安田顕
安田 顕(やすだ けん、1973年〈昭和48年〉12月8日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、ナレーター、歌手、映画監督、演出家、脚本家、ディレクター、ラジオパーソナリティ、スーツアクター。愛称は「ヤスケン」[3][4]、「ケンちゃん」[5]。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE[1]、業務提携先はアミューズ[6]。演劇ユニット・TEAM NACSのメンバーで[6]、初代・3代目サブリーダー(現任)。 北海道室蘭市絵鞆地区出身[7]。2002年からは室蘭ふるさと大使[8]。北海学園大学在学中に札幌で芸能活動を開始する。兄は作曲家でラジオディレクターの安田史生[9]。 来歴室蘭市立絵鞆小学校[10]、室蘭市立港南中学校[11]、北海道室蘭栄高校普通科を卒業。志望校であった釧路教育大学(現 北海道教育大学釧路校)の入試当日に痙攣を起こして試験を受けられなくなってしまい、北海学園大学経営学部に入学することとなった(1992年4月)[12]。大学では、当初はジャズ研究会に入ったが、レベルの高さを思い知らされ、退部。その後、グリークラブ、ESSと転々とするが、どれも雰囲気が合わなかった[13]。最終的には、12月、学園祭の模擬店で団子を売って、楽しそうにしていた演劇研究会に入る[14][15]。動機としては、暗い性格を変えたいと思っていて、下宿で鏡の前で自分で髪を切りながら「芝居いけるんじゃないか」と思って入ったとも話している[16][17]。 演劇研究会で、2学年先輩の森崎博之と出会う。芝居の楽しさ、見てもらうことに向けて取り組む一生懸命さを学び、客の反応が生で返ってくるのが楽しかったという[18]。当時、鈴井貴之主宰の劇団「OOPARTS」と劇団イナダ組を掛け持ちしていた森崎がイナダ組に専念するため、その後釜として安田を紹介したことから、「OOPARTS」に加わり[19]、演劇研究会の活動と並行して出演。1998年の完全消滅まで所属する。 タレントデビュー後1993年、OOPARTS所属と同時に、鈴井の経営する芸能プロダクション・CREATIVE OFFICE CUEに加入し、ローカルタレントとして活動を始める。鈴井が担当する『週刊Nanだ!Canだ!』(HTB)のコーナー企画でテレビ番組に初出演。9月には、石屋製菓の白い恋人のCM(千歳空港デュエット篇)にも出演[15][20]。 1996年、森崎と自身の卒業公演のために演劇研究会の後輩である大泉洋、佐藤重幸(現・戸次重幸)、音尾琢真と共に演劇ユニット「TEAM-NACS」[注 2]を結成し[注 3]、1回限りの公演で解散。また、この年公開の『ガメラ2 レギオン襲来』の冒頭で隕石落下の急報を伝える自衛隊員役で映画初出演する。 大学卒業後に総合病院内の歯科に医療事務員として就職するが[21]、芸能活動に専念するということで、入職10か月で退職[12]。辞めた理由は、役者になろうという強い思いを持って辞めたというのではなく、仕事が向いてないと思い、職場にもなじめずにいたため、芝居を口実に職場から逃げるためだったと後に回想している。退職後に元上司から「信頼は一度失うと決して戻ってはきません。あなたがこれからどういう道に進むか分かりませんが、人の信頼を裏切るようなことは今後しないでください。ご活躍をお祈りしております」という文面の年賀状が届いたことで意識が変わったという[22]。 退職後は、芸能活動をしながらホテルの朝食バイキング等のアルバイトをしていた[23]。当時、アルバイトをしなければ生活できなかったことから、『水曜どうでしょう』の「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」では泥酔した状態で、事務所の社長(当時)であった鈴井貴之に対し、「いや実際問題ね、この社長んとこじゃ食えないんですよ」と不満を吐いていた。 1997年、森崎が自身と同様に会社を退職し、東京から北海道に戻ったことをきっかけに、TEAM-NACSを再結成する。 1998年、所属していたOOPARTSが2月に完全消滅した後、その年の春に、同じくOOPARTSに所属していた長谷川首司、金山幸意の2人と共に劇団upspeakを結成する。1998年12月には初公演も開催し、副主宰として出演だけではなく、作・演出もして活動するが、自身の東京進出や仲間の離脱により、2003年に劇団は活動停止となり、実質解散となっている。 また、1998年からは、大泉がレギュラーで出演していた北海道テレビ(HTB)の深夜バラエティ番組『水曜どうでしょう』に、同局のマスコットキャラクター「onちゃん」のスーツアクター[注 4]として準レギュラー出演する。 2001年には、鈴井貴之監督の映画『man-hole』で初主演を果たす。 2004年5月にTEAM-NACSの第10回公演として行われた舞台「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」のサンシャイン劇場での東京公演で東京に初進出[24]。2004年12月には、大手芸能事務所であるアミューズと業務提携を行い[25]、その後は、道内の仕事はCREATIVE OFFICE CUE、道外の仕事はアミューズが手掛ける形となる[26]。 2006年の『次郎長 背負い富士』(NHK)にて、全国ネットの連続ドラマに初出演。 その後は、TEAM NACS共々全国に名が知られ、NHKや民放キー局の連続ドラマ、映画にも多数出演するなど、東京での仕事を中心に活動している。脇役として重要な役回りをする他、主演を務めることも多い。宇宙人やヤクザや刑事、医師などの硬派な役、小市民的な役など変幻自在に幅広い役を演じている[18][27][28]。2022年は春夏秋冬の全クールで民放ドラマに出演[29]。 2024年、TEAM NACSのソロプロジェクト「5D2-FIVE DIMENSIONS II-」として俳優の林遣都と安田の二人芝居『死の笛』を企画・プロデュースした。本作は脚本家の坂元裕二による書き下ろしの台本を水田伸生による演出で舞台化した作品になっており、「安田の好きな人たちと一緒に舞台を制作・製作する」という念願が叶った10年ぶりのTEAM NACSソロプロジェクトによる舞台作品となった[30][31]。 人物家族父、母、兄との4人家族。 日本製鋼設立の地、北海道室蘭市の絵鞆地区に生まれ、父は溶接工、母は保険のセールスマンだった[7][32]。兄は作曲家の安田史生[9]。 2002年に学生時代より交際していた一般女性と交際8年の末に結婚。2004年に長女が誕生した[33]。2015年時点で夫人と長女は北海道におり、自身は東京に単身赴任していたが[34]、俳優活動が多忙なため、北海道の自宅に帰れるのは月に1度ぐらいだった[35]。その後、長女の中学進学を機に家族を東京に呼び寄せている。 エピソード安田が芸能活動を始めた当初に出演していた北海道テレビ放送制作のバラエティ『ハナタレナックス』や『水曜どうでしょう』などの深夜番組において数多くの破天荒なエピソードを作ってきた。また、お酒に酔うとすぐ服を脱ぎたがることから「ヌーディスト安田」の異名も持っている[36]。過去に『鈴井の巣』(HTB)では、番組内で募金による公開包茎手術を受けたり[37]、『ハナタレナックス』(HTB)の全国特番では、石沢綾子アナウンサーの鼻をかんだティッシュを食べるなどのエピソードに加え[38]、映画『HK 変態仮面』の出演依頼が来た際には、事務所の社長である伊藤亜由美が「顕ちゃんは変態なのに変態の役が全然来なかった。今回、変態の役が来て本当に良かった」と喜んでいたという[39]。また、屁を自由自在に放つ事ができ[40]、『GOLGOLGO』(AIR-G')では屁を1発出す毎にさっぽろテレビ塔の階段を一段ずつ登る「ヘコイダーマン」という企画が行われていた。 牛乳の早飲みを得意としており[41]、『水曜どうでしょう』の「対決列島」や『ハナタレナックス』でも度々牛乳の早飲みを披露していたが、その直後に飲んだ牛乳をリバースしてしまうことが多く、番組でもネタにされていた[42]。現在もそれらの番組は再放送等で繰り返しオンエアされるため、本人は「何年たっても“牛乳リバース”が放送されている」と不満に思っている[42]。一方で、不器用であることでも知られており、『水曜どうでしょう』では「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」の一企画として陶芸にチャレンジした際、ろくろをうまく回せずろくろと一緒に自分が回ってしまったほどである[43]。 また、『ハナタレナックス』(HTB)では、オフロードの四輪駆動車を横転し、ロケ続行不能にするほどに車を大破したり、ポケットバイクでクラッシュしたりするも、奇跡的にケガひとつしないで済んだというエピソードなどがある[32][44]。 このような深夜バラエティ番組等での破天荒な活躍から「平成の怪物」、「奇跡を呼ぶ男」との異名もある[45][46][47]。自身も「何か面白いことを言わなきゃと思った瞬間に、面白いことが出てくる人間じゃない。必死に何かをやって、結果的にクスッっと笑われたり、知らないところで面白いねとなる人間」と考えている[48]。大泉も「想像もできない発想と爆発的な面白さ」があると指摘し、困ったら安田が何か笑わせてくれると思っているという[49]。 TEAM NACSのメンバーでは、唯一留年も浪人もせずに本来の学年通りに大学を卒業している。他のメンバーは森崎と音尾は現役入学だが入学後に留年、大泉は浪人を経て入学、戸次は浪人も留年も両方経験しているため、安田以外は本来の学年通りには卒業していない。 趣味・性格など本籍は「北海道室蘭市本町一丁目四十六番地」。これは自身のエッセイのタイトルにもなっているが、現在ではこの住所は存在しない[50]。 音楽好きな側面がある。趣味に洋楽鑑賞を挙げている[51]。特に、ビートルズは、中学2年生の時からのファンであり、イントロを聴けばどの曲か分かるという[52]。大学時代には、ジョン・レノンを模して、銀縁の丸眼鏡に長髪という格好をしていたが、周囲からは、気持ち悪いと思われていた[53]。アルバム『アビイ・ロード』のジャケット写真が撮影されたアビー・ロードの横断歩道を渡った時に、憧れのアビー・ロードを渡り終えてしまった寂しさも感じ、「なんかが終わっちゃった…」と話した[54]。また、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいだアパート「ダコタ・ハウス」をもじり、ゲストとパジャマ姿でベッドインしながらトークを繰り広げるという連載を持っている。業務提携しているアミューズの株主総会のイベントでは株主の面前で行ったが、パジャマ姿で「恥ずかしい」と話した[55][56]。 邦楽では、斉藤由貴やaikoのファンである。斉藤とは『小公女セイラ』(TBS)で共演し、サインをもらっている[57]。また、aikoとは15年間ナビゲーターを務めていた音楽番組『夢チカ18』(HTB)の卒業回の対談相手に指名し、共演している[58][59]。ブラックミュージックやソウルミュージック、ロック、最近の音楽まで色々な曲を聴く[60]。 ラジオ好きでもあり、TBSラジオ『イモトアヤコのすっぴんしゃん』のリスナーである[61]。日曜劇場『下町ロケット』でイモトと共演した際にその事を伝えた縁で、2019年2月20日の放送に出演したこともある[61]。 プロレスの大ファンでもある[62]。小学生の頃に金曜8時からやっていた『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)を観て、プロレスに一気にハマり、プロレスごっこをやっていた[63]。初代タイガーマスクに憧れていたため、頭が硬くなりたいと思って、机に頭を叩きつけていたという[64]。現在では、初代タイガーマスクであった佐山聡のタイガーマスクを所持している[65]。「WRESTLE KINGDOM 11」では、リングアナウンサーを務めた[66]。 夜遅くても晩酌だけは欠かさない[67]ほどの酒好きでもあり、特に麦焼酎の炭酸割りを好む[68]。年をとってからは、炭酸割りから豆乳割りに変わった[18]。1人飲みが好きで、同じ居酒屋で飲むことが多いという[69][70]。店で出会った見知らぬ客と話すことも多い[18]。 好きな映画は『男はつらいよ』。以前は、上京した度に柴又に通っており、シリーズ全作が入ったDVDボックスを所持している[71][72]。尊敬する人に車寅次郎を挙げている[73]。 かつてエビが好物だったが、『水曜どうでしょう』の企画「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」に出演した際、大泉洋が作った半生状態のエビチリを食べて体調を崩し、アレルギー反応を発症して以来食べられなくなってしまった[74]。好きな食べ物は焼き海苔、苦手な食べ物はウナギ[41]。 中学2年生の時、好きだった女子が柔道が好きだと勘違いし(実際は違った)、柔道部に入り、高校まで柔道部だった。高校2年生時に、柔道初段を取得している[7]。この他、書道初段、珠算3級の資格を所持している[41]。 性格は「陰・鬱・暗」と表現している[41]。医療事務を辞めた理由として、内気であったため、他の人と混ざれず、1人で弁当を食べていたことを挙げている[75]。主演映画『俳優 亀岡拓次』で監督を務めた横浜聡子は「シャイな人。人がたくさんいらっしゃるところではなかなか本音をおっしゃらない。二人の時なんかに、ぽろっと確信めいたことを言う、いい意味の暗さを持った人」と話している[76]。また、自身は性格について「したたか」と考えているが、夫婦役で共演経験のある小池栄子からは、安田と同じくTEAM NACSに所属する大泉洋と比較して、「大泉洋みたいに細かいことを言わない」と言われた[77]。 TEAM NACSのメンバーといる時は、他の4人が話すために、あまりしゃべらない傾向がある[78]。また、声が小さく、結婚して8年目の時に妻から「正直何言っているか分かんない」「なんとなくで反応していた」と言われた[79]。 Instagramでは、「睨み飯」という目の前の料理を睨んだ写真を投稿している。フォロワーは、食べる料理よりも顔が見たいのではないかという配慮から、自分の顔とともに料理の写真を撮影するようになったのがきっかけである[80]。 ファッションに無頓着だという。現場では用意された衣装を着て、終われば脱いで帰るだけであるため、普段は、上下はスポーツウェアで、足元は雪駄やスニーカーという楽な格好でいる。行きつけのバーに行くときは、Tシャツにデニムを着る[60]。大泉は「安田はロクでもないものしか欲しがらない。(以前に大泉らと函館に行った時には)朝市で納豆と塩辛頼んだ。物欲なんてない」と話している[81]。 藤井フミヤとは、安田がナビゲーターを務めていた『夢チカ18』に度々出演していたため、札幌にいた頃から親交がある。初めて全国区のドラマで良い役をもらったときに、藤井から「おめでとう」と言われたという[82]。 受賞歴
出演→TEAM NACSとして出演したものは、TEAM NACS#出演を参照
テレビドラマ
配信ドラマ
実写映画
配信映画舞台
テレビ番組現在のテレビレギュラー番組
過去のテレビレギュラー番組
ゲスト出演
ドキュメンタリー番組
特別番組
ラジオ番組現在のレギュラーラジオ番組
過去のレギュラーラジオ番組
声の出演劇場アニメ
テレビアニメ
吹き替え人形劇
ゲーム
CM
MV
イベント監督・脚本・演出映画
舞台→TEAM NACSの舞台での出演・脚本・演出については「TEAM NACS § 舞台」を参照
CD
作詞・作曲
書籍
連載
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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