2005年のJリーグ ディビジョン1
この項目では、2005年シーズンのJリーグ ディビジョン1(J1)について述べる。 2005年シーズンのJ1のクラブ2005年シーズンのJ1のクラブは以下の通りである。この内大宮アルディージャと川崎フロンターレが前シーズンJ2リーグからの昇格クラブである。又このシーズンからJ1リーグのエクスパンションにより参加クラブ数が前シーズンまでの16から18に拡大した。なお、このシーズンからジェフユナイテッド市原がクラブ名をジェフユナイテッド市原・千葉(呼称は「ジェフユナイテッド千葉」)に変更した。
監督交代
レギュレーションの変更点
2005年シーズンのJ1のスケジュール3月にスタートしたシーズンはFIFAワールドカップ・アジア最終予選、コンフェデレーションズカップとの日程調整のため5月14日、15日の第12節で一旦中断。再開後の7月2日、3日の第13節から、7月23日、24日の第18節までの6試合をHOT6と題して開催。HOT6の後1か月近いインターバルがあり、8月20日、21日の第19節から再開した。これ以外にはインターナショナル・マッチデー以外のインターバルは無かった。 リーグ概要リーグ開幕直後はスタートダッシュに成功したFC東京が一時首位に付けたが、すぐに失速。10個目のタイトルを狙っていた鹿島がその後首位に立った。一時は2位以下に勝点差10以上をつける独走状態であった。ここで、第3節終了地点で未勝利チームが浦和、千葉、柏、川崎、清水、セレッソ大阪、広島と7チームも出るという異常事態が起きた。セレッソ大阪や浦和に関しては一時最下位になった。全チームが勝利を手にしたのは第7節だった。また近年は下位に甘んじることの多かった広島が2位につけるなどの躍進を見せた。しかしHOT6の前後にガンバ大阪が猛追。鹿島と並ぶ勝ち点に付けた。 このまま、ガンバと鹿島の一騎討ちかと思われたが、両クラブともなかなか勝ち点が伸ばせず、セレッソ大阪、浦和、千葉の猛追を許した。特にセレッソ大阪は第19節以降無敗であった。最終節の1試合前となる33節終了時点でついにガンバ大阪が首位の座を明け渡し、セレッソ大阪が首位に立った。この時点で上から順にセレッソ大阪、ガンバ大阪、浦和、鹿島、千葉に優勝の可能性があり、首位のセレッソから5位の千葉までの勝ち点はわずかに2であった。 最終節は唯一自力優勝の可能性が残るセレッソ大阪がFC東京をホームに迎え、後半ロスタイムまで1点リードしていたが、引分で優勝を逃した。一方川崎とのアウェイ戦に臨んでいたガンバ大阪が4-2と勝利しクラブ創設以来初めてのタイトルを獲得した(詳細は2005年J1最終節を参照)。 前シーズン優勝の横浜は、AFCチャンピオンズリーグに敗退すると、主力選手の不調も重なって徐々に下降し始め、結局タイトル争いに加われないままシーズンを終えた。 本シーズンからJ1リーグに登場した大宮と川崎は、リーグ中盤まではほぼ互角の成績であったが、終盤にかけて大きく勝ち点を伸ばした川崎は賞金圏内(年間7位以上)も見える順位につけたのに対し、中盤から終盤にかけて連敗した大宮は降格こそ免れたものの、下位に沈み大きく明暗を分けた。 残留争いは、神戸、東京V、柏、清水、大分などによって争われ、その後大きく勝ち点を落とした大宮、名古屋などもこれに加わった。特に神戸は記録的ともいえるほどの成績で早々と降格を決めてしまい、東京Vも33節まで残留の可能性を残したものの、この節での残留を争う柏との直接対決で1-5と惨敗を喫し、年間優勝経験クラブとしては初となる降格を経験する事になった。 これらのクラブの中で奇跡的な回復を見せたのが大分で、22節終了時までは最下位神戸と勝点で並ぶ17位に低迷していたものの、新監督ペリクレス・シャムスカが就任すると状況は一転。浦和、ガンバ大阪など優勝争いをするクラブに土をつけるなど、結果的に優勝争いを混沌とさせ、上位チームを苦しめた。最終的に就任後12試合で7勝3分2敗、勝点24をあげ、奇跡的なV字回復を見せた。それまでのチーム状況を一変させたその様は「シャムスカ・マジック」と呼ばれるほどであった。 ジェフ千葉はこの年10月以後、フクダ電子アリーナに事実上本拠地を移転。(市原緑地運動公園臨海競技場と併用扱いだが、市原では以後開催されず)また、大宮はさいたま市大宮公園サッカー場がJ1基準を満たしておらず、開催試合数が制限されたため、準本拠という位置づけで埼玉スタジアム2002などを使用した。横浜国際総合競技場は命名権の締結に伴い「日産スタジアム」に改称。 結果順位表
順位推移表1節-17節18節-34節戦績表得点ランキング
出典: J. League Data 出典
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