ユークトバニア連邦共和国ユークトバニア連邦共和国(ユークトバニアれんぽうきょうわこく、露: Союз Юктобанийских Республик、英: Union of Yuktobanian Republics)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス)のプレイステーション2用フライトシューティングゲーム『ACE COMBAT 5 THE UNSUNG WAR』及び『ACE COMBAT ZERO THE BELKAN WAR』に登場する架空の国家。略称はユーク(Yuke)。 概要ユークトバニア連邦共和国は、エースコンバットシリーズのストレンジリアル世界に存在する国家のひとつである。『エースコンバット5』で主人公のブレイズが所属するオーシア連邦の敵国として登場する。 ベルーサ大陸の北東部を中心に広大な範囲を領土としている。世界最大の国土面積を持ち、周辺列強の中でも際立った軍事力を持つ。オーシア連邦と並んで世界的に強い影響力を持つ超大国のひとつである[1]。東は太平洋やセレス海、北はフォスカム海、北西はユージア海に面する。南東はベルーサと国境を接しており、南から西にかけて様々な国と接する。 国家体制としては連邦制と共和制を採用している[1]。国家元首は首相が務める。いくつかの構成国が存在しておりロムヌイ共和国はそのひとつである[2]。 歴史オーシアとの冷戦1970年代以降、ユークトバニアはエストバキアに兵器を輸出していた[3]。 1980年代からイデオロギー対立からオーシアとの間で冷戦が勃発し、互いに仮想敵国と認識し軍備拡張と世界規模の勢力拡大を進めた。核兵器開発競争は激化し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)やその迎撃兵器の開発が進められた。両国は核戦略構想に基づいて軍拡を続け、ICBMなどの戦略兵器の性能向上のみならず、早期警戒衛星や偵察衛星に加え迎撃手段という広範囲を対象にした高レベルなプラットフォームの整備を進めた結果、レーザー兵器や運動エネルギー兵器を搭載した攻撃衛星(ASAT)の宇宙配備によって、弾道ミサイルに対する索敵・迎撃システムは大幅な進化を遂げた。これにより、弾道ミサイルは多層的な迎撃を受けうることとなり、弾道ミサイルは軌道変化や多弾頭化といった高性能化や、早期警戒衛星から逃れる工夫が必要となった[4]。 1985年、ユークトバニア各地で紛争が勃発した[2]。1986年、ユークトバニアとカルガの間でチュメニ紛争が勃発した。ジトミル制空戦でユークトバニア軍が勝利し、カルガ共和国空軍北部方面隊を壊滅状態に追い込んだ。紛争の結果は不明瞭である。1987年、ユークトバニア構成国のロムヌイ共和国にてヘウム政権がクーデターを起こしたが、ユークトバニア軍はこれを鎮圧した[5]。 1991年9月2日、サマノフ首相はシーニグラードの党大会において、兵器産業廠と海軍が共同で進めていた新型潜水艦の実証建造の成功を宣言した。サマノフ政権は戦力近代化計画が順調に進んでいる点を強調し、友好国への支援に向けてユークトバニア中央党員や国民に奮起を促した。同年にICBMの改良型の試射に成功しており、空軍でも次世代戦術戦闘機の選定を終えるなど軍事力の強化が進められた。サマノフ政権はベルカ連邦での分離独立の機運をオーシアが利用して再編が進むことを危惧し、独自の立場をとる点をアピールした[4]。 オーシアのハワーズ外務大臣は、党最高大会の様子を見て同日のニュース番組に出演した。新型潜水艦に関しては中央ユージア連合(FCU)が保有するドラゴネット級潜水艦を贋造した疑いがあると指摘し、ユークトバニアによるオーシアとベルカ周辺地域安定化活動に対して、「ベルカの権益を切り取るチャンスを伺い始めているとしか思えない」と述べた[4]。 9月4日に発刊されたユークトバニア中央党機関紙のポエスエディテによれば、ベルカの国難はベルカ連邦政府の無策と、それにつけこむオーシアの膨張主義と策謀主義がもたらしたもので、国際社会の安定を考えない無責任な行為であり、ユークトバニアは大国として指導性を発揮するとしている。また、ユークトバニア軍広報部は、先進技術の導入と拡充のため、若年層を中心に人材募集を募るとした。政府公認の国家公務職特別枠であり、電子計算技術、大規模情報伝達網整備に見識のある者を集め、将来的な幹部候補として育成する青年隊を組織するとした[4]。 融和への反転1995年3月25日、ベルカ連邦は周辺諸国に宣戦布告しベルカ戦争が勃発した。オーシアを中心とする周辺諸国は連合軍を結成して反攻し、大陸外の国家であるユークトバニアも連合軍に参加した。同年6月6日、連合軍の逆侵攻で南ベルカのほとんどを喪失したベルカ軍は進退窮まり、7つの核爆弾を南北ベルカを隔てるバルトライヒ山脈で炸裂させた。核兵器を用いた自爆作戦はオーシアとユークトバニア両政府に大きな衝撃を与え、ベルカ戦争による教訓と経済的打撃により、ユークトバニアとオーシアの間で融和政策が展開されるようになった[6]。 同年12月25日、多国籍クーデター組織の国境無き世界が蜂起し、連合軍によって12月31日に鎮圧された。国境無き世界には反オーシア感情の持ち主であるユークトバニア空軍所属のユーリ・ダシコブ等複数の軍関係者が参加していた。クーデター後、ユークトバニアを含む連合軍当局によって逮捕された。一部の者は情報提供を条件に司法取引によって服役を免れた者がいるほか、証言者安全保護法によって保護されている者もいる[7]。 1996年4月20日、FCUの大統領は小惑星ユリシーズがユージア大陸を中心に衝突することを公表した。ユークトバニアとオーシアは、FCUが中心となって進める隕石迎撃計画に参加する意思はあったものの、戦後復興に費やされる人員や戦後補償に関連する経済的理由から十分な援助はできず、両国は国家体制の立て直しを急務とした。1999年の始めにはユークトバニアとオーシアの関係が目に見えて修復され、冷戦が終結した。同年7月8日にユリシーズはロシュ限界を超えた。ユージア大陸ではストーンヘンジを中核とした迎撃網で隕石を破砕したが、迎撃しきれなかったものはユージア大陸およびアネア大陸に落着した。また、微小隕石群は軌道上を漂い、スペースデブリと化した[8]。 2000年代に入ってから、セリョージャ・ヴィクトロヴィッチ・ニカノール首相は、体制改革を推進する情報公開としてグラスノスチを展開した。ユークトバニアは徐々にではあるが、秘匿していた情報の公開を進めた[9]。 2003年夏、ユリシーズの破片が落着したことによる難民問題により、ユージア大陸ではISAFとエルジアの間で大陸戦争が勃発した。ユークトバニアとエルジアは正式な軍事同盟を結んでいなかったが、以前より非公式な武器の輸出入などの相互支援活動をしていたとされる[10]。 2004年にオーシアでハーリング政権が成立すると、両国の関係はより緊密になっていった[11]。オーシアは冷戦時にミサイル迎撃兵器として開発が計画されていた大気機動宇宙機の設計案をもとに、両国共同でスペースデブリの除去を目的としたアークバードが建造された。基本的にはオーシアでの設計案をベースに開発が進められたが、船体上部の弾道ミサイル迎撃用レーザー(ABL)はユークトバニア製の対微小隕石用高出力レーザーへと変更され、船体下部のABLユニットは両国の協議のもと除外対象となり設計変更された。冷戦時の戦略防衛構想(SDI)に基づいて設計された兵器を平和利用へ転換する両国の政策は、近隣諸国に多大な影響を及ぼした[8]。 ユークトバニアとオーシアの国交正常化の足がかりとして、恒久的宇宙ステーション開発計画が進められた。オーシア航空宇宙局とユークトバニア連邦宇宙庁によって、オーシア領のバセット国際宇宙基地にて、全長12kmのマスドライバーを共同開発した[12]。マスドライバーを境に南側はオーシア、北側はユークトバニアの優先開発エリアとされた。マスドライバーはアークバードへ物資を供給する再使用型宇宙往還機(SSTO)の射出橋となった[13]。2005年頃からアークバードはスペースデブリの除去を始め、2008年までに静止軌道上では約80%の整備を終えた[8]。 2008年、宇宙空間のアークバードにてG7サミットが開催された。各国代表はオーシアとユークトバニアの協調路線を支持し、民主主義と市場原理に基づく経済、および社会正義に向けて進歩を加速するとした。軍縮と核不拡散に関しても議題に上り、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効と核不拡散努力の継続、ならびに余剰兵器プルトニウム問題への取り組みを始めとする、第二次戦略兵器削減条約(START-2)への移行を進めるとした。また、ユージア大陸を筆頭とする難民問題についても、責任を共有するパートナーシップへの道を切り開くことで同意した[8]。 環太平洋戦争→詳細は「環太平洋戦争」を参照
ベルカ戦争での敗戦で一部のベルカ人は過激化し、灰色の男たちと呼ばれるテロネットワークを構築した。灰色の男たちには上位組織や下部組織といったものを持たず、思想を共有した秘密結社に相当する集団である。彼らは複数国に潜伏して独自に連携しつつ行動することで、南北ベルカの統一や祖国復興、あるいは溜飲を下げようとしていた。ユークトバニアとオーシアにも灰色の男たちの思想に共鳴した者が国家の中枢に入り込み、両国を戦争状態に貶めようと画策していた[14]。その結果、時期は不明だが、ユークトバニアの国家運営はニカノール首相ではなく軍部が握るようになった。 2010年9月23日、オーシアのサンド島付近ではユークトバニアが位置する西から飛来した戦闘機との間で空戦が勃発し、オーシア軍パイロット8名が死亡した。翌9月24日も同じく西から偵察機や戦闘機がオーシア領に侵入し空戦が発生。9月27日には船舶がUAVを放ちサンド島を偵察した。同日12時、ユークトバニアはオーシアに対し正式に宣戦布告し、環太平洋戦争が勃発した。ユークトバニア軍はセントヒューレット軍港やサンド島空軍基地などを立て続けに攻撃した。潜水空母シンファクシを投入してオーシア軍の空母を2隻撃沈するなど戦果を上げたが、オーシア軍はアークバードにレーザーモジュールを装着させて弾道ミサイル迎撃機能を付与して対抗し、アークバードとウォードッグ隊の連携でシンファクシは撃沈された。オーシアのハーリング大統領は和平交渉に動いていたが、灰色の男たちによりベルカ領のシュティーア城に拉致され、好戦派のアップルルース副大統領が実権を握った。以降、オーシアでは軍縮に反対していた軍人が復帰し、ユークトバニア本土侵攻を計画した。 11月1日、オーシア軍はユークトバニア領のバストーク半島に橋頭堡を築き、シーニグラードを目指して北上を開始した。翌11月2日、ドレスデネの工科大学がオーシア軍に所属する灰色の男たちの戦闘機部隊によって機銃掃射され、民間人に死傷者が出た。11月4日、ユークトバニアは報復行為としてオーシア領のアピート国際空港を襲撃すると共に、バーナ市に化学兵器を撒布した。 ユークトバニア領でオーシア軍は北上を続けており、ユークトバニア軍は潜水空母リムファクシの弾道ミサイル攻撃でオーシア軍の進撃を食い止めようとしたものの、11月14日にウォードッグ隊から攻撃を受け撃沈された。ユークトバニア軍が敗北を続けている理由に、オーシア軍のウォードッグ隊がシンファクシやリムファクシを撃沈するといった凄まじい戦果をあげたことで、両軍から「ラーズグリーズ」と呼ばれ、オーシア軍の士気が上がり、逆にユークトバニア軍は士気が低下したからであった。12月6日にはシーニグラード手前のクルイーク要塞が陥落し、ユークトバニアの敗戦は決定的となりつつあった。灰色の男たちは戦争の短期終結を嫌い、オーシア軍の士気の根底であるウォードッグ隊の排除を試みた。これによりウォードッグ隊は行方をくらますことになり、オーシア軍の士気の根底が揺らいだ。オーシア軍の攻勢は頓挫し、終戦までシーニグラードは陥落しなかった。 オーシア軍の中で灰色の男たちの行動に気付いた空母ケストレルの艦長であるニコラス・A・アンダーセン大佐が率いる一派は、12月9日にハーリング大統領の救出作戦を成功させた。 ユークトバニアでは軍事政権下した政府に不満を抱いた民間人やニカノール派の軍人がレジスタンスを結成しており、12月22日にニカノール首相の保護に成功した。ニカノール首相はケストレルを経由してオーシアの首都オーレッドへ向かった。12月30日にオーレッドでニカノール首相とハーリング大統領の和平を訴える共同テレビ演説が実現し、これを聞いた両国将兵によるスーデントールの戦闘と翌12月31日のSOLG破壊をもって環太平洋戦争は終結した。 環太平洋戦争後2011年4月、ニカノール首相は再任され政権を維持した。ニカノール首相はハーリング大統領と共に、ユークトバニアとオーシアの関係改善に務めた。第三次戦略兵器削減条約(START-3)の締結により、核兵器などの戦略兵器群の削減が目指され、2012年1月には包括的軍備管理計画の施行が始まった。両国の協議のもと、ユークトバニアが保有する潜水航空巡洋艦アリコーンは解体の対象となり、ゼネラルリソース系列のGRトレーディングに解体を依頼した[9]。なお、GRトレーディングはアリコーンの解体はせず、改修を施した上でエルジアへ売却した[15]。 環太平洋戦争後からユークトバニアは一次産品の貿易相手国を拡大し、造船業の多角化によって歳入を増やし繁栄した[16]。 2015年4月21日、ユークトバニアの偵察衛星がエストバキア南東の沿岸沖を飛行する巨大なエイのような機影を発見した[17]。4日間に渡り巨大なエイを追跡したものの、エストバキア北東沖で行方が分からなくなった。この一件はフロントライン2016年2月26日号のエメリア・エストバキア戦争を概観する記事で引き合いに出されている[18]。 2019年6月頃、オーシアとエルジアが灯台戦争の最中にある時に、ユークトバニアの首相は「エルジアには戦争を正当化する理由がある」とコメントした[19]。灯台戦争が終結した12月以降、エルジアのローザ・コゼット・ド・エルーゼ王女による援助支援要請を受けて、ユークトバニアは人道支援を開始した。 2020年6月30日にオーシアが主催するベルカ戦争終結25周年記念式典に参加した。GAZE誌2020年7月10日号の表紙を飾ったレッドミル空軍基地でのエレファントウォークの写真では、写真の左側にユークトバニア軍所属の5機のSu-57戦闘機が並んでいる[20][21]。 地理ユークトバニアの地名のほとんどはロシア語の名詞に由来する。 都市
施設
地域
軍事ユークトバニアはオーシアと並ぶ超大国であり、陸海空ともにオーシアに対抗できるほどの軍事力を持つ。 いずれの軍種に所属するかは不明だが特殊コマンド部隊も存在しており、環太平洋戦争でのオーシア軍のユークトバニア本土侵攻初期において、オーシアのオーレッド近辺の都市でテロ事件を引き起こしている。 陸軍戦車や空挺戦車、装甲兵員輸送車、自走榴弾砲、自走ロケット砲、輸送トラックを持つ。対空兵器として固定式や自走式の対空機関砲、固定式や自走式の地対空ミサイル、高射砲を持つ。異なる迷彩を持つ兵器もいくつかあり、森林迷彩型や砂漠迷彩型が存在する[28]。 空軍MiG-21、MiG-29、MiG-31、Su-27[29]、Su-32[30]、F-4、F-5、F-14、F-15、F-16、F/A-18、タイフーン、JAS-39、トーネード、YF-23[31]、F-35、X-02A[32] 等、各世代の多種多様な戦闘機を保有する。その他、早期警戒管制機および電子戦機としてE-767[30] を運用し、偵察機としてSR-71、攻撃機としてA-6、A-10、爆撃機としてB-1、輸送機としてC-130、C-5等も多数保有している。砂漠地帯が多い事からか、砂漠迷彩を施された機体が多い。 環太平洋戦争当時、敵国だったオーシア連邦が信託統治していたノースオーシア州の企業から航空機を密輸し、密輸船をオーシア海軍に拿捕された[33] 。また、撃墜されたX-02Aにもノースオーシア・グランダーI.G.のロゴが記載されていた。同時期に国内4箇所の工場で新型戦闘機ADF-01 FALKENの開発も行っていたが、完成前に終戦を迎えている。 部隊名が判明している部隊として「第703飛行隊」、「第172爆撃中隊」がある。コールサインには、環太平洋戦争時代は「クワント」「ゴリゾント」「ゼニート」「ボスホート」といったソ連・ロシアが打ち上げた人工衛星・宇宙ステーションモジュールの名が用いられる他、Gripenで編成されるクルイーク要塞の「ヴィスナ」、ベルカ軍から招き入れたアグレッサー部隊「オヴニル戦闘隊」の「オヴニル」、第172爆撃中隊のAWACS「オーカ・ニェーバ[34]」が確認できる。 海軍フリゲート、駆逐艦、そして潜水艦隊が主力である。潜水艦隊には潜水空母機能とミサイルプラットフォーム機能を併せ持つ超大型潜水艦シンファクシ級2隻(1番艦シンファクシ、2番艦リムファクシ)を含んでおり、「シンファクシ」は環太平洋戦争開戦初期にオーシア海軍第3艦隊を壊滅させる大戦果をあげている。水上艦についても保有数は少なくなく、空母「アドミラル・ツァネフ」を中核とする機動部隊の他、イージス艦、巡洋艦、更には戦艦「ウポール」も保有。空母艦載機としてシーハリアー、F-35、UAV等も運用する。 脚注注釈出典
参考資料
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia