チャールズ・ライト (プロレスラー)
チャールズ・ライト(Charles Wright、1961年5月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ネバダ州ラスベガス出身のアフリカ系アメリカ人。 1990年代から2000年代初頭にかけて、WWFを中心に活躍した。 ポン引きギミックのザ・ゴッドファーザー(The Godfather)、怪奇派のパパ・シャンゴ(Papa Shango)など、様々なキャラクターで知られる[1]。 来歴キャリア初期バンバン・ビガロ、レイヴェン、シェイマスらを輩出したことで知られるプロレスラー養成所、モンスター・ファクトリーの出身[1]。1989年9月16日、テネシー州メンフィスのUSWAにてザ・ソウルテイカー(The Soultaker)のリングネームでデビューし、翌月の10月23日にはジェリー・ローラーからUSWA統一世界ヘビー王座[2]を奪取した[3]。 1990年6月、バンバン・ビガロを倒した北尾光司への「モンスター・ファクトリーからの刺客」として新日本プロレスに初来日[4]。全身に施されたタトゥーのインパクトと、マーシャルアーツをベースとした格闘家的なファイトスタイルが注目され、同年は新日本に計4回に渡って参戦[5]。兄弟子のビガロをはじめ、ビッグバン・ベイダーや黒人レスラーの大先輩バッドニュース・ブラウンとも共闘した[6]。10月25日にはグリーンドーム前橋にて、プロボクサーとして新日本に登場したトニー・ホームと異種格闘技戦を行っている[7]。 パパ・シャンゴ1991年、当時の人気NBAプレイヤーであるチャールズ・バークレーのニックネームと同じサー・チャールズ(Sir Charles)を名乗り、ローブをまとった貴族ギミックでWWFにトライアウト出場[8]。翌1992年に正式契約を結び、ブードゥー教の呪術師をモチーフとした怪奇派ヒール、パパ・シャンゴ(Papa Shango)として本格的なWWFデビューを果たした。黒いシルクハットを被り、顔面にはドクロのペイントを施し、白煙が濛々と立ち込める頭蓋骨を手に入場。火花を放射する仕込み杖や、呪文を唱えると相手の体から鮮血が吹き出す妖術パフォーマンスなど、キワモノ的なブードゥー・ギミックでセンセーショナルな存在となった[1]。 同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは、メインイベントのハルク・ホーガン対シッド・ジャスティス戦に乱入。ホーガンを襲撃するが、ホーガン救出に駆けつけたアルティメット・ウォリアーによって蹴散らされる[9]。ウォリアーは前年8月にWWFを解雇されて以来の登場であり、その露払い役を務めた形となった。以降はウォリアー復帰後の抗争相手となり、ジ・アンダーテイカーとの怪奇派対決も注目を集めた。 しかし、PPV大会での決着戦を前提とした長期間の抗争アングルは組まれず、レッスルマニアでの乱入以降は大きな活躍を残せなかった。1993年からはパパ・シャンゴのキャラクターでUSWAに復帰(WWFとUSWAは前年より提携関係を結び、ジェリー・ローラーも同時期にWWFに登場している)。ローラーを破って統一世界ヘビー王座を再び獲得するが、WWFから参戦してきたオーエン・ハートに奪取された[3]。その後はUSWAを離れ、1994年はオットー・ワンツが主宰していたヨーロッパのCWAに遠征、ランボーやトニー・セント・クレアーと対戦した[10]。 カマ1995年1月、マーシャルアーツの下地を活かし、スプリーム・ファイティング・マシーン(The Supreme Fighting Machine)の異名を持つ総合格闘家ギミックのカマ(Kama)に変身してWWFに再登場。このキャラクターおよびネーミングは、当時UFCにおいて人気を得ていた異色の格闘家キモをイメージしたものだった。テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションに加わりジ・アンダーテイカーとも抗争するが[11]、ここでもブレイクを果たせず、1996年から再びWWFを離脱。 1997年下期、ファルークが結成した黒人至上主義軍団、ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)の一員としてWWFに復帰(同時期のメンバーは他にディーロ・ブラウン、マーク・ヘンリー、ザ・ロック)。リングネームもネーション・オブ・イスラムを意識してカマ・ムスタファ(Kama Mustafa)と改められ、クラッシュ率いる白人バイカー軍団DOAやリージョン・オブ・ドゥームとの軍団抗争を展開した[12]。 ザ・ゴッドファーザー1998年にファルークがNODから追放され、ザ・ロックがリーダーとなりユニット名をネーション(Nation)と改めたことを機に、リングネームをザ・ゴッドファーザー(The Godfather)に改名。ソフト帽に葉巻をくわえたポン引きギミックのヒールとしてホー(Ho)[13]を連れて入場、試合前に対戦相手と交渉し、女をあてがう代わりに不戦勝を得るというキャラクターに変身した[1]。 同年7月、当時の中堅選手によるシュート大会として伝説化されている "WWF Brawl for All" に出場。準決勝まで進出するもバート・ガンと対戦してKO負けを喫し、療養のために短期間欠場することとなる[14]。その間、ネーションはマーク・ヘンリーとディーロ・ブラウンがロックに造反して解散。これに伴いライトも彼らと袂を分かち、ポン引きギミックはそのままに、ベビーフェイスのシングルプレイヤーとして売り出されることになった。 このフェイスターンは支持を集め、入場後の決め台詞 "Pimpin' Ain't Easy" を観客と一体となって叫ぶなど、絶大な会場人気を獲得。これまで様々なキャラクターを演じながらもブレイクには至らなかったライトにとって、ザ・ゴッドファーザーはデビュー10年目にして初めて成功を掴むことのできたギミックとなった[1]。彼自身もゴッドファーザーのギミックを気に入っており、実際の自分にもっとも近いキャラクターだったと述懐している[15]。1999年4月12日にはゴールダストを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得[16]。入場時に引き連れるホーの人数もエスカレートし[17]、AV男優ギミックのバル・ビーナスとの風紀違反コンビも人気を呼んだ。 ザ・グッドファーザー観客からは大声援を受ける一方、テレビ番組の放送内容を監視する市民団体であるPTC(Parents Television Council)は、ゴッドファーザーのギミックは子供の視聴者にとって有害であると糾弾。2000年に入りWWFへのバッシングが高まる中、ライトはギミックチェンジを余儀なくされた。そこでWWFはPTCに対する当て付けとして、WWF内の検閲活動を行う保守的なヒールユニット、ライト・トゥ・センサー(RTC)をプロデュースする。 ゴッドファーザーもRTCの「検閲対象」となり、リーダーのスティーブン・リチャーズの洗脳によってザ・グッドファーザー(The Goodfather)と改名。白いワイシャツにネクタイ姿でRTCの一員となり[18]、同じく検閲を受けて「更生」したバル・ビーナスらと共に、風紀向上のためには手段を選ばないヒールに変身した。同年11月6日にはメンバーの一人ブル・ブキャナンと組んでハーディー・ボーイズからWWF世界タッグ王座を奪取している[19]。 2001年4月1日のレッスルマニアX-Sevenを最後にRTCは解散、しばらくリングを離れた後、2002年1月10日のロイヤルランブルにてポン引きゴッドファーザーとしての久々の登場を果たした。大歓声で迎えられ、その後も自身の商売は「合法」であると主張してリングに復帰。しかし番組への出演機会は減少し、再度のヒールターンの末、バル・ビーナスとの泡沫的な抗争を経て、サイドビジネス(地元ラスベガスでのトップレス・クラブ経営)に専念するためセミリタイアした。 その後、ベビーフェイスの立場でスポット的に登場し、9月に行われたゲイ・ギミックのタッグチーム、ビリー&チャックの「結婚式」では、彼らは実際にはゲイではなく、自分のところから娼婦を買っていたことを暴露。翌月の10月7日、地元ラスベガスで行われたRAW・ルーレットのジェリー・ローラー対スティーブン・リチャーズ戦でのゲスト出演を最後にWWFを退団し、そのまま引退した。 引退後現役引退後も、WWEの興行や番組には時折登場。2005年6月26日のヴェンジェンスではヴィセラとリリアン・ガルシアのスキットを、2007年9月21日放送のスマックダウンではセオドア・ロングとクリスタル・マーシャルの結婚披露宴を、それぞれホー達を引き連れて登場しメチャクチャにしている。2007年は12月10日のRAW15周年大会にも出演した[20]。 2009年11月、ハルク・ホーガンがオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアに、ピンプ・ファーザー(Pimp Father)のリングネームで参加[21]。26日にはハイデンライクから勝利を収めている。 2012年1月28日にはPWS(Pro Wrestling Superstars)主催のレスリング・リユニオンに登場。ブルータス・ビーフケーキ、グレッグ・バレンタイン、ケビン・サリバン、ラニー・ポッフォ、バージル、ダン・スバーン、カルロス・コロンなど、往年のスーパースターによるバトルロイヤルに出場して優勝を飾った[22]。 2013年1月27日、WWEのロイヤルランブル2013に17番目の選手としてサプライズ参戦。久々のWWE登場となったが、リングに入ろうとした瞬間にドルフ・ジグラーのドロップキックでリング下に転落、失格となった。同年9月21日にはNEW(Northeast Wrestling)にてマイキー・ウェブ&リキシと組み、6人タッグマッチでグレゴリー・エドワーズ&Jバスタ&マーク・シャーマンを下している。 2014年2月28日、イングランドのPCW(Preston City Wrestling)にて、パパ・シャンゴとしてロード・トゥ・グローリー・トーナメントに出場。1回戦でバブルガムに敗退したが、3月1日のリベンジマッチに勝利して雪辱を果たした。10月18日には旧友バル・ビーナスのパートナーとしてカナダのECCW(Elite Canadian Championship Wrestling)に登場し、ECCWタッグ王座争奪の3wayタッグマッチに出場。王者チームのDTA(ダニエル・アドニス&ジョーディ・テイラー)およびBBC(エリック・ロッカー&レディース・チョイス)と対戦するも、ベルトを奪取するに至らなかった。試合前日には女性公募者を対象とした "Hellooooo Ladies! CONTEST" なる、勝者はホーとして共に入場できるコンテストを開催している[23]。 2016年2月22日、ザ・ゴッドファーザーとしてWWE殿堂に迎えられることが発表された[24]。4月2日にテキサス州ダラスのアメリカン・エアラインズ・センターにて行われた殿堂入り式典では、APAのロン・シモンズ(ネーション・オブ・ドミネーションでの盟友ファルーク)とジョン・ブラッドショー・レイフィールドがインダクターを務めた[25]。 得意技
入場曲
獲得タイトル
脚注
外部リンク |