水曜どうでしょうの企画 (海外)
水曜どうでしょうの企画 (海外)では、北海道テレビ(HTB)制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画のうち、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に海外ロケを中心にして放送された企画について扱う。 企画によってはタイトルの表記違いがあるが、ここではDVD「水曜どうでしょうDVD全集」を正式タイトルとする。 海外企画について何日にも渡る海外ロケを行ったのが『水曜どうでしょう』の特徴である。数か月分の制作費を一気に前借りしてロケをしたため、海外企画の前後には制作費のかからない総集編やNG集、あるいは「シェフ大泉」、「釣りバカ対決」などのいわゆる「お手軽企画」が放送されることが多い。『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』以降はおおむね半年に一度のペースで製作した。 なお、『onちゃんカレンダー』企画でも、鈴井貴之(以下「鈴井」)・大泉洋・藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)・嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)の「どうでしょう班」と安田顕(以下「安田」)は、海外(ハワイ、ラスベガス)を訪れているが、企画の大半は札幌・HTBのスタジオでの撮影で行われており、海外企画としてもナンバリングされていないため、この項目ではなく「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)#onちゃんカレンダー」の項目を参照。 2016年3月30日に、『ユーコン川160キロ 〜地獄の6日間〜』のDVDが発売されたことにより、『水曜どうでしょう』レギュラー放送時における海外企画は全てDVD化された。 オーストラリア大陸縦断3,700キロ放送時のタイトルは「大陸縦断 〜オーストラリア完全制覇〜」。番組開始後3ヶ月あまりの1997年1月に敢行された、水曜どうでしょう初の海外ロケ。オーストラリアのダーウィン〜アデレード間をレンタカーで縦断する企画。椎名誠の著書「熱風大陸―ダーウィンの海をめざして」を参考に、椎名とは逆方向にオーストラリアを縦断した。 番組立ち上げの際、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)が鈴井貴之(以下「鈴井」)に話した 「新番組では海外ロケを行う」という発言が実現。当初、ディレクター陣(以下「D陣」。藤村・嬉野両ディレクターのことを指す)は4日間で3,200kmに及ぶ、オーストラリア大陸を横断することはできないと予想し、アリススプリングスで終了し、帰国する予定であったが、2日でアリススプリングスに到着してしまった。そして、「いける」と確信したどうでしょう班は酷暑、ハエの大群、ツイスターといった自然の脅威に苦しめられながらも完全縦断を達成した。道中、偶然にも塩湖を見つけ、この偶然の発見を「どうでしょうの原点」と言う藤村Dに対して、大泉洋(以下「大泉」)は「テレビであってはいけないこと」と、事前計画なしに進むロケに対して警鐘を鳴らした。 ゴール地点のアデレードに到着後、鈴井の口から大泉に「我々はこれから札幌に帰るわけです。『帰る』と言えば?何か振るものとかありますよね?」と告げられた。これを聞いた大泉は「ここからサイコロで帰る」と半分信じたのだが、実はこの発言は鈴井の機転を利かせたアドリブから生まれたプチドッキリだった。 レンタカーはトヨタ・ランドクルーザー[1]を砂漠地帯向けに改良した車両を使用。「100km/h以上速度を出すとバーストする」などと注意を受けたが、何事もなくアデレードに到着。しかし、ゴール後に車は故障してしまい、トラックで運ばれて行った。ディレクター陣がレンタカー会社に事情を説明に行っている間、2人を待っている鈴井は大泉と一言も口を聞かなかったため、「車を壊して鈴井さんは怒っている」と大泉はすっかり怯えていた。しかし、その鈴井当人は、大きな企画を初めてやり遂げた達成感からか泣きそうになっていたという。 なお、2カ月分の番組を作るということで、2カ月分の予算を前借りしてロケを行えたが、風景を撮影する余裕がなく、1ヶ月分の番組にしかならなかったため、会社にひどく叱られたという[2]。 旅程
韓国食い道楽サイコロの旅放送時のタイトルは「サイコロ韓国 〜韓国完全縦断〜」。何も知らない大泉を連れ出し、いきなり海外へ連れて行くといういわゆる「ドッキリ」要素が入った企画。 日本国内で行われていた「サイコロの旅」をアレンジし、韓国で朝・昼・晩の食事場所およびメニューをサイコロで選び、実際にその場所へ移動するという企画である。移動には飛行機や列車、タクシー等の交通機関が使われた。しかし特急列車「ムグンファ号」では座席に座れずデッキで3時間半を過ごし、韓国にはないと思われた「深夜バス」にも搭乗[3]し、出演陣は疲労困憊してしまった。 グルメ企画ということだったが、店頭に到着した時点で「食事できる人」をカードを引いて抽選しなければならず(「全員食える」、「全員食えない」「鈴井と大泉食えない」「ディレクター食えない」、「鈴井食えない」、「大泉食えない」の6枚)、場合によっては全員食べられない事もあるなど過酷な内容となった。なお、あまりにも食事にありつけなかったことから、サイコロで選ぶ食事以外は例外的に食べても良いことになり、釜山のマクドナルドで飢えをしのいでいる。しかし、最後にわざわざ行った済州島では「全員食えない」を引いてしまい、そのまま企画終了となった。後年、鈴井・大泉が帰国前の金浦空港のレストランで韓国料理を満喫し、企画中に食べられなかった反動で、はしご飯までしたことを明かしている[4]。
旅程日本・平岸街道→大泉自宅→ 韓国・飛行機(大韓航空)でソウル・金浦空港→飛行機で蔚山(ウルサン)〈鯨料理・全員食えない〉→市外バス(高速バス)で釜山(プサン)・東萊温泉(トンネ)〈東莱パジョン・全員食えない〉→ウドゥンゴソシンヤポス(優等高速深夜バス)でソウル・梨大(イデ・梨花女子大学校)〈韓国菓子・全員食える〉→特急列車ムグンファ号で全州(チョンジュ)〈ビビムパ・全員食える〉→特急列車ムグンファ号で麗水(ヨス)〈チョッカルとタチウオ料理・鈴井と大泉食えない〉→(1泊)→飛行機で金浦空港経由済州島(チェジュ)〈フグチリ・全員食えない〉→時間切れでソウルより帰国 ヨーロッパ21ヵ国完全制覇放送時のタイトルは「欧州走破 〜ヨーロッパ21ヵ国完全制覇〜」。番組開始1周年を記念し、9週に渡って放送した大型企画。本放送時は特番として第1、2夜が各45分で放送されたが、『リターンズ』は販売目的のために30分に短縮される編集がなされた。『Classic』では第1・2夜を再編集し3回に分け、全10週に渡って放送された。そのためこの3回分では、2004年に新規収録した前枠・後枠を使っている(主に企画の説明)。企画名は番組内・各種資料などで「-完全走破」と「-完全制覇」が入り乱れている(例として、前枠では鈴井が「完全制覇」と発言しているが、あらすじVTRでは「完全走破」になっている。他にテロップで「完全走破」表記であるが藤村Dのナレーションは「完全制覇」になっている等)。 企画はその名の通り「(1997年当時ビザを必要としなかった[5])ヨーロッパ21ヵ国をレンタカー(ルノー・ラグナ)ですべて回る」という企画である(実施期間は10日間であるが、飛行機移動日数や時差を含めると、実質8日間)。ヨーロッパ連合(EU)発足に伴い、どうでしょう班が目をつけた企画。なお、ヨーロッパシリーズ全体を通して、経路にはアイスランド、マルタ、ギリシャ、キプロス、並びに東欧諸国は含まれていない。また、この企画では「巨額の番組予算を前借し、ローカル番組の限界へ挑む」とも言われた。 当初鈴井が掲げた旅のテーマは「メルヘン」で、番組中では『くまのプーさん』や『アルプスの少女ハイジ』にゆかりのある土地を訪れている[6]。鈴井は出発前から「この旅で21ヵ国回れなければ、僕は番組を辞める」と並々ならぬ決意を表明していた[7]。しかし、当初から公表したイギリスの隣国・アイルランドを無視していた上、北欧4ヵ国を経由しなかったことや、大泉や藤村Dの「旅を楽しめばいいじゃん」と言う発想・陰謀によって、鈴井が想定していなかったルート(3、4日目の古城街道とロマンティック街道)を巡ったことから「完全制覇」は崩れ去った。結局、6日目から7日目にかけて徹夜でスイス→地中海→アンドラ→フランスを走る強行軍を敢行したことで、鈴井が好む「合宿」(ミスターのいいじゃないか!運動参照)的要素は含まれたものの、この一連の流れは大泉や藤村D主導で番組を盛り上げる現在の形態のきっかけとなるとともに、鈴井が寡黙になって行く一つの原因となり、DVD副音声の鈴井出演回ではそれがトークの主題となっている。 なお、このロケの影響で、鈴井は自身のラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G')を休み、該当期間中は電話(ほとんどは公衆電話から)での出演のみとなった。この間に代理パーソナリティを務めたのが樋口了一であり、これがきっかけで「1/6の夢旅人」が誕生する。 最終夜でセーヌ川沿いの自由の女神を見て「あれが本家・本物」と言っているシーンがあるが、フランスがアメリカに送った自由の女神の返礼としてアメリカがフランスに送ったものである。詳しくは自由の女神を参照。 旅程
途中、フルカ峠で買ったカセットテープの1曲目を大泉が適当に「甘いスイス」と紹介しているが、実際は「Marmor, Stein und Eisen bricht」という曲で、ドイツの歌手ドラフィ・ドイッチャーの1965年の曲のカバーである。また、場面が代わって2人が飽きた画のバックで流れていたのはレックス・ギルドの「Fiesta Mexicana」をカバーしたもので、サースフェーからイタリアへ向かう途中に流れて大泉に止められたのは「ユベール・ジロー」「ポップ・トップス」などが大ヒットさせた「Mamy Blue」である。 本来は大泉には行き先を当日まで知らせない海外企画だが、この企画では行く前から大泉は行き先を知っている、数少ない企画である[9]。 イギリス滞在時、当初は産業革命以前の景観が残るコッツウォルズ地方を訪れるつもりだったどうでしょう班だったが、ホテルに戻った時点で既に夕方5時過ぎだった事から、コッツウォルズに向かうかどうか悩む事となった。しかし、イギリスは日本に比べ日没が遅く午後9時頃まで明るい事から、順調に走行できれば日没に間に合うと判断して急遽ホテルを取ったイースト・グリンステッドから200km離れたコッツウォルズへと向かった。しかし、不幸にも高速道路で事故による渋滞にはまってしまい、到着したのは日没後の午後9時30分で景観を楽しむことができず、更に疲労困憊の中、再び200kmかけてイースト・グリンステッドに戻る事になった。なお、コッツウォルズ観光についてはこの出来事から21年後の2018年、どうでしょう班が「21年目のヨーロッパ21ヵ国完全制覇」でアイルランドを訪れる為に渡英した際に最初の滞在地として選んだ事でリベンジを果たしている。 カレーからブルージュ(Brugge)に行くはずが、道路看板を見間違えてしまい逆方面のブローニュ(Boulogne)に行ってしまう場面がある。21ヵ国中13ヵ国を制覇し、走行距離は5200kmに及んだ。1999年にロケ・放送を行った「ヨーロッパ・リベンジ」で、行けなかった国のうち北欧4ヵ国を制覇。また、2006年にロケし、2007年に放送を行った「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」で、アイルランドを除く残り3ヵ国を制覇した。そして、唯一残されていたアイルランドへは「〜完結編〜」のロケから12年後の2018年に訪れ、ロケから2年後の2020年に「21年目のヨーロッパ21ヵ国完全制覇」として放送。レギュラー・不定期放送合わせて4回の旅となり、ロケ完結までの総期間21年、放送上の完結までは23年という長大な企画となった。 1997年当時、まだユーロ通貨は発足していなかったため(ユーロ通貨は2002年に発足)、国境を越える度に通貨の変更が必要であった。従って一同は国境を越える度に幾度か一文無しになっていた。 『プレミア』では、4人がホテルでダブルベッドの部屋をブッキングされるシーンで一部の音声が削除されている。 マレーシアジャングル探検「どうでしょうの時間枠変更記念として印象に残る企画を」というディレクターの意向から実施された企画[10]で、マレーシアのジャングルの中で様々な形で野生動物の観察を行った。そのロケの過酷さからどうでしょう班の全会一致で「もう二度と行きたくない場所」[11]となったが、6年後に「ジャングル・リベンジ」で再び訪れる事になる。
旅程
香港大観光旅行
香港観光協会からの誘いを受け、香港の魅力的なところを紹介する企画。海外企画としては初めてのタイアップロケとなる。 本企画の前フリとして「鈴井貴之拉致計画に見せかけた大泉洋拉致事件」を行う場面があるが、「拉致」という用語が後年に問題となった為か、『リターンズ』では一部地方局を除き通常通り放送を行ったが、『Classic』以降は放送リストから除外されている。 旅程
北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜鈴井の長年の夢であった、オーロラを見に行くという企画。鉄道での移動ののちキャンピングカーをレンタルし、米国・アラスカ州の州都アンカレッジから、マッキンリー有するデナリ国立公園やユーコン川を超えて北極圏にあるオーロラが出現する人口12人(1998年当時)の町「コールドフット」を目指す。ただし、これらはあくまでテレビ的な建前において説明されたもので、本当は藤村Dが「夏のアラスカに行きたかった」「キャンピングカーにはまっていた」という理由から実現させたものである。 しかし天候に恵まれず、結局オーロラは見られなかった。しかし、どうでしょう一行が訪れた1998年から2000年は1番オーロラが良く見えていた事が発覚した[14]。ちなみに、アンカレッジに着いて向かった氷河クルーズへ赴く際に利用したアラスカ鉄道にて、鈴井の名前が「CUZUI(クズイ)」と誤記されていたため、エンディングクレジットでは「CUZUI TAKAYUKI」というアルファベットが当てられている。 ビストロ大泉前述のように行程の2日目以降はキャンピングカーをレンタルし、道中のキャンプ場への宿泊で旅程を消化していった。そんな中、大泉は過去の企画における行動から「地図も読めないバカ」の評価を得ていたため、“料理長”としてのポジションを任命される。任を受けた前日のホテルでは「鈴井さんの奥さん[15]より美味しいものを作る自信はある」「料理はボケない」と高らかに宣言するなどやる気を見せ、スーパーで大量に食材を買い込んだが、後述のような料理が出来上がることとなる。 なお、これが後の「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」や「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」など、「シェフ大泉シリーズ」の企画へと発展していくきっかけであり、別名の「ピストル大泉」は、第5夜で大泉が自ら「ビストロ」を「ピストル」と言い間違えたことに起因する。これ以降、大泉が料理を作る時の一言が「いらっしゃいマホ」から「おみまいするぞー!」に変わり、決まり文句となった。
似顔絵オーロラを待つ間、暇を持て余した大泉がどうでしょう班の似顔絵を描いたトランプを作ったが、ジョーカーとして描かれた藤村Dの似顔絵があまりにも本人に似ていた(激似)ため、以後番組内やWEBコンテンツで度々使用されるようになった。加工・着彩はBgBeeスタッフの手によるもので、藤村Dの似顔絵から発展させた「藤やん犬」なるキャラクターも生まれている。嬉野Dの似顔絵も使用されるが、機会は少ない。尚、このトランプは『水曜どうでしょう写真集』に掲載されたほか、実際に商品化されており、2024年現在も販売されている。 旅程
アメリカ合衆国横断第1夜は全日本空輸 (ANA)からのタイアップオファーとして、同社のビジネスクラスサービスである「CLUB ANA[17]」でのサンフランシスコ行き航空券が送られた関係で、プロローグの「ANAで行くサンフランシスコ」が行われた。そのことから、CLUB ANAの特典内容についても事細かに説明され、ラウンジ内部や機内での様子も通常企画より長く映されている。また、同じくラウンジにおいて『アルマゲドン』が上内映画サービスで放映されることを知った大泉は、藤村D(当時『アルマゲドン』にハマっていた)に「バカみたいに3回観なさいよ『アルマゲドン』ばっかり」、「泣くなよ」などとけしかけていたが、結果的に自身が2回(+『レ・ミゼラブル』の3本)を完徹状態で観ることとなり、『アルマゲドン』のクライマックスで号泣する様子[18](2回双方)も放映された。 このロケが行われた時期にANA利用者に対しての応募者全員プレゼント企画が行われていたことから、どうでしょう班も「ゲームボーイカラー[19]」、「MDプレイヤー」、「商品券(ANA利用券2万円分)」、「備前焼」の4種を「1人がいずれか1つを貰う」約束で応募を行った。だが、各々が自らの欲しいものを取り合った結果、大泉と藤村Dが需要度の低かった備前焼を押し付けあう事態になる。この備前焼は結局、藤村Dによって受け取られ[20]、後に「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」において大泉が皿を焼いた際にも比較に使われた。 到着後はゴールデン・ゲート・ブリッジのような観光地や、サンフランシスコの街並みなどを周遊して回っていたが、その「ついで」として企画された「サンフランシスコ〜ワシントンD.C.間のアメリカ横断」も水面下で進んでいた。大泉にはこの時点で企画内容は知らされず、翌朝のホテルで本来の企画を告げられることになった。使用した車両は「生粋のアメリカン」ことシボレー・アストロ。企画全般に渡って、アメリカでの地域時差修正による走行スケジュールの調整で苦しんでいる様子が見られる。 本放送当時は「〜北米大陸 3750マイル〜」のサブタイトルが付けられていた。この企画そのものは全部で7週だが、前枠でも大泉が「ANAで行くサンフランシスコ」を含めて「第○夜」と説明していることから、全8夜の企画である。 旅程日本・成田→ アメリカ合衆国 カリフォルニア州・サンフランシスコ(1日観光・宿泊) アメリカ合衆国・ カリフォルニア州・サンフランシスコ→ ネバダ州・ラスベガス(宿泊) アメリカ合衆国・ ネバダ州・ラスベガス→ アリゾナ州・フラッグスタッフ(宿泊) アメリカ合衆国・ アリゾナ州・フラッグスタッフ→ ニューメキシコ州・サンタフェ(宿泊) アメリカ合衆国・ ニューメキシコ州・サンタフェ→ テキサス州→ オクラホマ州・クリントン(宿泊) アメリカ合衆国・ オクラホマ州・クリントン→ アーカンソー州・ホットスプリングス→ テネシー州・バッファロー(宿泊) アメリカ合衆国・ テネシー州・バッファロー→ ケンタッキー州・マンモスケーブ→ テネシー州・ナッシュビル(通過)→ バージニア州・マリオン(宿泊) アメリカ合衆国・ バージニア州・マリオン→ コロンビア特別区・ワシントンD.C.
ヨーロッパ・リベンジ放送時のサブタイトルは『〜美しき国々の人間破壊〜』。「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」において回ることが出来なかった北欧地域を中心に巡る企画。テーマは2年前と同じく「メルヘン」。パリからドイツ、デンマーク経由でスカンディナヴィア半島へ上陸後、スウェーデンを経由してフィヨルドを見るがために延々とノルウェーを北上、アラスカでのロケ以来1年ぶりの北極圏再突入を果たし、最終目的地であるフィンランドのヘルシンキを目指した[25]。ちなみに、12月8日放送分の視聴率18.6%はレギュラー放送時代の最高視聴率であり、「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送決定へ繋がった。 フランス〜デンマーク間ではメルセデス・ベンツ・Eクラス(2代目)、スカンディナヴィア半島ではボルボ・S80(初代)と、いわゆる「高級セダン」がレンタカーとして用いられた。これは、マニュアル車が全盛の欧州地域ではオートマチック車のレンタカーが小型車に設定されていないためであるが、どうでしょう班が「オートマチック車に乗りたかった」ために大きめの車両をレンタルすることとなった(『どうでしょう本』より)。 本企画は「過去に行った海外ロケの中で最も辛い」と評され、 大泉・D陣に至っては、ゴール後に帰りの機内で『鉄道員』が流されたのを鑑賞するうちに、「ようやく帰れるんだ」と共々泣いてしまったことをインタビューで明かしている[26]。また、番組自体の休止を挟んだこともあって、この企画から「中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!」までの約1年半の間、海外長期ロケは執り行われなかった。この他にもD陣の2人は「この企画が“長期の海外ロケ”に大きな変化をもたらした」旨をホームページ上にて語っており、現地ガイドを付けない4人だけでの海外ロケは2006年放送の「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」まで行われていない。 本企画内で、大泉が「スマスマ(SMAP×SMAP)あたり出れないかなぁ」と発言し、藤村が「大泉くんやっぱりスマスマ出るのが目標だなぁ」と返す場面があるが、このシーンは本放送から約15年後の2014年に大泉が「BISTRO SMAP」に出演した際、番組内のVTRでも紹介されている。
旅程
中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!中央アメリカ地域に生息し、“幻の鳥”とも呼ばれる「ケツァール」を撮影するという企画。「onちゃんカレンダー」以来となる“写真家”大泉洋の登場する企画であり、現地での工程には、HTBの元社員でコスタリカに移住した「ひろしくん」こと清水浩[31]が案内人として全面協力している。 3月6日、サンホセ空港(フアン・サンタマリーア国際空港)からコルコバード国立公園近くの空港まで行くチャーター便(TAXI AEREO)に乗る際、天気は快晴だったもののかなりの強風が吹いていた。大泉は「こんな中で飛ぶんだろうか?いや、飛ばすからたまに落ちるんだろう」などと発言。「去年は4機落ちた」「朝は落ちる確率が少ない」など清水から聞いた衝撃的な話を披露した。またこの時、現地で約300円で購入した『純粋人生コスタリカ』と日本語で書かれたお揃いのTシャツも披露された。一行を乗せた飛行機が離陸する際、離陸に失敗したまま無残な姿を残す旅客機(ボーイング727[32])がそのまま空港内に放置されている恐ろしい光景をカメラは捉えている。40分もの間大きな揺れに襲われ大泉は激しく酔ったが、ギリギリ吐かずに済んだ。 一行が宿泊したのは「カーサ・コルコバード[33]」。当時、交通費・食事全て込みで2泊3日1人約8万円だった。探索ガイドを務めたのはカルロス。しかし発見し解説を受けるのは植物類など画的に地味なものが多く、肝心の動物類はミスターが先に見つけることが多いなど、ガイドに不満を漏らす場面もあった。また、カルロスから「ここにケツァールはいない、モンテベルデで見た」と言われたことを明らかにした。 3月9日、サンホセの「コカコーラ・バスターミナル」から2時間かけ標高2000メートルもある「サン・ヘラルド・デ・ドータ(San Gerardo de Dota)」へ向かうバスに乗り、下車後さらに迎えの車で9kmの山道を進んだ。一行が宿泊したのは「Montaña Savegre[34]」。当時、1泊3食つきで1人約7000円だった。到着早々多くのハチドリを発見し気持ちは高まったが、鈴井が「僕はショックなものを見てしまいました」と発言。2階のロッジでハチドリが餌付けされている衝撃的光景をカメラが捉えた。その様を見て藤村Dは「何だいあれ?ハエみたいにたかってんじゃねぇか」と表現した。 撮影に使われたカメラはピント調整・露出調整・フィルム送りなどが完全にマニュアル操作の機種[35]であり、「フィルムを巻いていなかった」「フィルムが切れていた」といった凡ミスを連発して撮影機会を逸してしまうことが多々あった。この他、「onちゃんカレンダー」の撮影においても使用された600mm超望遠の“バズーカ”が登場。その名の通り特大かつ重く、更にピントが合わせづらいという使いにくい代物であった。また、本来は手持ち使用を想定したものではないため、撮影時には鈴井が三脚代わりに肩を貸すなどをしていた。 最初に訪れたコルコバード国立公園では小さなトカゲや他の鳥ばかりを撮ったものの、ケツァールには巡り会えなかった。そして、最後のチャンスに訪れたサン・ヘラルド・デ・ドータで見事ケツァールの撮影に成功した。 第6夜では「撮影された写真は札幌市内のスーパーで「大泉洋・ケツァール展」として展示。一切告知せず行ったことからたまたま買い物をしていた主婦だけが見ただけだった。『HTBニュース』内でもイベントが取り上げられ、その模様が放映された」という一連の流れがあるが、これはオチとして「ローカルニュースでアマチュア写真家の写真展が行われた事を伝える」という映像を作りたかっただけの事であり、実際には展示会そのものも行われていない[36]。ただし、ニュースの最後で紹介されたポストカードは実際発売されたものである。 コスタリカまでの最中、鈴井の預けた荷物がサンホセ空港で紛失するというハプニングが起きており、ホテル到着時の鈴井の持ち物はゲームボーイだけとなってしまった。「乗り継ぎの際に誤って綴りの同じ[37]サンノゼ空港(アメリカ)へ行ってしまった」とは鈴井による考察。コルコバード国立公園から戻ってきた際に荷物は無事に帰ってきている。ジャングルの中で嬉野Dが鳥などを見つけられず鈴井が先に発見し、藤村Dに「ミスターの方が役に立つ」と言われてしまう場面がある。 サン・ヘラルド・デ・ドータでは、よく釣れるという話を聞きつけた藤村Dの希望により、時間つぶしのため釣り対決を行う。恒例の「プレイボール!」のかけ声で始まるが全く釣れなかった。この日の夕食時に同じくケツァールの撮影に来ていた日本人のプロカメラマンに、一行が釣りをしている最中に一行が遠距離だったことを理由に行くことを断念したポイントで目撃したとの情報を聞き、大泉らは釣り対決の判断を出した藤村Dを責める。翌朝、ケツァールが出没するエリアに行くとあっさり撮影に成功し、一同は拍子抜けしてしまう。現地ガイドがケツァールを探すため姿が見えなくなると、大泉は「あそこで飼ってるんじゃないか?」などと怪しむ場面も。 旅程
ユーコン川160キロ 〜地獄の6日間〜放送時のタイトルは「YUKON6DAYS~160kmカヌー地獄~」。前企画の「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」において、敗者チームとなった鈴井・大泉の「ミスターチーム」に対する罰ゲームとして実施された。その名の通りユーコン川(カナダ領内)をカヌーで川下りするだけの企画だが、罰ゲームとして選定された理由は「インドア派で、自然とはかけ離れた鈴井に対する罰ゲームであること」のほか、「藤村Dの憧れがユーコンをカヌーで下ること」だったため。このほかカナダ領内でロケが行われたことに関しては、藤村Dが「アメリカ領内で行うよりも費用が安い」ことに起因することを明かした。 藤村Dは事前情報で「川の流速は4km/h程度で穏やかな流れ」としていたが、現地到着後にユーコン川を見学した際には「(降雨で川が増水したこともあり)だいたい10km/h」と聞かされる。これに対し大泉は「もう早くも倍以上のスピード言ったぜ」と驚きを隠せない様子であった。カヌーは2人乗りで、主に大泉が前・鈴井が後を担当。D陣およびガイドの2人はモーターボートで並走し、藤村Dは首を痛めた大泉のピンチヒッターとしてカヌーを漕いでいる。主に舵担当の鈴井は、一度ずつ藤村Dと大泉に舵の役割を任せる場面もあったが、藤村Dは交信用トランシーバーを装着している間の操作がおざなりになり岸へ、大泉は不慣れなポジションで操作が上手く行かず目の前の流木群へそれぞれ衝突している。さらに「ユーコンをカヌーで下ること」が憧れであった藤村Dであるが、「これで25キロ漕げとかうんざりするな」と、漕ぎ始めてから10分であっさりと弱音を吐いた。 どうでしょう班の他にツアーへ同行したのは、現地ツアー会社「Sweet River Enterprises」のガイドスタッフである熊谷芳江とピート・ニールセン(Pete Neilsen)の2名。また、川下りの前後にはメアリー・ウォールデン(Mary Walden)がツアーの詳細な説明、及びゴール地点で一行を迎える役目を担当した。熊谷とどうでしょう班は企画終了後も交流があり、後の「プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」中では、大泉が「あの女(熊谷)、ウイルスメール送ってきた」とメールのやり取りを行っていることを明かした。また2007年10月には、熊谷がHTBを訪れてD陣と対面している。 ユーコン川の水温は非常に低く、熊谷から「万が一水に落ちた場合は2分以内に上がらないと低体温症になって危険」と説明されるほどで、カナヅチの鈴井は部屋を片付け、妻(当時)と娘に向けた「遺書に近い手紙」まで書き置く決意でこの企画へ挑んでいた[38]。だが、旅程の中ですっかりアウトドアの魅力へ取りつかれ、6日目には「(人生の中の綺麗でないものまで)すべて洗い流してくれるよう」「生まれかわれるかもしれない」とまで発言。発言の翌朝にも早起きして一人川を眺めながらコーヒーを飲み、大泉に「あの人(ミスター)は、完ペキにハマったな」と言わしめた。 旅程
原付ベトナム縦断1800キロ「Last Run」と銘打ち放送されたレギュラー放送の最終企画。海外での定番企画「縦断」と、それまで日本国内で行っていた「カブ」を合わせた、番組放送6年間の集大成企画である。行程はハノイからホーチミンであるが、国道一号線直通路ではなく、ダーラットを経由したため、2,000km近い距離となった。 今回のロケでは鈴井・大泉・藤村D・嬉野Dのどうでしょう班に加え、現地通訳の“ニャン”、政府公安(警察)の“タイン”、公安の通訳“フン”、現地ドライバーの“ホアン”の4名が参加。計8人の大所帯となった。これはビザ申請の際、「ベトナム政府の公安をロケに同行させる事が絶対条件」とされたためである[40]。また、ロケ中盤に鈴井が交信用のトランシーバーを紛失したため[41]、新品を届けるためにたまたま仕事でベトナムを訪れていた鈴井夫人(当時)がロケに合流。夫人が4時に起きたものの、どうでしょう班が着いたのが7時半[42]だったため、夫人は激怒していた。夫人は声のみ出演した[43]。 このロケ中に鈴井・大泉が「カブ」として使用したのは、マニュアル(足)での変速(自動遠心式クラッチ)を要する日本国内の「スーパーカブ」ではなく、変速操作を必要としない「ドリーム II」である。また、鈴井が一部でヘルメット未着用の嬉野Dを後ろに乗せ、2人乗りで走っているシーンが映っている。これはロケ当時のベトナムでは、一部においてバイクのヘルメット無着用運転も合法だったことによる(2007年に着用義務化)。
旅程
※注意・屋久島の第四夜でのベトナムのホテルからのメッセージでは、7月12日収録、「前日に最後の旅が終わった」と話している。 背中のメッセージ過去のカブ企画と同じく。映像には常に大泉・鈴井の背中しか映らないため、途中からシャツの背中にメッセージが書かれることになった。以下は各日程に記入された文言。
懐かしの前枠・後枠集この企画での前枠と後枠は「懐かしの前枠・後枠集」と題されており、全ての前後枠が過去の企画を流用したものとなっている。『Classic』においては一部後枠の編成が変更されたり、放送されていないものがある。
脚注
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