この項目では、1946年以後のイタリアについて説明しています。19世紀に存在した共和国など他のイタリア半島の国家については「イタリア (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
イタリア共和国
Repubblica Italiana
国の標語:特になし
国歌 :Inno di Mameli (イタリア語) マメーリの賛歌
^ a b “UNdata ”. 国連. 2024年8月5日 閲覧。
^ a b c d e “World Economic Outlook , October 2021 ”. IMF (2021年10月). 2021年10月26日 閲覧。
イタリア共和国 (イタリアきょうわこく、イタリア語 : Repubblica Italiana )、通称イタリア (伊: Italia )は、南ヨーロッパ に位置する共和制国家 。首都はローマ 。 北はスイス とオーストリア 、西はフランス 、 東はスロベニア と国境 を接している。南は地中海 に囲まれており、アルバニア 、アルジェリア 、クロアチア 、ギリシャ 、リビア 、マルタ 、モンテネグロ 、スペイン 、チュニジア と海上境界線 (英語版 ) を共有している。また、国土 には独立国 であるバチカン市国 とサンマリノ共和国 が存在している。
概要
イタリア上空からの衛星画像。
イタリアはヨーロッパ における古代文化の発祥地の一つとして知られ、同時に世界的な文化大国の一国に数えられている。文化・学問・宗教で歴史的に影響力を発揮しており、バチカン市国 を首都ローマの領域内に事実上保護し、レオナルド・ダ・ヴィンチ やガリレオ 、ミケランジェロ 、コロンブス 、マキャヴェリ といった偉人たちの故国でもある。かつてのローマ帝国 の中枢となる地域であり、またルネサンス やリソルジメント などの幾つかの世界史的事象の主要な舞台となった。
また、高い人間開発指数 を持つイタリアは文化・経済ともに先進国 であり[ 1] 、名目GDP では世界第8位かつそれを購買力平価で補正したもの は世界第12位、ユーロ圏 ではドイツとフランスに次ぐ第3位の経済規模を持つ経済大国 である[ 2] 。
国際連合 、北大西洋条約機構 、G7 、G20 、OECD 、欧州評議会 、地中海連合 、パリクラブ の一員であり、ヨーロッパにおける四大国「ビッグ4 」や、文化的・経済的・政治的に大きな影響を及ぼす列強 の一角に数えられる[ 3] [ 4] 。また、コンセンサス連合 の参加国であると同時に主導国である。軍事面では、世界第8位の軍事力 を有している[ 5] 。
総面積は30万1338 km2 (平方キロメートル )で、ロ・スティヴァレ(伊 : lo Stivale =ブーツ )と称される地中海 に突き出たイタリア半島 を中心に、地中海 に浮かぶシチリア島 とサルディーニャ島 を主要な領土としており、いくつかの小島も領有している。北部にはアルプス山脈 が、半島に沿ってアペニン山脈 が走っており、平野はその間にあるポー平原 などに限られ、国土の40%が山岳地帯である[ 6] 。気候は各地ともに温暖で、北部を除き国土の大部分は温帯 の地中海性気候 に属し、これは農業と歴史に大きな影響を与えてきた[ 7] 。西に港へ適したリグリア海 、東には大陸棚が海の幸を豊富にもたらすアドリア海 、南東部にはバルカン半島 へと繋がるイオニア海 があり、地理的に恵まれている。南にはティレニア海 があり周辺にはストロンボリ火山 やヴェスヴィオ山 、エトナ山 などの火山が集まっていて、世界有数の地震地帯である[ 6] 。
国名
正式名称はイタリア語 で、Repubblica Italiana (レプッブリカ・イタリャーナ)。通称、Italia ([iˈtaːlja] ( 音声ファイル ) イターリャ)。
公式の英語表記は、Italian Republic (イタリャン・リパブリク)。通称、Italy ([ˈɪtəli] ( 音声ファイル ) イタリ)。
日本語の表記は、イタリア共和国 。通称はイタリア であるが、イタリヤ と表記されることもある。古くはイタリー とも表記された(発音は英語のItaly、フランス語のItalieに近い)。また、漢字による当て字 で、伊太利亜 、伊太利 、以太利 [ 8] などと表記することもあり、伊 と略されることもある。
国名の由来には定説はない。一般的な説として、紀元前6世紀ごろに南イタリア のカラブリア地方で子ウシ(ビタリ)をトーテム像として崇拝していた原住民に由来するといわれる。彼らはビタリ人と呼ばれていたが、その後ビタリがイタリアに変化し、その呼称がローマ人に受け継がれ、現在のイタリア半島に住む人々を指すようになった。中世に「イタリア伯爵領」「イタリア公爵領」と呼ばれるものが存在したが、それは統一的国家をなすものではなかった。政治的に統一された国家として最初にイタリアの名が使用されたのは、ナポレオン支配時代のイタリア共和国 (1802年-1805年) (1803年 からイタリアの国名を使用)であり、これが改編されてイタリア王国 (1805年-1814年) となった。1861年 のサヴォイア家 による統一によって、ほぼ現在の地理的範囲をもつイタリア国が成立した[ 9] 。
歴史
ローマ以前-ローマ期
ギリシア 時代から都市国家 が成立。なお、伝説 では紀元前753年 にローマ建国 エトルリア人 も12の都市国家による都市連合の王政を築いていた。伝承 によれば、紀元前509年 にローマ人パトリキ (貴族)がエトルリア 人の王を追放し共和制を開始した。サムニウム戦争 (紀元前343年 - 紀元前290年 )などにより紀元前272年 にイタリア半島を制圧。フェニキア 人の植民国家カルタゴ との戦争(ポエニ戦争 )(紀元前264年 - 紀元前146年 )によりシチリア島を獲得。地中海の覇権を握る。その後もイタリアはローマ帝国 の中心地域として栄えたが、286年 にディオクレティアヌス が帝国の統治機構および皇帝位を東西に分割 すると[ 注釈 4] 、イタリアは西の皇帝権(西方正帝 )の管轄となった。5世紀 末に西方正帝が廃止されるとローマ皇帝ゼノン によってオドアケル がローマ帝国のイタリア領主(dux Italiae)に任命され、これが国号としてのイタリアの走りとなった。
紀元117年の帝国最大版図 (茶・緑)
ローマ帝国分割以降
オドアケルが493年 に東ローマ帝国 に滅ぼされたあと、ローマ皇帝アナスタシウス1世 によりテオドリック にイタリア王 位が授けられて東ゴート王国 が設立されたが、その東ゴート王国も東ローマ帝国 によって滅ぼされ、553年 にイタリアは80年ぶりのローマ皇帝領となった。しかし、帝国にとってもはやイタリアは一属州 にすぎず、さらにランゴバルド人 の侵入により、ローマのイタリアに対する支配力は大きく低下した。なお、イタリアに常駐した最後のローマ皇帝は7世紀のコンスタンス2世 である。彼は南イタリアとアフリカ を中心に帝国を再編成しようと意図したが、失敗に終わった。8世紀には、東ローマ帝国の勢力はイタリア半島の南端部にまで後退した。その後は南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒 、ローマを中心としたローマ教皇領 、北部には神聖ローマ皇帝 といった勢力が割拠した。このほか多数の都市国家が発展、11世紀になると東ローマに代わりノルマン人 が侵入した。これらの中にはイタリアの統一を試みる者もいたが、ローマ教皇庁 の思惑もあって分裂状態が続いた。
近現代
18世紀 末にイタリアに侵攻したフランスのナポレオン・ボナパルト は全イタリアを手中に納めたが、1815年 にナポレオンが失脚するとヴェネツィア とジェノヴァ の共和国を除きほぼ元の分裂状態に戻った。
ジュゼッペ・ガリバルディ
イタリア王国
1861年 2月、ジュゼッペ・ガリバルディ らの戦果を継承したサルデーニャ 王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 が統一し、1861年3月17日 にイタリア王国 を樹立した。王名が新生イタリアで1世に戻らないのは、ガリバルディらがナショナリズムを掲げたにもかかわらず、統一イタリアはサルデーニャ王国の版図そのものということにされたからである。1866年8月25日、不平等条約 である日伊修好通商条約を締結し日本と国交を樹立した[ 注釈 5] 。1873年 には岩倉使節団 がイタリアのフィレンツェ 、ローマ、ヴェネツィアを歴訪しており、当時の様子が『米欧回覧実記 』に一部イラストつきで詳しく記されている[ 10] 。
1922年 、ローマ進軍 クーデターによりファシスト党 のベニート・ムッソリーニ が首相 となる。ムッソリーニは権力の集中を進め、ファシズム による独裁体制を確立させた。1929年 にはローマ教皇庁との間にラテラノ条約 を結び、関係を修復する。ムッソリーニ首相とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 国王の指導のもと、政治経済の回復に成功し各国からの称賛を得たものの、1935年 にはエチオピアを再度植民地化すべく第二次エチオピア戦争 によりエチオピアへ侵攻するなど拡張政策をとる。さらに1937年 には日本 とドイツ とともに日独伊防共協定 を結び、1939年 9月に勃発した第二次世界大戦 には1940年 6月に参戦。同年9月には日独伊三国同盟 を締結、1941年12月にはドイツとともに対米宣戦布告を行った。しかし1943年 7月、敗色が濃い中ムッソリーニは失脚し、イタリアは連合国 側に鞍替え参戦する。同時に、救出されたムッソリーニを首班としたドイツの傀儡政権 であるイタリア社会共和国 が北イタリアを支配する状況になる。しかし、1945年 5月8日 にドイツが敗北したことにより同政権は崩壊した。
イタリア共和国
王位惜しさにムッソリーニの独裁を後押しした形のサヴォイア王家は国民の信頼を失いつつあった。伝統的に王国時代が長い南イタリア では王室への強固な支持があったものの、都市国家の伝統ある北部は王家を信任せず、また王室の強い支持基盤であったカトリック教会が国民投票で中立を宣言したこともあり、大戦終結後の1946年6月2日に行われた共和制への移行を問う国民投票 では賛成54%の僅差で王政廃止が決定された。ウンベルト2世 は廃位、サヴォイア家 による君主制 は廃止され、現在のイタリア共和国 が成立した。1948年 に、初代大統領 にエンリコ・デ・ニコラ が就任。その後の冷戦 では、社会主義 勢力の影響を受けながらも、アメリカ合衆国 や西ドイツ などとともに西側諸国 の1国として東側諸国 と対峙した。主要国首脳会議 の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占める。
2022年イタリア総選挙 では中道右派連合が勝利した[ 11] 。
2023年にイタリアは一帯一路 から離脱した[ 12] 。
政治
大統領 セルジョ・マッタレッラ
閣僚評議会議長(首相)ジョルジャ・メローニ
行政
国家元首 は共和国大統領。選出方法は間接選挙制 で、就任条件は50歳以上、任期は7年で再選制限はない。
通常は、内閣や議会の決定に基づく形式的な権限を行使するにすぎないが、首相任命権や議会解散権などを通じて実権を発動する可能性を秘めている。行政は首相率いる内閣 が統轄する。首相は大統領が指名し、議会が承認する。各省の大臣は首相の指名に基づき、大統領が任命する。議院内閣制 を採用しており、内閣は議会の信任を得なければならない。
「おはよう、今日の首相は誰?」というジョークが広められるほど、首相の交代が頻繁な国として名高く、今もその傾向はおさまっていないが、1990年1月 - 2013年4月の間での首相は9人(延べ13人)と、日本の15人(延べ16人)に抜かれている。ちなみに、同じ議院内閣制の先進国での同期間における就任人数は、ドイツが3人、イギリス とカナダ が5人である。
立法
イタリア議会 (Parlamento Italiano)
イタリア議会 は元老院 (上院)と代議院 (下院)で構成される両院制 (二院制)である。元老院は、任期5年の民選議員(200議席)、および終身議員とで構成される。
終身議員には大統領経験者のほか、科学や芸術などの分野で国の名誉を高めた功労者の中から、大統領が指名した者が就任する。一方、代議院は全て民選の全400議席で、任期5年である。
また日本では衆議院の優越 が認められているが、イタリアでは両院の権能は完全対等であり、双方とも大統領によって解散されうる。
憲法改革案を否決
2006年6月25 - 26日、憲法改革案を問う国民投票が行われ、開票の結果60%を超す反対で否決された。改革案は、退陣したベルルスコーニ 右派連立政権が2005年末、野党・中道左派勢力の反対を押し切って議会を通過させたものである。改革案の中身は、議会の解散権を大統領から首相に移し、保健や教育、警察などの権限を国から州 (regione ) に委譲するというものであった。開票結果は、反対が61.7%。そのうち、南部で74.8%、中部で67.7%、北部で52.6%の多数を占めた。投票率は53.6%であった。
緊急財政法案可決
2010年 7月15日 、上院は、ベルルスコーニ政権が提出していた緊急財政法案を賛成170、反対136、棄権0で可決した。政府は、月内にも下院を通過させて法案の成立を目指す。しかし、最大野党の民主党は、16、17日の両日、全国規模の抗議行動を計画している。本法案は5月に提案され、公務員給与増の凍結、省庁予算の削減、地方自治体への交付金削減などの実行によって、今後2年間に財政赤字比率を国内総生産 (GDP)比3%以内に下げると発表している。
政党
司法
イタリアの刑事司法は市民6人と裁判官2人が一緒に審理する参審裁判 と裁判官だけによる裁判がある。参審裁判は殺人など重大事件が対象で、重罪院で審理される。重罪院の控訴審は重罪控訴院で、参審裁判による。上告審は日本の最高裁にあたる破棄院が担当するが、憲法判断が必要なケースは憲法裁判所に移送される。参審員はイタリア語で「市民裁判官」と呼ばれ、35歳以上60歳以下で一審は中卒以上、控訴審は高卒以上。くじ引きで選んだ市民に希望者を加えた名簿から、3か月ごとに再びくじ引きで選出し、その期間中に起訴された事件を担当する。
国際関係
日本との関係
国家安全保障
ISAF としてアフガニスタンに従軍する陸軍部隊(アルピーニ 兵)。イタリア陸軍は西部地区の軍指揮も委ねられている
イタリア海軍の軽空母「カヴール 」
イタリア空軍のフレッチェ・トリコローリ
カラビニエリ
陸軍
2007年現在現役兵約11万人、予備役約3万3,500人が所属。
海軍
冷戦期においては、ソ連 の黒海艦隊 を仮想敵対目標として地中海地域での戦闘行為のため大規模な海軍戦力を擁していた。今日でも海軍重視の傾向は変わらず、法改正によって保有が可能となった軽空母 「ジュゼッペ・ガリバルディ 」に次いで軽空母「カヴール 」が戦列に加わるなど、予算削減で新型戦車 の配備が滞りがちな陸軍に比べて一層の強化が進められている。日本 の海上自衛隊 とは装備面でも共通点が多く、海軍国としての役割も類似している。また、カヴールと入れ替わる形で旧式化しつつあったガリバルディは大規模改修を受けてヘリコプター揚陸艦 としての運用が開始されたほか、ガリバルディの後継艦として3万トン級強襲揚陸艦 「トリエステ 」が現在艤装中である。
空軍
4万5,879名の要員からなり、F-16 ・タイフーン など一線級の空軍機を保有している。航空機の国産化にも熱心で、アエリタリア (旧フィアット社 航空機部門)が開発したG.91 軽戦闘機は戦後復興からまもない時期(1956年)でありながら高い性能を誇り、同じく国産にこだわるイギリスやフランスは拒んだものの、ドイツ空軍 やポルトガル空軍 への採用が決定し、「ジーナ」の愛称で20年ほど前まで長らく愛用されていた。KC-767 などのように、世界でイタリアと日本のみが保有する機種もあり、組織間交流も盛んである。
近年はタイフーンに見られるような欧米での共同開発機に意欲を見せ、空母 を増産した海軍の意向もあってか、オランダ とともにF-35 の開発計画でイギリスに次ぐ協力を示している。
カラビニエリ
正式名称はカラビニエリ (Carabinieri) で、国家憲兵 である。日本では、そのままカラビニエリと称するほか、「国家憲兵」「憲兵隊」「国家警察」「国防省警察」「軍警察」などさまざまに訳されている。
平時は各種の警察 活動として、警備 や事件・事故対応、マフィア や反政府グループなどの犯罪組織の摘発などを担当しており、戦時には戦地での警察・憲兵 活動を行う。またテロ 対策・要人警護 ・人質救出 などを担当する独自の特殊部隊 (国家憲兵隊特殊介入部隊 )を保持しており、同部隊はイラク戦争 など海外戦争においても戦歴を重ねている。
情報機関
地理
地形図
最高峰モンテ・ビアンコ(仏名:モンブラン)
イタリアは地中海に突き出した長靴型イタリア半島、および周辺の島(サルデーニャ島、シチリア島など。コルシカ島 はフランス領)から構成されている。東はアドリア海 、西でティレニア海 とリグリア海 、南でイオニア海 と地中海に面している。国境を接する国としては、大陸部では西側をフランス、北側をスイスとオーストリア、東側をスロヴェニア 。アドリア海を挟んで、クロアチア 、アルバニア 、ギリシアなどとも地理、歴史的に結びつきが強い[ 14] 。キリスト教 ・カトリック教会 の治めるバチカン市国があるが、これはイタリアの首都ローマが周囲を囲んでいる。ほかにもアドリア海近くのサンマリノ共和国 を包み込むように接する。さらに、スイス領内には飛び地 として面積1.7km2 ほどのカンピョーネ・ディターリア を持つ。
領土内北部ではアルプス山脈が東西に弧を描き、国境をなしている。国境にはマッターホルン や、モンテローザ 、モンブラン のような高峰があり、イタリアの最高点はフランスとの国境線上のモンブラン頂上付近にある。アルプスは北西部で分岐し、イタリア半島を縦断するアペニン山脈 を形成する。アペニン山脈を境に、イタリア半島の気候は、アドリア海側とティレニア海側とでは非常に異なっている。特にアドリア海側は寒冷であり、海岸部ではときにボラ(冬の北東季節風)の影響が及んで冷たい潮風が吹きつける。
火山 国でもあり、特に中部(アブルッツォ州 、ラツィオ州 )と南部ではしばしば地震 が起こる。エトナ山 、ヴェスヴィオ山 などが有名である。エトナ山はヨーロッパ最大の活火山であり、頻繁に噴火 している。時には大きな噴火を起こすこともあるが、特別に危険な火山とはみなされておらず数千人が斜面と麓に居住している。イタリアには多くの川があるが、ポー川 、アディジェ川 、テヴェレ川 が上位3位の長さを持つ。テヴェレ川はアルノ川 源流近くに源を発し、ローマ市内を抜けて流れることで有名である。
地方行政区分
イタリアの州
イタリアの地方行政区分の最上単位は、20の州 (regione) である。各州はさらに、110の県 (provincia) に分かれる。各県にはさらに、コムーネ (comune)(市町村と似た行政区分)が存在する。ローマにはさらに、ローマのムニチーピオ (イタリア語版 ) が存在する。
名称
人口(人)
州都/主府/本部
備考
ピエモンテ州 Piemonte
4,394,580
トリノ (トリノ県 )Torino
1
ヴァッレ・ダオスタ州 (特別自治州)Valle d'Aosta
126,732
アオスタ (州と県が同じ)Aosta
2
リグーリア州 Liguria
1,565,566
ジェノヴァ (ジェノヴァ県 )Genova
3
ロンバルディア州 Lombardia
10,001,304
ミラノ (ミラノ県 )Milano
4
トレンティーノ=アルト・アディジェ州 (特別自治州)Trentino-Alto Adige
1,061,318
トレント (トレント自治県 )Trento
5
ヴェネト州 Veneto
4,907,284
ヴェネツィア (ヴェネツィア県 )Venezia
6
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 (特別自治州)Friuli-Venezia Giulia
1,218,068
トリエステ (トリエステ県 )Trieste
7
エミリア=ロマーニャ州 Emilia-Romagna
4,447,580
ボローニャ (ボローニャ県 )Bologna
8
トスカーナ州 Toscana
3,743,370
フィレンツェ (フィレンツェ県 )Firenze
9
ウンブリア州 Umbria
889,817
ペルージャ (ペルージャ県 )Perugia
10
マルケ州 Marche
1,539,316
アンコーナ (アンコーナ県 )Ancona
11
ラツィオ州 Lazio
5,893,935
ローマ (ローマ県 )Roma
12
アブルッツォ州 Abruzzo
1,322,585
ラクイラ (ラクイラ県 )L'Aquila
13
モリーゼ州 Molise
310,685
カンポバッソ (カンポバッソ県 )Campobasso
14
カンパニア州 Campania
5,840,219
ナポリ (ナポリ県 )Napoli
15
プッリャ州 Puglia
4,066,819
バーリ (バーリ県 )Bari
16
バジリカータ州 Basilicata
571,133
ポテンツァ (ポテンツァ県 )Potenza
17
カラブリア州 Calabria
1,966,819
カタンザーロ (カタンザーロ県 )Catanzaro
18
シチリア州 (特別自治州)Sicilia
5,055,838
パレルモ (パレルモ県 )Palermo
19
サルデーニャ州 (特別自治州)Sardegna
1,654,587
カリャリ (カリャリ県 )Cagliari
20
主要都市
順位
都市
行政区分
人口(人)
都市
行政区分
人口(人)
1
ローマ (ローマ県)
ラツィオ州
2,895,206
11
ヴェネツィア (ヴェネツィア県)
ヴェネト州
258,600
2
ミラノ (ミラノ県)
ロンバルディア州
1,437,436
12
ヴェローナ (ヴェローナ県 )
ヴェネト州
261,411
3
ナポリ (ナポリ県)
カンパニア州
962,736
13
メッシーナ (メッシーナ県 )
シチリア州
226,263
4
トリノ (トリノ県)
ピエモンテ州
870,599
14
パドヴァ (パドヴァ県 )
ヴェネト州
213,975
5
パレルモ (パレルモ県)
シチリア州
658,037
15
トリエステ (トリエステ県)
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州
203,513
6
ジェノヴァ (ジェノヴァ県)
リグーリア州
571,107
16
ターラント (ターラント県 )
プッリャ州
194,014
7
ボローニャ (ボローニャ県)
エミリア=ロマーニャ州
395,602
17
ブレシア (ブレシア県 )
ロンバルディア州
202,074
8
フィレンツェ (フィレンツェ県)
トスカーナ州
375,612
18
プラート (プラート県 )
トスカーナ州
197,352
9
バーリ (バーリ県)
プッリャ州
323,932
19
レッジョ・ディ・カラブリア (レッジョ・カラブリア県 )
カラブリア州
178,249
10
カターニア (カターニア県 )
シチリア州
315,937
20
モデナ (モデナ県 )
エミリア=ロマーニャ州
188,801
2021年国勢調査
経済
イタリアは欧州連合 (EU)加盟国であり、その単一市場 の構成国である
戦後の経済史
イタリア国内は気候、土壌、高度が地域差に富んでいるため、旧来さまざまな農作物の栽培が可能である。ポー平原 を中心に半島全体で冬小麦を産する。半島南部沿岸で野菜と果物が採れる。イタリアは世界有数のワイン 生産国であり、オリーブ とオリーブ・オイル の生産量も多い。酪農も主要な産業であり、ゴルゴンゾーラ 、パルミジャーノ・レッジャーノ をはじめ約50種類のチーズ が生産される。
第二次世界大戦以降、工業が急速に発展し、農業国から転換した。重要な工業に、繊維工業と、硫酸、アンモニア、水酸化ナトリウムの製造などの化学工業がある。そのほか自動車 、鉄鋼 、ゴム、重機械、航空機 、家電製品、パスタ などの食料品の製造業が盛ん。工業の中心地はジェノヴァ、ミラノ、ローマ、トリノである。
1958年から1963年にかけてイタリアはGDP年率+6.3%のめざましい経済発展を遂げ、1959年5月25日にイギリスの日刊紙がイタリアの経済復興のめざましさを指して「奇跡の経済」と名付けた。1960年代後半から圧迫されてきた膨大な財政赤字を立て直した。しかしモンテディソンをめぐるスキャンダルをはじめとして、イタリアの政治経済は混乱していった。
1980年代初頭にはバブル経済 を経験し、GDPでECの牽引役を担う存在であり、巨大な植民地大国だったイギリスを抜き世界第5位となったものの、1990年にはまた戻っている。1990年、イタリアの銀行制度は欧州共同体に同調し大幅に変更され、公営銀行の削減、外国資本に対する規制緩和が行われた。以後政府は輸出を活性化させ、研究開発の促進よりも為替相場をリラ安に誘導することを選択した。EMU (経済通貨統合)への第1陣参加を実現するため、1993年から政府は大規模な歳出削減策を継続して実施した。その結果、財政赤字のGDP比は94年の9.5%から99年には1.9%にまで改善され、目標としていたEUの財政基準(3.0%以内)を達成することができた。1990年代半ばには産業復興公社(IRI)が分解され、多くの企業が民営化した。1998年 12月31日に1ユーロ=1,936.27リラという交換レートが固定された。法定通貨として長年「リラ 」が使われてきたが、2002年1月1日からEU の単一通貨ユーロ (EURO、エウロ )の紙幣や硬貨が流通し[ 15] 、リラは2月末をもって法的効力を失った。
2010年欧州ソブリン危機 により、EU 各国は財政赤字を対GDP比3.0%以内に抑える基準の達成を迫られた。2014年5月、イタリアは財政赤字のGDP比率を低下させる裏技として、麻薬 取引や売春 、密輸 などの地下経済 に着目し、これらを2015年からGDP統計に加算すると発表した。2011年のイタリア銀行 による推計では、イタリアの地下経済の規模はGDPの10.9%を占める規模とされている[ 16] 。
IMF によると、2018年 のイタリアのGDP は2兆722億ドルである[ 17] 。世界8位であり、EU 加盟国ではドイツ 、フランス に次ぐ3位である。また、同年の1人あたりのGDPは3万2,747ドルである。
貿易とエネルギー
イタリアの森林業資源は乏しく、FAO の2017年の統計によれば、森林率は31.97%であり[ 18] 、木材の多くを輸入に頼っている。森林はまず古代ローマ人によって、その後19世紀に大部分が伐採されてしまった。それぞれの目的はマラリア 防止と近代化であった。その結果土壌の浸食が進み、林業の発展の障害となってはいたが、近年は状況の好転がみられる。
1970 - 1980年代にヨーロッパ共同体 (現・EU)加盟国との貿易が増加したが、イタリアは石炭や石油などの原材料を輸入に依存しているため、貿易赤字が続いていた。しかし90年代初頭、リラ切り下げで、外国市場にとってイタリア製品の価格が低下したため、輸出が増加した。貿易相手国の5分の3近くはEU加盟国で、おもな輸出相手国はドイツ、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、輸入相手国はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国、スペインなどである。イタリアはヨーロッパの輸出大国の中で、ドイツに伍して輸出が成長している唯一の国である。2008年より過去7年間、ドイツは7.8%、イタリアは7.6%の割合で輸出が成長している。輸出先で成長が著しいのは、南アメリカ(+79.3%)、トルコ(+35%)、OPEC諸国、ロシア、中国である。
イタリアはエネルギー資源の輸入国であり、ガス、石炭、石油の大部分を外国に依存している。イタリアの発電量の82%は、石油、天然ガス、石炭、亜炭を用いた火力発電 が生み出しており、13%が水力発電 によるものである。イタリアは1950年代後半から原子力発電 の研究開発を開始し、当時の世界原子力技術で最先端であり、1965年時点には3カ所の原子力発電所が稼動していた。しかしながら1986年のチェルノブイリ原発事故 などがきっかけとなり、1987年の国民投票で原発の全面停止を決定し、運転を停止する。1990年には停止中の原子力発電所の運転を再開しないことが決まった。
石油・ガス会社のEni (Eni S.p.A.) はイタリアでもっとも売り上げと利益の多い企業であり、スーパーメジャー の一角を占めている。もとは公営電力会社であったENEL はヨーロッパにおける大手電力会社で、地熱発電 技術では100年の経験蓄積がある。
南北格差
1万リラ紙幣
戦前からミラノとローマがイタリア金融の中心である。主要銀行としてはEU圏1位の資本を持つウニクレディト などがある。
イタリア経済が依然として抱える課題は、南部の工業化の遅れである。ミラノ やトリノ などの北部は工業化が進んでいるが、南部やサルデーニャ などの島嶼部は農業や観光業や軽工業中心で南北格差が大きい。中心工業地帯はジェノヴァ などで、工業化が遅れている南部のターラントには半官半民の製鉄所があり、第三のイタリア が新たな経済の牽引役となっている。政府による工業化育成の努力も、労働力の問題や、多くの産業がマフィアとの結びつきによって成り立っているため大企業の南部進出が阻まれるといった複雑な現実に直面している。多くの労働者が職を求めて南部から北部へ移住しており(国内移民)、南部で耕作が放棄されるなどして一時期は大きな社会問題となった。
国内移民はルーマニアやポーランドなど、ほかのEU諸国からの移民や中東系の外国人移民が増加した現在では言及されることが少なくなった。しかし依然として北部・中部に比べて産業が乏しい南部・島嶼部という経済格差がある。北部の7州2自治州(ピエモンテ州 、リグーリア州 、ロンバルディア州 、ヴェネト州 、エミリア=ロマーニャ州 、ヴァッレ・ダオスタ自治州 、トレンティーノ=アルト・アディジェ自治州 、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州 )、中部4州(トスカーナ州 、ウンブリア州 、マルケ州 、ラツィオ州 )はフランスのパリ周辺やドイツ西部の工業地帯に匹敵する経済力を有している。
対する南部5州(アブルッツォ州 、カンパニア州 、バジリカータ州 、プーリア州 、カラブリア州 )は、戦後復興で著しい経済成長を遂げたアブルッツォ州を除いてポルトガルやギリシャなど欧州後進地域と同程度の経済水準から抜け出せていない。島嶼部2自治州(サルデーニャ自治州 、シチリア自治州 )では資源豊かな島という似た歴史を持ちながら明暗がはっきり分かれており、情報産業が発展したサルデーニャ島に対してシチリア島は農業中心で犯罪組織による経済への悪影響もいまだ根強い。
花形産業
フィアット・500
イタリアの経済に占める自動車産業の割合は、国内総生産の8.5%にものぼる。国内ではコンパクトカー、エコノミーカーが上位を占め、エコロジカル な自動車の売れ行きが伸びている。輸出車の売上高は800億ユーロ(約10兆4,000億円)規模である。南北格差が要因となり輸出が伸び悩んでいる。フィアット がドイツのクライスラー やアメリカのゼネラルモーターズ と提携している。北部の都市モデナにはフェラーリ やランボルギーニ 、アルファロメオ がある。なお、フィアット・パンダ は欧州における新車登録台数3万3,593台(2009年3月)でEUトップとなっている。2位はフォルクスワーゲン・ポロ 。
ジョルジオ・アルマーニ
19世紀ごろから近代服飾・装飾産業が発展し、20世紀から現在にかけては、服飾ブランド のベネトン やプラダ 、グッチ 、ジョルジオ・アルマーニ やジャンニ・ヴェルサーチ 、ジャンフランコ・フェレ 、バレンチノ 、靴のサルヴァトーレ・フェラガモ やトッズ 、宝飾品のブルガリ などが世界各国に輸出されている。
イタリアは幼稚園の先端的教育方法でアトリエリスタと呼ばれる芸術的、工芸的活動の専門家を配置し、人間を育成している。ヴァイオリン などの楽器 、ガラス細工 や工芸美術品もおもな産業となっている。
ほかにも伝統的に映画産業 や観光産業 が盛んである。イタリア映画のみならず、イタリアを舞台にした映画が世界中で作られ公開されており、それらの映画が観光産業を後押ししていると評価されている。
世界観光機関 によると、2015年イタリアの国際観光客到着数 は5位であり、世界経済フォーラム の2017年旅行・観光競争力レポート によるとイタリアの競争力は136か国中8位である。
交通
道路
アッピア街道
アウトストラーダ (イタリアの高速道路 )の図
古くから地中海域の交通の要衝として栄えた。古代ローマ のころには歴代執政官によって街道が整備され、それはアッピア街道 のように史跡として残っているのみならず「執政官街道 」と呼ばれ、現在も使用されている。ローマ帝国時代のローマは、「すべての道はローマに通ず」とさえ呼ばれた。新世界 発見後は帝国郵便 が整備された。
ムッソリーニ時代よりアウトストラーダ (Autostrada) と呼ばれる有料高速道路 網が整備されはじめた。さらに、フィアット社のバックアップもあり高速道路網が全土に敷き詰められている。ただし車が便利と言い切れない。在ミラノ日本国総領事館は、「イタリアにおける運転手のマナーはほかの国と変わらず自己中心的で交通ルールはあってないようなもの、交通事故の危険性も日本に比較してはるかに高い」と説明している[ 19] 。
鉄道
フレッチャロッサ ETR500型
フェッロヴィーエ・デッロ・スタート のグループ会社であるトレニタリア と呼ばれる旧国鉄 (Ferrovie dello Stato) の業務を引き継ぐ民営鉄道会社が全土を網羅し、ローマ-フィレンツェ間の高速新線(ディレティッシマ)を中心にフレッチャロッサ やフレッチャルジェント 、フレッチャビアンカ 呼ばれる高速列車 も多数運転されている。旧国鉄以外ではヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ (NTV Italo)、チルクムヴェスヴィアーナ鉄道 やスッド・エスト鉄道 などがある。
また、ローマ、ミラノ、ナポリなどの主要都市には地下鉄 が整備されている。一部の都市では路面電車やケーブルカー が走っており、市民の足となっている。
海運
ローマ帝国時代前から地中海海域の海運の要所として重要な地であったこともあり、海運が古くから盛んである。現在も地中海クルーズの拠点とされることも多く、有名な港としてはナポリやヴェネツィア、ジェノヴァ、ブリンディジなどがある。
空運
ITAエアウェイズ のA350-900型機
政府が主要株主のITAエアウェイズ が、イタリアのフラッグキャリア として国内線と域内および中長距離国際線を運航するほか、イタリアを本拠地として運航を行う航空会社として、メリディアーナ航空や、エア・ドロミティ などの航空会社があり、それぞれが国内線や域内国際線を運航している。
現在、日本との間にはアリタリア航空が東京国際空港 とローマ の間に直行便を運航させている。
また、パリ やアムステルダム 、チューリッヒ などのヨーロッパの主要都市や、バンコク や香港 、ドバイ などのアジアの主要都市経由で行くこともできる。
科学技術
イタリアにおける科学と技術の歴史は古く、その起源と発祥は古代ローマ時代にまで遡ることが出来る。イタリアは何世紀にも亘って、生物学 や物理学 、化学 や数学 、天文学 ならびにその他の科学技術において多くの重要な発明と発見を生み出しており、科学界を自国のみならず国際的に発展させて来ている。
国民
少子高齢化 が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本 、ドイツ の次に少子高齢化が進行している。
主要民族
イタリアの人口ピラミッド
古代ローマ人 を祖先とするイタリア民族 が国民の主流を占める。国家公用語のイタリア語 がロマンス諸語 に属することや、ローマ人 がラテン人 を中心とした勢力であったことから一般的にラテン系 と考えられることが多い。しかし、ほかの欧州諸国と同じく単純化できるものではなく、ラテン人以外のイタリック人 、エトルリア人 、フェニキア人 、古代ギリシャ人、ケルト系 、ゲルマン系 など多様な祖先が民族の形成に影響を与えている。また近世・近代におけるフランス系 、オーストリア系 、スペイン系 との関わりもある。
イタリア統一後、標準語の制定、方言や地方言語の廃止、徴兵制や初等教育の普及によって国民の均一化を進め、段階的に民族意識の浸透が進んだ。イタリア民族主義 (英語版 ) の高まりは未回収のイタリア を求める戦争 を生み、民族 の完全統合を目指す民族統一主義 (イレデンティズム)の語源ともなった。イタリアにおけるナショナリズムがもっとも大きく高まったのは第一次世界大戦 であり、国粋主義 や民族運動が高揚した。こうした流れは最終的に20年以上にわたって続くファシズム 政権を生み出し、全体主義 体制によってイタリア化 (英語版 ) と呼ばれる民族浄化 政策が推進された。
少数民族・難民
イタリア国内における少数民族としては南チロル のチロル人 などが挙げられる。かつてイストリア半島などではスラブ系の住民も存在したが、上記の通りファシズム体制下で徹底した弾圧を受けた。ファシズム政権後の現代では一定の自治権を認められつつあるが、統一以来の集権政策も継続されている。近年は地中海 やアドリア海 に面しているという要素から移民や難民の流入が続き、失業や貧困、治安問題、生活習慣や宗教上の軋轢など大きな社会問題を引き起こしている。
移民大国のフランスやドイツには及ばないものの、2016年における外国人人口は502万6,153名を数え[ 21] 、イタリア国民の1割近くに達しつつあり、移民2世・3世の定着も進んでいる。移民グループでもっとも多いのは同じローマ人 を祖先とするルーマニア人 で、2014年時点で100万名以上が移民しており、国内で批判の対象とされることも多い。次いで地中海やアドリア海を越えて訪れるモロッコ人 とアルバニア人 が挙げられる。アジア系では中国系移民(華人 )がトップを占め、数年で倍近く増加している。
対テロ戦争 、アラブの春 、シリア内戦 、ISIL (イスラム国)の台頭などで中東が混乱してからは、海路でイタリアに不法上陸する者が急増した。2013年10月には、ソマリア 人とエリトリア 人をおもに載せた船が沈没、368人が死亡する事件があり、それ以降、イタリア海軍 は不法移民を救助する活動に力を入れているが[ 22] [ 23] 、国民の間では難民への反感も高まっている。
言語
公用語はイタリア語。エスノローグ による調査では、イタリア国民のうち約5,700万名がイタリア語 を使用している[ 24] 。欧州連合による調査では、イタリア語を母国語としているのはEU圏内で約6,500万名になっている[ 25] 。
方言・地方言語
等語線 のラ・スペツィア=リミニ線 があり、この線の北西の北イタリア (西ロマニアの側)と、南東にあたる中南部のイタリア(東ロマニアの側)では言葉が異なる。東ロマニアに分類される中部イタリアのトスカーナ州の言葉を中心に標準語が形成されている。北イタリアではフランス語などに近い西ロマニアの言葉であるガロ・イタリア語 を使用する[ 注釈 6] 。
イタリアは歴史的に別の国に分かれていた期間が長いため方言の差が激しいとされているが、そもそも言語成立の過程にも複雑な事情が絡んでいる。古代ローマで話されていた言葉(ラテン語)の俗語形である「俗ラテン語 」が、ローマ消滅以降にかつての統治領(イタリア・フランス・スペインなど)ごとに統一性を失って方言化した際、イタリア各地のラテン語方言がイタリア地方特有の変化を遂げたと判断した人々が、近世 になってこれらをひとつの言語体系(イタリア語)と定めたことに起因する。
言語と言語の違いを研究する作業は古くから言語学 の分野で行われていたが、どの程度の類似性をもって「同じ系統の言語」(方言 )とするのか、あるいは「異なる系統の言語」とするのかの客観的判断はほとんど不可能で、結局は個々人の価値観に頼るしかなく、民族 問題や領土主張との兼ね合いもあって政治的判断が下されるケースが多い(「言語とは軍に守られし方言である」という皮肉も存在する)。よってイタリア語も方言の集合体とするか、無数の独立言語とするかは政治的に決定され、当時の民族主義 政策に基づいて方言であるとされた。近年はEU統合の流れから欧州各国で方言を地域言語と認める動きが芽生え始めており、イタリアでも方言を地域言語として承認するべきかどうか盛んに意見が重ねられている。こうした現象はイタリアだけでなく、同じ経緯を持つほかのロマンス諸語 でも発生しているほか、ゲルマン語派 のドイツ語でも方言の尊重と権利拡大が進められている。
現在、エスノローグ はイタリア共和国内に以下の少数言語の存在を認めている。
外国語
一部の特別自治州、ヴァッレ・ダオスタ州でフランス語、トレンティーノ=アルト・アディジェ州ではドイツ語も使用する。フリウリ地方ではフリウリ語 、南ティロルではラディン語という、イタリア語よりラテン語 に近いレト・ロマンス語系 の言葉を母語とする住民もいる。また、最南部のカラブリア州には東ローマ帝国 統治下(マグナ・グラエキア )の影響を残すギリシャ語 系のグリコ語の話者も存在する。さらに、オスマン帝国時代のアルバニアからイタリア南部に定着した人々の子孫はアルバニア語 の方言を母語とする。サルデーニャ島では、イタリア語系のサルデーニャ語 (イタリア語の一方言とする説もある)が話される。アルゲーロ ではアラゴン=カタルーニャ連合王国 支配の影響からカタルーニャ語 の方言が話される。
婚姻
婚姻においては基本的に夫婦別姓 となっているが、結合姓も認められている。
子の姓に関しては、伝統的には父親の姓としていたが、父親の姓としなければならないという法律は存在しないとの理由で、母親の姓を子の姓としてよいことが裁判を通し2012年に認められた[ 26] 。
また、イタリアはきわめて離婚が少ない国として知られている[ 27] 。
宗教
バチカン市国 南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂
2014年の推定では、キリスト教 のカトリック教会 が75.2%[ 注釈 7] と最大で、残りの大半が無宗教 または無神論者 で、数%のムスリム のほか、その他宗教が1%未満となっていた[ 29] [ 30] 。
4分の3と最大多数のカトリックであるが、信条はリベラルであり、カトリック教会の教義 に反して同棲 ・離婚 ・妊娠中絶 などについては大多数が肯定的であるとの報告も出ている[ 31] 。
プロテスタント は少数で、アラブ系 移民 の増加により、イスラム教 は近年増加傾向にある。
教育
保健
医療
イタリアの医療は、1978年より税金を原資とするユニバーサルヘルスケア が施行されており[ 32] 、公営・民営の混合制度となっている。公営制度はServizio Sanitario Nazionale と呼ばれる公費負担医療 であり、保健省が方針を定め、現場は地方自治体が運営している。保健支出は2008年にはGDPの9.0%ほどであり、OECD各国平均の8.9%より若干上であった。2000年にはWHOより、医療制度の効率性は世界2位、市民の保健状態については世界3位と評されている[ 33] 。
平均余命は82.7歳、2013年には世界8位であった[ 35] 。健康上のリスクとしては、イタリアはほかの西欧各国と同様に肥満 者が増えており、人口の34.2%が太りすぎと自己申告、また9.8%が肥満だと自己申告している[ 36] 。日常的な喫煙者は2008年では人口の22%であり[ 37] 、2005年からは公共のバー、レストラン、ナイトクラブにおいては隔離された喫煙室が設けられるようになった[ 38] 。
治安
イタリアの治安は、ヨーロッパ諸国の中で最も不安定さが顕著な状態となっている。イタリア政府は犯罪組織(マフィア )の取締りの強化ならびに不法移民問題の解消などを中心とした総合的な治安対策に取り組んでおり、その甲斐もあって効果が現れて来ている。
2016年のイタリア内務省の統計によると、犯罪認知件数は約250万件で前年と比較すると7.99%減少している。しかし、それに反してスリ が約16万件(前年比6.39%減)、ひったくり が約1.7万件(前年比6.22%減)と多数発生していることから、イタリアに滞在中はこれらの犯罪に対して用心と予防が必要となって来る。
また、外国人観光客の犯罪被害報告が多く寄せられており、都市部ではローマやミラノ、フィレンツェ、ナポリなどの観光地に被害が集中している。これらの観光地における日本人観光客などの犯罪被害は依然として多く、窃盗 (車上荒らし や置き引き やひったくり、スリ)をはじめとして強盗(睡眠薬 強盗など)や押し売り 、バー のぼったくり 行為が発生しており、さらには警察官になりすました外国人犯罪者が偽札 や違法薬物 の捜査などと称し、所持品検査を装って現金やクレジットカード を窃取する事件なども相次いで発生していることから滞在中の外出や散策は常に警戒を強める姿勢が求められている[ 39] 。
法執行機関
イタリアにおける法執行は国家レベルで集中化されている面が強く、複数の警察組織やその他の公的機関が様々な公務や任務に参与している。また、法執行制度も複雑であると捉えられており、実際に少数の限定された地方機関からの助力を得たり、複数の省庁によって執行を実施されていることが多い[ 40] 。
警察
イタリアにおける法執行機関・警察機構は、複合であり、国家レベルの組織のみでも5つある。その他に、地方自治体の警察組織として、県レベルの地方警察 (Polizia Provinciale)、コムーネ レベルの自治体警察 (Polizia Municipale) がある。
国家レベルの警察組織は以下のものである。
このほか、イタリア沿岸警備隊 がイタリア海軍 の傘下にあり、海上交通整理、捜索救難、漁業監視、不法移民に対する海上監視などを行っている。
マフィア
歴史が示すように、マフィア はイタリアの経済と社会に多大な影響力を持っている。マフィアとは元来 中世後期にシチリアで生まれた秘密結社で、親族組織からなり、冷酷な暴力とオメルタ という厳しい掟で知られる[ 注釈 8] 。
19世紀後半にはシチリアの田園地帯を支配し、地方当局への介入、ゆすり 、市民に対するテロ活動を行っていた。戦間期はムッソリーニがマフィアを弾圧したため、彼らは移民に混じって北米に渡った。この時代を除いて、マフィアはイタリア南部を中心に合法・非合法活動を展開した。合衆国で服役中のラッキー・ルチアーノ が第二次世界大戦のハスキー作戦 に協力してから、マフィアは戦後の国際政治にまで関係するようになった。そして1970年代 までに世界の代表的な麻薬 のヘロイン 取り引きの大部分がマフィアの支配下に入った。Confesercentiの報告書で、マフィアの総売上高は900億ユーロに相当するという。この犯罪収益は資金洗浄 の対象である。
人権
マスコミ
文化
北イタリアのトスカーナ 地方はルネサンス 発祥の地であり、またその中心地でもあった。この影響下で数多くの芸術家が輩出され、同時に作品も制作された。詳しくはルネサンスの項を参照されたい。
また、ジュゼッペ・ヴェルディ の『アイーダ 』などオペラ や音楽なども多く知られる。民衆音楽ではカンツォーネ と呼ばれるナポリの歌謡曲が有名である。バレエ の発祥の地ともされる。現代においてもノーベル賞 作家を輩出し、映画においても絶えず世界的な作品を送り出している。
食文化
イタリアを代表する有名な料理の一部。 時計回りにピッツア・マルゲリータ 、スパゲッティ・カルボナーラ 、エスプレッソ 、ジェラート
イタリア料理は地方色が強く各地方料理の集合体のようなものであり、北部はバター やチーズ を多く使い、南部はトマト やオリーブオイル を多用する傾向がある。また沿岸部は魚 を食べるが、内陸部はほとんど食べない、シチリア島はマグリブ の食文化の影響があり、北東部はオーストリア料理 やハンガリー料理 など中欧に近い食文化があるなど地域色豊かである。
おもにパスタ やパン を主食とし、北部のポー川流域では米 をよく食べる。北部の一部地域にはパンの代用としてトウモロコシ の粉でできたポレンタ を食べる地域もある。イタリア料理のピザ などもある。
食事にワイン を合わせる習慣があり、基本的にはその土地のワインを飲む。また、サラミ 、ハム などの肉 製品、チーズの種類の豊富なことも特徴である。コーヒー の消費も多く、イタリア式のいれ方にはエスプレッソ 、カプチーノ 、カフェ・ラッテ が有名。一方、ヨーロッパの国としては珍しくタコ も食べる[ 注釈 9] 。
文学
ダンテ・アリギエーリ サンドロ・ボッティチェッリ 作
近代イタリア語の基礎はフィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリ によって創設され、彼の偉大な作品『神曲 』は中世 ヨーロッパで最高の文学作品だと考えられている。イタリアはそれ以外にも祝福された文学者に不足しなかった。例を挙げるならジョヴァンニ・ボッカチオ 、ジャコモ・レオパルディ 、アレッサンドロ・マンゾーニ 、トルクァート・タッソ 、ルドヴィーコ・アリオスト 、フランチェスコ・ペトラルカ のような人物の名が挙げられ、彼らのもっとも知られた表現の媒体は彼らがイタリアで生んだソネット だった。近代の文学者であり、ノーベル文学賞受賞者には、1906年受賞の国民主義詩人ジョズエ・カルドゥッチ 、1926年受賞の写実主義作家のグラツィア・デレッダ 、1934年受賞の近代劇作家ルイージ・ピランデッロ 、1959年受賞の詩人サルヴァトーレ・クァジモド 、1975年受賞のエウジェーニオ・モンターレ 、1997年受賞の風刺家かつ劇作家ダリオ・フォ の名が挙げられる[ 41] 。
哲学
ルネサンスの時代には、ジョルダーノ・ブルーノ やマルシリオ・フィチーノ 、ニッコロ・マキャベリ 、ジャンバティスタ・ヴィコ のような傑出した哲学者が現れた。
20世紀前半において、イタリアではベネデット・クローチェ やジョヴァンニ・ジェンティーレ によって新ヘーゲル主義 が新観念論 に昇華した。ジェンティーレの哲学はファシズム の理論的支柱となった。そのほかにも特筆されるべき哲学者として、マルクス主義 の新たな読み方を発見し、サバルタン やヘゲモニー といった概念につながる思想を生み出したアントニオ・グラムシ や、市民社会論的にヘーゲルを読み直したジョエーレ・ソラーリ が挙げられる。
20世紀後半においてはマルチチュード を新たな概念として昇華したマルチチュード学派 のアントニオ・ネグリ や、ホモ・サケル 論で知られるジョルジョ・アガンベン などが活躍している。
音楽
クラシック音楽
現在も世界で用いられる音楽用語の多数がイタリア語であることからもわかるように、イタリアはルネサンス音楽 の後期からバロック音楽 、古典派音楽 の時代において西洋音楽の中心地であった。ルネサンス音楽ではジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ が知られている。
バロック音楽初期ではクラウディオ・モンテヴェルディ 、中期ではアレッサンドロ・スカルラッティ 、アルカンジェロ・コレッリ 、後期ではアントニオ・ヴィヴァルディ が名高い。
古典派音楽時代も当時としてはイタリアが音楽の中心地であったが、現代の視点から見れば、18世紀終盤からウィーン古典派 の台頭、続くヨハン・ゼバスティアン・バッハ の復権などによって主導権はドイツ・オーストリ圏に移った。古典派音楽時代のイタリアの作曲家にはドメニコ・チマローザ 、ルイジ・ボッケリーニ などがいるが、ウィーン古典派に比べ、現代では演奏機会は比較的少ない。
ロマン派音楽 時代もオペラに関してはイタリア音楽は人気を集め、前期においてはジョアッキーノ・ロッシーニ 、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ 、ガエターノ・ドニゼッティ らが活躍した。中期においてはジュゼッペ・ヴェルディ 、後期にはジャコモ・プッチーニ らの作曲家を輩出したイタリアがなお大勢力を保ち続け、今なおオペラといえばイタリアというイメージは強い(ただし、長年の財政難からカンパニーを維持できない歌劇場が多く、現在では上演数に関してはドイツに3倍の差をつけられてしまった。首都のローマ歌劇場すら今世紀に入って管弦楽団と合唱団の全員解雇が宣告されたことがある)。
一方で、交響曲など器楽曲分野では19世紀以降は発展が滞り、20世紀初頭の近代音楽 の時代に入ってオットリーノ・レスピーギ やジャン・フランチェスコ・マリピエロ らが魅力的な作品を発表したが、既に音楽発展の中心地ではなくなっていた。
現代音楽 においてはルイジ・ノーノ やルチアーノ・ベリオ が名高い。
ポピュラー音楽
美術
ベルニーニ 作『聖テレジアの法悦 』
ルネサンス後期のイタリア美術をマニエリスム という。それ以降、イタリア独自性は作品から消えてしまった。
19世紀後半、色彩豊かなマッキア派 が登場した。20世紀はじめに未来派 という好戦的なモードが生まれた。1910年代は形而上絵画 という抽象画の量産が社会不安を象徴した。イタリアらしさは外圧に原像をかき消されて表現できなくなっていった。
第二次世界大戦後にアルテ・ポーヴェラ やトランスアバンギャルド といった美術運動がみられた。
映画
フェデリコ・フェリーニ
イタリア映画の歴史はリュミエール兄弟 が活動写真の公開を始めてからわずか数か月後に始まった。最初のイタリア映画は、教皇レオ13世がカメラに祝福して見せた数秒間のものだった。イタリアの映画産業は1903年から1908年の間に3つの映画会社とともに生まれた。ローマのチネス、トリノのアンブロシオ、イタラ・フィルム社がそれである。ほかの会社はすぐにミラノやナポリに設立された。まもなくこれら最初の会社は公正な制作力に達し、作品はすぐに外国に売られていった。映画はのちにベニート・ムッソリーニによって第二次世界大戦までプロパガンダ のために使われた。
戦後、イタリアの映画は広く認知され、1980年ごろの芸術的な凋落まで輸出された。この時期の世界的に有名なイタリアの映画監督としては、ヴィットリオ・デ・シーカ 、フェデリコ・フェリーニ 、セルジオ・レオーネ 、ルキノ・ヴィスコンティ 、ピエル・パオロ・パゾリーニ 、ミケランジェロ・アントニオーニ 、ダリオ・アルジェント などの名が挙げられる。ネオレアリスモと呼ばれる重厚な現実主義から出発し、次第に奔放華麗な前衛性を獲得、さらに残酷味を前面に出したマカロニウェスタンからホラーへと展開する娯楽映画など、その幅は驚くほど広い。お国柄を生かした歴史劇や、日本での紹介は少ないが喜劇の伝統も厚い。世界の映画史に残る作品としては、『甘い生活 』『続・夕陽のガンマン 』『自転車泥棒 』などが挙げられる。
イタリアに関する芸術作品
音楽
文学
映画
ルキノ・ヴィスコンティ 『白夜』
フェデリコ・フェリーニ 『甘い生活』
ヴィットリオ・デ・シーカ 『昨日・今日・明日』
宮崎駿 『紅の豚 』
オードリー・ウェルズ 『トスカーナの休日』
漫画
被服・ファッション
ミラノ・コレクション (2010年)
イタリアのファッション は、フランス、アメリカ合衆国 、イギリス 、日本 のファッションと並ぶ、世界で最も重要な服飾文化の1つと見なされている。
建築
イタリアは歴史上、非常に多様かつ幅広い建築様式を持っており、その起源は紀元前のローマ帝国時代にまで遡ることが出来る。
また、1861年まで同国地域が小国の設立など様々な形で分割されていたため、時代や地域で分類することは簡単に出来ないものとなっており、ヨーロッパにおける建築のカテゴリーでも複雑化した状態となっている。
世界遺産
イタリア国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産 が45件、自然遺産 が4件存在している(2013年現在)。2014年時点で、世界遺産がもっとも多い国である[ 42] 。
祝祭日
この他には、各州に「州の記念日」と呼ばれる祝日が存在している。なお、それらの祝日は必ずしも休日として扱われているわけではないことを留意する必要がある。
スポーツ
イタリアでは伝統的にサッカー (カルチョ)が最も人気のスポーツであり、その他にもF1 やミッレミリア などのモータースポーツ も人気である。さらに自転車競技 やマリンスポーツ 、プロリーグ もあるバレーボール なども盛んである。また、北部山岳地域にコルティーナ・ダンペッツォ などのスキー のリゾート が多数あることから、ウィンタースポーツ も人気である。中部にはアペニン山脈 があり、登山も盛んとなっている。近年、シックス・ネイションズ に加わった影響もありラグビー も人気が高まっている。バスケットボール などのアメリカ 発祥のスポーツも、他のヨーロッパ諸国に比べると盛んである。
イタリアは過去に1回の夏季オリンピック (1960年ローマ五輪 )と2回の冬季オリンピック (1956年コルチナ・ダンペッツオ五輪 、2006年トリノ五輪 )を開催していて、今後2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪 の開催を予定している。また、第1回パラリンピック は1960年 にローマ で行われた。
サッカー
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ
カルチョ と呼ばれる16世紀 のイタリアに起源を持つフィレンツェ 古代サッカー発祥の地として知られ、イングランド のフットボール と双璧の存在となっている。イタリアは数多くのスター選手を輩出してきた強豪国であり、FIFAワールドカップ にはこれまで全22回中18回出場し4度の優勝を達成しており[ 注釈 10] 、準優勝にも2度輝いている。さらにUEFA欧州選手権 でも、2度の優勝と2度の準優勝の実績を誇る。
イタリアサッカー連盟 (FIGC)によって編成されるサッカーイタリア代表 は、ユニフォームの青い色からアズーリ と呼ばれている[ 43] 。イタリア語 で「鍵をかける」という意味の、カテナチオ と呼ばれる鉄壁の守備をベースとして現在に至る。しかし近年は攻撃陣のタレントも豊富で、かつての守備だけのチームではなくポゼッションを重視したチームになりつつある。また、伝統的に綿密な戦術を重んじる傾向があり、アリゴ・サッキ やジョバンニ・トラパットーニ などの名将が、現代サッカーにおけるフォーメーションを考案してきた。
1898年 に創設されたセリエA は世界最高峰のサッカーリーグの一つであり、UEFAチャンピオンズリーグ ではACミラン が7度、インテル・ミラノ が3度、ユヴェントス が2度の優勝を果たしている。コッパ・イタリア と呼ばれる国内のカップ戦 も行われている。また、日本人選手でセリエAのビッグクラブ に在籍した事があるのは、中田英寿 、長友佑都 、本田圭佑 の3名である[ 44] 。
バスケットボール
イタリア国内には欧州屈指の強豪リーグである、レガ・バスケット・セリエA と呼ばれるプロバスケットボール リーグが存在している。2006年にNBAドラフト 1位指名されたアンドレア・バルニャーニ は、NBA の外国人としては史上2人目、ヨーロッパ人としては史上初となった。イタリアバスケットボール連盟 により派遣されるバスケットボールイタリア代表 は、これまでオリンピック に13回、ワールドカップ (旧:世界選手権)に9回出場している。2004年のアテネ五輪 では、アメリカ の銅メダルを上回る「銀メダル」を獲得した。さらにユーロバスケット では、1997年大会 で銀メダル、1999年大会 で金メダル、2003年大会 では銅メダルを獲得している。
モータースポーツ
四輪
フェラーリ のF1マシン
多数の自動車・バイクメーカーを持つイタリアは、モータースポーツ の創成期から多くのコンストラクターとレーシングドライバー を輩出してきた。また、AGV やアルパインスターズ といった装備品メーカーも多くイタリアに存在している。F1 にはアルファロメオ 、マセラティ 、フェラーリ が1950年の開幕年から参戦。スクーデリア・フェラーリ の創業者であるエンツォ・フェラーリ は、エミリア=ロマーニャ州 ・モデナ 近郊のマラネッロ に拠点を構え、「北の教皇」の異名をとった。1950年代でアルファロメオ・マセラティは撤退してフェラーリのみが残り、現在まで唯一開幕から撤退せず参戦しているメーカーとして名を馳せている。
フェラーリは2000年代前半に黄金時代を築いた「皇帝」ミハエル・シューマッハ など、多くのワールドチャンピオンを輩出している。アルファロメオは2019年にザウバー を買収して復活した。またアルファタウリ(旧:トロ・ロッソ )は、ミナルディ を買収して成立した経緯から、非イタリア系でありながらイタリアを拠点としている珍しいF1チームである。また、レーシングコンストラクターのダラーラ は、インディカーやスーパーフォーミュラ 含む現在世界各地域のワンメイクフォーミュラのシャシー供給を独占している。
WRC ではフィアットとランチア が活躍(ランチアの実働部隊はアバルト であった)。特にランチアはラリー037、デルタ・インテグラーレといった名車を多く世に送り出し、現在でも破られていないマニュファクチャラーズ選手権6連覇という偉業をなしとげた。しかしグループA 規定を最後に撤退し、以降はアバルト がスーパー2000 やグループR-GT にプライベーター向けマシンを細々と供給しているのに留まっている。スポーツカーレース ではフェラーリ、ランチア、ランボルギーニ が活躍。フェラーリは1940年代~1960年代に何度かル・マン24時間レースで総合優勝を経験し、以降も現在までGTマシンによるプライベーター(ワークス支援含む)の参戦が続いている。
また、2021年からハイパーカー でル・マンに参戦するアメリカのスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス は、イタリアのチームが主体となってマシン製作やチームオペレーションを行っている。なお、日本人ドライバーでイタリアのワークス・チーム入りを果たしたのは、2013年の小林可夢偉 が唯一の例である。
二輪
2輪ロードレースの世界ではドゥカティ 、アプリリア 、MVアグスタ などが知られる。MVアグスタは黎明期のロードレース世界選手権 (現MotoGP、旧称WGP)において活躍し、空前絶後のライダースタイトル17連覇を達成している。その後MVアグスタは消滅したため、長らく日本メーカーの支配が続いているが、それでも2007年と2020年にドゥカティがコンストラクターズタイトルを獲得している。またヤマハのMotoGPチームは本拠地をイタリアに構えている。
スーパーバイク世界選手権 では、ドゥカティのVツイン(V型2気筒 )エンジンが規則の優遇も利用して一時期黄金時代を築いた。しかし規則が見直されて4気筒が頭角を表して以降は徐々にタイトルから遠ざかっている。ライダーとしてはジャコモ・アゴスチーニ がMVアグスタでWGP500ccクラスと350ccクラスの7連覇という偉業を達成している(このうち5連覇は500ccと350cc同時であった)。MotoGPに改称後はバレンティーノ・ロッシ が5年連続ワールドチャンピオンとなった。ほかにもフランコ・ウンチーニ 、マルコ・ルッキネリ 、リベロ・リベラッティ 、ウンベルト・マセッティ といった最高クラスでの王者がいる。
自転車競技
ロードレース では、三大グランツール の一つであるジロ・デ・イタリア 、モニュメンツ のミラノ〜サンレモ 、イル・ロンバルディア が開催されるなど人気は高い。20世紀前半にはアルフレッド・ビンダ 、ジーノ・バルタリ 、ファウスト・コッピ などが活躍した。20世紀終盤から21世紀にかけては、総合系ではマルコ・パンターニ 、ジルベルト・シモーニ 、イヴァン・バッソ 、ヴィンチェンツォ・ニバリ 、スプリンター ではマリオ・チポッリーニ 、アレッサンドロ・ペタッキ 、エリア・ヴィヴィアーニ 、ジャコモ・ニッツォーロ といった強豪選手を次々と輩出している。
競馬
イタリアも競馬が盛んな国のひとつであったが、21世紀のユーロ危機 以降は賞金不払い問題など危機的な状況に陥っており、サラブレッド生産頭数が4分の1に落ち込んでいる。歴史のあるミラノ大賞典 や伊ダービー といった大競走もG1の格付けを維持できていない。平地競走 より人気のあった繋駕速歩競走 も状況は悪く、スタンダードブレッド の生産頭数も半減している。以後イタリア競馬 は崩壊しているものの、かつてその規模に似つかわしくないほど強力な競走馬を輩出した歴史を持つ。20世紀世界最強馬の候補として常に言及されるリボー 、非常に人気のあった競走馬であるヴァレンヌ の2頭は世界の競馬関係者に記憶される存在である[ 45] 。また、14戦不敗のネアルコ は競走馬としてはリボーほどの評価は得ていないが、その子孫は強力に繁栄してその血を持たないサラブレッドはほとんどいない状況となっている。
その他の競技
イタリアはバレーボール も盛んで、特にトップリーグであるセリエA は世界的に見ても非常に珍しい「バレーボールのプロリーグ」である。この他にも、カップ戦 であるコッパ・イタリア など多くの大会が行われている[ 46] [ 47] 。かつては日本からも、大林素子 や吉原知子 などといったトップ選手がイタリアに渡りプレーしていたことがある[ 48] 。イタリア代表も、男子チーム ・女子チーム 共に世界選手権 や欧州選手権 の優勝経験があり、欧州の強豪チームの一角を占める。
イタリアは野球 も強豪であり、イタリア代表 は過去5回のWBC の全ての本戦に出場している。2023年は初のベスト8入りを果たした。欧州選手権 の優勝回数はオランダ に次ぐ2位である。国内野球リーグのセリエA も存在し、チャンピオンシップ にも多く出場している。
また、北にはアルプス山脈 、本島にはアペニン山脈 、その他エトナ山などイタリアは様々な山岳地域に恵まれているので登山 も盛んである。モンブラン 初登頂をし、近代登山を築いたJ・バルマやM・G・パカールなどをはじめ、ラインホルト・メスナー やスキー登山家でもあるマッテォ・ペドリアーナ、グイド・ジャコメッリなどが有名である。さらに、日本ではマイナーな山スキー の大会が冬頻繁に行われており、南チロル やアオスタ を中心に上記の山脈に近い地域では山スキーのメッカである。上記のペドリアーナ、ジャコメッリもその中の一人である。
著名な出身者
脚注
注釈
出典
^ “Human Development Report 2014 – "Sustaining Human Progress: Reducing Vulnerabilities and Building Resilience" ”. HDRO (Human Development Report Office) United Nations Development Programme . 25 July 2014 閲覧。
^ International Monetary Fund (IMF), World Economic Outlook (WEO) Database- GDP Nominal 2010 to 2019 , imf.org, October 2014 Edition
^ POLITICO,MallinderoMallinder, Lorraine (30 January 2008)EU’s ‘big four’ speak as one ahead of G7 in Tokyo
^ Sterio, Milena (2013). The right to self-determination under international law : "selfistans", secession and the rule of the great powers. Milton Park, Abingdon, Oxon: Routledge. p. xii (preface)
^ O’Sullivan, Michael; Subramanian, Krithika (2015-10-17). The End of Globalization or a more Multipolar World? (Report). Credit Suisse AG.
^ a b Riganti, dir. da Alberto (1991). Enciclopedia universale Garzanti (Nuova ed. aggiornata e ampliata. ed.). Milano: Garzanti.
^ 帝国書院編集部、2017、『新詳高等地図』、帝国書院 平成29年度版
^ 久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、252頁
^ 相賀徹夫 編『日本大百科全書』 2巻、小学館、1985年、355頁。
^ 久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、252~357頁
^ “総選挙で中道右派連合が勝利、初の女性首相誕生へ ”. 2024年4月18日 閲覧。
^ “イタリア 「一帯一路」からの離脱 中国側へ正式に伝える ”. 日本放送協会. 2024年1月11日 閲覧。
^ a b “Trends in World Military Expenditure, 2019 ”. Stockholm International Peace Research Institute (27 April 2020). 27 April 2020 閲覧。
^ バリシア・クレキッチ著 田中一生訳 『中世都市ドゥブロヴニク アドリア海の東西交易』 1990年 彩流社
^ “EUにおける通貨統合 ”. 外務省 (2008年4月). 2020年5月6日 閲覧。
^ “麻薬、売春など地下経済をGDPに加算へ、英伊で動き” . AFPBBNews (フランス通信社). (2014年6月25日). https://www.afpbb.com/articles/-/3018753?ctm_campaign=nowon 2014年6月25日 閲覧。
^ “世界の名目GDP 国別ランキング・推移 ”. Global Note. 2020年5月6日 閲覧。
^ “世界の森林率 国別ランキング・推移 ”. Global Note. 2020年5月6日 閲覧。
^ “安全運転のために - 在ミラノ日本国総領事館 ”. www.milano.it.emb-japan.go.jp . 2021年1月3日 閲覧。
^ (映らない)
^ 川口マーン惠美 (2013年10月16日). “地中海で相次ぐ難民船の沈没事故とEUの責任 もっと受け入れたい気持ちはあっても空回り” . 日本ビジネスプレス . http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38911 2014年8月23日 閲覧。
^ “欧州への不法移民:海から押し寄せる大波” . 日本ビジネスプレス . (2014年8月21日). http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41532 2014年8月23日 閲覧。 [リンク切れ ]
^ Italian
^ Eurobarometer – Europeans and their languages (PDF , 485 KB) , February 2006
^ "Italy told: No law says baby has to have dad’s surname", the journal.ie, Jan 8th 2014.
^ Demographic Yearbook 2013, United Nations
^ Eurobarometer 90.4: Attitudes of Europeans towards Biodiversity, Awareness and Perceptions of EU customs, and Perceptions of Antisemitism . European Commission. http://zacat.gesis.org/webview/index.jsp?headers=http%3A%2F%2F193.175.238.79%3A80%2Fobj%2FfVariable%2FZA7556_V11&V162slice=1&stubs=http%3A%2F%2F193.175.238.79%3A80%2Fobj%2FfVariable%2FZA7556_V162&previousmode=table&V162subset=1+-+14&study=http%3A%2F%2F193.175.238.79%3A80%2Fobj%2FfStudy%2FZA7556&charttype=null&V11subset=5&mode=table&v=2&weights=http%3A%2F%2F193.175.238.79%3A80%2Fobj%2FfVariable%2FZA7556_V370&analysismode=table&gs=7&V11slice=5&top=yes 2 August 2019 閲覧。
^ EURISPES Report Italy 2014
^ ピュー研究所 (Pew Research Center) The Global Religious Landscape
^ it:CORRIERE DELLA SERA Italia, quasi l’88% si proclama cattolico
^ “Italy – Health ”. Dev.prenhall.com. 2 August 2010 閲覧。 [リンク切れ ]
^ Haden, Angela; Campanini, Barbara, eds. (2000), The world health report 2000 - Health systems: improving performance , 世界保健機関 , p. 153, ISBN 92-4-156198-X , http://www.who.int/whr/2000/en/whr00_en.pdf
^ “WHO Life expectancy ”. WHO. 1 June 2013 閲覧。
^ “Global Prevalence of Adult Obesity ” (PDF). International Obesity Taskforce . 11 December 2009時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年1月29日 閲覧。
^ World Health Organization (2008) (PDF). WHO Report on the Global Tobacco Epidemic, 2008: the MPOWER package . World Health Organization . pp. 267–288. ISBN 978-92-4-159628-2 . http://www.who.int/entity/tobacco/mpower/mpower_report_full_2008.pdf 1 January 2008 閲覧。
^ “Smoking Ban Begins in Italy” . Deutsche Welle . (10 January 2005). http://www.dw-world.de/dw/article/0,,1453590,00.html 2010年10月1日 閲覧。
^ “イタリア 安全対策基礎データ「犯罪発生状況、防犯対策」 ”. 外務省. 2021年10月10日 閲覧。
^ Reece Walters (2013). “Eco Mafia and Environmental Crime”. In Kerry Carrington; Matthew Ball; Erin O'Brien et al.. Crime, Justice and Social Democracy : International Perspectives . Critical Criminological Perspectives (CCRP). Palgrave Macmillan. p. 286. doi :10.1057/9781137008695_19 . ISBN 978-1-349-43575-3
^ All Nobel Laureates in Literature
^ “世界遺産の多い国 ”. 外務省. 2016年1月28日 閲覧。
^ “驚きの珍理由も!「チームカラーの決め方が意外だった」ユニフォーム7選 ”. Qoly . 2020年5月5日 閲覧。
^ “本田、ミラノ・ダービーで長友と日本人初対決! ”. サンケイスポーツ. 2014年11月25日 閲覧。
^ "Ribot, 40 anni fa moriva il Mito Una lezione mai imparata ", ALTRI SPORT, 30 aprile 2012.
^ “Albo d'Oro Coppa Italia A1 ”. Legavolley. 2015年2月13日 閲覧。 “男子”
^ “Albo d'Oro Coppa Italia A1 ”. Legavolley femminile. 2015年2月13日 閲覧。 “女子”
^ “夢と感動と愛を与えた日本バレー界の偉人5人 ”. 【SPAIA】スパイア (2016年7月23日). 2020年11月19日 閲覧。
参考文献
OECD Society at a glance 2014 (Report). OECD. 2014. doi :10.1787/soc_glance-2014-en 。
パンフィロ・ジェンティーレ/野上素一訳 『イタリア現代史』 世界思想社 1967年
北原敦編 『イタリア史』 山川出版社 2008年
関連項目
外部リンク
政府
日本政府
観光
その他