陸運統制令
陸運統制令(りくうんとうせいれい、昭和15年1月31日勅令第37号)は、国家総動員法第8条に基づいて1940年(昭和15年)2月1日に公布[1]、2月25日に施行された日本の勅令。1941年(昭和16年)11月15日公布[2]、11月20日に施行された勅令第970号により全面改正された。 平時立法の陸上交通事業調整法に続き、政府からの命令によって鉄道・バス会社の統合や買収、資材や設備の譲渡などを実施し、戦時統制による国内陸上運輸事業の管理を目的に施行された。 1945年(昭和20年)10月に工場事業場管理令等廃止ノ件(昭和20年10月24日勅令第601号)より廃止された[3][4]。 概要勅令第37号は8条の条文からなり、この時点では貨物輸送に関して鉄道大臣が事業者に対して引受、運送、受取、引渡などの各種命令をすることができるという程度の内容であったが、戦局の悪化に伴い統制対象を拡大することとなり、1941年(昭和16年)11月20日に勅令第970号により全面改正後は、概ね以下の内容に拡張された[5]。
これらを円滑に実施するため、政府は事業者との間に事業者団体を設けて統制を行った。私鉄業界には鉄道同志会を改組した鉄道軌道統制会が1942年(昭和17年)5月に置かれ、さらに1943年(昭和18年)1月に施行された行政官庁職権移譲令によって地方鉄道法、軌道法の許可・認可関係の権限移譲が行われた結果、終戦まで当会が実質的な運輸行政機関として機能し、国内運輸事業の戦時統制を実行した[5]。 改正陸運統制令による運輸事業者の統合1942年(昭和17年)8月、鉄道省監督局長の佐藤栄作が各地方長官宛に出した通牒により、各道府県の地区ごとに統合が推し進められた。 北海道北海道では、1942年に「北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱」を発表し、道内を7地区に分け1943年 - 1944年にかけて統合が実施された。休止事業者や函館市交通局など一部は対象外となっている[6]。
青森県6地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。
秋田県4地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。
岩手県4地区に分けられ統合が実施された。この時点では鉄道事業者が統合に参加していない。このうち岩手県北自動車を除く三社の後継会社と鉄道事業者であった花巻電鉄は、岩手県交通に集結している。
山形県2地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。 宮城県概ね4地区に分けられ統合された。このうち仙台市交通局を除く三社の後継会社は、1970年に合併し宮城交通となっている。
福島県4地区に分けられ統合された。福島電気鉄道以外の鉄道事業者はバス事業だけ統合に参加している。
茨城県鉄道事業者も含めて当初4地区に分けて統合する予定が、日立製作所の意向を受けて5地区に変更して統合された。なお県西部については東武自動車が統合主体となっている。戦後の企業再編に伴い現在は県北・県央をエリアとする茨城交通と県南・鹿行をエリアとする関東鉄道に大きく集約されている。 栃木県3地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加している。なお、この3社のエリア以外は東武自動車が統合主体になった。東武自動車と日光軌道は1947年親会社の東武鉄道に合併されている。なお、東武以外の各社は2018年にみちのりホールディングスの手により経営統合をしている。
群馬県3地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加しているが、上毛電気鉄道は統合に加わっていない。 千葉県陸上交通事業調整法による調整地域(東葛地域)外では、バス事業者は以下の4社に集約された。鉄道事業者は成田鉄道を除きいずれも統合には加わらなかった。
埼玉県陸上交通事業調整法による調整地域(吾野 - 高麗川 - 川越 - 大宮 - 岩槻 - 春日部以南)外では、東武自動車が統合主体となったが、秩父地区だけは秩父自動車が1941年に武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)の傘下に入ったため統合対象から外れた。 東京都陸上交通事業調整法による調整地域外として多摩(立川市以西)と島嶼があったが、特に統合指定はなく、従来の事業者がそのまま存置された。多摩地区では立川自動車運輸(現在の立川バス)と奥多摩振興・五王自動車・高尾自動車の3社(現在の西東京バス)、島嶼部では大島開発(東海汽船を経て現在の大島バス)である。なお、現在の町田市域は地理的条件から神奈川県の相模ブロックに編入され、神奈川中央乗合自動車(現在の神奈川中央交通)により統合された。 神奈川県神奈川県下では、横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられた。 川崎市と三浦半島は、陸上交通事業調整法に基づき東京急行電鉄により統合されたが、川崎鶴見臨港バス(鶴見臨港鉄道系)と南武鉄道(立川自動車運輸・立川バスを経て1951年川崎市が買収)は統合対象外となった。
山梨県2地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加している。 長野県6地区に分けられ統合された。北信・中信地方は鉄道事業者も統合に参加しているが、東信地方の鉄道事業者は別途上田丸子電鉄(現在の上田電鉄)に集約された。なお、国土計画興業系の軽井沢高原バスは統合に参加していない。
新潟県3地区に分けられ統合が実施された。中越地方を除き、鉄道事業者も統合に参加している。中越地方は戦後、中越自動車と長岡鉄道、栃尾電鉄の三社が競合していたが、長岡鉄道の田中角栄が東京急行電鉄の力を借りる形により、1960年に三社合併が実現して越後交通が成立している。
富山県鉄道会社ならびに鉄道会社が経営していた自動車会社は、陸上交通事業調整法に基づき1943年に富山地方鉄道に一元化された。自動車専業は以下の4地区に分けられ統合されたが、結局この4社も1944年に富山地方鉄道に統合されている。
石川県全県下の鉄道・バス事業者が北陸鉄道に統合されたが、日本鉱業傘下の尾小屋鉄道(現在の小松バス)だけは統合に参加しなかった。 福井県3地区に分けられ統合された。鉄道事業者は別途福井・坂井・奥越地区では京福電気鉄道が三国芦原電気鉄道・永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併し(現在のえちぜん鉄道)、丹南地区では福武電気鉄道が鯖浦電気鉄道を合併して福井鉄道が成立している。 静岡県概ね4地区に分けられるが、統合指令が出されたのは中部と西部の二地区。一部の自主統合に止まり、他県のような積極的な統合は見られなかった。
愛知県鉄道事業は既に名古屋鉄道がほぼ統合していたが、奥三河の田口鉄道は統合の対象にならなかった(豊橋鉄道への統合は1956年)。バス事業も名鉄の系列会社による統合が行われた。
岐阜県概ね4つの地区で統合が行われた。東濃地域だけは鉄道事業者も含まれた。
三重県三重県下は1944年に神都交通を母体とした三重交通が全県下の鉄道・バス事業者を統合したが、その親会社である近畿日本鉄道の路線は対象外となった。逆に、三重交通が1964年鉄道事業を三重電気鉄道に分社化し、翌1965年同社が近鉄に合併されている。 和歌山県5地区に分かれるものの、西牟婁郡は結局2社に分かれたままであった。
奈良県当初2地区(北和・西和・中和の関急大阪線以北…奈良自動車、中和の関急大阪線以南・南和・吉野・宇陀…吉野宇陀交通)に分ける予定で、北部は奈良自動車が統合し、南部も吉野宇陀交通が経営統合を果たしたが、いずれも関西急行鉄道の傘下にあったため一元化することになり、奈良自動車が吉野宇陀交通ほか3社を合併して奈良交通が成立した。 滋賀県3地区に分かれたが、別途京阪自動車(調整対象外とされた)が存在した。 京都府陸上交通事業調整法における調整地域とそれ以外の地域があり、調整地域内においても京阪自動車と宇治田原自動車(現在の京都京阪バス)、奈良電気鉄道、嵐山バス(現在の京都バス)、鞍馬自動車(現在の京都バス)は調整対象から外されている。
大阪府大阪府下は陸上交通事業調整法の調整地域となった。ただし、茨木バス(現在の近鉄バス)、日ノ出バス(現在の高槻市交通部)、金剛自動車など中小バス会社は統合されずにそのまま残った。 兵庫県陸上交通事業調整法における調整地域とそれ以外の地域があり、調整地域内においても阪神電鉄グループは独立を守っていた(同法の趣旨の一つであった阪神と阪急の経営統合は2006年に実現)。神戸市は神戸市電と競合していた神明自動車(通称・神戸バス)を1943年2月16日に譲受(須磨一の谷を境に以東は神戸市交通局が、以西は山陽電気鉄道(現在の山陽バス)がそれぞれ譲受)して市街地の交通を一元化した。
鳥取県鳥取県は全県日ノ丸自動車が統合した。ただし伯陽電鉄は島根県安来地区に編入され山陰中央鉄道となるが、1948年4月1日島根県側と再分離した末、1953年9月15日、日ノ丸自動車に吸収合併された。 島根県
岡山県6社に統合された。この他東備地区に片上鉄道が、岡山地域には西大寺鉄道・岡山電気軌道、倉敷地域に下津井電鉄があったが、統合には参加しなかった。ただし、岡山バスは西大寺鉄道と岡山電気軌道の、両備バスは西大寺鉄道と下津井電鉄のそれぞれ共同経営であった。
広島県
山口県3社2市に統合されたが、宇部鉄道・小野田鉄道は別途国有化され、宇部鉄道のバス部門は統合に参加せず1945年宇部市に買収された(現在の宇部市交通局)。このほか船木鉄道、防石鉄道が統合に加わらなかったが、船木鉄道はのちにサンデン交通の関係会社、防石鉄道は後に防長交通の関係会社となる。
徳島県東西2社と徳島市に統合されたが、県内の鉄道は全て国有化されたためバスのみ対象となっている。 香川県香川県は陸上交通事業調整法に従って電鉄3社が統合したが、琴平参宮電鉄と琴平急行電鉄の統合はならなかった。結局県下は琴電と琴参をそれぞれ軸として以下3地区に分かれて統合されたが、東讃の大川自動車は統合に加わらなかった。
愛媛県3社に分かれて統合された。 高知県地域による区分はせず、全県下が土佐交通(1948年土佐電気鉄道(旧・南海鍛圧機)に合併)と高知県交通の2社に分かれて統合された。この2社はその後も長らく併存していたが、2014年10月1日にとさでん交通に統合された。 福岡県陸上交通事業調整法に基づき、九州電気軌道が鉄道各社を合併して西日本鉄道となったが、バス部門も統合を行った。この西鉄による統合とは別に、若松市(現・北九州市)は別途若松市交通局の手により統合され、筑後地方の八女地域でも別途堀川自動車(現在の堀川バス)が統合主体となって統合した。また、福岡地方糸島地域は佐賀県の昭和自動車が統合主体となり、逆に西鉄路線の一部が統合された。 佐賀県長崎県
熊本県熊本県はバスのほかトラック業者も含めて九州産業交通に一元化する方針であったが、熊本市交通局(バス事業は2015年3月31日廃止)は公営のため、菊池電気軌道(現在の熊本電気鉄道)は統合を察知しバス事業を全面休止したため、熊延鉄道(現在の熊本バス)は鉄道事業の培養線を理由に断固拒絶し続けて断念させている。なお鹿本鉄道(のちの山鹿温泉鉄道)はバス路線だけ九州産業交通に吸収された。 大分県3社に統合される予定であったが、亀の井バスの大分交通への合併手続きが遅延し、結局そのまま存置された。 宮崎県宮崎県は当初南部・北部の2地区にて統合される予定であったが、結局いずれの地区も統合主体は宮崎交通となり、一元化が行われた。 鹿児島県島部を含め8地区で統合が行われたが、その後岩崎産業の手によるグループ化が進み、南国交通以外はほぼいわさきグループとなった。
下位法令脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |
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