アファ・アノアイ
アファ・アノアイ(Arthur "Afa" Anoa'i, Sr.、1942年11月21日 - 2024年8月16日[1])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。 弟のシカ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズ(The Wild Samoans)での活動で知られる[3]。日本ではシカと共に「南海の獣人」の異名で呼ばれた[4]。 アノアイ・ファミリーの総帥であり、1980年代の新日本プロレスにワイルド・サモアンのリングネームで度々来日したサムラ・アノアイと、WWEでレガシーのメンバーだったマヌーことアファ・アノアイ・ジュニアの父親[5][6]。CWCに出場するショーン・マルタは甥[7]。また、ゲーリー・オブライトは義理の息子(オブライトの妻がアファの娘)である。孫はランス・アノアイ[8]。 来歴少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、17歳でアメリカ海兵隊に入隊[9]。除隊後、遠戚関係にある同じサモア系アメリカ人のピーター・メイビアのトレーニングを受け[3]、1971年にプロレスラーとしてデビュー[10]。 アリゾナをサーキットした後、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにて弟のシカ・アノアイとザ・サモアンズを結成。以降ジ・アイランダーズおよびワイルド・サモアンズの名義で1973年から1984年にかけて、デトロイト、アラバマ、テネシー、ルイジアナ、ジョージア、ニューヨークなど全米の主要テリトリーを転戦し、各地のタッグ王座を再三獲得した。日本には、国際プロレスに3回、新日本プロレスに2回来日している[4]。 →詳細は「ワイルド・サモアンズ」を参照
シングルでは1980年4月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいてボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦[11]。1985年にシカとのフルタイムのチームを解散し、セミリタイア後の1992年から1994年までは、WWFにて息子のサムゥと甥のファトゥのザ・ヘッドシュリンカーズのマネージャーを務め[12]、同じく甥にあたるヨコズナとも共闘した。 引退後はペンシルベニア州アレンタウンにプロレスラー養成所「ワイルド・サモアン・トレーニング・センター」を開設。ビリー・キッドマン、ジーン・スニツキー、バティスタ、甥のエディ・ファトゥ(ウマガ)、マット・アノアイ(ロージー)、ジョー・アノアイ(ロマン・レインズ)などを輩出した[1]。また、1996年よりインディー団体のWXW(World Xtreme Wrestling)を主宰していた[13]。 2007年にはシカと共にWWE殿堂に迎えられ、サムゥとロージーが彼らのインダクターを務めた[3]。 2024年8月16日、息子のサムゥによって訃報が発表された。81歳没[2]。約2ヶ月前の6月25日には弟のシカが死去したばかりだった[14]。 得意技
獲得タイトル
ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント 脚注
関連項目外部リンク |