WWE
WWE(World Wrestling Entertainment、ワールド・レスリング・エンターテインメント)は、アメリカ合衆国のプロレス団体。 世界最大のプロレス団体であり、2024年3月8日にはWWE公式YouTubeチャンネルは史上10チャンネル目の登録者数1億人超えを果たした。これはスポーツ関連のYouTubeチャンネルでは最多の登録者数となっている[4]。 1979年3月29日以前はWWWF[5]、2002年5月5日以前はWWFという団体名であった[6]。 長らくビンス・マクマホンがオーナーを担っていたが、2023年4月にWWEはエンデバーに買収され、まもなくビンスもWWEから離れている。現在は買収時に設立された新会社TKOグループ・ホールディングスがWWEの経営を行っている[7]。 特徴団体としての特徴プロレス団体としての特徴としては、ストーリーラインにドラマ仕立ての要素が強く、他団体よりもストーリーの流れに注目が集まることが多いといわれる。 WWEが株式上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(アングル)の存在を公式に認めた。また、業種をスポーツ関連のものとして登記すると税法上不利になることから、サービス業として登記していた。 以前のWWEでは、当時のオーナー一族であったマクマホン一家がシナリオに絡むことが見所の一つであった。特に長くWWEのオーナーを務めていたビンス・マクマホンは"悪の上層部"としてしばしば番組に登場し、時には自ら試合をしていた。ビンスの息子のシェイン・マクマホン、娘のステファニー・マクマホン、妻のリンダらについても概ね同様であった。 WWEの番組内で用いられる用語も他のプロレス団体と異なるものが多い。プロレスリングという言葉の代わりに「スポーツエンターテイメント」、レスラーの代わりに「スーパースター」といったある種独自の呼称をすることがある。またWWEのファンは「WWEユニバース」と呼ばれる。 多くのレスラーは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)がはっきりと区別されている。ヒールはベビーフェイスに暴行を加えたり、マイクでその日の開催地をこき下ろすが、観客はそれに対してブーイングで応える。これらの役割は流動的であり、ある日突然、ベビーフェイスのレスラーがヒールになったりというふうに、役割が変わることも珍しくない。また両者の境界も曖昧になりつつあり、ベビーフェイスよりのヒールといった立場のレスラーも存在する。 登場するスーパースターのバックグラウンドとしては、インディ団体出身者、オリンピックメダリスト、元アメフト選手、YouTuberなど多彩である。しかし、人気がなくなると登場頻度が減り、場合によっては解雇される。生存競争は激しく、長期間にわたって活躍できるレスラーは限られている。また、選手の暴走を許したことで運営に大きな支障をきたし消滅した最大のライバル団体、WCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとると言われ、実績あるレスラーであっても自身の勝敗などに口出しすることはできないと言われる。 マッチメイクの特徴としては、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のレスラー同士のシングルマッチが行われることも珍しくない(ただし、ハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PLE等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「どの大会で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。テレビ放送やネット配信のない大会も含め、王座戦の回数は非常に多いため、王者の価値は日本のように防衛回数で測るのではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている(戴冠回数に関してはリック・フレアーの「16-time World Champion」やブッカーTの「5-times Champion」が好例と言える)。 近年はアメリカやヨーロッパだけに留まらず、アジア諸国(日本、韓国、上海、フィリピン、シンガポール、カタールなど)や中南米での興行も組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特にイタリアとメキシコではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初のドバイ大会[8]を開催し海外進出には積極的になってきている。 海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集め、現在でも定期的にイギリスでのTV収録を行っている。日本人選手が複数名所属し、テレビ東京で地上波放送されていたこともあって2005年2月にはアジア初のTV収録公演をさいたまスーパーアリーナで開催している。視聴率やPPV売上において北米が減少傾向だった時に、海外でのPPV販売数は上昇。特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長していた。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ出身選手として初の世界王者となり、10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。 また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演にした映画を撮影したり、CDを発売したりと、レスリング以外での活動も行っている。 政治に関する活動など湾岸戦争の際、サージェント・スローターがフセインの友人というギミックで登場した他、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場。また、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人のモハメド・ハッサンが登場した。このように番組にアメリカの視点からみた政治的なストーリーラインを取り入れることは多々ある。 2022年3月3日、ロシアのウクライナ侵攻を受けてロシアでのWWE番組の放送、配信を終了したと公式に声明を出した。WWEは「これでロシアでは、同社が製作するRAW、SmackDown、NXT、オンデマンドライブラリー、レッスルマニアを含むすべてのプレミアムライブイベントなど、WWE番組にアクセスできなくなります」と報告。ロシアによるウクライナ侵攻に反対する立場を措置を取った[9]。 デビュー新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、またはタフイナフ(2001年 - 2004年)やディーヴァサーチという番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われるトライアウトで優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、すぐにRAW、またはSmackDownに登場するのは稀である。ほとんどの場合はNXTというブランドで実績を積んだ後にRAW、SmackDownに昇格するといった順番になる。 NXT誕生以前は、育成機能を果たす場所としてFCW、DSW、OVWなどが存在していた。 客層WWEは2000年代後半以降からは家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。 しかし、過去にはアティテュード路線と呼ばれる、マニア層を主なターゲットとしていた時期があり、そのストーリーラインには下品、流血、色気、暴力、犯罪等など過激なものも多く見られたが、2000年以降過激描写を抑制されている。例えば、流血、頭部への凶器攻撃や試合外での襲撃シーン、お色気シーンなどの過激なシーンに自主規制を加えるようになり、テレビ番組のレーティングをPG(映画のレイティングシステム参照)に引き下げるなど前述のファミリー路線へ転換。これにより以前の過激なストーリーにも変化が見られている。 商標WWEは非常に多くの商標を登録しており、2018年4月現在、世界最大の商標データベースであるGlobalBrandDatabaseに掲載されているだけでも3210件もの商標を登録している。会社名などはもちろん、リングネームや選手の技名も登録しており、有名選手名の出願が行われると話題になることもある[10]。また退団した選手が他団体でWWE時代のリングネームを名乗れなくなることが多く、他団体から移籍した選手がリングネームや技名を改名することも少なくない(例:ディーン・アンブローズ→ジョン・モクスリー)。 他団体との関係かつてWWEは1970~80年代には新日本プロレスと業務提携するなどしていたが[11]、近年は他団体との人的交流などはほとんど見られていなかった。しかし、2024年頃のWWEの体制の変化以降は、他団体との交流も見られ始めている[12][13]。 TNA(Total Nonstop Action Wrestling)は旗揚げから数年の間対WWE色を強くしていたためにTNAと契約した選手に対して対応を厳しくし、逆にTNAと契約しなければWWEは出戻りに対して寛容であった。しかし2024年になってからロイヤルランブルやNXTにTNAの選手が参戦、逆にWWEのレスラーがTNTに参戦する等、交流が始まり[14][15]、2025年1月には複数年のパートナーシップ契約を結んだと発表し[16][17]、積極的な交流が行われている。 また、2016,17年には、WWE契約下の選手だけでなく、フリーランス選手やインディ団体所属選手も参加するトーナメント戦を開催している(WWEクルーザー級クラシック、メイ・ヤング・クラシック)。参加選手の中にはこのトーナメントがきっかけとなりWWEと契約した選手も何名か存在する。 日本のプロレス団体との関係 プロレスリング・ノアやMARIGOLDなどに対して選手を派遣するなど、関係性を深めている団体もある。(詳細後述) ブランドWWEが放送するプロレス番組は主にRaw、SmackDown、NXTの3つである。これらはブランドとも呼ばれ、ブランドごとにレスラー及び王座が分かれている。例えばRawが管轄する世界ヘビー級王座に挑戦するのは、多くの場合Raw所属のレスラーである。 RawとSmackDownの2つがWWEの看板ブランドであり、代表的なレスラーのほとんどがどちらかに所属する。 NXTは元々は売り出し前のレスラーの育成のための場所であったが、放送時間の2時間への拡大やTV放送開始に伴い、現在は第3のブランドとしての地位を強めている。 スケジュール現在WWEが放送するプロレス番組は主にRaw、SmackDown、NXTの3つであり、それぞれ毎週月曜日、金曜日、火曜日に生放送される(日本時間ではそれぞれ火曜、土曜、水曜日の午前中である)。放送時間はRawが3時間、SmackDownとNXTは2時間である。 RawとSmackDownの開催地は毎回異なり、海外開催の場合もある一方、「NXT」についてはフロリダ州内のWWEが管理する施設、WWEパフォーマンスセンターにて毎回開催している。 この他に週に何回かのテレビ収録のない興行(ハウス・ショー)を開催し、月に一度程度、週末にストリーミング配信する形式でPLE(プレミアム・ライブ・イベント、かつてはペイ・パー・ビューと呼ばれていた)という特番を行う。多くの王座戦やドリーム・マッチはPLEで行われる。 おおまかに言えば、毎週放送の3番組でレスラー間の遺恨が深まり、PLEでその決着がつくという形となっている。 PLEは2000年は年12〜15回程度の開催であったが、2019年にはNXT主催のPLEも含めると26大会になっている。また近年はPLEの海外開催やスタジアム開催も積極的に行われている。 そのPLEの中で特に歴史ある5つのPLE(Royal Rumble、Wrestle Mania、Summer Slam、Money in the Bank[18]、Survivor Series)についてはスタジアムで開催されるなど、盛大に行われる。その中でも最大のイベントがWrestle Maniaであり、第32回大会では主催者発表で10万人が来場した。 ハウス・ショーとはテレビ放送やネット配信のない大会のことを指す。 基本的に会場にいる観客しか見ることができないため、ストーリーの進行はなく、マイクパフォーマンスなども少なく、試合が主となる。最高王座を含めた王座戦が組まれることがほとんどだが、王座移動は稀である。厳密な時間調整が要求されるTVショーとは異なり、入退場時にファンとのハイタッチやツーショットの自撮りに応じることも多く、 また会場内の人しか見ることのできない"閉じたショー"であるため、普段は見られないような技や試合運びを見られることもある。また、新人レスラーや新キャラクターのテストの場ともなっている。 トップレスラーは世界中で生放送やハウス・ショーを行うためにアメリカ国内外を移動し[19][20]、週2~3大会ペースで試合しながら、深夜には移動を開始するという過密スケジュールをこなしながら、パフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、さらには国内外のメディアのインタビューやテレビ出演に時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっていた。過去にはこの過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。しかし、現在のトップクラスの選手は休暇を取ることも多く[21][22]、中邑真輔によれば、smackdownやハウスショーが終わって月曜日に帰宅してから木曜日の夕方までは休むことができ、家族行事などで休暇を取ることもできると語っている[23]。 宿泊施設、食事、トレーニングジムの確保、会場移動は航空機代を除いた費用も含めて完全に自己に任せている[24]。その為か、移動中の様子が番組となったことがある[25]。なお、NXTは集団でのバス移動が多い[26]。 タイトルホルダー
歴史設立以前ビンス・マクマホン(ビンセント・ケネディ・マクマホン)の祖父のロドリック・ジェス・マクマホンは1925年からニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)を拠点としてプロレス、ボクシングの興行を行っていたプロモーターだった。第二次世界大戦前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったためにワシントンD.C.を中心に活動。1954年の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社のキャピトル・レスリング・コーポレーション(Capitol Wrestling Corporation)を引継ぎ、1956年からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得した。アントニオ・ロッカやバディ・ロジャースをメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。1948年に発足したNWA(National Wrestling Alliance)にも加盟して大物プロモーターとして大きな発言権を得た。 WWWF時代 - WWF時代1963年、ビンス・マクマホン・シニアは1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的にWWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立。同時にロジャースを初代WWWF王者に認定して5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。NWA再加盟後の1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、1970年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座と主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部のAWA(American Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場して親善大使的な役割を務めた。1979年3月、団体名をWWF(World Wrestling Federation)に改称。1982年6月、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていたビンス・マクマホンと妻リンダが不仲であったマクマホン・シニアからWWFの親会社キャピトル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れて、新会社タイタン・スポーツ(Titan Sports, Inc.)を設立。 1984年以降 - WrestleMania時代1983年末、ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一に着手、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、NWAからもロディ・パイパーやポール・オーンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「1984」と呼ばれた。 1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスター・TをMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストのリベラーチェらを招き、ホーガンやミスター・Tをメインで戦わせたこのイベントは約2万人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania IIIではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでデトロイトのシルバードームに9万3173人の観衆を集め、大人から子供まで、あらゆる世代が一緒に楽しめるファミリー・エンターテインメントとして、全米マット界での圧倒的な人気を証明してみせた。 ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年から1992年頃はランディ・サベージやアルティメット・ウォリアー、シッド・ジャスティスやジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW(World Championship Wrestling))の絶対王者、リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。 この頃、会社全体でのステロイド剤流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド剤使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展して裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により、無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン" ブレット・ハートだった。 1993年には「Monday NightRAW」(後に「RAW Is War」、「RAW」と改称)の放送を開始。ディーゼル、レイザー・ラモン、ショーン・マイケルズらが台頭してブレットなどと共にNew Generation(ニュー・ジェネレーション)と呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍してWCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。 Monday Night Wars - Attitude時代1995年9月4日、エリック・ビショフが副社長に就任したWCW(オーナーはテッド・ターナー)が「Monday Night RAW」の裏番組として「Monday Nitro」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、WWFとWCWは「Monday Night Wars(月曜夜の視聴率戦争)」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。 一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、無敵のスーパースタービル・ゴールドバーグの大ブレイクなどでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWFは1997年以降、D-Xに代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れたAttitude(アティテュード、態度不愉快な、ケンカ腰の態度といった意味合いも持つ語)路線に切り替え 、団体オーナーのビンス・マクマホンと看板レスラーのストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で人気を逆転させた。 このプロレス史に残る抗争とまで呼ばれるオースチンvsマクマホン抗争に加え、WWFはジ・アンダーテイカーやショーン・マイケルズのライバルとしても活躍したマンカインドがその「自虐的」とも評されるハードコア・スタイルでカルト的な人気を集める。マイケルズは1998年に一時引退するものの、マンカインドとの連戦を通して若手のザ・ロックとトリプルHが次代の主役の座を掴み一気にスターダムに駆け上った。二人はすぐにオースチンと肩を並べるまでになり、WWFのストーリーはこの三人を中心として動いていく。そこに元オリンピック金メダリストから転身したカート・アングル、WCWから移籍したビッグ・ショー、クリス・ジェリコ、クリス・ベノワらが加わり、レスラー層も充実。1999年夏からは毎週放送のプロレス番組であるSmackDown!の放送も開始、WWFの優位が徐々に確立されていった、 1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊に至った。奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家ビンス・ルッソーを引き抜くがそれも裏目にでて自体はさらに悪化。一時期失脚していたビショフを復権させるも状況を好転させることはできなかった。2001年1月には米国第三の規模の団体であったECWが経営難から活動停止・破産し、WWFはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。さらには同年3月23日、ついに莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWを買収した。これによって「Monday night war」も終結し、しばらくの間米国のプロレス界は事実上WWFの一人勝ち状態となったほか、世界最大のプロレス団体の座もそれ以降保持し続けている。 Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きき、街中にプロレスTシャツを着た人が溢れかえったという逸話もある。しかしこの抗争の間には「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、いくつかの不祥事や事故も発生している。 WCW買収後は「WCWオーナー」役で番組に登場したビンスの息子シェイン・マクマホンを中心に、WWFに合流した旧WCW、ECWの選手たちによってWCW・ECW連合軍(アライアンス)が結成され、ストーリーが展開していくが、結局この抗争は振るわずフェードアウトしていく。その後、11月18日にダッドリー・ボーイズによりWWFタッグ王座とWCWタッグ王座が統一、12月9日にはクリス・ジェリコによってWWF王座とWCW王座が統一され、WWF統一王座が誕生した。 団体名変更以降WCW、ECWといった競争相手買収後は、競争相手不在によりWWE自体の観客動員や視聴率で苦戦したり、一回り小さいアリーナを使うことが増えた時期もあった。2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との名称を巡る裁判に敗れ、5月6日団体名をWWEへと改称[6][27](公式発表では「よりエンターテイメントを追求するための改称」とされる[27])。ささやかな抵抗として「Get the "F" out(Fなんかいらない)」キャンペーンを展開した[27]。同時に親会社タイタン・スポーツの名称もWWEに統一した。 2001年末には団体の共同オーナー(シェインとステファニーから団体の株式50%を購入した、という設定)としてリック・フレアーが、2002年のWrestleMania X8前にはnWoのメンバーとしてハルク・ホーガンがWWEに復帰、ストーリー上重要な登場人物となる。元WCW、ECWのレスラーを多く雇用し、ストーリーが賄いきれなくなったことから3月25日に開催されたRAWでビンスGMのSmackDown!、リック・フレアーGMのRAWの間でドラフトを開催。両オーナーがスーパースターを一人ずつ(場合によっては1組)指名していき、それぞれの番組の専属スーパースターとさせることとなった。これ以降、RAWとSmackDown!は別ブランドとしてストーリーを進行させていくことになった。 時を同じくして、団体の象徴であったオースチンが怪我により事実上の引退、ザ・ロックも映画俳優に転向を計画しリング上から離れがちになり、RAWではトリプルHを中心とした王座戦線を展開。2003年3月には、かつてのライバルWCWの最大のスターだったゴールドバーグをついに獲得したが、90年代後半のようなプロレスブームの再燃にはならなかった。ゴールドバーグは世界ヘビー級王座を獲得するも2004年の3月には引退した。 その中でランディ・オートン、バティスタ、エッジ等の有望な世代が成長し新たなメインイベンターとなる。SmackDown!ではレスリング出身のブロック・レスナーが史上最年少でWWE王座を獲得する等大いに期待されたが、NFL挑戦のために退団。その後はWWE王座に縁の無かったエディ・ゲレロ、JBLがWWE王座を獲得。ジ・アンダーテイカー、カート・アングル、ビッグ・ショー、レイ・ミステリオ等のベテランも活躍し、王座戦線を盛り上げた。D-ジェネレーションXの復活もまた往年のファンを楽しませ、新しいファンの獲得に一役買った。そんな中、抜群のレスリングセンスとカリスマ性があるランディ・オートンに、女性や子供に人気のあるジョン・シナが徐々にメインイベンターへと上り詰めた。クリス・ジェリコやケインらはその安定した実力をもってして脇を固めるなどし、便利屋のポジションから大いにこの時期を支えた。後に最高位の王座前線に参戦している。 また、リング外では2002年にWWE Filmsを設立し、映画およびテレビ番組の映像コンテンツの強化を行った。 2004年という年はオートン、シナ、エッジ、バティスタ等新世代の時代が始まりの年となった。この4人以外にもカリート、Mr.ケネディ、MVP等の若手がデビューしている。それと時を同じくして、選手の出入りのペースが早まるようにもなった。 これ以降、アティテュード時代の雄であるオースチンらは特別な回にしか登場しないが、オートン、シナ、エッジ、バティスタ等の新世代が主力となり、90年代から出場しているトリプルH、アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ等のベテランの力を借りながら世代交代を着実に進めていったが、その裏で、ブッカー・T、カート・アングル等トップレスラーの大量離脱やレスラーのドラッグ使用等の課題も多く、また、2005年のエディ・ゲレロ・2007年のクリス・ベノワの死去はWWEに大きなショックを与えた。 しかしながら、タフイナフやディーヴァサーチといった育成番組出身のミシェル・マクール、ザ・ミズ、ジョン・モリソンが新たな番組の中心スターとして活躍し、また、コーディ・ローデス、テッド・デビアス・ジュニア、マイケル・マクギリカティ、ハスキー・ハリス、ウーソズ、ナタリヤ、タミーナなど80年代〜90年代のWWFを支えたレスラーの血を引く若手スーパースターが数多く在籍し、この時代を支えてきた。 2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活することが決定。Monday Night Wars時代にECWを率いていたポール・ヘイマンが番組の指揮を執り、ロブ・ヴァン・ダム(RVD)、サブゥー、サンドマン等1990年代の旧ECWの人気選手が参戦したこともあり大きく注目されたが、番組復活直後からかつてEC"Fuckin'"Wと評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまったことが露呈。多くの名選手がTNA移籍のため参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かった選手をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。最終的にはWWEに初登場する新人のためのデビューの場として、ほとんど若手育成のための番組となった。 同年には、WWE Films初の単独制作映画の「シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ」を公開。映画製作に乗り出し、後に映画部門はWWE Studiosに改名。多くの映像作品を生み出している。 2007年、下部団体としてFCWを設立。アルベルト・デル・リオやウーソズなど多くのメインイベンターを排出する。 2008年1月のRoyal Rumble 2008 より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。 2009年4月からはブランド共通で選手が登場するWWE Superstarsが、2010年2月からは新人育成番組NXTの放送を開始した。 ブランド統一 - 再分割2011年4月より、社名を「World Wrestling Entertainment」から「WWE, Inc.」に変更し、それまで「World Wrestling Entertainment」で扱われていたブランド名も全て「WWE」に統一されることになった[28]。各種テレビ番組の開発推進と共に、タレント開発部門(部門統括にはトリプルHが就任)を発足させている。 8月29日、RAWとSmackDownの番組としてのブランドは残しつつ、ストーリーの共通化とスーパースターの両番組への出演の柔軟化(以降ほぼ無制限に両番組に出演できるようになった)が発表され、実質的にRAWとSmackDownの再統合がなされた。各スーパースターは、その後しばらくの間はいずれかのブランドに所属していたが、後述する2016年のドラフトまで、所属ブランドという概念も無くなり、全て共通してWWE所属という扱いになっていた。タイトルも全てWWE管理に統一され、2013年12月15日にはこれまで最高位として存在していた世界ヘビー級王座が廃止、統合された。それまで、各ブランド独自に主催していたハウス・ショーにもブランドに関係なく全てのスーパースターが出演する様になった。 2012年、WWE下部団体であったFCWと新人発掘番組のNXTが統合され、NXT Wrestlingとして始動。フロリダ州に位置するフルセイル大学を会場とし、数回分の収録をまとめて撮影し放送する体制を取っている。2013年にNXTと改称された。 2014年、1980年代にWWFに所属したビリー・ジャック・ヘインズが当時受けた頭部へのダメージや脳震盪が原因で慢性外傷性脳損傷(CTE)を患ったとしてWWEを相手に告訴を行った[29]。ヘインズ対WWE訴訟は2016年末までにロード・ウォリアー・アニマルら、60名余りのWWF/WWEに所属した経験を持つ元レスラーがCTE患者として原告に名を連ねる集団訴訟に発展した[30]。これに対して司法側は原告の元レスラーたちの多くがWWE以外の他団体でも活動していた事に加えて、そもそも現在の技術ではCTEの診断が患者(と目される人物)の死後にしかできないことに着目し[31]、WWEでの試合のみにCTEとの因果関係を帰結させることは困難として請求を却下している。 同年、インターネットを介して視聴可能な有料の24時間ストリーミングビデオサービス(WWE Network)を2月24日から開始すると発表した。PLEを含む全試合のライブ中継、WWEが放映権を持つ過去の映像(WCWやECWも含む)、テレビ放映時にはカットされるような試合前後のレスラー達の動き、独自番組などをオンデマンド配信する。まずは北米でサービスを開始し、英語圏の国を中心にサービスを広げており、日本では2016年1月5日からサービス開始となった(ただし、日本語字幕はなし)。 2016年7月19日、RAWとSmackDownの再分割が行われる。また、その際に各スーパースター選手の所属ブランド移籍を決めるドラフトが再始動されることになり、2017年以降はスーパースターシェイクアップという名で続いている。 新型コロナウイルス以降2020年3月以降、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い全米各地で外出禁止令が発出、WWEの興行も事実上不可能となり、全試合を録画で放送することを始めたところ、同年4月9日、フロリダ州知事が食料品店や病院などと並びプロレスを「必要不可欠なサービス」として認定。4月13日からフロリダ州オーランドにあるパフォーマンスセンターにて試合の実況放送を再開した[33]。 一方、4月15日には予算削減措置に言及。幹部の給与の引き下げとともに、ドレイク・マーベリック、ザック・ライダー、カート・ホーキンスらの解雇が発表された[34]。 日本国内での事業にも影響を与え、7月に開催予定だった3大会(7月2日・大阪府立体育会館大会、7月3日~4日・横浜アリーナ大会)を中止[35]。また3月に選手契約を締結していたSareeeについても渡米が困難な事態に陥った事から、WWE所属のまま日本国内での活動を許可する決定を下した[36]。 2021年5月26日、同週に入って管理職を含めた35人のバックステージスタッフを解雇したと複数のアメリカメディアが報じた。主にテレビ制作とデジタルコンテンツ制作で重複している業務を統合した影響で大量解雇につながったと見られ[37]、さらに、2021年9月2日付の日本政府官報で日本法人となるWWEジャパン合同会社の解散公告があった。同月1日に全従業員が解散に同意したものとされる。米メディアによると、その流れによる組織変更の一環だと伝えている[38]。 WWEでは2020年春以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響で経営的な問題があったとして100人を超える選手、スタッフが解雇された。 2022年6月、会長兼CEOのビンス・マクマホンが不倫関係にあった元従業員に300万ドル(日本円換算で約3億9000万円)の口止め料を支払ったとされる問題をWWE取締役会が調査していると報道[39]。これを受け、ビンスは調査が終了するまで会長とCEOの座から離れる事態となり、娘のステファニーが同職を引き継いだが、7月22日に会長兼CEOとしての引退を発表。WWEの現場からは離れることとなった[40]。 しかし、ビンスは数ヶ月後の12月に自身の取締役会復帰を要求。大株主ということもありその要求が認められ、翌2023年1月6日に取締役に復職し[41]、10日にはわずか半年足らずでWWE会長職に再就任した[41]。なお、この間にCEOを務めていたステファニーはWWEから離れた[42]。 エンデバー時代2023年4月3日、世界最大級の総合格闘技団体であるUFCの親会社として知られるエンデバーがWWEを93億ドルで買収したことを発表。なお新会社では、WWEはマクマホンが取締役会長、ニック・カーンが社長を継続する[43][44]。この発表はレッスルマニア39の翌日の事であった。同日のRAWに最高コンテンツ責任者のトリプルHが登場。この買収によってWWEは変わらない事を強調した[45]。 9月12日、UFCと正式に合併してTKOグループ・ホールディングスを設立。それと同時にWWEとしては上場廃止し、変わってTKOグループ・ホールディングが上場[46][47]。エンデバーはTKOグループ・ホールディングスの51%の支配権を保有したことで、設立当初からのマクマホンファミリーの一強体制は事実上終焉した[48][49]。さらに、2024年1月26日にはマクマホンがTKOグループ・ホールディングスの会長を辞任している[50]。 2024年1月23日、Netflixとの業務提携を発表。Netflixは2025年1月より、アメリカ・カナダ・イギリス・ラテンアメリカ等でRAWを独占的に配信するほか(同社では「新たなホームとなった」としている)、SmackDown・NXT等の他ブランド、レッスルマニア・サマースラム等のプレミアムライブイベントについてもアメリカ国外での独占配信権を得たこと、また同社が得意とするスポーツドキュメンタリーをWWEにおいても展開することなどを明らかにしている[51]。なお、アメリカをはじめとする一部の地域ではRAWのテレビ放送が2024年限りで終了することになった[51]。 日本との関係日本プロレスとは創設者であった力道山がアメリカではロサンゼルス等の主に西海岸を中心に活動していた事もあり、当時のWWFとはあまり縁がなく団体同士の業務提携も結ばれていなかったが、全米武者修行中であったジャイアント馬場がビンス・マクマホン・シニアによって『ババ・ザ・ジャイアント』のリングネームを与えられ、WWFのエリアでメインイベンターとして活躍している等、日本プロレスに所属する選手との個人的な交流は存在していた。なお、力道山は2017年にレガシー部門でWWE殿堂入りし表彰されている。 新日本プロレスに関しては、NWA内での同じ反主流派ということもあり、1974年頃から業務提携を結び、AWAからWWFへブッキング権の移ったアンドレ・ザ・ジャイアント、現役王者のスーパースター・ビリー・グラハムやボブ・バックランドをはじめ、当時のトップレスラー達の派遣やタイトルマッチの開催、新規王座の認定等、強固な協力関係を保っていた。後に新日本プロレスの看板外国人となるスタン・ハンセンやハルク・ホーガンも、大ブレイクを果たす前にWWWF / WWFからブッキングされたレスラーである。権限のない名誉職ではあったが、新間寿が当時のWWFの会長になったこともある。 だが、ビンス・マクマホン・ジュニアが実権を握り、全米マット制圧を掲げだした頃から、所属レスラーを自団体の興行へ優先させるために、トップレスラーの派遣を渋るようになり、さらに、提携継続の条件として高額な提携金を要求し、支払ったにもかかわらず、相変わらずトップレスラーの派遣を渋るなど、徐々に新日本プロレスとは疎遠となり、最終的に1985年10月末に提携は解消された。 全日本プロレスに関しては、ジャイアント馬場が全米で武者修行していた頃からビンス・マクマホン・シニアとは旧知の仲ということもあり、新日本プロレスがWWFと提携する以前は、馬場や海外武者修行中だったジャンボ鶴田が単発ではあるがWWFの興行に出場するなど交流は行われていた。その後、新日本プロレスが正式にWWFと団体間の業務提携を結んでからは交流は行われなくなったが、ブルーノ・サンマルチノと馬場が親友同士ということもあり、サンマルチノは馬場との友情関係を理由に新日本への参戦を拒否し、全日本プロレスに出場し続け、PWFとのダブルタイトルマッチとして全日本プロレスのリングでWWFの防衛戦を実現させている。また、サンマルチノ以外にもゴリラ・モンスーンやドン・デヌーチなどのサンマルチノや馬場と親交の深かった当時のWWF所属レスラーたちも全日本プロレスに出場するなど、個人的な交流は存在していた。 一方、女子では分裂後の日本女子プロレスと提携した後、全日本女子プロレスに参戦していたファビュラス・ムーラのWWF入りを機に、全女との間で選手派遣で関係を持っていた。そのラインでWWFに参戦したジャンピング・ボム・エンジェルス(立野記代、山崎五紀)やブル中野の活躍もあり、その後も全日本女子プロレスの選手が定期的にWWFに参戦するプランもあったが、1995年に当時の同団体の女子王者であったアランドラ・ブレイズ(デブラ・ミセリー、日本ではメドゥーサ)が、王者のままWCWへ移籍し、番組内にてWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを行ったため、女子レスラーの出場が一時期見直された事により立ち消えになってしまい、団体としての交流は途絶えている。 新日本プロレスとの提携解消後、特定の団体とは提携を結ばなかったが、1990年には新日本プロレスおよび全日本プロレスの3団体合同で東京ドーム興行「日米レスリングサミット」を開催[52]。その後(1990年から1992年の間)、SWSと提携を結び、幾度かの合同興行を開催したり、王座の認定や所属レスラーの派遣などを行っており、SWSが活動を停止し解散した後は、SWSから分裂したWARとしばらくの間交流を持ち、所属選手を派遣していた。 この頃、単独での日本進出を目論んでいたこともあり、日本のプロレスマスコミには好意的で、アメリカのマスコミでも入ることができなかったリングサイドでの取材や、マクマホン本人が日本向けにテレビインタビューに出演する等、積極的に協力している。ただし、2007年になり番組が全てHDTVで製作されるようになると、リングサイドでの取材は突如禁止となった。 1994年には「マニアツアー」として横浜、大阪、名古屋、札幌で単独興行を行ったが、当時のWWFとは関係ない日本人レスラーの出場、バックステージの趣向を凝らさなかったこと、本場の様な豪華なセットを組まなかったこと、それにプロレスの興行を扱ったことのない興行会社がプロモートを行ったことなどがあり、直輸入を期待していたファンからの支持が得られず、興行成績も振るわず、2002年に再上陸するまで自社の手による興行は開催されなかった。なお、1998年に開催された全日本プロレス初の東京ドーム大会にベイダーが参戦するなど[53]、スポット参戦は行われていた。 2005年には元横綱の曙が参戦し、「レッスルマニア21」でビッグ・ショーとのスモー・マッチや日本大会でのプロレスデビュー戦が行われるなどした[54][55][56]。 2000年代になると、WWEを解雇されたレスラーがジョニー・エースの斡旋等で日本のマットに上がることが多くなり、ジャマールとチャック・パルンボ、ドク・ギャローズのようにWWE復帰が認められるケースもある。 2015年8月22日に行われた「NXTテイクオーバー」に獣神サンダー・ライガーが新日本プロレスの所属レスラーとして出場。1985年に提携を解消して以来、約30年ぶりに新日本プロレスに所属するレスラーのWWEへの出場となった[57]。また、2016年7月から9月にかけて行われた「WWEクルーザー級クラシック」にTAJIRI、飯伏幸太、戸澤陽が参戦。TAJIRIは10年ぶりの参戦である。 2018年9月1日に開催された丸藤正道のデビュー20周年記念試合にヒデオ・イタミが出場。当時は基本的に他団体への選手の派遣や貸出を行わなかったWWEが特例として貸出を行っている。 2022年10月、カール・アンダーソンが新日本プロレスの王座であるNEVER無差別級王座を所持したままWWEに移籍。その後、ダブルブッキングが起きたとして、11月5日の新日本プロレス大阪府立体育会館大会でのNEVER無差別級王座戦を拒否し、11月6日のサウジアラビアでのWWEクラウンジュエル大会を優先することを示した。NEVER無差別級王座戦を反故にした場合は新日本プロレスがNEVER無差別級王座の返還を求めるなど禍根を残したが[58]、2023年1月4日のWRESTLE KINGDOM 17で対戦が実現。結果はアンダーソンが敗れ、王座を手放した。その一方で、2023年1月1日のプロレスリング・ノア日本武道館大会に中邑真輔が出場し、グレート・ムタと対戦[59][60]。 トリプルH体制となった2024年からは選手の派遣が多く行われるようになり、2023年から2024年の年末年始にかけて、NXT所属選手のチャーリー・デンプシーが全日本プロレスに参戦し、三冠ヘビー級王座に挑戦[61]。7月13日にはノアにAJスタイルズが[62]、MARIGOLDにイヨ・スカイが参戦[63]。さらに、NXT所属選手をノアの「N-1 VICTORY」に参戦させるなど[64]、サイバーエージェントに近い団体との交流が増えた。 日本人所属選手
歴代日本人所属選手
このほか、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWWFおよびWWFにはジャンボ鶴田、アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力、タイガーマスク(初代)、ビンス・マクマホン・ジュニア(現:ビンス・マクマホン)の体制期に入ってからはザ・コブラや前田日明などが檜舞台のマディソン・スクエア・ガーデンに出場している。藤波[69][70]、タイガー[71]、前田[72]は、それぞれWWFを短期間サーキットしていた。 ビンス・マクマホン体制期の日本人レスラーとしては、WWF時代にブル中野が女子王座を獲得するなどトップレスラーとして活躍。ジャンピング・ボム・エンジェルス(立野&山崎)も女子タッグ王座を1988年の第1回「ロイヤルランブル」の大舞台で獲得した。2000年以降、所属していたレスラーではTAKAみちのくが1998年に初代WWFライトヘビー級王座を獲得。TAJIRIはシングルとタッグで王座を7度獲得した。また、2023年にはイヨ・スカイとASUKAの間で日本人選手同士の女子王座戦が実現した[73]。 近年では日本人選手のコーチ契約も増加しており、ケンドー・カシン、鈴木秀樹、里村明衣子などがコーチ契約をした。また、2020年には秋山準が臨時コーチ契約を発表するも、新型コロナウイルスの世界的蔓延から白紙となった。 WWE殿堂に迎えられた日本の選手および関係者
このほかにもザ・グレート・カブキ、ジャイアント馬場に殿堂入りの打診があったが、辞退したと報道されている[74]。 日本での放送・配信1992年4月から1993年5月までWOWOWがPPV大会のみを1か月遅れの120分枠で「レッスルマニア8」、「サマースラム92」、「サバイバーシリーズ92」、「ロイヤルランブル93」の4大会を放送した(実況:土居壮、解説:斎藤文彦。日本版ビデオシリーズのコンビが担当)。また、1992年8月8日の「ハルク・ホーガンスペシャル」、1992年8月15日の「ヒストリー・オブWWF」を2週にわたって特別番組が放送された。 地上波では1992年9月から1994年1月まで日本オリジナル番組の「WWFスーパープロレス」が独立UHF局で放送された。ストーリーのダイジェストと試合を中心に60分枠で放送。なお、試合の映像は本国から1年遅れであった。斎藤文彦と土居壮のコンビが吹き替えでもなく、全くリアルタイムで見ているかのような実況と解説を行っていたのが特徴であった。 1998年にSKY sports(現:J SPORTS)との間で放映権を締結し、ウィークリー番組が放送開始。字幕翻訳は株式会社ルミエールが担当していた。当初、PPV特番もJ SPORTSでも放送されていたが、2003年よりスカチャン(旧パーフェクト・チョイス)などでのPPV放送に切り替えられた。 当時は3週間遅れての放送(例として、2005年2月4日のRAWさいたま大会の場合、米国では2月7日の放送であったのに対し、日本では2月28日に放送された)であり、ハウス・ショーが日本で行われる際にチャンピオンが違っていたり、日本の放送スケジュール上まだ登場していないスーパースターが試合をすることもあった。 2001年10月から2002年12月までテレビ東京が深夜枠で放送。当初は「ライブワイヤー」を放送していたが、本国での同番組の終了以降は「Afterburn」を放送した。マイクアピールを除く、試合の実況解説などを字幕ではなく日本語吹き替えで対応したことが大きな特徴といえる。なお、英語圏以外の国でのWWEの番組は吹き替えが一般的である。 テレビ東京での放送終了後、2003年4月から2005年3月まではフジテレビが関東ローカルの地上波で放送した(J SPORTS協力の元、新たに字幕スーパーや日本語ナレーションを追加)。現在でもWWEが映像の編集を外部の会社に許可したのはフジテレビだけである。2004年3月までは、実況に佐野瑞樹。解説にDDTプロレスリングの高木三四郎。2004年4月以降は三村ロンドとブラザートムが担当。テレビ東京の放送が多くのライト層の新規ファンを獲得したが、不評だったフジテレビの放送でライト層のファンを失ってしまい[要出典]、2005年、2006年のWWE日本公演(後述)の観客動員数は大幅に減少、結果として2007年の日本公演は見送られたが、2008年1月、日本でのマーケット強化を目的に、日本法人WWE Japanを設立。同社より2008年2月に再び日本公演が開催されることが発表された。 2009年からは30分ハイライト番組の「This Week in WWE」が地上波独立局であるテレビ神奈川にて放送開始する。また、2009年3月9日より日本でもハイビジョン放送が開始され、27日の放送より、3週間の「ディレイ」を短縮するべくWWE Japanが交渉した結果、10日遅れの放送に短縮されることが発表された。加えて、これまでRAWの3時間拡大版は2時間に編集されていたが、そのまま3時間番組として放送されることとなった。 PPVやレスラーを特集したDVDはユークスが発売していたが、2005年夏をもって生産を終了。代わってJ SPORTSからDVDが販売されるようになった。 2011年10月1日にはJ SPORTSがBSデジタル放送へ進出したため、WWEの番組の初回放送は全て新生J SPORTS 2となり、また「RAW」の初回放送は毎週金曜日から毎週木曜日に変更になった。映像権などの事情により日本では約10日遅れての放送となる。 2013年3月から現地放送と同じ3時間放送へ移行し[75]、2014年からはRawとSmackDownに関して字幕無しではあるが米国放送に合わせて放送すること(SmackDownについては2時間のディレイ)が発表されたためにNXTは一旦打ち切りとなった[76]が、2014年7月にWWEと契約したヒデオ・イタミの出場に合わせて放送を再開[77]。しかし、2016年1月にJ SPORTSの再改編でNXTはWWEネットワークでの配信に完全移行。また、同月にRAWは2時間版に戻り、SmackDownは8年ぶりにAfterburnとして放送を継続[78]。 2016年より、WWEネットワークが日本でも対応開始。また、2017年にはDAZNにてリアルタイム配信が開始。DAZNでは土居、斎藤のコンビの日本語実況も復活していたが、1から2年ほどで撤退した。 2017年11月より、J SPORTSで放送している字幕版の初回放送が変更され、RAWは3日、アフターバーンは6日に短縮されることを発表。 2018年12月20日にWWEとJ SPORTSが契約更新をしたことを発表し、再びRAWとSmackDownが通常版に放送が戻り、米国放送と同時刻によるリアルタイムでの放送も復活した[79]。今回の再改編ではこれまでディレイ放送だったSmackDownもリアルタイムでの放送にラインナップされており、生放送はJ SPORTS 4の担当となり、同時にJ SPORTS傘下の定額制動画配信サービスであるJ SPORTSオンデマンド並びにAmazon Prime Videoでも配信されるようになった。また、DAZNで配信されていたRAWとSmackDownの1時間のハイライト番組はJ SPORTS 3にて放送されることが発表され、J SPORTSオンデマンドではPPVが数日遅れで配信されることも併せて発表された[79][80]。 2021年11月25日、J SPORTSはWWE番組(RAW、SmackDown、PPV)の初回放送を年内で終了することを発表。また、再放送や見逃し配信は2022年1月31日までに終了することも発表された[81]。以降も、30分ハイライト番組のThis Weekが放送局を縮小しながらも放送されていたが、2022年末をもって終了し、1998年からのテレビ放映は全て消滅した[82]。その後の配信はWWEネットワークとYouTubeのみとなり、日本語版は前者におけるPLEを除き制作されなくなった。 2023年9月28日、インターネットテレビ局であるABEMAとの間で国内独占放送契約を締結し、10月から「RAW」や「SmackDown」並びに各種プレミアム・ライブ・イベント(PLE)の配信を開始する予定であることを発表[83][84][85]。1年10か月ぶりの国内放送復活となる[84]。また、同時に日本語実況も復活し、「RAW」と「SmackDown」はアメリカ本国での放送から半日以内に無料配信している[86]。PLEはABEMA PPVにて生中継を実施し、一部PLEは無料放送を行っている[87]。なお、Abemaでの配信開始と同時にYouTubeでの配信は終了し、WWEネットワークは規模を縮小している。 現在放送している番組過去に放送していた番組
2002年以降の日本大会2002年の再上陸以降は、ハウス・ショーが中心の興行である。2005年2月4日(RAW)、2月5日(SmackDown)にさいたまスーパーアリーナで、アジア初、世界では3カ国目となるテレビ収録での大会が開催された。通常は当日生放送(海外からの収録でも時間差で当日放送)するRAWも史上初の収録試合となった。なお日本での大会では消防法の関係でパイロなどの演出は行われない、もしくは小規模なものにとどめられている。 2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、興行が中止になって以降は日本での興行は5年間開催されていなかった。
その他J SPORTSでの放送以降、他のスポーツを視聴することが目的でJ SPORTSを視聴した視聴者がWWEのファンになることが多く、一般的なプロレスファンとは異なるファン層を獲得している。特に団体外の要素を団体内に持ちこむことが嫌われる傾向にあり、来日公演では、
などのエピソードがある。 細かい動きにも賛辞を送る日本人ファンに対するレスラーの評価は高いといわれている。来日回数が豊富なリック・フレアーも「アメリカのファンはショーとして見るが、日本のファンはスポーツとして見る」と語るほどアメリカとは別の要素が求められることを強調している。 なお、放送内ではアメリカの別の団体名を挙げることはまずないが、日本で活躍してWWEにやってきたレスラーの紹介では実際に日本の団体名を挙げて紹介することがある(新日本プロレス、DRAGONGATE、スターダムなど)。近年では「IWGP」、「東京ドーム」などの日本に関連する言葉も頻繁に使われるようになった。 リング以外でも日本のものが起用されることがあり、2016年にはBABYMETALの曲「KARATE」が「NXT」の公式テーマ曲に採用されている。 オフィシャルCDアルバム
テレビゲーム
プレミアムライブイベント特番現在WWEでは月に1から2度特番を行い、RAW、SmackDownの2ブランド共催で行われる。なお、試合数が限られるため、テレビ放送には出られてもPLEに出られないレスラーは多い。以前、WWEはこれらのイベントを「ペイ・パー・ビュー(PPV)」としてたが、サブスクリプション形式の動画配信サービスによるPPV大会配信が増加した事で、PPVとの言葉の使用を縮小し、現在は「プレミアムライブイベント(Premium Live Event)」と呼んでいる[102][103]。また、2018年まではテレビ放送のRAW、SmackDown!の単独開催もあった[104]。基本的に毎年行われる大会は決まっているが、特別に組まれるPLEや現在は行われていないPLE(PPV)も存在する。PLEのスケジュールは以下の通りで、日付は現地時間。 2025年のPLEスケジュール
2026年のPLEスケジュール
詳しくはPPV日程「List of WWE pay-per-view events」を参照。 かつて行われていたPLE(PPV)特番
日本でのPLE特番放送アルマゲドン2002までの特番はJ SPORTS(旧:J Sky SPORTS)で通常放送されており料金を払わずに視聴することができたが、WWE側の要望により、ロイヤルランブル2003より本国同様のPPV形式となった。加入しているケーブルテレビによってはPPVに対応していないため、これに伴い日本でも以降の特番はすべてDVD化されるようになり、日本語字幕版のPPV放送が打ち切られる2015年末まで販売された。 J SPORTSでの通常放送と同じく約10日遅れ(2009年2月までは3週間遅れ)ての放送であった2014年からはVOD限定(WWE日本語公式サイト(WWE Japan Videos)、DMM、J:COM等[111])で英語版(字幕無し)を2日遅れで放送することが発表された。スカパー!ではスカチャンでのPPV放送。初回放送は木曜日。ケーブルテレビJ:COMではJ:COMオンデマンドにて放送。配信開始は金曜日で、視聴料金は4大PPVのロイヤルランブル、レッスルマニア、サマースラム、サバイバー・シリーズは2,100円/番組。その他は1,575円/番組。 また、スカパー!、スカパー!プレミアムサービスにて上記の1年間開催されるPPVを全て視聴できるパックセットも販売されていた。(WWEスペシャルリングサイド2014:14,700円/一括払い<4月以降は15,120円>)。スカパー!ではPPVを行なっていないため、WWEスペシャルリングサイドでの一括購入のみで個別大会の購入はできなかった。その他にも、2015年のみニコニコ生放送(ニコニコ動画)で字幕なしの英語版のみの配信があり、視聴には番組あたり2,160ニコニコポイントが必要でタイムシフトも1回のみ可能だった。 2016年にWWE NETWORKが日本でも開局した後は同サービスでPPV大会を視聴出来るようになる。また、日本語実況版が当初は製作されていたが、2020年までに消滅した。また、WWE NETWORK開局後は、PPV販売は一時停止していたが、後にJ SPORTSオンデマンドによりPPV配信が復活し[112]、2020年10月からはJ SPORTS独自の実況が付けられていた。しかし2021年末にPPV販売も終了した[113]。 2023年10月より、ABEMAにて生中継でのPLE配信を開始[114]。数年ぶりに日本語実況が制作され、ABEMAでの放送初回となる、「ファスト・レーン2023」は無料放送されるなど一部PLEは無料生中継され[115][116]、5大PLE(上記4大PPVに加えマネー・イン・ザ・バンク)はPPV配信(4,000円/1大会)される[117]。 PLE以外の特番時々ハウスショーが特番としてWWEネットワークで放送されることがある。また特定の選手を集めて行うトーナメントを開催してWWEネットワークで放送されることもある。 PLE以外の特番トーナメント戦
興行の特徴試合形式WWEでは、多彩な試合形式が行われる。WWE発祥の試合形式も存在する。 通常の番組でも行われる試合形式
PLE限定の試合形式過去に行われた試合形式
ディーヴァ関連の試合形式
アンダーテイカー関連の試合形式
一夜限りの試合形式
観客参加型興行WWEでは、興行の楽しみ方のキーワードとして、「観客参加型」を提唱。主に以下のものが主流となる。
所属選手(スーパースター)・スタッフ→詳細は「WWEに所属する人物一覧」を参照
スーパースターの関係WWEではアングル上、スーパースターの兄弟や夫婦、親戚といった設定が出てくるがもちろん全てが真実な訳ではない。特に、1980年代後半からタッグチームの多くに兄弟、親戚のギミックが頻繁に設定された。ただし、実際の人間関係がストーリーに絡むことも多く、そこにこの団体を楽しむ醍醐味がある。
脚注
関連項目
外部リンク
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