東北新幹線
東北新幹線(とうほくしんかんせん)は、東京都千代田区の東京駅から青森県青森市の新青森駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車である。 首都圏と東北地方を結び、ビジネスや観光などの交流を活発にしてきた東日本の交通の大動脈である[新聞 1]。北海道新幹線と相互直通運転を実施しているほか、秋田新幹線、山形新幹線として在来線との直通運転が、それぞれ田沢湖線や奥羽本線との間で行われている。 概要東北新幹線のうち、東京都 - 盛岡市の区間は1971年(昭和46年)1月に全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示された3路線のうちの1つである。同年4月に整備計画が決定され着工された。日本国有鉄道(国鉄)によって建設され、1982年(昭和57年)6月に大宮駅 - 盛岡駅間が開業[1]、1985年(昭和60年)3月には東京都区部へ延伸され、上野駅 - 大宮駅間が開業した[1]。国鉄分割民営化後、東北新幹線は東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となり、1991年(平成3年)6月に東京駅 - 上野駅間が開業した[2]。 一方、盛岡市 - 青森市の区間は1972年(昭和47年)に基本計画が公示され、1973年(昭和48年)11月に整備計画が決定された5路線(いわゆる整備新幹線)の路線の1つである[3]。国鉄の財政悪化により建設が一時凍結されたが、1991年(平成3年)に沼宮内 - 八戸間が標準軌新線(フル規格)、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間が新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線)として着工された。その後、全区間がフル規格で建設され、2002年(平成14年)12月に盛岡駅 - 八戸駅間が[4]、2010年(平成22年)12月に八戸駅 - 新青森駅間が開業した[5]。これにより東北新幹線は整備計画の決定から39年を経て全線開業となった。2016年3月以降は、北海道新幹線との直通運転も実施されている[注 2]。 当新幹線は唯一、同じ路線で整備新幹線区間と整備新幹線ではない区間が混在している。全区間が東日本旅客鉄道(JR東日本)により運営されているが、整備新幹線として建設された盛岡駅 - 新青森駅間は鉄道建設・運輸施設整備支援機構が鉄道施設を保有している。 寒冷な積雪地域を高速走行するため、車両および地上設備に冬季対策が施されている。また、開業以来高速化が図られ、2013年のダイヤ改正時より、日本国内の鉄道の営業運転速度としては最速の320 km/h運転が一部区間で行われている。 日本最長の鉄道路線(営業キロ713.7 km、実キロ674.9 km)であり、線内の白石蔵王駅 - 仙台駅間にある 25.7 km の直線区間は、日本最長の線路の直線区間である[注 3]。 全線の約35%がトンネルで占められているものの、大宮駅 - 宇都宮駅間の77.7 kmにはトンネルはない。これは、日本の新幹線でトンネルがない明かり区間では最長である。上越新幹線の大宮駅 - 高崎駅間とほぼ同距離だが、本区間の方が僅かに長い[注 4] ラインカラーは上越新幹線とともにJR東日本のコーポレートカラーとなった緑(■)[注 5]。 なお、東北新幹線という名称は「国有鉄道線路名称」及びJR発足以降にそれを引き継いだ「JR線路名称公告」上では、並行在来線である東北本線の支線扱いとなっているため、掲載されていない[6][7][8][注 6]。また、盛岡駅以北が整備新幹線として建設され、同駅以北の並行在来線がいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線として経営分離された盛岡駅 - 新青森駅間も、営業中の他の整備新幹線が独立した線路名称を持っているのとは異なり、東北本線(支線)扱いとなっているため、線路名称上は今日でも同区間に東北本線が存在していることになっている[注 7]。ただし、国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」[18](JR事業基本計画)や国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』では、東北本線とは別の路線として掲載されている[19]。 路線データ
駅施設管理、営業業務を除きJR東日本の新幹線統括本部が管轄している。 駅施設管理、営業業務は沿線の2本部・2支社が行っている。各本部・支社毎の駅の管轄割り当ては以下の通り。 かつてJR東日本の新幹線では、全体の運行管理業務を本社内の新幹線運行本部が統括する一方、保線管理や駅営業業務等の現業機関については地方支社が新幹線と在来線の双方を一体管理する組織体系を採っていたが[注 8]、新幹線統括本部の発足により、首都圏・東北の2本部、大宮・盛岡の2支社は新幹線において駅の施設管理・営業業務ならびに工務関係の支援のみを担うようになった。 駅一覧
各駅の構造[疑問点 ]
途中駅のうち大宮駅、仙台駅、盛岡駅には入線する全ての定期営業列車が停車する[注 10]。東京駅 - 盛岡駅間における各駅のプラットホームはフル規格16両編成対応(約400 m)[注 11]だが、いわて沼宮内駅 - 八戸駅間はフル規格12両編成(約300 m)、七戸十和田駅以北はフル規格10両編成(約250 m)までしか対応していないため、16両編成が入線可能な駅は盛岡駅までである。このため秋田新幹線の盛岡駅 - 秋田駅間が悪天候等で区間運休となった場合、盛岡駅で足止めされた(本来は秋田駅へ向かう予定の)「こまち」車両は盛岡新幹線車両センターへ臨時回送される。また同様の理由で、ミニ新幹線規格車両の停止位置に旅客転落防止目的で設置されるローピング設備は、いわて沼宮内駅以北では省略されている。 福島駅の山形新幹線発着ホームは(東京方面から新青森方面に向かって一番左側にある)14番線1本のみとなっているため「つばさ」の上下同時発着はできず、かつ分割・併合相手となる「やまびこ」は上り(東京駅行き)の場合、当駅前後で下り本線と2度平面交差することとなり、ダイヤ作成上のネックとなっている[注 12]。 盛岡駅の秋田新幹線ホームは外側の11番線(上り)および14番線(下り)を用いる[注 13]。このため上り「こまち」は当駅構内北側で東北新幹線下り本線と平面交差する。 盛岡駅以北は沿線人口および利用客が少ないため、建設費削減の観点からホームを17両対応にする必要は無しと判断された。現在当該区間を運行する「はやぶさ」「はやて」は10両編成のみであるが、2002年開業の盛岡駅 - 八戸駅間は臨時列車の入線も考慮して12両編成対応とされた[注 14]。2010年開業の七戸十和田・新青森両駅はさらに短い10両編成対応に簡素化された[注 15]ほか、新青森駅北側にある盛岡新幹線車両センター青森派出への回送線は単線で建設されたため、下り回送列車は北海道新幹線上り本線と平面交差する。 八戸駅を除く盛岡駅以北の途中駅および同駅以南において開業後に増設された各駅(くりこま高原駅、水沢江刺駅、新花巻駅)は待避線の無い「棒線駅」となっており、列車がホームのある線路を高速で通過するため、ホームには可動式安全柵(ホームドア)が設置されている。 駅名標東北新幹線では、上越新幹線と同様に、開業時には在来線とほぼ同様の様式の駅名標が設置されていた[新聞 2] が、JR東日本発足後に順次同社標準の駅名標に交換されている。 なお、東海道新幹線や山陽新幹線ではそれぞれに独自仕様の駅名標が設置されていたが[注 16]、東北新幹線および上越新幹線では独自仕様の駅名標を採用しなかった。 提案された新駅
運行形態東京駅から仙台・盛岡・新青森および北海道新幹線の新函館北斗方面にはおおむね1時間に1本の割合で運転されており、さらに那須塩原・郡山・仙台方面への区間列車が運転されている。停車駅もおおむね固定されているが、時間帯によっては停車駅が増えたり減ったりする列車もある。 ダイヤパターンと停車駅2016年3月26日改正改正以降の基本的な日中のダイヤパターン。
号数の振り方2020年3月16日現在
列車の概要開業当初は東海道・山陽新幹線にならって、「ひかり」に相当する速達タイプを「やまびこ」、「こだま」に相当する各駅停車タイプを「あおば」としていた。 その後、列車名を運行区間別とする愛称の再編が行われた。まず1995年12月1日のダイヤ改正からは「あおば」のうち東京駅 - 那須塩原駅間の近距離列車を「なすの」として分離[新聞 3]。また1997年3月22日の秋田新幹線開業時のダイヤ改正からは仙台駅 - 盛岡駅間の「あおば」は秋田新幹線「こまち」と併結されることになり、東北新幹線内は従来通り各駅停車で運転されるものの「やまびこ」に統合。そして秋田新幹線開業半年後の10月1日のダイヤ改正からは東京駅 - 仙台駅間の「あおば」が「やまびこ」に統合され、「あおば」の愛称は消滅した[新聞 4]。 その後2002年12月1日の盛岡駅 - 八戸駅間延長開業時のダイヤ改正からは主に東京駅 - 八戸駅間を運行する最速達列車として「はやて」が新設され、八戸駅 - 新青森駅間延伸開業後の2011年3月5日からは「はやて」に代わる東京駅 - 新青森駅間の最速達列車として「はやぶさ」が新設された。現在は「はやて」のほとんどが「はやぶさ」に置き換えられたが、盛岡駅以北のみを運行する区間列車は「はやて」の名称を用いている。 このように現在はおおむね行き先別に列車愛称が付されているが、東京駅 - 郡山駅 - 仙台駅の区間では最速達が「はやぶさ」、準速達が「やまびこ」、各駅停車が「なすの」というように速度別の要素も含まれている。 列車愛称運行中「はやぶさ」「はやぶさ」は、主に東京駅 - 盛岡駅・新青森駅・新函館北斗駅間で運行される最速達列車である。使用車両はE5系・H5系で、全車指定席。 東京駅・大宮駅・仙台駅・盛岡駅・新青森駅・新函館北斗駅は全列車が停車する。大宮駅 - 仙台駅間を全列車が、仙台駅 - 盛岡駅間も大半の列車が無停車で運行する。一部の列車は、東京駅 - 盛岡駅間で「こまち」と併結する。 2011年3月5日に最高速度300 km/hへの向上に伴い運行を開始した。運行開始当時の所要時間は東京駅 - 新青森駅間で最短3時間10分であった。その後のさらなる高速化により、2021年3月13日時点の所要時間は東京駅 - 新青森駅間で最短2時間58分、東京駅 - 仙台駅間で最短1時間30分(下り)、最短1時間29分(上り)である[報道 1]。速度向上の詳細は沿革を参照。 「はやぶさ」とそれ以外の列車では区間によっては差額料金が生じる。詳細は#運賃と特急料金を参照。 北海道新幹線開業前は、仙台駅 - 新青森駅間運行の1往復のみ普通車自由席が設定されていたが、2016年3月26日の北海道新幹線開業後は、これを延長した仙台駅 - 新函館北斗駅間運行の1往復も含め全列車が全車指定席となった[報道 2]。 「はやて」「はやて」は、盛岡駅・新青森駅 - 新函館北斗駅間で運行される列車である。使用車両はE5系で、全車指定席。 2002年12月1日の盛岡駅 - 八戸駅間延伸開業と同時に運行開始し、この時点では大半の列車が東京駅発着の速達列車であった。大宮駅、仙台駅、盛岡駅、八戸駅には全列車が停車し、仙台駅 - 盛岡駅 - 新青森駅間では時間帯などに応じて列車ごとに停車駅が追加設定される。2009年3月13日までは、大宮駅も通過する仙台駅 - 東京駅間ノンストップ運転の列車が上り1本のみ運転されていた。2014年3月14日までは東京駅 - 仙台駅・盛岡駅間において大半の列車で「こまち」を併結した16 - 17両編成で運転されていた。 北海道新幹線開業前は、盛岡駅 - 新青森駅間の各駅に停車する区間列車も存在し、こちらには普通車自由席が設定されていた。「はやぶさ」運転開始後、盛岡行「やまびこ」の本数が減少したことを受け、仙台駅 - 盛岡駅間では、この区間の途中駅に停車する列車でかつこの区間内を利用する場合に限り、自由席特急券で普通車を利用できるようになった[注 17]。2016年3月26日の北海道新幹線開業後は、盛岡駅・新青森駅 - 新函館北斗駅間の列車に自由席は設定されなくなり、全列車が全車指定席となった[報道 2]。 「はやぶさ」の運行開始からは徐々に本数が減少し、2019年3月16日のダイヤ改正では盛岡以南での定期列車の設定が無くなった[報道 3]。以降は盛岡駅以北のみを運転する区間列車のみが設定されている。 「やまびこ」「やまびこ」は、主に東京駅 - 仙台駅・盛岡駅間で運行される準速達列車である。使用車両はE2系・E5系・H5系・E6系。 東京駅 - 仙台駅間の「やまびこ」は、東京駅 - 福島駅間で「つばさ」を併結する。早朝および深夜には、那須塩原駅・郡山駅 - 仙台駅間および仙台駅 - 盛岡駅間の各駅停車区間列車も運行されている。「つばさ」を併結する列車は小山駅・那須塩原駅・新白河駅は通過する。郡山駅以北ではほぼ各駅に停車するが、1日1往復のみ東京駅 - 仙台駅の途中停車駅が大宮駅、福島駅のみの速達列車が存在し、定期の「やまびこ」で唯一上野駅・宇都宮駅・郡山駅を通過する[注 18]。 現在は、原則として郡山駅以北に乗り入れ、大宮駅 - 仙台駅間を走行する列車の場合は同区間がノンストップではない列車に「やまびこ」の愛称が用いられている。 「なすの」「なすの」は、主に東京駅 - 那須塩原駅・郡山駅間で運行される各駅停車列車である。朝の上り252号のみ小山駅→東京駅間で運行される[31]。使用車両はE2系・E3系・E5系・E6系。 主に朝夕の栃木県 - 東京都心間の旅客需要に対応する列車である。運転開始当初は那須塩原以南のみでの運行であったが、秋田新幹線開業に伴う速達タイプの増加による新白河駅・郡山駅停車列車の減少を補う形で、運行区間が郡山駅まで延長された。これにより「やまびこ」との乗り継ぎが若干改善された。朝夕は土曜日・休日運休となる列車がある。 現在は、郡山駅以南のみの各駅停車の列車に「なすの」の愛称が用いられている。 山形新幹線・秋田新幹線直通列車「つばさ」「つばさ」は、東京駅 - 山形駅・新庄駅間で運行される山形新幹線の列車である。一部を除き、東京駅 - 福島駅間で「やまびこ」と併結運転する。使用車両はE3系・E8系で、全車指定席。東北新幹線内は東京駅・大宮駅・福島駅に全列車が停車し、上野駅・宇都宮駅・郡山駅も最速達列車の1往復を除いて、全列車が停車する。小山駅・那須塩原駅・新白河駅は全列車通過する。 「こまち」「こまち」は、東京駅・仙台駅 - 秋田駅間で運行される秋田新幹線の列車である。全ての定期列車が東北新幹線区間で「はやぶさ」と併結運転する。使用車両はE6系で、全車指定席。東北新幹線内は東京駅・大宮駅・仙台駅・盛岡駅に全列車が停車。「はやぶさ」と同様に、全列車が大宮駅 - 仙台駅間を無停車で運行する。仙台駅 - 盛岡駅間も仙台駅発着の1往復を除く全列車が無停車で運行する。上野駅は東京行きの始発列車のみ通過し、秋田行きは全列車が停車する。 E6系の運行開始当初、同車を使用する列車は「スーパーこまち」を名乗っていた。これは、秋田新幹線車両のE3系からE6系への置き換えが完了するまでの両者の区別をするための過渡的なものであり、2014年3月15日のダイヤ改正でE6系への置き換えが完了した後は「こまち」へ統一された。 廃止された愛称「あおば」「Maxあおば」「あおば」は、1982年6月の大宮暫定開業時に、速達タイプの盛岡発着「やまびこ」に対して各駅停車タイプの仙台駅発着列車として登場した。大宮駅 - 盛岡駅間暫定開業時は1日6往復だったが[32]、上越新幹線が開業した同年11月には1日12往復に増発され、大宮駅 - 那須塩原駅間や那須塩原駅 - 仙台駅・盛岡駅間、仙台駅 - 盛岡駅間などの区間列車も登場した[33]。その後増発され、1985年の上野駅 - 大宮駅間延伸開業時に上野駅発着、1991年の東京駅 - 上野駅間延伸開業時に東京駅発着となり、1992年の山形新幹線開業時点では定期列車下り1本と臨時列車が上野駅発着となっている[34]。1994年には、2階建車両E1系の導入により、同車を使用する列車に「Maxあおば」の名称が与えられた。しかし、1995年に東京駅 - 那須塩原駅間の列車が「なすの」「Maxなすの」に変更され、「あおば」「Maxあおば」は削減[新聞 3]。1997年10月、仙台駅発着の列車は速達タイプ・各駅タイプ問わずに「やまびこ」となり、「あおば」が消滅して全て「やまびこ」「なすの」に置き換えられた[新聞 4]。 「Maxやまびこ」「Maxなすの」2階建車両のE1系・E4系を使用する列車に使われていた愛称。2012年9月29日ダイヤ改正で廃止され、「やまびこ」「なすの」のみとなった。 車両現用車両営業車両
上記のほかに、上越新幹線や北陸新幹線用のE7系が試運転や臨時列車で運転されることがあるが[報道 4][38]、定期列車では運用されない。
事業用・試験用車両編成記号の「S」は、系列に関係なく非営業用車両全般に用いられている。400系などの量産先行車も営業運転開始まで「S」を付けていた。
過去の車両営業車両
事業用・試験用車両
乗務員運賃と特急料金運賃は営業キロに基づいて算出する。東京駅 - 盛岡駅間の営業キロは対応する在来線である東北本線のものと同一になっている(同区間の営業キロは535.3キロメートル、実キロは496.5キロメートル)。盛岡駅以北の営業キロは、並行在来線が第三セクター鉄道へ移管されたため、対応するJR路線がないことから実キロ(新幹線での実際の距離)がそのまま用いられている。 特急料金は、「三角表」により各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。2019年10月1日改定の営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり[41]。 なお、大宮駅 - 盛岡駅間については1982年の大宮駅までの暫定開業時、「営業キロが500キロメートルをわずかに越える(505キロメートル)ために特急料金負担増になる」ことが終着駅である盛岡で問題となり、当時、国鉄がこの区間について特例措置を取った経緯から401-500キロメートル区分の特急料金となっている。[要出典]
営業車内設備全列車に普通車とグリーン車を連結するほか、E5系・H5系を使用する「はやぶさ」「はやて」全列車と、「やまびこ」「なすの」の一部列車(2022年時点)には、より上位のグレードである「グランクラス」車両も連結する。 →詳細は「グランクラス」を参照
なお、JR東日本は2007年3月のダイヤ改正以降、東北・上越・山形・秋田の各新幹線[注 19]および在来線特急列車の全てを禁煙車とし、東海道・山陽新幹線とは異なり喫煙ルームなども設けていないため、車内での喫煙はできない。 主要技術冬季対策設備東海道新幹線は開業4か月目で雪害の影響により列車の定時運行ができなくなった。そのため、寒冷・豪雪地帯を通過する東北・上越新幹線では10年に1度の積雪量に対しても正常に運行することを目的に「新幹線雪害対策委員会」が設立され、その成果が実際の雪害対策に反映された。東北・上越新幹線では10年以上かけて沿線の気象調査や技術開発が行われ、沿線の状況に合わせた雪害対策が取られた[42]。東北新幹線沿線は上越新幹線に比べて降雪量は少ないものの、12月から3月の平均気温が0 ℃未満であることから、年最大積雪深が30 cm以上となる一ノ関駅 - 盛岡駅間に貯雪型高架橋が採用された。貯雪式高架橋は、高架橋の軌道面をかさ上げすることで生じた空間に、新幹線車両のスノープラウによって排雪された線路上の雪をためることが可能な構造になっている[43]。貯雪型高架橋は盛岡駅 - 八戸駅間でも採用されている[44]。七戸十和田駅付近では予想される最大積雪深が貯雪能力を上回るため、貯雪量を拡大したポケット式貯雪型高架橋や高架橋内の降雪を減らすための雪覆いを設けた半雪覆式貯雪型高架橋が新幹線として初めて採用された[44]。 積雪量が多いがバラスト軌道である北上駅付近および第2北上川橋梁付近の延長3.0 kmは、貯雪能力が不足するため、散水消雪設備が設けられている[45]。また、東京起点630.44 km以北(七戸十和田駅 - 新青森駅間)のトンネル間の明かり区間約13 kmにも散水消雪設備が設けられている[46]。この区間は寒冷・多雪地帯であるため、上越新幹線で実績のあるスプリンクラーによる散水消雪方式の採用が検討され、2000年から2002年にかけて長さ60 mのモデル高架橋を設置した七戸消雪試験場で試験を行った後、2008年度に青森市内に船岡消雪試験場として300 mの本線高架橋を建設し、散水消雪試験が行われた[47][48]。試験で得られた結果をもとに、七戸十和田駅 - 新青森駅間で散水消雪システムが導入された[49]。 新幹線では高速で列車が走行するため、列車風によって雪が舞い上がり台車等に着雪する。その後気温の高い地域などで雪が落下し、地上設備を損傷させることがある。そのため12月1日から3月31日までの冬期間にバラストスクリーンを常時設置し、落雪によるバラストの飛散を防止している。また、400 km/hの営業列車からの落雪でも破損しない新型のEast-i地点検知地上子を開発した[50]。また、建設当時に雪害が想定されていなかった大宮駅 - 仙台駅間では、降雪や積雪の状況によっては徐行運転を行なうことで地上設備の破損を防止する[51]。 分岐器においては雪による転換不良を防止するための対策がなされており、車両からの雪の持ち込みを防ぐために気温が規定値を下回ると作動する融雪マットヒーター、落雪防護マクラギ、レールを温めて雪を除去する電気温風式融雪機や直接加熱式電気融雪機、可動部に挟まった雪などを高圧の温水で除去する温水噴射式融雪装置が設置されている[52]。 地震対策東北新幹線沿線では太平洋沖での地震発生が多いことから、地震をいち早く感知して列車を停止させるため、沿線に約20 km間隔で設置された地震計を用いた沿線検知システムに加えて、海岸線に約80 km間隔で設置された地震計を用いた「海岸線検知システム」が導入された。1982年の開業当時は初期微動を引き起こすP波を用いた警報が実用段階ではなかったため、主要動を引き起こすS波の加速度の大きさを基準とした警報が導入された[53]。地震計が設置されている場所の加速度が設定値以上になると警報が発せられ、予め決められた警報範囲で変電所からのき電を停止し、列車の非常ブレーキが作動することで列車防護を行うものであった[54]。 1975年から国鉄において、P波から地震の規模や位置を推定するアルゴリズム(早期検知アルゴリズム)の研究が行われ、世界初のP波警報システムである「ユレダス(Urgent Earthquake Detection and Alarm System)」の開発が進められた。ユレダスは1992年に東海道新幹線で導入が開始され、1998年には東北新幹線においても導入された。ユレダス導入によってP波およびS波の2種類の警報判定が可能になり、S波到達より早く新幹線の停止信号を送ることが可能になった[55]。 その後、最新の観測技術や高速ネットワークに対応し、早期探知アルゴリズムを改良した「早期地震防災システム」が開発された[56]。 2004年に発生した新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故を受けて、新幹線車両が地震などにより脱線した場合でも、車両がレールから大きく逸脱することを防止する「車両逸脱防止L型ガイド」を開発し、2008年度上期までに全ての新幹線車両に設置を完了した[57]。さらにレールの転倒や大幅な移動を防ぎ、L型車両ガイドが有効に機能するよう、スラブ軌道用、バラスト軌道用、弾性まくらぎ直結軌道用の「レール転倒防止装置」を開発し、敷設工事が進められている[58][59]。 JR東日本は早期地震検知体制のさらなる強化を図るため、防災科学技術研究所が整備を行っている「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」の地震観測データを新幹線早期地震検知システムに導入することを進めており、2017年11月より房総沖、2019年1月25日より茨城・福島沖から釧路・青森沖にかけての海底地震計情報が導入された。これにより、従来の検知体制と比較して最大で約20秒程度の検知時間の短縮が図られるとしている[報道 6]。 沿革整備計画決定まで1969年(昭和44年)5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業の構想として「東北新幹線鉄道の建設を早急に行なうとともに」[60]と、現在の東北新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が盛り込まれた。 1970年(昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下は「全幹法」と略記)が公布された。1971年(昭和46年)1月に全幹法第5条第1項の規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和46年告示第17号)により東北新幹線(東京都 - 盛岡市)、上越新幹線(東京都 - 新潟市)、成田新幹線(東京都 - 成田市)の基本計画が公示された。この基本計画において東北新幹線(東京都 - 盛岡市)は東京都を起点に「宇都宮市附近、仙台市附近」を主要な経過地として盛岡市を終点とすることが示された[61]。同年4月1日に3路線の整備計画が決定された[62]。東北新幹線は最高設計速度260 km/h、建設主体は日本国有鉄道(国鉄)とされた[61]。 並行する在来線である東北本線の、東京に近い区間では、輸送量の増大で線路容量が逼迫していた。1976年(昭和51年)3月の時点では、大宮駅 - 小山駅間における1日当たりの下り片道列車本数は、特急・急行が80本、その他が130本、計210本だった。東海道新幹線が開業する直前の1964年(昭和39年)4月時点では、東海道本線の平塚駅 - 小田原駅間における1日当たり下り片道列車本数は、特急・急行が62本、その他が141本、計203本であったから、これを上回る状況だった。 1977年(昭和52年)時点で、東北本線の上野駅 - 宇都宮駅間は、通勤ラッシュ時を除いて、1時間あたり片道で特急2本、急行3本、普通(貨物を含む)5本の計10本規格ダイヤを設定していたが、有効時間帯では限界に近い列車設定だった。混雑の激しい時間帯の特急を増発するために、規格ダイヤを全面的に見直し、1時間当たりさらに1本を設定できるようにした[63]。これは、1978年(昭和53年)10月2日に実施された「ゴーサントオ」ダイヤ改正から導入されたが、特急列車のスピードダウンを余儀なくされた。 盛岡以北のルート選定全幹法の制定から盛岡以北の整備計画決定までの間、青森県内では、八戸市を経由する実際に建設された「東周りルート」と秋田県大館市、青森県弘前市付近を経由する「西周りルート」をめぐって激しい誘致合戦が繰り広げられた。東周りルートでは、八戸市など南部地方の自治体が岩手県と連携して「東北新幹線太平洋周り誘致期成同盟会」を、西周りルートでは弘前市など津軽地方の自治体が秋田県と連携して「東北新幹線秋田・津軽ルート誘致促進期成会」をそれぞれ結成しそれぞれのルートの優位性を主張したため、政治的課題に発展した[64]。 1972年(昭和47年)6月に、新たに4路線の基本計画が決定され[65]、7月3日に昭和47年告示第242号によって東北新幹線(東京都 - 青森市)に基本計画が改正された。この基本計画において東北新幹線は東京都を起点に「宇都宮市附近、仙台市附近、盛岡市」を主要な経過地として青森市を終点とすることが示された[61]。これにより、国鉄に対してルート調査の指示が出され、整備計画決定に向けてルート問題の解決が急がれた。最終的に青森県は「東北新幹線と日本海沿岸新幹線の2線について、本県内の実現を期するとともに、両線の同時完成を目標にその建設促進にあたる」とする旨の調停案を作成し、県内の意見統一が図られた[64]。 翌年の1973年(昭和48年)11月には北海道新幹線(青森市 - 札幌市)、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)、北陸新幹線(東京都 - 大阪市)、九州新幹線(福岡市 - 鹿児島市)、九州新幹線(福岡市 - 長崎市)の5路線(いわゆる整備新幹線)の整備計画が決定された。東北新幹線は最高設計速度260 km/h、主要な経過地として「八戸市附近」が示され、建設主体は日本国有鉄道とされた[61]。 青森市内の駅については、青森駅併設、ヤード地区(現・青い森セントラルパーク)、石江地区(現・新青森駅)の3案が国鉄側から示され、青森駅併設を求める青森市との議論の末、最終的に石江地区への建設が決まった[64](理由・経緯は「新青森駅#歴史」参照)。 東京駅 - 盛岡駅間の建設・開業1971年(昭和46年)10月12日に東京 - 盛岡間の工事実施計画(その1)の認可申請が行われ、10月14日に認可、11月に東北新幹線の工事に着手した[66][67]。開業当初は最高速度210 km/h、12両編成の計画であるが、最高速度260 km/h、大きな手戻りなく16両編成に対応できる建設基準であった[68]。認可時点での計画は、東京駅については、東京駅在来第6、第7ホームを東北新幹線に転用し、2面4線の東海道新幹線ホームとあわせて4面8線の新幹線ホームとして、このうち5線を東北新幹線と東海道新幹線が直通可能な配線にする計画であった[69]。2019年時点においても東京駅構内の東北新幹線と東海道新幹線の線路は完全に分離されている。東京駅を出た後は秋葉原駅付近で地下に入り、御徒町から上野公園の下を通って日暮里駅構内で再び地上に出て、京浜東北線沿いに赤羽まで北上し、北区浮間を経て荒川を渡り[69]、荒川から大宮駅手前にかけては延長10.8 kmの南埼玉トンネルを建設する計画であった[70]。 大宮駅 - 盛岡駅間の暫定開業認可時点での完成目標は1976年(昭和51年)度であったが、オイルショック後の経済悪化や国鉄の経営悪化などにより、1977年(昭和52年)には完成目標が1980年(昭和55年)度に、1981年(昭和56年)には完成目標が1986年(昭和61年)度に繰り下げられた[71]。1978年(昭和53年)6月から1980年(昭和55年)6月にかけては「新幹線総合試験線」として、既に完成した鷲宮 - 石橋間約42.8 kmを使用した走行距離約68,000 kmにおよぶ試験走行が行われ、騒音・振動対策をはじめ約200項目の技術開発試験が行われた[72]。 また、東北新幹線の雪対策設備を実車走行により確認するため、「雪対策試験線」として1979年(昭和54年)冬季に仙台 - 北上間約115 km、1980年(昭和55年)冬季に仙台 - 盛岡間約170 kmにおいて、耐寒・耐雪対応車両として開発された200系および925形を使用して、走行距離約56,400 kmにおよぶ試験走行を行った[73]。同年12月には東北・上越両新幹線の開業を1982年(昭和57年)春とし、仮の始終着駅を大宮駅とすること、大宮 - 上野間の開業を1984年(昭和59年)度とし、東京 - 上野間についても引き続き完成に努力することが発表された[74]。 1982年(昭和57年)6月23日に大宮駅 - 盛岡駅間が暫定開業した[75]。上野駅 - 大宮駅間には新幹線リレー号が運行された。 東北・上越新幹線建設反対運動による大宮以南延伸開業の遅延→詳細は「東北・上越新幹線反対運動」および「赤羽台トンネル § 反対運動」を参照
東北・上越新幹線の建設が開始された1970年代前半は、名古屋新幹線訴訟をはじめ、先に開業していた東海道・山陽新幹線の騒音問題が社会問題化した時期にあたる。このような中で建設が開始された東北・上越新幹線の沿線では、東北地方を含めた各地で騒音を懸念しての反対運動が展開された。特に、当初の工事実施計画では地下方式(南埼玉トンネル)での建設が予定されていた荒川北岸 - 大宮駅南側(埼玉県南部の戸田市・浦和市・与野市)の区間は、軟弱な地質により地盤沈下が懸念されたため、1973年(昭和48年)3月10日に高架方式に変更、また、その経路の変更に伴い東京都北区・板橋区においては、星美学園の敷地直下にトンネル(赤羽台トンネル)が新たに掘られることとなった。そのため、特に都市化が進展しつつあった、埼玉県南部沿線3市やその沿線住民およびトンネルで真下を通過することになった同学園とそれに呼応した北区の沿線住民の反対運動は、激化・長期化することとなり、工事用地内への居座り・デモ行進・地元説明会打切りなどの妨害行為がなされ、開業時期の遅れや事業費の肥大化の大きな原因となった。この反対運動により、通勤新線(現在の埼京線)を併設するなど計画の変更がなされた[76]。 その後、国鉄が新幹線と通勤新線の併設を正式に表明したことなどを受け、沿線3市や北区の反対姿勢も軟化し、住民側も反対運動は次第に下火となっていったが、与野・浦和・戸田3市の一部の住民は1980年(昭和55年)4月に高架線での認可の取り消しを求める訴訟を、同年9月には北区の沿線11地区の住民が工事差し止めを求める訴訟をそれぞれ起こしたが、最後まで強硬に反対していた星美学園が1982年(昭和57年)11月25日に補償問題について和解と合意に達した[77][78]。しかし、一部区間の工事については、前述の住民訴訟もあり、1983年(昭和58年)8月に国鉄再建監理委員会の緊急提言により、安全対策上やむを得ない工事に限って施工するとした方針が示され、工事は一時停滞した[79]。その後、3市の住民側は当時の埼玉県知事の提案などによって沈静化、北区の住民側も1984年(昭和59年)6月30日にトンネル上部の支障住宅の移転が完了[80]、同年8月8日には地元と工事に関する協定書が正式に調印[81]、裁判も同年10月3日に和解が成立し、全体の着工が可能となった[80]。 また、1971年(昭和46年)10月の認可時点では、東北新幹線は東京駅在来第6、第7ホームを東北新幹線に転用し、秋葉原駅付近で地下に入り、御徒町から上野公園の下を通って日暮里駅内で再び地上に出るルートが計画されており、上野に駅を設置する計画は存在しなかった[82][83]。しかし、東海道新幹線の利用客増加に伴う東京駅の容量不足により、第7ホームは東海道新幹線に転用された。これを補完するために上野駅を設置する工事実施計画の変更が行われ[82]、1977年(昭和52年)12月に東京 - 盛岡間工事計画変更 (その2)が認可された[79]。東北新幹線の上野駅は深さ約30 mの地下4階に設けられ、2面4線で折り返し可能な構造で設計された[84]。 上野駅 - 大宮駅間開業と240 km/h化1983年(昭和58年)3月の役員会において、上野開業時に東北新幹線の運転速度を230 km/h程度とする申し合わせが行われた[85]。その後約1年間にわたり大宮 - 盛岡間で行われた約27.6万 kmにおよぶ240 km/h走行耐久試験の結果を踏まえて、1984年(昭和59年)11月に240 km/hの営業運転が決定された [85]。 1985年(昭和60年)3月14日に上野駅 - 大宮駅間が開業し、最高速度240 km/h運転を開始した。これにより、大宮駅での新幹線リレー号への乗り換えが不要になり、上野駅 - 盛岡駅間の所要時間は最短で2時間45分に短縮された[86]。しかし、上野駅 - 大宮駅間は、前述の経路変更により住宅密集地を極力避けたため、大宮駅以南のルートでは曲線半径600 mから2,000 mの急カーブが連続し、線形上の制約により最高速度は110 km/hとなった[87][88][注 20]。 国鉄民営化と東京延伸1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、東北新幹線の営業主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)が承継し、東北新幹線(東京駅 - 盛岡駅)の鉄道施設の保有および東京駅 - 上野駅間の建設は新幹線鉄道保有機構が承継した[79]。JR東日本は新幹線鉄道保有機構にリース料を支払い、鉄道施設を借り受けて運営していた[注 21]。また、東京駅 - 上野駅間の実際の工事は新幹線鉄道保有機構からの委託契約によりJR東日本により施工された[79]。 都心部を通過するルートであり用地買収を極力抑えるため、上野駅 - 東京駅間のルートは複雑になっている。東京駅では、第6ホームを東北新幹線に転用し、将来的に東海道新幹線と直通運転可能な構造とした[90]。東京駅を出て、呉服橋から竜閑橋の間は都道407号線(江戸通り)の中央分離帯に橋脚を設置し、道路の上空半分に高架橋を建設、神田駅付近では在来線高架橋を取り壊したうえで新幹線高架橋を建設した[91]。この高架橋は新幹線高架橋の上に在来線高架橋を継ぎ足す重層化を考慮した設計がされており[92]、在来線部分は2015年3月に上野東京ラインとして開業している[93]。秋葉原駅付近からは25 ‰勾配で下り、地下の上野駅へ向かうが、この区間にある第1上野トンネルでは1990年(平成2年)1月にシールド工法区間(御徒町トンネル)の建設中に陥没事故が発生している[94]。 1991年(平成3年)6月20日に東京駅 - 上野駅間が開業した[95]。東北・上越新幹線で東京駅へ向かう場合の在来線乗り換えが不要となったことにより、所要時間は東京駅 - 仙台駅間では22分短縮されて1時間44分、東京駅 - 盛岡駅間では20分短縮されて2時間36分、東京駅 - 青森駅間では21分短縮されて4時間54分となった[96]。同年10月に新幹線鉄道保有機構は『新幹線鉄道に係る鉄道施設の譲渡等に関する法律』に基づき、東北新幹線(東京駅 - 盛岡駅)および上越新幹線の鉄道施設を3兆1,069億円でJR東日本に譲渡し、解散した[97]。 直通運転の増加と275 km/h化1988年(昭和63年)8月から奥羽本線 福島駅 - 山形駅間を狭軌(1,067 mm)から新幹線車両が直通可能な標準軌(1,435 mm)に改軌する工事が行われ、1992年(平成4年)7月1日に山形新幹線「つばさ」として東北新幹線との直通運転を開始した。山形新幹線開業に合わせて新幹線と在来線の双方の規格に対応した400系が導入された。 東北・上越新幹線では、東海道・山陽新幹線と同様の「新幹線運行管理システム」(COMTRAC)などの運行管理システムが用いられていたが、システムの陳腐化や北陸新幹線の開業など運行形態の複雑化を見据えて、新たなシステムとして「新幹線総合システム」(COSMOS)を1995年11月に導入した[98]。また、1995年から1997年10月1日の北陸新幹線開業時のダイヤ改正に至るまで、運行体系の見直しによるダイヤ改正が行われた。東北新幹線では開業以来、速達タイプ「やまびこ」と各駅停車タイプ「あおば」という列車愛称であった。しかし、「あおば」に比べて「やまびこ」の乗車率が高く、仙台駅や盛岡駅などの長距離利用客が指定席を取りづらくなっていることや、東京駅 - 宇都宮駅間などの近距離需要の増大に伴い、運行体系の見直しが行われた[新聞 3]。1995年12月のダイヤ改正では、運行区間を基本とした列車愛称に変更され、近距離需要向けに東京駅 - 那須塩原駅間に「なすの」を新設し、遠距離需要を主とする「やまびこ」の停車駅を削減した[99]。 1992年(平成4年)3月から田沢湖線 盛岡駅 - 大曲駅間においても同様の改軌工事が、奥羽本線 大曲駅 - 秋田駅間においては狭軌と標準軌の単線並列化工事が行われ、1997年(平成9年)3月22日に秋田新幹線「こまち」として東北新幹線との直通運転を開始した[100]。新たな新在直通対応車両として、在来線区間で最高速度130 km/h、新幹線区間において最高速度275 km/hで走行可能なE3系が導入された。秋田新幹線開業に合わせて「こまち」と併結する「やまびこ」のうち最速タイプの3往復は、宇都宮駅 - 盛岡駅間で最高速度275 km/hで走行可能なE2系が導入された。これにより、所要時間は東京駅 - 盛岡駅間で2時間36分から15分短縮されて最速2時間21分、東京駅 - 秋田駅間で開業前の4時間37分から48分短縮されて3時間49分となった[101]。同年10月1日に北陸新幹線 高崎駅 - 長野駅間が開業した。北陸新幹線の乗り入れ開始に伴い、東京駅のJR東日本の新幹線ホームが1面2線から2面4線に増設された[102]。東北新幹線では列車名の見直しが行われ、東京駅 - 那須塩原駅間「なすの」、東京駅 - 仙台・盛岡駅間「やまびこ」に統一され、「あおば」は列車愛称としては廃止された[103]。 盛岡駅 - 新青森駅間の建設・開業建設の凍結と運輸省案による整備方針国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた[3]。 1985年(昭和60年)12月に、盛岡 - 新青森間の認可申請が行われた[104]。1986年(昭和61年)11月には、青森市の石江地区に、奥羽本線の駅として新青森駅が開業した。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線建設の凍結解除が閣議決定され、盛岡駅以北の東北新幹線の建設に道が開かれた[3]。 同年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、1972年(昭和48年)の整備計画では国鉄が建設主体とされていた東北新幹線(盛岡市 - 青森市)は、日本国有鉄道改革法等施行法の附則により東日本旅客鉄道(JR東日本)が営業主体および建設主体とされた[105]が、同年9月に施行された「旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律」により東北新幹線(盛岡市 - 青森市)の建設は日本鉄道建設公団に引き継がれた。 整備新幹線着工に向けた動きが進められる一方、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、東北区間については以下のような案が検討された。時間短縮効果の高い沼宮内 - 八戸間に標準軌新線を建設し、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間に狭軌に加え標準軌を導入する新幹線直通線化(ミニ新幹線化)をすることで上野 - 青森間で新幹線による直通運転を行い、所要時間を4時間51分から4時間2分に短縮するとした[106]。
1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた[107]。 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること[108]。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること[108]。北陸新幹線 高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手すること[109]などが示された。同年6月に難工事推進事業として、沼宮内(現 いわて沼宮内)- 八戸間の岩手トンネルの着工が認可された[110]。 1991年(平成3年)に新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)や新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)による「暫定整備計画」を決定できるよう全幹法が改正された。1988年(昭和63年)の「整備新幹線の取扱いについて」において優先順位2位であった東北新幹線は、1991年8月22日に盛岡 - 青森間193.4 kmの工事実施計画が認可され[111]、9月4日に三戸トンネルで起工式が行われた[112]。沼宮内 - 八戸間は標準軌新線(フル規格)、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間は新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)であり、1992年(平成4年)7月29日に盛岡市 - 岩手町間および八戸市 - 青森市間の暫定整備計画が決定された[111]。 全区間フル規格化東北新幹線盛岡以北の工事は、フル規格とミニ新幹線が混在する形で着工されたが、1988年(昭和63年)の政府・与党申合せにおいては「従来の整備新幹線の整備計画はすべて維持されることを前提として、これをその第一歩と位置づける。また、今後、経済社会情勢の変化等を考慮して、5年後に見直すこととする。」との文言が盛り込まれていたため、全線フル規格整備を求める運動が続いた。青森県では、この運動の一環として、フル規格整備を求めるテレビCMを、関東の在京テレビジョン放送局にて放映した。内容は、東北新幹線を恐竜の背骨に例え、「背骨がつながっていないと役に立たない」とフル規格での東北新幹線整備を主張するものであった。このCMは1993年(平成5年)6月に放送された[新聞 5]。 その後、1994年(平成6年)2月に細川内閣における連立与党申合せおよび三大臣(大蔵・運輸・自治)申合せとして見直し案が示され「新たな財源を見出すことを前提として、平成9年以降新しい基本スキームを検討し、その成案を得ることとする。」としていたが、同年6月に村山内閣が発足し、亀井静香運輸大臣が前述の申合せの撤回を表明した[112]。これを受けて9月に連立与党整備新幹線検討員会が発足し、議論が行われた結果、12月の連立与党および関係大臣申合せにより、盛岡 - 八戸間を標準軌新線(フル規格)に変更し、八戸 - 青森間の暫定整備計画(ミニ新幹線化)は取り下げることが決定された。前述の合意を踏まえて、1995年(平成7年)4月に盛岡 - 沼宮内間の工事実施計画が認可され、盛岡 - 八戸間の全区間がフル規格で建設されることになった[113]。 1996年(平成8年)1月に橋本内閣が発足すると、連立与党整備新幹線検討委員会が再開され、9月まで議論が行われた。この中では、スーパー特急案、フリーゲージトレイン案なども新たに提案されたが、最終的に、12月25日の「整備新幹線の取扱いについて 政府与党合意」において、東北新幹線の新規着工区間として八戸 - 新青森(石江)間の標準軌新線(フル規格)が示された[113]。平成8年の合意に基づいて、1998年(平成10年)1月に「政府・与党整備新幹線検討委員会における検討結果」が公表され、従来の整備新幹線計画が維持されていることを確認したうえで新規着工区間の優先順位が示され(1)東北新幹線 八戸 - 新青森間、九州新幹線(鹿児島ルート)船小屋 - 新八代間、(2)北陸新幹線 長野 - 上越間とされた[報道 7]。同年3月に八戸 - 新青森間の工事実施計画が追加認可され、新青森駅で起工式が行われた[114]。 全線開業に向けて青森県では2003年アジア冬季競技大会の開催が決定されており、この大会までに盛岡 - 八戸間の開業を求めていた。2000年(平成12年)12月18日の「整備新幹線の取扱いについて」政府・与党申合せにおいて、東北新幹線 盛岡 - 八戸間については「平成14年(2002年)末の完成を目指す」、八戸 - 新青森間については「今後概ね12年後(2012年)の完成を目指す」とされた[114]。 2002年(平成14年)12月1日に盛岡駅 - 八戸駅間が開業した[4]。また、新たな最速達列車として「はやて」の運行を開始した。これにより、所要時間は東京駅 - 八戸駅間では37分短縮されて2時間56分[115]、東京駅 - 青森駅間では28分短縮されて3時間59分(在来線乗り換え時間を含む)となった[116]。 2003年(平成15年)10月1日に鉄道建設・運輸施設整備支援機構が設立され、日本鉄道建設公団は解散した。これにより東北新幹線 盛岡 - 新青森間の建設・貸付け業務は機構に引き継がれた。 2004年(平成16年)12月16日の「整備新幹線の取扱いについて」政府・与党申合せにおいて、東北新幹線 八戸 - 新青森間については「平成22年度末の開業を目指す」とされた。これにより、開業時期は約2年前倒しされた[114]。 2010年(平成22年)12月4日に八戸駅 - 新青森駅が開業し、東北新幹線は整備計画決定から39年の歳月を経て全線開通となった[5]。これにより、東京駅 - 新青森駅間の所要時間は36分短縮されて3時間23分となった[117]。 全線開業後東日本大震災による被災と復旧2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、東北新幹線は大きな被害を受けた。地震発生時には仙台・盛岡支社管内で14本の列車(うち13本は営業列車)が運行していた。14時46分に管内の海底地震計が基準値を超える地震を感知し、仙台駅 - 古川駅間を約270 km/hで走行していた2本の列車は、運転中止基準値18.0カインを超過する12 - 15秒前にき電停止により自動的に非常ブレーキが作動し、緊急停車した。[118]。営業列車に脱線は生じなかったが、仙台駅構内を約72 km/hで走行していた試7932B列車(E2系)の4両目の前台車2軸が脱線した。脱線原因としては東北地方太平洋沖地震の地震動のうち高架橋の固有振動数に近い振動が共振現象により増幅され、その振動が車両に上心ロールを生じさせたことが原因とされている。ただし、早期地震検知システムにより脱線直前に減速されていたことや、車両の逸脱防止ガイドが機能したことで、車両が軌道から大きく逸脱することはなかった[119](主要技術も参照)。駅間やトンネル内で停車した列車では、飲食物の配布等が行われたが、当日中に全ての対応を行うことは困難な状況であった。その後、バスで乗客を避難所まで輸送し、翌12日中には全ての乗客の救出が完了した[120]。 乗客の救出が完了した区間から新幹線線路設備の点検を開始し、16日に完了した。落橋やトンネルの崩落はなかったが、仙台駅ホームの天井が落下する[121]など5つの駅が損傷し、電化柱の損傷が約540箇所、架線の切断が約470箇所、高架橋の橋脚損傷が約100箇所、線路の損傷が約20箇所など、合計で約1,200箇所に被害が生じた[122]。新幹線総合車両センターが被災したことで検測車両(East i)が使用できないため、京浜急行電鉄の軌道検測車等を借用して軌道検測を実施した[123]。仙台駅構内で停止直前に脱線した試7932B列車の撤去作業は3月24日に行われた[124]。 設備の損傷の少なかった東京駅 - 那須塩原駅間は3月15日に運転を再開した[122]。盛岡駅 - 新青森駅間は3月23日再開予定とされていたが、当初の見込みより1日早く3月22日に運転を再開した(22日は1日6.5往復、23日からは1日10往復)[125]。 一ノ関駅 - 盛岡駅間は4月8日再開予定とされていたが、当初の見込みより1日早い4月7日に一部区間徐行運転により運転を再開した(上下各5本)[125]。しかし、同日夜に起きた東北地方太平洋沖地震の余震とみられる強い地震により新たに約550か所の被害が生じた[126]。 4月12日に那須塩原駅 - 福島駅間で一部区間徐行運転により運転を再開した。また、同日再開した東北本線 福島駅 - 仙台駅間で臨時快速列車「新幹線リレー号」を上下計16本運転し(4月24日まで)、首都圏 - 仙台間の鉄道輸送が再開された[126]。翌13日からは、仙台空港と羽田空港を結ぶ臨時航空便も運行された[新聞 6]。 4月25日には東京駅 - 仙台駅間で「はやて」「やまびこ」44往復運転により運転を再開した。また、東北本線 仙台駅 - 一ノ関駅で臨時快速列車6往復の運転を開始した[126][報道 8]。4月29日に東北新幹線は全線で運転を再開し、東京駅 - 仙台駅間で上下108本、東京駅 - 盛岡駅間で上下57本、東京駅 - 新青森駅間で上下29本を運行した。全線運転再開にあわせて「つなげよう、日本。」「がんばろう日本! がんばろう東北!」のステッカーを貼って運転された。また、「はやぶさ」が東京駅 - 新青森駅間で1往復、東京駅 - 仙台駅で1往復運転され、グランクラス料金の一部は被災地復興支援の義援金として寄付された[127][報道 9]。 運転再開当日は仙台市地下鉄南北線の全線開通や、東北楽天ゴールデンイーグルス(Kスタ宮城・vsオリックス・バファローズ戦)、ベガルタ仙台(仙台スタジアム(ユアテックスタジアム仙台)・vs浦和レッズ戦)の本拠地初戦の開催と重なったことから、仙台市の市民ボランティアのTwitterでの呼びかけにより、九州新幹線開業CMを元に、通過する列車を沿線で手を振って迎えようというプロジェクトが企画され、当日は沿線で多くの人が列車に向かって手を振る様子が見られ、この模様がYouTubeやニコニコ動画などで配信された[新聞 7]。 全線運転再開後も那須塩原駅 - 盛岡駅間では徐行運転による暫定ダイヤでの運転が継続されたが、7月9日に那須塩原駅 - 福島駅間および一ノ関駅 - 盛岡駅間で[報道 10]、9月23日には全区間で速度規制が解除され[報道 11]、約半年ぶりに震災前の所定ダイヤ(最高速度300 km/h)での運転が可能になった[127]。 300 km/h以上の高速化2005年6月からE954形(FASTECH 360S)、2006年4月から新在直通対応のE955形(FASTECH 360Z)による試験走行が開始され、地上設備と車両に関して様々な試験が行われた。その結果を踏まえて、2007年7月に東北新幹線320 km/h化が決定された[128]。 320 km/h運転に向けて、地上設備では2008年度から2012年度にかけて対策工事が行われ、騒音対策として防音壁のかさ上げや騒音低減装置(NIDES)、側壁吸音板の設置、トンネル微気圧波対策として緩衝工の新設・延伸[129]、コンクリート桁のたわみ低減対策[130]、通過時の駅構造物への圧力変動対策として一ノ関駅、水沢江刺駅、新花巻駅で改修工事が行われた[131]。車両面では320 km/h運転が可能なE5系[35]およびE5系と併結し320 km/h走行が可能で新在直通車両であるE6系[37]が開発された。 2011年3月5日のダイヤ改正では、E5系が導入され、JR東日本では初めて宇都宮駅 - 盛岡駅間で最高速度300 km/h運転を行う「はやぶさ」3往復が運転を開始した[132]。これにより所要時間は最短で東京駅 - 盛岡駅間が2時間20分[133]、東京駅 - 新青森駅間が3時間10分となった[132]。 2013年3月16日のダイヤ改正では、E5系単独編成の「はやぶさ」において宇都宮駅 - 盛岡駅間で国内最速となる最高速度320 km/hでの運転を開始した。所要時間は最短で東京駅 - 盛岡駅間が2時間10分[133]、東京駅 - 新青森駅間が2時間59分となった[134]。また、E5系とE6系の併結編成「はやぶさ・スーパーこまち」での最高速度300 km/h運転を開始した[132]。 2014年3月15日のダイヤ改正では、秋田新幹線の車両が新型車両のE6系に統一されたことで「はやぶさ・こまち」の全ての併結編成において宇都宮駅 - 盛岡駅間の最高速度が320 km/hに引き上げられた。これにより、東京駅 - 秋田駅間の所要時間は8分短縮されて最速で3時間37分、下り平均で12分短縮されて3時間47分となった。また、全ての「はやぶさ」が320 km/h運転となったことで所要時間は東京駅 - 新青森駅間の下り平均で9分短縮されて3時間14分となった[135]。 2021年3月13日のダイヤ改正では、上野駅 - 大宮駅間のうち埼玉県内の区間(約12 km)において最高速度を110 km/hから130 km/hに引き上げた[報道 1]。この区間では、2018年5月下旬から概ね2年程度をかけ、吸音板設置や防音壁かさ上げといった騒音対策等の地上設備の工事が行われた。これにより、同区間において所要時間が1分程度短縮された[報道 12]。 整備新幹線として建設された盛岡 - 新青森間の最高速度は1973年の整備計画に基づき260 km/hとされているが、JR東日本はこの区間についても最高速度を320 km/hに引き上げる計画を発表している。詳細は「今後の計画・構想や課題」を参照。 年表国鉄時代 開業前
国鉄時代 開業後
JR東日本発足後
八戸駅延伸後
全線開業後
東北新幹線開業の効果と影響公共交通機関の変化東北新幹線の開業・延伸は後述のように、競合する在来線特急および羽田空港と東北各空港を結ぶ航空路線の廃止や減便、盛岡駅以北の並行在来線の第三セクター鉄道移管、高速バスとの乗客争奪など、他の公共交通機関に大きな影響を与えた。 首都圏 - 青森首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県) - 青森県間の公共交通機関分担率の変化は、盛岡駅以北開業前の2000年度は、航空が54%と最も多く、JR(定期外)39%、乗合バス7%であったが、盛岡駅 - 八戸駅間開業後の2003年度は、JR(定期外)63%、航空31%、乗合バス5%と鉄道と航空の分担率が逆転し、全線開業後の2012年度は、JR(定期外)78%、航空21%、乗合バス2%と鉄道がさらに増加した[154]。 首都圏 - 青森県間の運行本数の変化は、盛岡駅以北開業前の2000年は、航空(羽田 - 青森)8本、航空(羽田 - 三沢)4本、鉄道[注 25] 13本、高速バス1本であったが、2003年には鉄道が15本に増加、航空は青森便8本、三沢便3本に減少し、高速バス1本と横ばいで、翌2004年に青森便は6本に減少している。2012年は鉄道が17本に増加し、航空は青森便6本、三沢便3本を維持しており、高速バスは7本に増加した。航空座席数は2000年では青森便が150万席、三沢便が76万席であったが、東北新幹線320 km/h運転開始後の2014年には青森便で72万席、三沢便で28万席と大きく減少している[154]。 宮城 - 青森宮城県 - 青森県間の公共交通機関分担率の変化は、盛岡駅以北開業前の2000年度は、JR(定期外)79%、乗合バス21%であったが、盛岡駅 - 八戸駅間開業後の2003年度は、JR(定期外)78%、乗合バス22%と横ばいで、全線開業後の2012年度は、JR(定期外)90%、乗合バス10%と鉄道が増加した[155]。 岩手 - 青森岩手県 - 青森県間の公共交通機関分担率の変化は、盛岡以北開業前の2000年度は、JR(定期外)60%、乗合バス40%であったが、盛岡駅 - 八戸駅間開業後の2003年度は、JR(定期外)65%、乗合バス35%と鉄道が微増し、全線開業後の2012年度は、JR(定期外)85%、乗合バス15%と鉄道がさらに増加した[155]。 並行在来線整備新幹線として建設された区間では、新幹線開業後に並行在来線のJRからの経営分離が行われた。2002年の盛岡駅 - 八戸駅間開業時に、東北本線 盛岡駅 - 八戸駅間が、2010年の八戸駅 - 新青森駅間開業時に東北本線 八戸駅 - 青森駅間が県域ごとに設立された第三セクター鉄道会社に経営移管された。岩手県内の盛岡駅 - 目時駅間はIGRいわて銀河鉄道がいわて銀河鉄道線として運行している。青森県内の目時駅 - 青森駅間は青森県が第三種鉄道事業者として鉄道施設を保有し、青い森鉄道が第二種鉄道事業者として青い森鉄道線として運行している[156]。 →詳細は「IGRいわて銀河鉄道」および「青い森鉄道」を参照
今後の計画・構想や課題更なる高速化整備新幹線として建設された盛岡駅 - 新青森駅間(178.4 km)の最高速度は1973年(昭和48年)の整備計画に基づき260 km/hとされているが、1993年以降に計画された整備新幹線では、施工後の変更が困難な緩和曲線と縦曲線について対応可能な範囲で360 km/hで走行可能な線形を確保している[157]。2020年10月にJR東日本はこの区間の最高速度を現行の260 km/hから320 km/hに引き上げる計画を発表した。主な地上設備工事の内容としては吸音板の設置が計1.3 km、防音壁のかさ上げが計3.6 km、トンネル緩衝工の延伸が計24箇所で、工事期間は2020年10月から概ね7年程度である。これにより、最大5分程度の時間短縮が見込まれる[報道 44]。 JR東日本グループ経営ビジョン「変革2027」における「次世代新幹線開発」の試験車両としてE956形(ALFA-X)による試験走行を2019年5月から2022年3月にかけて行う。試験走行は仙台 - 新青森間を中心に行われ、車両性能試験のため数回程度最高速度400 km/hの走行試験を行うほか、最高速度360 km/hまでの走行が予定されている[報道 45]。 E956形(ALFA-X)の開発が発表された中、盛岡駅 - 新青森駅間の360km/h化ではなく320km/h化が発表された理由は、JR東日本によると、盛岡以北の営業速度向上(320km/h化)は現時点での最高速度に対応した計画で、あくまで現時点で正式決定していない360km/h化とは切り離されたものである、としている[158]。 貨客混載の本格化新幹線での荷物輸送は速達性と定時性が高いという利点があり、JR東日本は、鮮度が重要な食品などの荷物を車内販売準備スペースなどに載せる形での輸送を2017年に開始し、2021年には東北新幹線および相互直通運転する北海道新幹線だけでなく、上越新幹線や北陸新幹線を含めた新幹線での荷物輸送を「はこビュン」として命名して本格展開している[新聞 17][報道 40]。客車への混載では1編成当たり40 - 100箱が限界だが、トラック運転手の残業規制が強化される「物流2024年問題」を前に、2023年6月16日には東北新幹線で編成中の3両を荷物専用車とした列車を新青森駅から大宮駅へ走らせる実証実験を行ない、定期運行化を視野に入れている[新聞 17]。新幹線による貨物輸送拡大は国土交通省も推進しており、自治体や有識者からは北海道新幹線の札幌駅延伸後を想定して、一編成を丸ごと貨物列車とする「貨物新幹線」構想も提案されている[新聞 18]。 設備の改修など東北新幹線 東京駅 - 盛岡駅間および上越新幹線 大宮駅 - 新潟駅間は開業後30年以上経過し、将来的に総額1兆円程度の費用を要する大規模改修が必要であると見込まれることから、国土交通省は2015年(平成27年)12月に全幹法第15条第1項の規定に基づいて東日本旅客鉄道(JR東日本)を所有営業主体に指定した[報道 20]。これを受けてJR東日本は翌年2月に新幹線鉄道大規模改修引当金積立計画を提出した。2016年4月から2031年3月までの15年間に3,600億円の引当金を積み立て、2031年4月から2041年3月までの10年間に1兆406億円の大規模改修を行う計画である[報道 21]。国土交通省はこの計画を同年3月に承認した[報道 23]。 東北新幹線のレール交換は、累計通過トン数8億 tを基準に行われる。東京駅 - 大宮駅間の年間通過トン数は4,400万 tであり、既に人力による交換が行われている。大宮駅 - 小山駅間の年間通過トン数は約2,400万 tであり、開業以来使用してきたレールが2021年度に交換期限に達する見込みである。そのため、2017年2月から10年間かけて大宮駅 - 郡山駅間の上下線約388 kmのレールを交換する計画である。拠点は、使用する無溶接150 mレールを福岡県北九州市から直接貨物輸送が可能な保守基地が条件となるため、最初の4年間は鷲宮保守基地、次の4年間は那須保守基地とする[159]。これに合わせてJR東日本ではレールの運搬、積卸、交換、溶接を1つのシステムで行うことができる「新幹線レール交換システム」を導入した[160]。 東北・上越新幹線の架線としては主にコンパウンド架線が用いられていたが、JR東日本と鉄道総合技術研究所は、従来よりも設備点数が少なく、高速化にも対応した「高速シンプル架線」を共同開発した。東北新幹線では2020年度以降に上野駅 - 大宮駅間、古川駅 - 盛岡駅間に導入する計画である。整備新幹線で導入されているPHCトロリ線などを採用し、整備新幹線用のシンプル架線の総張力(39.3 kN)より高い53.9 kNにすることで2020年時点での新幹線営業最高速度である320 km/hに対応している。更なる高速化を図る場合、高強度かつ軽量なトロリ線を採用することで最高速度 360 km/hにも対応可能とされている[報道 46]。 北海道・北陸新幹線の延伸・全通時における対応東北新幹線と相互直通運転している北海道新幹線は札幌市へ、大宮駅以南を共用している北陸新幹線は大阪市への延伸に向けて、工事や計画がそれぞれ進められている。全通すればさらなる運行本数増加が予想され、大宮駅 - 東京駅間および東京駅の線路容量が逼迫するとして、大宮駅から新宿駅へ乗り入れる別線を建設すべきとの意見[注 26][161]や、上野・大宮駅発着の列車を増発するべきという意見、東京駅 - 高崎駅間で上越新幹線と北陸新幹線を併結運転させるという意見もある。現在、ピーク時の大宮駅 - 東京駅間の運行本数は開業時から年々増えており、この区間が運行上の大きなボトルネックになっている[注 27]。 なお、新宿駅 - 大宮駅間の別線の件については、近い将来のレベルでの完成は現実的ではないことから、2008年11月27日に開催された民主党の「整備新幹線を推進する議員の会」において、JR東日本の担当者から2014年度の北陸新幹線金沢開業および、2015年度の北海道新幹線新函館北斗開業後におけるピーク時の輸送には、大宮駅始発着の列車を一部設定することにより輸送分散を図るという案が、JR東日本の見解として提示された[新聞 19]。大宮駅の所在地であるさいたま市も、新幹線の大宮駅発着の設定による増発を2015年度から施政方針として掲げ[162][163][164]、国に要望している[165][166][167][168]。 JR東日本社長(当時)の冨田哲郎は、北陸新幹線を走る「かがやき」の増発を利用状況に応じて行う際、新幹線の乗り入れが集中する繁忙期には上野駅とともに大宮駅を発着とする臨時列車も選択肢に入るとしている[169]。なお、東北新幹線では、2017年7月と9月に、初めて大宮駅始発・終着となる臨時「はやぶさ」が運行され[報道 47]、北陸新幹線では、2018年3月からは上野終着の臨時「かがやき」が運行されている[報道 48]。 東海道・山陽新幹線との直通運転現時点では、東京駅で東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、東海道・山陽新幹線との直通運転は物理的に不可能である。 1970年2月、全国新幹線整備法の成立に先立って新幹線の建設・運行に関する調査と審議を行う「新幹線建設委員会」が設置され、1971年7月までの審議において東北・上越新幹線については東海道新幹線とターミナルを共用し、直通運転を図るべきとされた[170]。後に直通運転が可能な複周波数に対応した車両[注 28] である試作電車が開発され、開業前の山陽および東北新幹線で試験運転を行っている[171]。 しかし、1982年に大宮駅 - 盛岡駅間で暫定開業した東北新幹線は、大宮駅以南の建設に時間がかかり、東海道新幹線と接続する東京駅への乗り入れは1991年までずれ込んだ。その間の1987年には国鉄分割民営化により東北新幹線はJR東日本、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄に分かれたことで、乗り入れに関する意思を統一することが困難となり、直通運転の構想は立ち消えとなった[新聞 20]。ほかにも採算性(需要)の問題や電源周波数[注 29]、保安装置などの相違やダイヤ編成の困難さ、東北新幹線内で遅延が発生した際の東海道新幹線への影響(その逆の場合も然り)など直通運転の実現へ向けて生じる課題は多く、山積する課題をクリアしてまで実現させる程のメリットは無いとの見方が示されている。 新線構想仙台駅から利府町の新幹線総合車両センターまで支線を建設させる計画がある。車両基地への回送線を旅客営業路線とした博多南線と同じような構造で、通勤路線としても利用できるようになるとしている。 利用状況平均通過人員各年度の平均通過人員は以下のとおりである。
対東京年間輸送人員JR東日本によると、コロナ禍の影響が無かった2018年度(平成30年度)の東北新幹線および直通する北海道、秋田、山形新幹線主要駅の対東京年間輸送人員は以下のとおりである[179]。
路線形態詳細
地理通過する自治体脚注注釈
出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献書籍
雑誌記事
報告書
関連項目
外部リンク
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