域の東端にある豊津駅が最寄り駅となるため、「江坂」と名付けられた施設は少なくなる。 国道423号(新御堂筋)と国道479号(内環状線)の交点(この交差点の名称は広芝町)であり、新御堂筋と内環状線以外は、2車線以下の細い道路が多い。 江坂駅は大阪市都心から伸びるOsaka Metro御堂筋線と直通運転する北大阪急行電鉄南北線との境界駅であり、交通の要衝である。 大阪市の副都心と称される地区だが、その繁華街は南北に長く、東西方向にはあまり厚くない。特に豊津第二小学校より西側では再開発がされておらず、昔からの一戸建てやアパート等の多い住宅地が広がっている。 大阪都心部へ近いのに加え、周囲に大学や予備校が多いことなどから、人口増加が続いている。 各種大規模小売店舗、コンビニも充実している。 江坂駅周辺の約400メートル四方は、吹田市の条例により喫煙禁止地区である。吸い殻入れを設置していない道路、公園など公共の場での喫煙が禁止になっている。江坂駅周辺でのたばこのポイ捨てが吹田市内の他の駅と比べて多かったため、吹田市では江坂駅周辺を先行して喫煙禁止地区に定められた。 歴史平安時代には摂津国豊島郡の地名として見られる。鎌倉時代から戦国時代には垂水・榎坂(江坂)および豊中市域となる小曽祢(小曽根)・服部・穂積は「榎坂郷」と呼ばれ、春日大社や東寺などの荘園となっていた。なお、江坂はかつて「榎坂」と表記され、現在も一部施設などにこの表記が残っている。江戸時代の榎坂村は寺田村・蔵人村の2つの枝郷があった。 千里丘陵の周囲は南東に亀岡街道・東海道本線、西に能勢街道・阪急宝塚本線、北に西国街道・阪急箕面線が通る反面、江坂が位置する南西は阪急千里線が垂水をかすめる程度の交通過疎地といった状態が戦後もしばらく続き、市街化されたのは千里ニュータウンの造成とおおむね同時期である。1960年代から1970年代にかけて南吹田第1・南吹田第2・江坂土地区画整理事業が行われ、加えて1970年の日本万国博覧会(大阪万博)に合わせて地下鉄・北急の敷設と新御堂筋・内環状線の整備がなされた。千里ニュータウンの前衝地帯として開発が進んで人口が増加し、大企業も本社を構えるようになったり、大企業の大阪支店が大阪市内から相継いで移転するなど、大阪の副都心の性格を持って発展した。 僅かではあるが、ビルやマンションの間に水田や畑が残っている。 年表
施設ビル 公共施設 公立学校
郵便局
金融機関(1998年現在で存続していた金融機関を掲載)1990年代のバブル崩壊までは江坂界隈に多くの金融機関が存在したが、合併や破綻により、その数は半減してしまった。だが、近年では南都銀行や紀陽銀行、大阪厚生信用金庫が進出している。
寺社本社や主要拠点がある企業や団体
メーカー IT・ソフトウェア
ゲーム制作
食品・外食
小売
出版
サービス
教育
ホテル
交通
→「江坂駅 § バス路線」を参照
脚注
外部リンク |
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