アーニー・ロス
アーニー・ロス(Ernie Roth、1929年6月7日 - 1983年10月12日)はアメリカ合衆国のプロレスリング・マネージャー。オハイオ州カントン出身[2]。 ザ・グランド・ウィザード(The Grand Wizard)などのリングネームで知られる(日本では、グラン・ウィザードと表記された)。 フレッド・ブラッシー、キャプテン・ルー・アルバーノと共に、ビンス・マクマホン・シニア体制下のWWWF / WWFを代表するヒールのマネージャーとして活躍した[3]。 来歴前身はラジオのディスクジョッキーで、持ち前のトークの才能を武器に、1960年よりプロレスのマネージャーとなる[3]。J・ウェリントン・ラドクリフ(J. Wellington Radcliffe)、ミスター・クリーン(Mr. Klean)、アームストロング・ケイ(Armstrong Kay)など何度かリングネームを変更し、1960年代初頭にはジョニー・バレンド&マグニフィセント・モーリスのマネージメントを担当[4]。レスラーではないにもかかわらず、彼らと組んでの変則タッグマッチにも出場した[5]。デトロイト時代にはアブドーラ・ファルーク(Abdullah Farouk)の名でザ・シークのマネージャーも務めた[3][6]。 この時のキャラクターを元に、ニューヨークのWWWFで「偉大なるレスリングの魔術師」ザ・グランド・ウィザード・オブ・レスリング(The Grand Wizard of Wrestling)に変身。シーク、キラー・コワルスキー、アーニー・ラッド、ブラックジャック・マリガン、スタン・スタージャック、ボビー・ダンカン、ブルーザー・ブロディ、スーパースター・ビリー・グラハム、パット・パターソン、グレッグ・バレンタイン、サージェント・スローター、カウボーイ・ボブ・オートン、マスクド・スーパースターなどをマネージメントする[6]。特にビリー・グラハムのマネージャーとして著名であり、1977年4月30日にはブルーノ・サンマルチノを下してWWWFヘビー級王座の奪取を成功させた[3]。 晩年にはNWAから移籍してきたポール・オーンドーフのマネージャーを務めることが決まっていたが、ビンス・マクマホン・ジュニアによるWWF全米進出計画が始まる直前の1983年10月12日、心臓発作により死去[6]。54歳没。 1995年、WWF殿堂に迎えられた(インダクターはサージェント・スローター)[3]。 担当選手脚注
関連項目外部リンク
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