アレックス・ロウズ
アレクサンダー・トーマス・ロウズ (Alexander Thomas "Alex" Lowes, 1990年9月14日 - ) は、イギリス出身のオートバイレーサー。パタ・ヤマハ・オフィシャルワールドSBKチームからスーパーバイク世界選手権に参戦する。2013年にはサムスン・ホンダからブリティッシュスーパーバイク選手権に参戦しタイトルを獲得している[1]。以前はブリティッシュスーパースポーツ選手権、FIMスーパーストック1000選手権に参戦していた。ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦するサム・ロウズは双子の兄弟である。 経歴ロウズはリンカンシャー州リンカンで生まれる。6歳でバイクレースを始め、1998年にモトクロスに転向、2001年まで続け、国内での様々な選手権に参加した。2002年にロードレースに転向、カジバでJRA選手権に参戦しランキング2位となる。2003年にはシーズン始め、12歳であるにもかかわらずアプリリア・スーパーティーン選手権に参戦した。他の選手権参加者は13歳から19歳であったが、ロウズはランキング4位となった。 2004年、彼はGP125 MRO選手権に転向し、ドイツでの2レースおよびイギリスでの1レースに参戦、ランキング2位でシーズンを終えた。その中にはペンブレイ・サーキットでの優勝も含まれた。翌年はイギリス125cc選手権に転向し、2006年まで戦う。また、イギリスGPにスポット参戦、世界GPデビューを果たした。2007年にはブリティッシュスーパースポーツ選手権に転向、彼はその年の最年少ライダーであり、最高位はスラクストンとクロフトでの10位で、経験豊かなベテランライダーたちの後ろでシーズンを終えた。 スーパーストック: 2008-20102008年はカワサキ・イタリアに所属しヨーロピアン・スーパーストック600選手権に参戦、最高位は2位、ランキング16位でシーズンを終えた。2009年はFIMスーパーストック1000選手権に転向、MVアグスタのファクトリーチーム入りする。しかしながらシーズンを苦戦し、ポイントを獲得したのは2回、その上MVアグスタのオーナーであったハーレーダビッドソンはブランドを売却し、チームは最終戦に参加することができなかった。ロウズの苦戦は2010年も続く。彼はスズキと契約したが、チームはシーズン入りする前に撤退、その後セトン・チューニング・ヤマハチームと契約した。シーズン3戦を欠場したものの41ポイントを得てランキング12位でシーズンを終えた。この年彼はブリティッシュスーパーバイク選手権にKTMでデビューを果たし、EVOクラスで35位に入り1ポイントを獲得した。また、スーパースポーツ世界選手権、シルバーストン戦にヤマハからワイルドカード参戦したが[2]、アクシデントでリタイアした。
BSB: 2010-20132011年、彼は4つの異なるチームでレースを行った。始めはチームWFRからホンダのマシンでEVOクラスに参戦、最高位は5位であった。その後MSSコルチェスター・カワサキでスチュアート・イーストンの代役として参戦、7位フィニッシュしている[3]。続いて負傷したジョナサン・レイの代役でテン・ケイト・レーシングからブルノとシルバーストン戦に参戦[4]、ブルノの第1レースで15位となったが、その後3戦はリタイアとなる。彼はコルチェスター・カワサキのシートを失い、モーターポイント・ヤマハチームに移籍、そこでシーズンを終えた[5]。この年は結局60ポイントを得て、ランキング20位となった。 2012年はチームWFRに復帰する[6]。第11ラウンドのシルバーストンでは2連勝し、チャンピオンシップ・ショーダウンに進出、584ポイントを獲得してランキング4位でシーズンを終えた。 2013年はサムスン・ホンダ(BSBにおけるホンダのワークスチーム)に加入した。ここで彼は大きな成功を収め、最終戦のブランズ・ハッチで三度のタイトル経験を持つシェーン・バーンを破ってタイトルを獲得した。その後彼は翌シーズンBSBを離れ、スーパーバイク世界選手権への参戦を発表した。これはホンダが2014年をもってBSBを撤退することによるものであった[7]。 主な戦績ロードレース世界選手権(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
ブリティッシュスーパーバイク選手権
スーパースポーツ世界選手権
スーパーバイク世界選手権
鈴鹿8時間耐久ロードレース
参照
外部リンク |