グレーム・クロスビー
グレーム・クロスビー(Graeme Crosby, 1955年7月4日 - )は、ニュージーランド出身の元グランプリライダーである。非常に多才なライダーであり、デイトナ200、イモラ200、鈴鹿8時間耐久レース、マン島TTレースなどで勝利を挙げており、後のワイン・ガードナーやマイケル・ドゥーハンへと続くオセアニア出身のグランプリライダーの先駆けともいえる人物である。 来歴1974年に地元のニュージーランドでレースデビューを飾ったクロスビーは、1976年、オーストラリアのスーパーバイク選手権で印象的な走りを見せて注目を浴びた。 1980年、ヨーロッパに渡って活躍の場をイギリスに移したクロスビーは、マン島TTレースのシニアクラスで優勝[1]する速さを見せる。スズキのRG500でWGPの500ccクラスへの参戦を開始。ヘロン・スズキチームでランディ・マモラのチームメイトとなった。同年には鈴鹿8時間耐久レースにもウェス・クーリーとのペアでヨシムラ・スズキから参戦して勝利を挙げ[2]、更にTT-F1世界選手権のチャンピオンをスズキにもたらした。 1981年もヘロン・スズキに残留し、イギリス選手権TT-F1クラスチャンピオンとなると同時にWGP500ccクラスでもランキング5位を獲得し、ジャコモ・アゴスチーニ率いるマールボロ・ヤマハ・ワークスチームに移籍する。 1982年、伝統のデイトナ200で優勝して幸先の良いスタートをきったクロスビーは、シーズン中の怪我にもかかわらずランキング2位となる活躍を見せる。しかしチーム内の政治的なゴタゴタに嫌気がさし、シーズン終了後にグランプリからの引退を発表した。 引退後はニュージーランドに戻り、いくつかのモーターサイクル関連のビジネスで成功を収めた。また、主にニュージーランドやオーストラリアで行われる4輪のツーリングカー・レースに参戦して、好成績を挙げている。2輪レースではGP引退後も日本の鈴鹿8時間耐久レースだけには出場し続けた。 1995年にニュージーランド・スポーツ殿堂入りを[3]、2007年にはニュージーランド・モーターサイクル殿堂入りを果たした。 主な戦績ロードレース世界選手権
鈴鹿8時間耐久ロードレース
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