西興部駅
西興部駅(にしおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字西興部にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122109[2]。 歴史駅の位置は当初、現在の六興地区の村井農場入口付近に予定されていたが、現駅が設置された七重地区(ななえ、後に瀬戸牛、西興部と改称)が、滝上への殖民道路開通もあり、交通の要所となっていたため七重に駅が開設されることとなった[3]。 1986年(昭和61年)まで運行されていた、急行「紋別」の停車駅であった。
駅名の由来→「西興部村」も参照
名寄線(当時)が延伸開通当時の西興部村村域は興部村に属し、当地は七重(ななえ)と呼ばれていた。このため当駅名も当初は「七重」とする話があったが、既に函館本線に七飯駅があったため混乱するとの理由で、地域内の局所的な地名であった「瀬戸牛(せとうし)」を採用して駅名とした。このため地域名も七重から瀬戸牛となった。 この「瀬戸牛」の地名については、アイヌ語の「セッウㇱナイ」(巣の・多くある・沢)に由来するとされているが、何の巣であったかについては、鳥の巣とする説やキツネの巣とする説がある[10]。 現駅名の「西興部」の発祥は、開業4年後の1925年(大正14年)1月に瀬戸牛を中心地として興部村の西半分が西興部村として分村したことに始まり、1945年(昭和20年)頃に瀬戸牛の字名も西興部となったため、幾度か改名運動が行われ、字名から遅れて16年後の1961年(昭和36年)に駅名も改称された[10][11]。 駅構造廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南側(遠軽方面に向かって右側)に存在した[12]。そのほか1983年(昭和58年)時点では、名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切り欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[12]。かつては、単式ホーム・島式ホーム複合型の計2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった島式ホーム側の線路は交換設備運用廃止後も旧本線、副本線共に側線として残っていた。転轍機は遠軽方、名寄方の両方向とも維持されていた[12]。また、副本線の遠軽方から分岐した行き止まりの側線を1線有していた[12]。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム中央部分に接していた[12]。 利用状況利用状況乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
駅周辺
駅跡2000年(平成12年)時点では駅跡地に村が経営するリゾートホテルが建設され、線路跡地に沿って行政施設が並んでいた[15]。2010年(平成22年)時点では複合施設として美術館などもあり[16]、2011年(平成23年)時点では診療所や保育所などもあった[17]。駅舎が建っていた場所は道路化されている。 また、2000年(平成12年)時点では駅跡の名寄方に、興部川支流の瀬戸牛川に架かっていた「瀬戸牛川橋梁」[17]の鉄骨ガーダー橋が残存していた[15]。2010年(平成22年)時点[16]、2011年(平成23年)時点も同様で、国道横に確認でき、レールは撤去されたが金網や枕木は残存していた[17]。 遠軽方には興部川の支流に架かっていた橋梁の橋台が2000年(平成12年)時点[15]、及び2010年(平成22年)時点には幾つか残存していた[16]。2011年(平成23年)時点では、橋梁の存在は確認できなかった[17]。 隣の駅脚注
関連項目 |