鶴見線
鶴見線(つるみせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅と同県川崎市川崎区の扇町駅を結ぶ[3]、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。この他に以下の支線を持つ。 概要東京地区の電車特定区間(E電)の路線の一つであり、鶴見から横浜・川崎市内の京浜工業地帯へ向かう短い路線である。冒頭や後述の路線データに示す3つの路線から構成されている。沿線は工場が多く、旅客列車はそれらの工場への通勤客が主に利用する。また旅客列車のほか、貨物列車が日本貨物鉄道(JR貨物)によって運転されている。浅野財閥系の鶴見臨港鉄道(会社自体は不動産業の東亜リアルエステートとして現存)を前身とする。 鶴見線の平均駅間距離(本線のみで0.7 km。支線含めて約0.8 km)はJRグループの路線の中で最も短い。 ラインカラーは黄色(■)で、車体色や旅客案内に使用されている。駅ナンバリングで使われる路線記号はJI[注釈 1]。 全線全駅が旅客営業規則における大都市近郊区間の「東京近郊区間」、および特定都区市内制度の「横浜市内」(浜)の駅に、またIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。 路線データ
全線が横浜支社の管轄である。 沿線概況
鶴見線の線路および沿線の概況について記す[7]。 本線鶴見駅の鶴見線ホームは地平の京浜東北線が発着する階ではなく、西口側の高架上にある[8]。鶴見駅を出ると高架上を進む[8]。鶴見大学や曹洞宗大本山総持寺入口付近では、線路中央に旧本山駅のホーム遺構がある[8]。左にカーブし横須賀線・京浜東北線・東海道線・東海道貨物線と京急本線を跨ぎ、国道15号(第一京浜)を跨いだところで国道駅に到着する[8]。同駅の高架下は戦前の駅開業当時の雰囲気がそのまま残っている[9]。国道駅を出るとすぐに鶴見川を渡り、右カーブで高架から地上に降りたところで鶴見小野駅に至る[8]。同駅近隣には横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校・附属中学校がある。鶴見小野駅を出て、首都高速神奈川1号横羽線と東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)の高架下をくぐると、住宅街から工場群の中へ移る。左にカーブすると弁天橋駅に至る。構内北側の鶴見小野駅方には、鶴見線乗務員が所属し、運用車両が常駐する鶴見線営業所(旧弁天橋電車区)が所在する。弁天橋駅南側はAGC京浜工場[8]・ジャパン マリンユナイテッド横浜事業所鶴見工場などがある。 弁天橋駅を出ると、右側にかつての鶴見川口への支線・旭硝子への入換線の広大な跡地の横を過ぎ、浅野駅に至る[8][9]。同駅は本線と海芝浦支線との分岐駅であり、扇町・大川方面の電車は1・2番線の島式ホームに、海芝浦方面の電車は浅野駅の手前の弁天橋駅方の渡り線を渡って3・4番線の相対式ホームに発着する。JFEエンジニアリング鶴見事業所の最寄り駅でもある。 浅野駅を出て旭運河を渡ると、間もなく安善駅に至る[9]。この浅野駅 - 安善駅間はJRで最も駅間の短い区間 (0.5 km) の一つである。駅構内は貨物の取扱があるため入換線が広がっている。2004年(平成16年)3月までは同駅近くに神奈川県立寛政高等学校があったが、神奈川県立平安高等学校と統合された。2008年4月には神奈川県立東部総合職業技術校が開校している。安善駅を出ると横浜市鶴見区と川崎市川崎区の境になっている境運河の鉄橋を越え、すぐに武蔵白石駅に至る[9]。安善駅 - 武蔵白石駅間も浅野駅 - 安善駅間に次ぎ短い区間 (0.6 km) である。武蔵白石駅は大川支線との分岐駅であるが、1996年(平成8年)に大川支線用ホームが廃止・撤去され大川駅発着電車は同駅を通過することとなったため、本線と大川支線の事実上の分岐駅は安善駅となっている(後述)[10]。武蔵白石駅北側には富士電機の川崎工場、駅南側に日本鋳造の本社工場があり、駅前には民家が数軒ある。武蔵白石駅を出て、右手のJFEスチール渡田地区の工場に沿いながら右に緩やかにカーブしていくと、上を川崎貨物駅へ向かう貨物線(廃線)が越してゆき、間もなく浜川崎駅に至る。浜川崎駅は南武線浜川崎支線(南武支線)との接続駅であるが、南武線の駅舎は改札を出て道路を挟んだ反対側にある[9]。当駅はJFEスチール渡田地区の正門側にあるため、跨線橋の一般出入口の反対側にはJFEスチールの社員専用出入口がある。 浜川崎駅を出ると旅客線は単線となり、その左側の貨物線には南武線・東海道貨物線方面からの線路が合流して浜川崎貨物駅が広がる。同貨物駅構内が終わると、鶴見線は見かけ上は複線のようになるが、実際は貨物線と旅客線が単線で並行している形である。右手のJFEスチールの工場に沿って緩やかに右カーブを取り、扇橋を渡ると昭和駅に至る[11][9]。同駅はレゾナック(旧:昭和電工)川崎事業所の正門脇にあり、ここから駅名が取られた。昭和駅を出ると緩やかに右カーブを進み、貨物ヤードが広がると、終点の扇町駅に至る。旅客駅の先には、三井埠頭へ接続する貨物ヤードが広がっている[9]。
海芝浦支線そのほとんどが、東芝エネルギーシステムズ京浜事業所(以下「東芝」)敷地内を走る支線である。浅野駅を出て、事業所の私有道路を横断した後、旭運河沿いをしばらくまっすぐ走ると新芝浦駅に至り複線区間はここまでとなる。駅正面が東芝の正門である。新芝浦駅を出ると単線となり、旭運河沿いを南下、京浜運河の手前で大きく右にカーブし、間もなく終点の海芝浦駅に至る。隣駅の新芝浦駅と共に東芝の敷地内であるが、海芝浦駅のみは社屋に直接面しているため、東芝関係者以外は改札を出ることはできない。ホームは京浜運河に面しており、対岸には東京ガス扇島LNG基地、首都高速湾岸線の鶴見つばさ橋などがある。1995年5月、東芝の計らいにより線路の延長上に「海芝公園」が作られ一般に開放されている。また、海芝浦駅は観光目的で使用する人も多く、関東の駅百選にも選定されている。 大川支線大川駅行きの電車は安善駅を出ると、安善駅と武蔵白石駅の間にある渡り線を経て、本線上り線を逆走して武蔵白石駅直前で大川支線に入線する。クモハ12形で運行されていた時代には1番線ホームに到着して客扱い後、一旦後退し、渡り線を通り上り線を逆走しスイッチバックして大川支線ホーム4番線へ入線していた。武蔵白石駅ホームの右側を大きく右にカーブし、旧大川支線ホームがあった位置を通過し、右手に日本鋳造本社工場を見ながら直進。白石運河を越えると、まもなく終点大川駅に至る。駅正面は三菱化工機の本社、周辺は日清製粉鶴見工場、レゾナック川崎事業所、大川工業団地などの工場が取り囲み、民家や商店は存在しない。 大川支線の分岐点について大川支線は、かつて武蔵白石駅 - 大川駅間の区間運転であった。武蔵白石駅の大川支線用のホームは急カーブの線形に沿って設置されていて、20m車が入線しようとすると車体がホームに干渉してしまい入線できないので、17m戦前車両のクモハ12形が本線系統からの廃止後も大川支線用に2両残り、1日交代で1両編成で使用された。首都圏最後の旧形電車となったが、その後車両老朽化の面でも限界が近づいてきていたことから、新しい17m級車両を製作しクモハ12形を置き換える案も検討されたものの、結局は武蔵白石駅の大川支線ホームそのものを撤去して通過扱いとすることで20m車が入線できるようにすることになり、1996年3月に103系に置き換えられた。このことから、以後大川支線の電車は安善駅から、武蔵白石駅に停まらずに直接大川支線に入線している。 しかし、大川支線の正式な分岐点は武蔵白石駅[4][5]で変更されていない。安善以遠(鶴見方面)から大川までの定期券で武蔵白石駅で出場できたり、運賃計算の際、武蔵白石または浜川崎方面から大川までの相互間の運賃を計算する場合、武蔵白石駅 - 安善駅間の営業キロを含めずに計算する点などにその名残が見られる。 運行形態旅客輸送大川発着の電車が武蔵白石駅を通過する(前節参照)ほかは、全電車が各駅停車で、ほぼ全電車が鶴見駅を発着する。本線の鶴見駅 - 弁天橋駅・武蔵白石駅・浜川崎駅・扇町駅間の電車と、各支線終点発着の鶴見駅 - 海芝浦駅間、鶴見駅 - 大川駅間の電車が運転されている。 弁天橋駅以東の沿線は、明治以降に開発された埋立地であり人家は少なく、利用者はほとんどが埋立地に立地する工場の従業員である。そのため工場通勤客輸送に特化したダイヤが組まれており、朝夕に比べて昼間は利用者も少ない。朝夕は鶴見駅 - 浅野駅間で3 - 10分間隔、浅野駅 - 扇町駅・海芝浦駅間で10 - 20分間隔での運転となっている。日中はかつては鶴見駅 - 扇町駅・海芝浦駅間の電車がそれぞれ1時間に1 - 2本運行されていたが、2009年3月14日改正で日中の鶴見駅 - 扇町駅・海芝浦駅間の電車はそれぞれ2時間間隔での運行に減便され、2021年4月現在この時間帯は多くの電車が鶴見駅 - 武蔵白石または浜川崎駅間での運行となった。鶴見駅 - 武蔵白石駅間は日中で20分間隔、浜川崎駅間は40分間隔が基本[12][13]だが、海芝浦発着電車が入る関係で浅野駅 - 武蔵白石駅間も40分間隔が開く時間帯がある。海芝浦発着電車が入る時間帯でも浅野駅 - 武蔵白石・浜川崎駅間を補完する電車は運行されていない。また、大川支線の大川駅には日中(9 - 16時台)に1本も運行されず、土休日は朝の2往復と夕方の1往復の3往復のみの運行となっている。このため、鶴見線の区間を含むフリー乗車券などには日中や土休日の列車本数が少ない旨が記載されることがある。 1994年12月3日のダイヤ改正でJR東日本の東京圏のほとんどの路線で「土曜ダイヤ」が「土曜・休日ダイヤ」に統合されたが、鶴見線では利用者の大半は工場への通勤客の輸送であるために、2004年3月13日のダイヤ改正まで長らく「土曜ダイヤ」が残されていた。この改正以降は「休日ダイヤ」と統合され、現在は後述の臨時列車で対応している。 海芝浦駅にある東芝京浜事業所が土曜・休日が出勤日となる際や平日昼間に終業する際に、通常の電車本数では不足するため鶴見駅 - 海芝浦駅間に臨時に電車を増発することがある。この臨時列車は時刻表には掲載されておらず、運行日近くになると各駅の時刻表付近に掲出される。ダイヤ上も臨時列車扱いになっており、103系までは列車番号に「臨」を掲げて運行されていた。 車両の夜間滞泊は鶴見駅と弁天橋駅で行っている。南武線・尻手駅 - 浜川崎駅間専用車両の出入りのため、弁天橋駅 - 尻手駅間に回送列車が設定されている。 全列車でワンマン運転を行っているが、車内で運賃の収受を行わない「都市型ワンマン」で、各車両の全ての扉から乗り降りができる。 貨物輸送沿線が工場の並ぶ京浜工業地帯であるため、かつては多数の専用線が各駅に接続し、化学薬品や石油等の輸送が盛んに行われていた。その後鉄道貨物輸送の縮小により大きく数を減らしたが、現在は扇町駅(三井埠頭)への残土輸送と、安善駅からの在日米軍横田基地向け石油(ジェット燃料)輸送が行われている。 また、海芝浦支線は定期列車が運行されることはないが、新芝浦の東芝向けの特大貨物輸送がまれに行われる。 改札業務1971年に大幅な合理化が行われ、鶴見駅以外の各駅の出改札業務がすべて無人化された。そのため、2022年2月28日まで鶴見駅には、同じ国鉄(およびJR東日本)の路線でありながら、京浜東北線と鶴見線の間に中間改札口と乗換精算所が設けられており、同駅で京浜東北線から乗り換えて鶴見線の各駅へ向かう場合の運賃精算(定期券・回数券での乗越や、主に東京都区内や東京山手線内までの乗車券で鶴見線内の下車駅までの乗越などを含む)は同駅で行う形となっていた。また、鶴見線の各駅から乗車券を買わないで乗車した場合は、乗換精算所でJR東日本区間完結の短距離乗車券を発売していた。 無人化当初は、駅構内の売店で簡易委託により乗車券を発売した駅もあったが、その後売店の閉店によって完全無人化されている。 この他、浜川崎駅で南武支線に乗り換える場合は降車駅で精算していた。しかし、Suicaシステムの導入により各駅には簡易Suica改札機が設置されたため、当初Suicaイオカードで乗車した場合には鶴見駅の自動改札機のSuicaセンサーに触れないようにとの注意書きがあった。その自動改札機は後に修正が加えられ、Suicaセンサーにタッチしないと改札口が閉まるようになったが、タッチした場合でも自動改札機の画面にはその地点での残額が表示されるだけで入出場などの情報は書き込まれないため、横浜 - 尻手間を鶴見線経由で乗車しても正しく計算・入出場できるようになっている。 一方、浜川崎駅で南武支線と鶴見線をストアードフェア部分を使用して乗り継ぐ場合には簡易Suica改札機にタッチしないように、との注意書きが掲出されている(タッチすると出場扱いとなり、運賃計算が打ち切られる)。 また、鶴見線の一部の駅には近距離の自動券売機が設置されていた。これらの券売機はオレンジカードに対応しているほか、Suicaおよびこれと相互利用可能なカード(当該項目を参照)へのチャージ機能も備わっていた。ただし、使える紙幣は1,000円紙幣のみで、発売範囲も東京電車特定区間内の570円区間までとなっていた。長距離等で前述の発売範囲を超える場合や高額紙幣しか持ち合わせてない場合や、券売機が故障や点検等で利用できない場合、券売機の設置されていない駅から乗車する場合は、鶴見駅の精算窓口で乗車券を購入するか着駅等での精算になる。 2022年2月28日をもって鶴見駅の中間改札と鶴見駅以外の鶴見線各駅にあった自動券売機は廃止され、乗車駅で乗車駅証明書を取得して鶴見駅および浜川崎駅以遠の有人駅で降車する際に精算する方式になった[14]。 車両旅客列車現在の使用車両すべて電車で運転されている。弁天橋駅構内に車庫の鶴見線営業所がある。かつては弁天橋電車区と称していたが、1988年に車両配置は中原電車区(現:鎌倉車両センター中原支所)に統合された。
過去の使用車両ここでは国有化以後の車両を挙げる。前身の鶴見臨港鉄道時代からの車両については「鶴見臨港鉄道の電車」を参照。
1980年には、72系の引退・101系の投入を記念して、鶴見線全線と南武線浜川崎支線が乗降自由となる「鶴見線フリー乗車券」が発売された。価格は大人200円・小人100円で、乗車券は発売日当日のみ有効。鶴見駅・浜川崎駅・川崎新町駅・尻手駅で発売された。
行先表示の色分け行先別に行先表示の色が分けられている。103系の方向幕およびE131系1000番台のフルカラーLED表示器の海芝浦行きと大川行きの表示はそれぞれ青色と黄色であるが、205系の3色LEDでは青色や黄色表示ができないためそれに近い色(海芝浦行きは黄緑色、大川行きは橙色)で対応しており、各方面からの鶴見行きは橙色で表示している。
2007年から、鶴見駅および国道駅では、時刻表の行き先表示の文字の色もこれらに準じている。
貨物列車全線が電化されているが、非電化の側線で入換作業を行うために一部区間はディーゼル機関車が牽引する。 歴史
駅一覧
2022年度の時点で、JR東日本自社による乗車人員集計[39]の対象となる駅は鶴見駅のみで、鶴見駅以外はいずれも完全な無人駅である。 本線
2015年(平成27年)まで浅野駅 - 安善駅間は、東北本線(運転系統上は山手線・京浜東北線)西日暮里駅 - 日暮里駅間や仙石線あおば通駅 - 仙台駅間、境線博労町駅 - 富士見町駅間とともに、JRの旅客駅間で最も営業キロの短い駅間 (0.5km) の一つであった[注釈 2]。 海芝浦支線
大川支線
駅名について鶴見臨港鉄道の開業当時、この路線は埋立地上にあり、沿線には地名が存在しなかった。このため、鶴見臨港鉄道に関わった実業家や土地所有者から取られた名前が、新たに定められた地名や鶴見線の駅名の多くに採用されている。 鶴見小野駅(小野町)は地元大地主の小野信行、浅野駅は浅野財閥創設者で鶴見臨港鉄道の設立者でもある浅野総一郎(地名の末広町も浅野家の家紋に由来)、安善駅(安善町)は安田財閥の安田善次郎、武蔵白石駅(白石町)は日本鋼管(後のJFEスチール)の白石元治郎、大川駅(大川町)は製紙王の大川平三郎から取ったものである。扇町駅(扇町)も浅野家の家紋が扇であったことに由来する[40]。 その他の駅でも、国道1号(後の国道15号)が近くを走るから「国道」、近隣の池に架けられた橋から「弁天橋」、昭和肥料(後の昭和電工、現・レゾナック・ホールディングス)扇町工場の近くにあったことから「昭和」、石油精製所の近くにあったことから「石油」(後の浜安善)、芝浦製作所(後の東芝)の工場に隣接するから「新芝浦」「海芝浦」、鶴見工業実習学校の近くにあったことから「工業学校前」(後の鶴見小野)、曹洞宗の大本山である総持寺の近くにあったことから「本山」(廃駅)など、周辺の工場などの施設に由来する命名が多い。 廃止区間() 内は起点からの営業キロ 鶴見川口支線は、浅野駅を出ると鶴見小野駅まで本線と並走し、同駅隣でスイッチバックを行い南方へ至る線形となっていた。 廃駅廃止区間にある駅を除く。(貨)は貨物専用駅、(臨)は臨時駅を表す。
鶴見駅と国道駅の間にある東海道本線を跨ぐ橋梁より鶴見駅方にホーム跡があり、これが廃止となった本山駅の跡である。ホーム跡の高架下は旧鶴見臨港鉄道のバス事業を源流の一つとする川崎鶴見臨港バスの車庫として利用されており、以前は横断距離が長いことで有名だった総持寺踏切もあった。 過去の接続路線
平均通過人員各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
文化に見る鶴見線文学
テレビ番組
ゲーム
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク |