ロビン・フラインス
ロビン・クリスティアン・マリア・フラインス(Robin Christiaan Maria Frijns, 1991年8月7日 - )は、オランダ・マーストリヒト出身のレーシングドライバー。 経歴初期の経歴カートベルギー及びフランスを拠点としてカートレースに参戦。2008年にはKF2ヨーロッパ選手権3位、KF2フランス選手権2位となる。 フォーミュラ・BMW2009年からは4輪に転向し、フォーミュラ・BMW・ヨーロッパにJosef Kaufmann Racingから参戦。シルバーストーンでの勝利と6度の表彰台を獲得し、ルーキーとしては最上位となるシリーズ3位となる。 2010年も引き続き参戦し、6勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得した。 フォーミュラ・ルノー2010年はフォーミュラ・ルノー・ノーザン・ヨーロピアン・カップのスパ・フランコルシャンラウンドにJosef Kaufman Racingからスポット参戦。1stレースで2位、2ndレースで5位、そして3rdレースで優勝する。 2011年はユーロカップ・フォーミュラ・ルノーにJosef Kaufman Racingからフル参戦。5勝を挙げフル参戦1年目にしてシリーズチャンピオンとなる。 同年はフォーミュラ・ルノー・ノーザン・ヨーロピアン・カップにも参戦。年間8ラウンド20戦のうち4ラウンド12戦のみの参戦となったが、1勝を含む7度の表彰台を獲得しシリーズ4位となる。 フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ2012年はフォーミュラ・ルノー3.5にFortec Motorsportsから参戦。3勝を上げ、参戦初年度でシリーズチャンピオンを獲得。ルーキーのチャンピオン獲得はロバート・クビサ以来となる。チャンピオン決定は最終レースまで持ち越されたが、このレースでチャンピオンを争った(最終的にシリーズ2位となる)ジュール・ビアンキと接触しペナルティーを科せられ、そのドライビングは物議を醸した。 GP2シリーズF1チームのザウバーとリザーブドライバー契約をしたものの、冬季テストやシーズン中の金曜フリー走行での出走は予定されず、またザウバーにはシミュレーターもないことからレース経験を途切れさせないためにもF1以外のシリーズに参戦することがザウバーからも望まれていた[1][2]。 2013年のGP2には資金的な問題もあり開幕から参戦は出来なかったものの、Hilmer Motorsportより第2ラウンドから参戦。第3ラウンドのレース1で早くも初優勝を上げる。これは今シーズンからGP2に参戦したチームにとっても初優勝となった[3]。第6ラウンドまで走った後、資金不足によりシートを失った[4]。第8ラウンドに復帰した[5]ものの、それ以降はまたシートを失った。 F12012年末に行われた若手ドライバーテストにザウバーに起用された[6]。また、フォーミュラ・ルノー3.5のチャンピオン獲得の報償としてレッドブルからも参加した[7]。 2013年はザウバーのリザーブドライバーとして契約した[8]。しかしザウバーにはシミュレータが無いため、実際にドライビングが出来たのは7月に行われた若手ドライバーテストでの1日半のみだった。9月にはザウバーがオプション契約を行使しないことが公表され、リザーブドライバー契約も終了した[9]。これにはザウバーの資金難と、その後のセルゲイ・シロトキンのザウバー加入が影響している[10]。このような状況を受けて、シーズン後にマネージャーを変更した[11]。 2014年はケータハムとリザーブドライバーとして契約した[12]。 フォーミュラEアンドレッティ・オートスポーツ(2015-17)2015年、フラインスはドニントン・パークで行われたプレシーズン・テストにアムリン・アンドレッティから参加し、9月にはシモーナ・デ・シルベストロと共に2015-16年のフォーミュラEに同チームより参戦することが発表された[13]。第2戦プトラジャヤePrixでは終盤にジェローム・ダンブロジオを追い抜いた直後にウォールに接触し、リアサスペンションに損傷を受けた状態で残り周回を走りきり、3位表彰台を獲得した[14]。アンドレッティは開幕直前に独自のパワートレイン開発を断念しており、前年の共通部品だったマクラーレン製パワートレインを引き続き使用せざるを得なかったものの、フラインスは安定してポイントを獲得し、年間12位でシーズンを終えた。 フラインスは翌シーズンもアムリン・アンドレッティに残留した。5度の入賞を果たし、新たにチームメイトとなったアントニオ・フェリックス・ダ・コスタをランキングで上回ったものの、翌シーズンに向けてチームがBMWとの提携を拡大したため、フラインスはシートを失った[15]。 エンヴィジョン・ヴァージン・レーシング / エンヴィジョン・レーシング(2018-2022)2018年10月、エンヴィジョン・ヴァージン・レーシングからフラインスがフォーミュラEに復帰することが発表された[16]。第2戦マラケシュePrixでは、終盤のBMW勢の接触に乗じ、およそ3年ぶりとなる3位表彰台を獲得した[17]。第8戦パリePrixではニッサン・e.damsのセバスチャン・ブエミを交わして首位に立つと、降雨による混乱が相次いだレースを制して初優勝を飾った[18]。最終ラウンドのニューヨークePrixでは、レース1で接触のダメージによりリタイアを余儀なくされタイトル争いからは脱落したものの、日曜のレース2で予選3番手からブエミ、BMW i・アンドレッティのアレクサンダー・シムズを交わしてシーズン2勝目を挙げた。この勝利によってランキング4位でシーズンを終えた[19]。 翌シーズンもヴァージンに残留。シーズン前半は苦戦が続いたものの、新型コロナウイルスの感染拡大により8月に集中的に6戦が開催されることとなったベルリンePrixでは2度の表彰台を獲得した。 ドイツツーリングカー選手権スポーツカー2021年、この年よりFIA 世界耐久選手権・LMP2クラスへの参戦を開始したチーム・WRTは、フェルディナント・ハプスブルグ、シャルル・ミレッシと共にフラインスを31号車に起用した[20]。8月のル・マン24時間レースでは安定したペースで僚友の41号車とトップ集団を形成。首位を走っていた41号車が最終ラップでトラブルにより路肩にマシンを止める中、猛撃するJotaスポーツの28号車を振り切り、0.727秒差でクラス優勝を果たした[21]。続くバーレーンでの2戦でも連勝し、LMP2クラスのタイトルも獲得した。 レース戦績略歴
フォーミュラフォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ
GP2シリーズ
F1世界選手権
(key) フォーミュラE
グランドツーリングプランパンGTシリーズ・スプリントカップ
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
スパ・フランコルシャン24時間レース
ニュルブルクリンク24時間レース
バサースト12時間レース
ドイツツーリングカー選手権
スポーツカーFIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
脚注
外部リンク
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