アルバロ・バウティスタ
アルヴァロ・バウティスタ・アルセ(Álvaro Bautista Arce, 1984年11月21日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州タラベーラ・デ・ラ・レイナ出身のオートバイレーサー。2006年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。2019年よりドゥカティからスーパーバイク世界選手権に参戦し、2019年よりワークス・チームとしてSBKに復帰するホンダに移籍したが、2022年に再びドゥカティから参戦している。 経歴ロードレース世界選手権 (2002年 - 2018年)125ccクラス2002年にはスペイン国内選手権125ccクラスでシリーズ2位に入り、またスポット参戦でロードレース世界選手権125ccクラスにデビューする。翌2003年には世界選手権フル参戦を果たす傍らスペイン選手権にも参加を続けて、後者のチャンピオンを獲得する。2004年の第9戦イギリスGPでは初表彰台(2位)・初ファステストラップを獲得する。そして2006年、アスパー・チームでアプリリアを駆ってシーズン8勝、125ccクラスワールドチャンピオンに輝く。 250ccクラス![]() ![]() 2007年2007年より、アスパー・チームから250ccクラスにデビューを果たす。第6戦イタリアGPではクラス初ポールポジション・初優勝を飾る[2]。第13戦ポルトガルGPでは予選6位スタートから1周目には12位に落ちながらも、そこから巻き返してシーズン2勝目を果たす。結局この年はシリーズ4位に入り、250ccクラスのルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。 2008年前年度のシリーズランキング1-3位のライダーが全員MotoGPクラスにステップアップし、2008年の250ccクラスチャンピオン候補筆頭に挙げられたバウティスタだったが、前年はこれといった活躍が見られなかったジレラのマルコ・シモンチェリと激しいチャンピオン争いを演じることになった。 開幕戦カタールGPでは6位に終わる。続く第2戦スペインGPではファイナルラップまでトップを走りながらもシモンチェリにマシンをぶつけられてエンジンが破損、ミカ・カリオに勝利をさらわれることになった。第3戦ポルトガルGPでようやくシーズン初勝利を挙げたが、続く第4戦中国GPでは転倒を喫して12位に沈み[3]、第5戦フランスGPでは14位、第6戦イタリアGPではリタイヤに終わり、序盤戦はチャンピオン争いで大きく後れを取ることになった。 バウティスタの地元である第7戦カタルニアGPではポールポジションからスタートしレースをリードしたものの、ファイナルラップでシフトミスを犯してしまい、シモンチェリに優勝を許すことになってしまった。 第8戦イギリスGPではこの年4回目となるポールポジションを獲得[4]、再びシモンチェリとのバトルになったが、ゴールまで2周となった時にシモンチェリが無謀な突っ込みを仕掛けたため両者ともラインを外して大きくタイムロス、3番手に付けていたミカ・カリオに勝利をさらわれることになった。 第9戦ダッチTTではポールからスタートしたもののスタートに失敗し、1周目終了時点で8位にまで落ちたが[5]、その後巻き返してシーズン2勝目を収める。 その後は第13戦サンマリノGPで3勝目を収める等、毎戦表彰台に立つ活躍を見せ、チャンピオン争いでシモンチェリとのギャップを詰めることもあったが、ハリケーン・アイクの影響で中止になった第14戦インディアナポリスGPの後、第15戦日本GP・第16戦オーストラリアGPとシモンチェリに連勝を許してしまう。 第17戦マレーシアGP、シーズン4勝目を収めるものの、3位に入ったシモンチェリがチャンピオンを確定させ、結局バウティスタはこの年シリーズ2位に終わった。 2009年2009年もアスパー・チームに残留。スコット・ホンダの青山博一とチャンピオン争いを演じ、シーズン中盤まではランキング2位に付けていたが、終盤戦で調子を落として最終的なランキングは4位に終わった。第11戦チェコGPではバウティスタは3位に入ったが、フィニッシュ後のウィリーのパフォーマンスに失敗して転倒、マシンを大破させてしまった[6]。 MotoGPクラス![]() 2010年2010年、バウティスタはワークスのリズラ・スズキチームから最高峰MotoGPクラスにデビューした[7]。同クラスでは2010年からのルール改定により、原則としてワークスチームからルーキーの参戦はできないことになったが、スズキはサテライトチームを持たないためこの制限から外されていた。第7戦カタルニアGPと第15戦マレーシアGPでベストリザルトとなる5位に入り、年間ランキングではチームメイトのロリス・カピロッシを上回る13位を記録した。 2011年翌2011年、チームは規模を縮小し、レギュラー参戦はバウティスタの1台のみの体制となった[8]。開幕戦カタールGPではフリー走行での転倒で左大腿骨を骨折[9]、2レースを欠場することとなった。シーズン終盤には速さを見せ、第15戦日本GPでは一時3番手を走行[10]、第16戦オーストラリアGPではフロントロウからのスタートを果たしたが、いずれのレースも転倒に終わり結果を残せなかった。結局シーズン最高位は第5戦イギリスGPでの5位、年間ランキングでは2年連続で13位に留まった。 2012年2012年シーズン、バウティスタは事故死したマルコ・シモンチェリの後継としてサンカルロ・ホンダ・グレシーニに移籍。1000ccのRC213Vを駆ることとなった[11]。オランダGP決勝、ブレーキングが遅れ転倒した際に、ロレンソを巻き込む事になってしまい、次戦のドイツGP最後尾グリッドスタートの処分が下される。 2013年2013年シーズンもメインスポンサーがGO&FUNに変更になるが、グレシーニより継続参戦する。開幕前には、今シーズンもまた、ホンダモトGPライダーとして唯一ショーワのサスペンションを使用することとなり(他選手はオーリンズ製を使用。ショーワは無料、オーリンズは約30万ユーロ)、その引き換えとしてチームとの契約を2014年まで獲得した。 2014年シリーズ最初の3戦で転倒リタイアを期すなど厳しいシーズン開始となるが、シリーズ5戦目のフランスGPでは2012年の日本GP以来となる3位表彰台を獲得する。シリーズランキングは11位。 2015年この年からMotoGPクラスにアプリリアにメーカーが変更された事でワークスチームとなったチーム・グレシーニに残留した。 2016年前年に引き続きチーム・グレシーニレーシングに残留した。 2017年2010年からドゥカティのサテライトチームとしてMotoGPクラスに参戦していた古巣のアスパー・チームに移籍する。 2018年2018年も引き続き、アンヘル・ニエト・チーム(旧アスパー・チーム)より参戦する。 第17戦オーストラリアGPでは、負傷欠場するホルヘ・ロレンソの代役として、最高峰クラスで初めてドゥカティのファクトリーチームから参戦して、4位となる。 2023年第18戦マレーシアGPに、Aruba.it レーシングからワイルドカード参戦。5年ぶりのMotoGPクラス出場となる。 スーパーバイク世界選手権 (2019年 - )2019年ドゥカティのファクトリーチーム「Aruba.it レーシング-ドゥカティ」からスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦した。序盤戦は好調だったが逆転され2位で終了した。 2020年チームを移籍し、ホンダのファクトリーチーム「チーム・HRC」からスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦する。マシンが完全な新車となったホンダ・CBR1000RR-Rに変更された事で苦戦し総合9位だった。 2021年前年に引き続き「チーム・HRC」からスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦する。成績は苦戦し、2022年からドゥカティに復帰する事を発表した[12]。 戦績ロードレース世界選手権
スーパーバイク世界選手権
脚注
外部リンク
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