"ザ・フランチャイズ" シェーン・ダグラス ("The Franchise" Shane Douglas 、本名:Troy Shane Martin 、1964年 11月21日 - )は、アメリカ合衆国 のプロレスラー 。ペンシルベニア州 ピッツバーグ 出身。
金髪 をなびかせたアイドル 系ベビーフェイス としてキャリアをスタートさせた後、エゴイスト 系の技巧派ヒール に転じてアメリカの各主要団体で活躍[ 1] 。近年はインディペンデント・シーンにおけるプロデュース業務にも手腕を発揮している[ 2] 。
来歴
初期
高校卒業後の1982年 、大学の学費を稼ぐためにプロレスラーとしてのキャリアを開始[ 2] 。当時はポール・オーンドーフ の甥という設定のもと、トロイ・オーンドーフ (Troy Orndorff )のリングネーム を用いたこともある[ 3] 。
1980年代 中盤、元WWWF世界タッグ王者 ドミニク・デヌーチ のもとで再トレーニングを受け、ベサニー大学卒業後の1986年 、本名のトロイ・マーティン (Troy Martin )名義でWWF のTVマッチにジョブ・ボーイ として出場[ 4] 。マイク・ケリー (Mike Kelly )とも名乗り、かつてリングネームを拝借していたオーンドーフをはじめ、ランディ・サベージ 、ジェイク・ロバーツ 、ハーリー・レイス など大物選手のジョバー を務めながらキャリアを積んだ[ 5] 。
その後、シェーン・ダグラス (Shane Douglas )のリングネームでビル・ワット 主宰のミッドサウス版UWFに参戦、ベビーフェイス の新鋭として売り出され、1987年 8月3日にエディ・ギルバート から世界TV王座を奪取している[ 6] 。1988年 はアラバマ のCCW で活動し、7月18日にロード・ヒューマンガス との異色コンビでNWA コンチネンタル・タッグ王座を獲得した[ 7] 。
1989年 、初期のWCW にてジョニー・エース をパートナーに、ロックンロール・エクスプレス の影響下にあるアイドル系タッグチーム のダイナミック・デューズ (The Dynamic Dudes )を結成[ 8] 。当時ベビーフェイスのポジションにいたジム・コルネット をマネージャー に迎え、7月23日開催の "The Great American Bash '89 " ではスカイ・スクレイパーズ(ダニー・スパイビー &シッド・ビシャス )と対戦した[ 9] 。翌月には揃って全日本プロレス に来日、8月29日に大阪府立体育会館 にて、カンナム・エクスプレス が保持していたアジアタッグ王座 に挑戦している[ 10] 。帰国後、10月28日の "Halloween Havoc '89 " ではファビュラス・フリーバーズ (マイケル・ヘイズ &ジミー・ガービン )のNWA世界タッグ王座 に挑戦したが[ 11] 、エースが全日本プロレスを主戦場に選んだことによりチームは解散した。
1990年 下期よりWWFに参戦。8月27日の『サマースラム'90 』と11月22日の『サバイバー・シリーズ'90 』ではダーク・マッチ でバディ・ローズ を破り、翌1991年 1月19日の『ロイヤルランブル'91 』にも出場したが、かつてのようなジョバーではなくなったとはいえ、選手層の厚い当時のWWFでは一介の若手ベビーフェイスにすぎなかった[ 12] [ 13] 。
1992年 からはWCWに復帰、リッキー・スティムボート のパートナーに起用され、11月18日にバリー・ウインダム &ダスティン・ローデス からWCW世界タッグ王座 を奪取、1993年 3月27日にスティーブ・オースチン とブライアン・ピルマン のハリウッド・ブロンズに敗れるまで保持した[ 14] 。
ECW(1993 - 1995)
1993年 下期、当時「イースタン・チャンピオンシップ・レスリング」を団体名としていたECW に移籍。当初は従前と同様にベビーフェイスのポジションにいたが、12月4日に行われたタッグマッチの試合後、パートナーのトミー・ドリーマー を裏切って自身のキャリアでは初となるヒール に転向した。
1994年 3月26日にはテリー・ファンク からECWヘビー級王座 を奪取し[ 15] 、8月27日にはトーナメントの決勝で2コールド・スコーピオ を破り復活版のNWA世界ヘビー級王座 を獲得[ 16] 、二冠王となったが、試合後にNWAのベルトを放り捨て、ECW王座こそが真の世界タイトルだと宣言[ 15] 。その後、ECWはNWAを脱退し、9月より団体名も「エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング」と改称した。
以降、"ザ・フランチャイズ" シェーン・ダグラス ("The Franchise" Shane Douglas )と名乗り、ポール・ヘイマン の体制下で新しいスタートを切ったECWの世界王者となって活躍。ミスター・ヒューズ をボディーガード に従え、前王者ファンクをはじめサブゥー やタズマニアック 、ロン・シモンズ 、タリー・ブランチャード 、ロード・ウォリアー・ホーク 、ジミー・スヌーカ らを相手に防衛を続けた[ 17] 。
1995年 からは、当時のECW世界タッグ王者チームのクリス・ベノワ &ディーン・マレンコ とトリプル・スレット (The Triple Threat )なるチャンピオン・ユニットを結成したが、4月15日にサンドマン に敗れて王座から陥落、1年以上に及ぶ長期政権に終止符を打った[ 15] 。
WWF(1995)
ディーン・ダグラス(1995年)
1995年下期、WWFと再契約。ベサニー大学の大学院で修士号を取得[ 2] していたことから、ディーン・ダグラス (Dean Douglas )とリングネームを変更し、後にマット・ストライカー が踏襲した嫌味な教師ギミック を与えられた[ 18] 。同系統の紳士ギミックのヒールに扮していたミスター・ボブ・バックランド とも共闘し、ブレット・ハート やショーン・マイケルズ らニュージェネレーション期のスーパースターとの抗争が予定されていたが、短期間で離脱することになる。
10月22日のPPV 『イン・ユア・ハウス4 』では、当初マイケルズが保持していたWWFインターコンチネンタル王座 にダグラスが挑戦し、マイケルズを破って新王者となるはずだった[ 3] 。しかし、当時クリック のリーダーとしてバックステージでの発言力を増大させていたマイケルズがダグラスに敗れることを拒否[ 3] 。最終的にはマイケルズの負傷による王座返上というシナリオのもと、不戦勝でダグラスが新王者に認定されたものの、同夜の初防衛戦で同じくクリックのメンバーであるレイザー・ラモン に敗れ、その日のうちにタイトルを明け渡すというブック が組まれた[ 3] [ 19] 。このブッキング にダグラスは不満を爆発させ、同年の末にWWFを脱退、一時は告訴も辞さない強硬姿勢を取り、以降WWE とは絶縁状態が続いている[ 3] 。
ECW復帰 (1996 - 1999)
1996年 1月よりECWに戻り、当時のECW世界王者レイヴェン との抗争を開始。入れ替わりにWWF移籍が決定していた弟弟子のカクタス・ジャック ともハードコア・スタイル で対戦した。5月11日にはスコーピオからTV王座 を奪取[ 20] 、7月13日にはスコーピオ、クリス・ジェリコ 、ピットブル2号(トニー・デュランテ)との同王座を賭けた4ウェイ・マッチ を制し、以降はピットブルズの女性マネージャーだったフランシーン (Francine )を自身のヘッド・チアリーダーとして従えるようになった[ 21] 。
1997年 8月17日、因縁のテリー・ファンクを破り、ECW世界ヘビー級王座を再び獲得[ 15] 。以降は同王座を巡り、バンバン・ビガロ やアル・スノー と抗争を繰り広げた。同年12月にはFMW に来日、外道 とドリーマーを相手に防衛戦を行っている[ 22] 。
1998年 からはヒールターン したビガロと結託して、クリス・キャンディード を交えてトリプル・スレットを再編。11月1日のPPV "November to Remember '98 " ではサブゥー、ロブ・ヴァン・ダム 、タズ のトリオと対戦した[ 23] 。
1999年 にフェイスターン を行い、ドリーマーと組んでランス・ストーム とジャスティン・クレディブル のインパクト・プレイヤーズなどと対戦するも、同年にECWを離れてWCW に移籍した。
WCW(1999 - 2001)
WCWには1999年7月よりベビーフェイスとして再登場し、トリプル・スレットの盟友ベノワ&マレンコ、同じくECW出身のペリー・サターン らと共に、WCWの改革をコンセプトとした新ユニットのザ・レボリューション (The Revolution )を結成する[ 24] 。当初はWCWでの実績のあるベノワがリーダーと目されていたが、マイクパフォーマンス のスキルでダグラスがベノワを圧倒的に凌駕していたこともあり、トリプル・スレット時代と同様に彼がリーダーを務め、リング上でのアジテーションも一手に担当。カート・ヘニング 率いるウエスト・テキサス・レッドネックス 、ジミー・ハート がマネージメントするファースト・ファミリー、ロード・スティーブン・リーガル &スクワイア・デビッド・テイラー のブルー・ブラッズなど、ヒールのユニットとの抗争に臨んだ[ 25] 。
しかし、ベノワがユニットを離れてからはヒール色が強くなり、レイ・ミステリオ・ジュニア を擁するベビーフェイスのフィルシー・アニマルズとの抗争では女性マネージャーのトリー・ウィルソン を拉致するなど、結成当初のコンセプトは形骸化。2000年 1月、ブッカーのケビン・サリバン との確執でベノワ、マレンコ、サターンがフィルシー・アニマルズのエディ・ゲレロ と共にWWFへ移籍したことにより、レボリューションは自然消滅した。
以後、同年4月にエリック・ビショフ とビンス・ルッソが立ち上げた「ミリオネアーズ・クラブ対ニュー・ブラッド」の世代闘争アングル ではニュー・ブラッド陣営に所属。4月16日にはバフ・バグウェル とのコンビでミリオネアーズ・クラブのリック・フレアー &レックス・ルガー からWCW世界タッグ王座を奪取、同王座への7年ぶりの戴冠を果たした[ 14] 。5月22日にはECW時代からの旧敵テリー・ファンクを下してWCWハードコア王者 となったが、翌23日にファンク&ノーマン・スマイリー とのハンディキャップ・マッチに敗れ一日天下で終わっている[ 26] 。
2000年下期はビリー・キッドマン と抗争を展開して、2001年 1月14日にはジェネラル・レクション を破りUSヘビー級王座 も獲得したが[ 27] 、同年3月末にWWFがWCWを買収。翌2002年 4月にAOLタイム・ワーナー との契約が満了するまでの1年間、活動の場を失うこととなった。
TNA(2003 - 2007)
AOLタイム・ワーナーとの契約満了後は、過去の経緯からWWFに参加することなくインディー団体を転戦。2002年6月15日には地元ペンシルベニアのメジャー・リーグ・レスリング にて、バンピーロ と太陽ケア を3ウェイ・マッチ で破り、MLW世界ヘビー級王座の初代王者となった[ 28] 。
以後、ポストECWを標榜していたエクストリーム・プロレスリングやオーストラリア のワールド・レスリング・オールスターズ を経て、2003年 6月にTNA と契約。ECW以来のレイヴェンとの抗争を再現し、10月からは女性マネージャーのトレーシー・ブルックス[ 29] や若手のマイケル・シェーン[ 30] を従えて、ニュー・フランチャイズ (The NEW Franchise )なる新ユニットを結成した。
2004年 からはロード・エージェントも兼任して、TNAでの活動と並行してペンシルベニアのインディー団体のブッキング業務にも着手。2005年 6月12日にWWEが『ECW ワン・ナイト・スタンド 』を開催した際は、フリーランスのECW系選手を招聘したリユニオン・イベント "Hardcore Homecoming " を先手を打って独自にプロデュースし[ 2] 、WWEに先駆ける6月10日、ECWの本拠地だったフィラデルフィア の旧ECWアリーナ での開催を決行[ 31] 。"ECW" の名称は使用できなかったものの、創設者のトッド・ゴードンをゲストに招くなど、本家であることを主張してWWEに対抗した。
2006年 は、前年に死去した旧友キャンディードが指導していたザ・ナチュラルズ(アンディ・ダグラス &チェイス・スティーブンス )[ 32] のマネージャーを担当、アメリカズ・モスト・ウォンテッド やチーム3D との抗争を指揮したが、アングルの終結に伴い2007年 はTNAの番組から姿を消し、同年10月の契約満了をもってTNAを解雇された。
インディー団体
TNA "Slammiversary " でのダグラス(2009年)
しばらく第一線から退いた後、2009年 3月13日、インディー版NWA の興行 "NWA on Fire" に出場、ECW出身のリトル・グイドー と対戦した[ 33] 。
同年5月、TNAに復帰してクリストファー・ダニエルズ と抗争するが短期間で離脱。2010年 8月8日にTNAが主催したECWのリユニオン・イベント "Hardcore Justice " にも、出場の要請を受けていたものの条件面で合意に達せず、参加することはなかった[ 34] 。
同イベントの開催から間もない8月14日、マサチューセッツ州 ウェブスターで行われたBTW(Big Time Wrestling)の興行に出場して、スパイク・ダッドリー からBTWヘビー級王座を奪取[ 35] 。以降、ドリーマー、レイヴェン、カリート らを相手に防衛戦を行い[ 36] 、2012年 6月まで戴冠した[ 37] 。
2015年 5月9日にはミシガン州 のBWCW(Blue Water Championship Wrestling)にてシングル王座を獲得[ 38] 。同年8月2日にはオハイオ州 のARW(American Revolution Wrestling)において、サブゥーおよびライノ とのハードコア形式による3ウェイ・マッチに出場した[ 39] 。
2016年 10月1日、新木場1stRING における東京愚連隊 の『東京ONE NIGHT STAND 2』に参戦、久々の来日が実現した[ 40] 。2017年 から2019年 にかけてはオハイオ州のWCPBTW(World Classic Professional Big Time Wrestling)において、ボビー・フルトン を相手にレジェンド王座を争った[ 41] 。
得意技
WWF でのディーン・ダグラスの時代は教師 ギミック に合わせてファイナル・エグザム (Final Exam )と呼ばれた。
獲得タイトル
2012年
ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
イースタン・チャンピオンシップ・レスリング / エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション
インディー団体
XPW世界ヘビー級王座:1回
MLW世界ヘビー級王座:1回
BTWヘビー級王座:2回[ 37]
APWAヘビー級王座 : 1回
ATCW王座 : 1回
BWCWヘビー級王座 : 1回
BCWカンアム・ヘビー級王座 : 1回
IWAヘビー級王座 : 1回
NAWAヘビー級王座 : 1回
PCWヘビー級王座 : 1回
PWUヘビー級王座 : 1回
PWXヘビー級王座 : 1回
SWFヘビー級王座 : 1回
USWL統一世界ヘビー級王座 : 1回
USAプロレスリングヘビー級王座 : 1回
UKヘビー級王座 : 1回
脚注
外部リンク