2011年のバレンシアグランプリ
2011年のバレンシアグランプリは、ロードレース世界選手権の2011年シーズン最終戦として、11月4日から6日までスペインのバレンシア・サーキットで開催された。 概要シモンチェリを偲んで日曜日の決勝レース前、前戦マレーシアGP決勝での事故で亡くなったマルコ・シモンチェリを追悼するセレモニーが開かれた。ライダー達が黙祷を捧げるのが通例だが、今回はマルコの父パオロの「黙祷よりマシンのノイズを息子に捧げてほしい」との意向に沿う形で、生前シモンチェリと仲の良かった往年のチャンピオンライダー、ケビン・シュワンツが駆るシモンチェリのホンダ・RC212Vを先頭に、全3クラスのライダーがサーキットを1周。フィニッシュラインに戻ってきたライダー達はチーム関係者・運営スタッフらと合流し、最後はバレンシア地方の伝統である「マスクレタ」と呼ばれる爆竹の轟音がセレモニーを締めくくった[1][2]。 事故後Twitterで「シモンチェリは弟のような存在だった」と語った[3]バレンティーノ・ロッシは、自身とシモンチェリのデザインをミックスしたスペシャルペイントのヘルメットで今回のレースに臨んだ[3]。ロリス・カピロッシは普段のゼッケンNo.65に代わり、シモンチェリのNo.58をマシンに付けて自身現役最後のグランプリを戦った[4][5]。 125ccクラス125ccクラスは翌2012年シーズンより4ストローク250ccのMoto3クラスに代わることから、今回が63年の歴史に幕を下ろす最後のレースとなった。また同クラスの終焉に伴い、グランプリから2ストロークのエンジンサウンドが消えることとなった[6]。 最終戦までもつれ込んだチャンピオン争いは、ニコラス・テロルがヨハン・ザルコに対し20ポイントのリードを築いており、ザルコが勝ったとしてもテロルは11位以上のフィニッシュでチャンピオンになれる有利な状況となっていた[7]。雨の中おこなわれた土曜日の予選では、マヒンドラを駆るダニー・ウェブが初のポールポジションを獲得する波乱が起きた。2番手には自身ベストグリッドとなるルイ・ロッシ、3番手にはザルコが入ってフロントロウを確保した。一方のテロルはシーズン自己最低の9番グリッドからのスタートとなった[8]。 日曜日の決勝レースでは、3周目にザルコがシーズン初となる転倒リタイヤを喫し、この時点でテロルの125ccクラス最後のワールドチャンピオンが決定した。その後はエクトル・ファウベルが一時独走態勢を築くが、中盤にはマーベリック・ビニャーレスとテロルが追いついて三つ巴のトップ争いとなった。19周目にビニャーレスがトップに立つとスパートをかけて逃げ切りに成功し、シーズン4勝目を挙げて年間ランキング3位の座を勝ち取った。新チャンピオンのテロルは2位でクラス最後のレースを締めくくった[9]。 Moto2クラスMoto2クラスのチャンピオン争いは、首位のステファン・ブラドルを23ポイント差でマルク・マルケスが追う状況となっていた。しかしマルケスは前戦欠場の原因となった左目の視力低下の症状から回復しておらず、医師からは今回も欠場を勧められていた[10]。急速に回復する僅かな可能性にかけてチームと共に現地入りしたが、金曜のセッションを全て欠場。土曜朝のフリー走行を前に予選への欠場を表明したことから、決勝を待たずにブラドルのワールドチャンピオンが確定することとなった[11]。 土曜午後の予選では、ミケーレ・ピロが自身初のポールポジションを獲得、僅差の2番手に高橋裕紀が続き、前戦でシモンチェリを失ったグレシーニ・レーシングの2人が活躍を見せた。3番手には自身クラス初のフロントロウとなるミカ・カリオ、新チャンピオンのブラドルは4番手からのスタートとなった[12]。 日曜の決勝はドライレースが宣言され始まったが、コースの一部に雨が降る難しいコンディションとなった。序盤は高橋がリードを奪い後続を引き離しにかかっていたが、6周目にハイサイドを起こして激しく転倒、リタイヤに終わった。この結果トップに立ったピロが独走を遂げ、自身グランプリ初優勝を亡きシモンチェリに捧げた。 約6秒差の2位には、ドミニク・エガーター、ヨニー・エルナンデスとのバトルを制したカリオが入り、クラス初表彰台を獲得した。3位のエガーターは自身グランプリ初の表彰台となった。ブラドルは5周目に転倒リタイヤに終わり、有終の美を飾ることはできなかった[13]。 MotoGPクラスMotoGPクラスでは前戦のシモンチェリの事故で上腕部複雑骨折の重傷を負ったコーリン・エドワーズの代役として、この年のAMAスーパーバイク選手権チャンピオンであるジョシュ・ヘイズがモンスター・ヤマハ・テック3チームからエントリーした[14]。また中須賀克行も前戦に続きホルヘ・ロレンソの負傷代役として出場となった。 土曜日の予選では、新チャンピオンのケーシー・ストーナーが後続に1秒以上の差を付けてシーズン12回目のポールポジションを獲得した。2番手にはダニ・ペドロサ、3番手にはベン・スピーズが続いた[15]。 日曜日の決勝はウェットレースが宣言された。スタート直後の1コーナーではアンドレア・ドヴィツィオーゾのリアに接触し転倒したアルバロ・バウティスタに巻き込まれてロッシ、ニッキー・ヘイデン、ランディ・ド・プニエが次々と転倒する荒れた幕開けとなった。序盤はトップのストーナーが着実にリードを広げ、一時は2番手に10秒以上の差を付けて独走していた。ところが23周目ごろから雨が強くなるとストーナーは急激にラップタイムを落とし、28周目のバックストレート終わりでラインを外した隙を突かれてスピーズがトップに浮上。レース残り2周半は2人のデッドヒートが展開されることとなった。ファイナルラップの最終コーナーはスピーズが前でクリアしたものの、立ち上がりで速さを見せたストーナーがフィニッシュライン直前で再逆転に成功、僅か0.015秒差でシーズン10勝目を挙げた[16] 。 3位はドヴィツィオーゾ、続いてファイナルラップにペドロサ、カレル・アブラハムとのバトルを制したカル・クラッチローが4位フィニッシュ、自身ベストリザルトを更新すると同時に、アブラハムと争ったルーキー・オブ・ザ・イヤーの座を手中に収めた。ヤマハの代役ライダー2人、中須賀とヘイズはそれぞれ6位・7位に入る健闘を見せた。カピロッシは9位完走で最後のレースを終えた。翌シーズンからのスーパーバイク世界選手権転向が決まっており、今回がグランプリでの当面最後のレースとなった青山博一はマシンのセッティングに苦しみ、ペースが上がらず最下位12位に終わった[17]。 MotoGPクラス決勝結果
Moto2クラス決勝結果
125ccクラス決勝結果
脚注
参考文献
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