ステファン・オルテリ
ステファン・オルテリ(Stéphane Ortelli, 1970年3月30日 ‐ )は、モナコのレーシングドライバー。フランス・ヴァール県イエール出身。 経歴オルテリは、アルピーヌ・セダンレースの元ヨーロッパ・チャンピオンの息子であり、カートでレースキャリアをスタートさせると父親に支えられ、励まされてモーターレースに必要な素養を備えていった。1989年にポール・リカールでのヴォラン・エルフに参戦して優勝し、エルフ奨学金とフォーミュラ・ルノー参戦のスカラシップを獲得した。 1990年、20歳でフランス・フォーミュラ・ルノーに参戦を開始、最高成績は6位で年間ランキング15位であった。1991年よりフランス・フォーミュラ3選手権にステップアップしたが、2年間で3位表彰台1回と特筆すべき結果は残せず、1993年のマカオグランプリF3参戦を最後に国際F3000選手権への昇格を断念し、レース参戦からの撤退を強いられた。 1995年と1996年のル・マン24時間レースにポルシェ・911でスポット参戦。1997年にRoock Racingの通年契約を結んでFIA GT選手権にフルエントリー、レース活動に本格復帰する。1998年のル・マン24時間レースをアラン・マクニッシュ、ローレン・アイエロと共に総合優勝した。 2000年にも、マクニッシュ、アイエロとのチームでル・マン総合2位に入った。ル・マンには2011年まで14回参戦した。 スパ・フランコルシャン24時間レースでは2003年にロマン・デュマとマルク・リープ、2005年のセブリング12時間レースでデビッド・ブラバムとダレン・ターナーと組んで優勝。 スポーツプロトタイプを運転した後、2009年からアウディ・R8 LMSのファクトリードライバーとして、特にベルギーチームWレーシングチーム [1]で運転し、2012年のブランパン耐久シリーズ選手権で優勝。2013年のFIAGT選手権ではシリーズチャンピオンでもある[2]。また世界ツーリングカー選手権にも参戦した。 2016年以降はチームEmil Frey Racingで、ブランパンエンデュランスシリーズとVLNでジャガーとレクサスで参戦。 伝記フォーミュラカーレース(フォーミュラ・ルノー、フォーミュラ3)参戦以降はスーパーツーリズム(プジョー405とBMW)、そして最終的にスパイダー905プジョーでプロトタイプのレースに参戦する。 オルテリはル・マン24時間レースでの勝利を1998年にローレン・アイエロとアラン・マクニッシュらとポルシェ・911 GT1で、そして2003年の24時間のスパは、ポルシェ・911 GT3で掴む。 2008年、モンツァ・サーキットで開催されたル・マン・シリーズで、オルテリは147周目にホームストレートでの最高速から第1シケインへのアプローチでブレーキングした瞬間、後部フィンの故障のために彼の乗ったコレジオ-オレカは制御を失い、スピードを落とすことが出来ないままコース横のグリーンで縦方向に回転し始めてしまい、すぐ前を走行していたアウディをかすめ、カウルやアンダーフロアを飛散させながらシケインでコースを横断して右側のフェンスへ衝突し止まった。車両はコクピットを残して完全に破壊された。非常に大きなクラッシュであったが、オルテリは意識があり、足首の複雑骨折を負っていたが一命をとりとめた。その瞬間恐怖を覚えたはずであるが、負傷を回復させて以降もレース参戦を続けている。 勝利リスト
国籍父親がフランス人で母親がモナコ出身。1999年までフランス国籍だったが2000年からモナコ国籍で出場し始める。 レース戦績フォーミュラフランス・フォーミュラ3選手権
マカオグランプリF3
スポーツカール・マン・シリーズ
インターコンチネンタル・ル・マン・カップ
(key) ル・マン24時間レースデイトナ24時間レース
グランドツーリングBPRグローバルGTシリーズ
FIA GT選手権ブランパンGTシリーズ・耐久カップ
FIA GT1世界選手権
FIA GTシリーズ/プランパンGTシリーズ・スプリントカップ
SUPER GT
スパ・フランコルシャン24時間レース世界ツーリングカー選手権
(key) 脚注
外部リンク
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