森雪之丞
森 雪之丞(もり ゆきのじょう、本名:森 正和[1]、1954年1月14日 - )は、日本の詩人、作詞家、戯曲家、作曲家。所属事務所はアミューズ。血液型はA型[1]。既婚。ペンネームとしてJoe Lemonを名乗っていた時代もある。弟はバンド「ピカソ」のメンバーで作・編曲家の森英治。 来歴東京都出身。 東京都立大泉高等学校から上智大学文学部英文科に進むが、弾き語りの単独ライブや四人囃子にゲスト・ボーカルとして参加するなどライブハウスで活動、大学は中退する。その後シンガーソングライター、作詞家、作曲家として活動。 作詞家としてのデビューは『ドリフのバイのバイのバイ』。 1970年代から1980年代にかけてアニメソングやアイドルへ詞を提供、多数のヒットをとばす。作詞の仕事が多いが、一部では作曲も行っている。 1977年と1979年に『雪之丞見参』『1人称・単数・現在』2枚のソロアルバムをリリース。バックに四人囃子やゴダイゴ、ショーグンのメンバーが参加し、アン・ルイスや鈴木ヒロミツ(元・モップス)、デイブ平尾(元・ゴールデンカップス)とデュエットした作品も収録されている。 1979年、デビュー曲を作詞したレイジーのハードロック化を支援する「レイジー男だけのファンクラブ」に参加。この直前にはバンド初の本格ハードロックナンバー『フルカウント』を作詞作曲している。 1986年にはプログレッシブ・ダンス・バンド『Mighty Opera(マイティ・オペラ)』を結成、自らがフロントに立ちボーカルを務めた(メンバーには窪田晴男、五十嵐薫子(現・香瑠鼓)、村田陽一、ラッキィ池田など、個性の強いメンバーが集結していた)。 1989年のサディスティック・ミカ・バンド再結成時に高橋幸宏の勧めで詞を書いたことがきっかけとなり、ロック系アーティストと仕事をするようになる。 1989年から1990年にかけては「いかすバンド天国」の審査員も務め、独特のモヒカン・ヘアから「ウルトラ万之丞」のニックネームを付けられた。 1991年より布袋寅泰の盟友と言っても過言ではないほど、数多くの作詞を手掛けている。 また、1994年から詩の朗読会『眠れぬ森の雪之丞』を始めたり、鴻上尚史作・演出のミュージカル『天使は瞳を閉じて』で音楽プロデューサーを担当、ロック・ミュージカル『We Will ROCK YOU』日本公演の字幕監修、ブロードウェイ・ミュージカル『ペテン師と詐欺師 (DIRTY ROTTEN SCOUNDRELS)』『Kinky Boots』『CHICAGO』の日本語訳詞など、多方面で活躍する。 アクト・アゲインスト・エイズでは自らがポエトリーリーディング(詩の朗読)を披露。2003年、2005年には岸谷五朗とともにポエトリーリーディングとフィジカルパフォーマンスで構成された『POEMIX(ポエミクス)』を上演。 2006年、活動31周年には、自身の作詞作品のトリビュート・アルバム「Words of 雪之丞」をリリース。ポルノグラフィティ、斉藤和義、CHEMISTRY、柴咲コウ、BONNIE PINK、大黒摩季、高橋幸宏、つじあやの、Ryoji(ケツメイシ)、などが参加。プロデュースは東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦。 短期間ではあるが過去に俳優活動もしており、漫画『湾岸ミッドナイト』の実写映画版(主演:大鶴義丹)に黒岩達也(ブラックバード)役で出演していた。 訳詞を手がけたこともあった。「イエロー・サブマリン音頭」は、当初森が訳詞を担当することになっており、リハーサルテープ収録時は森の訳詞が使われたが、正式録音では松本隆の訳詞が使われた。サビの終わりにある「潜水艦」は森の訳詞が引用されており、森が訳詞を担当していた名残となっている。 2008年、舞台『五右衛門ロック』、2009年『蛮幽鬼』、2010年『薔薇とサムライ~GoemonRock OverDrive』と、立て続けに劇団☆新感線の舞台の作詞を手がけた。 2012年、執筆に3年を費やした処女戯曲作、雪之丞一座〜参上公演『サイケデリック・ペイン』(音楽:布袋寅泰 演出:いのうえひでのり)を発表した。 2016年、作詞家40周年を記念し、それまで作詞した2400曲の中から173曲(11時間20分)を選んだCD9枚組のボックス『森雪之丞原色大百科』が発売される[2][3]。 2017年、デビュー40周年を迎えたレイジーの40周年記念シングルに参加。レイジーの楽曲を担当するのは37年ぶりで、井上俊次作曲の「Wandering Soul」、高崎晃作曲の「1977」の2曲の作詞を手がける。 人物デビュー作「ドリフのバイのバイのバイ」を書いたのは21才の頃で、完成するまで1年ほど渡辺プロに通い渡辺晋社長から直接アドバイスをもらっている。「いかりやさんなんかは言葉の一つ一つにもちゃんと注文つけてくださって凄い勉強になりました」と語っている[5]。 大学2年の時に、山本寛斎デザインの“出火吐暴威”と書かれた衣装を着て歌舞伎の演出を取り入れたデヴィッド・ボウイのステージを観て感動し、「先輩たちは横文字を名前に入れたりしてたんだけど、これからは歌舞伎、日本の名前を入れるのがロックじゃないか」と思い、その体験から“森雪之丞”という名前が生まれた[5]。 作詞法について、「僕らの時代はもう先にメロディーがあってそれに詞をはめるのがほとんどなんですけれども、そうするとリズム自体はもちろんロックのリズムじゃないですか。それに日本語をはめる不自由さがあったんですけど、日本語の中でも英語に近いような言葉を探すと、ホントに自然にビートに乗ったんです。(シブがき隊「NAI・NAI 16」の)♪NAI-NAI〜もNightと一緒ですから。そういう言葉を探せば日本語も向こうのグルーヴと融合していけるのかなというふうに思ったんです」と語っている[5]。 布袋寅泰が中学生の頃に森雪之丞のレコード「雪之丞見参」を買ったのがそもそもの関係の始まりで、布袋が1991年のアルバム『GUITARHYTHM II』で日本語の曲を歌うという時に雪之丞にアプローチし、歌詞の提供が始まった。布袋とは一緒に旅行に行くなど、プライベートでも付き合いがある[6]。 氷室京介からは90年代の終わり頃に「雪之丞さんが布袋に書いた詞が素晴らしいから俺にも書いてくれ」とオファーが来たが、一度布袋に相談している。「絶対に素晴らしいヴォーカリストだから僕は書きたい。で、もちろんその時に布袋くんとは絶対に違う世界を書くから」と話したところ、布袋から「わかった。俺と向かい合ってくれているように氷室にも向かい合ってくれ」と言われている[6]。 バックギャモンを好む。スラップスティックの楽曲で共作した大瀧詠一とバックギャモンが置いてある喫茶店で初めて対面し、互いにバックギャモン好きであることから意気投合した。 主な作品J-POP・歌謡曲あ行
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