ケナン・ソフォーグル
ケナン・ソフォーグル ( Kenan Sofuoğlu, 1984年8月25日[1] - ) は、トルコ・アダパザル出身のオートバイレーサー。スーパースポーツ世界選手権2007年・2010年・2015年・2016年チャンピオン。 経歴キャリア初期地元トルコのスーパースポーツ選手権を制した後、2002年にはドイツに渡りヤマハ・R6カップを制した。翌2003年にはドイツロードレース選手権(IDM)のスーパースポーツクラスに参戦し、シリーズランキング2位を記録した[2]。 2004年にはスーパーバイク世界選手権(SBK)のサポートイベントであるFIMスーパーストック1000カップに参戦しランキング3位を記録、翌2005年も同カップに継続参戦しランキング2位に成績を伸ばした[3]。 スーパースポーツ世界選手権(2006 - 2007)2006年、ソフォーグルはテン・ケイト・ホンダチームでホンダ・CBR600RRを駆り、スーパースポーツ世界選手権(WSS)にフル参戦デビューを果たした。開幕戦カタールでいきなり表彰台(3位)を獲得、第9戦アッセン、第10戦ラウジッツとシーズン2勝を挙げ、シリーズランキング3位でルーキーイヤーを終えた。 翌2007年シーズンも同チームに残留、ソフォーグルは全13戦中12戦で表彰台に立ち、8勝を収める圧倒的な強さを見せ、トルコ人ライダーとしては史上初[4]となる世界チャンピオンに輝いた[3][5]。 スーパーバイク世界選手権(2008)2008年はスーパーバイク世界選手権(SBK)にステップアップし、テン・ケイトチームでカルロス・チェカと清成龍一をチームメイトにホンダ・CBR1000RRを駆ることとなった。しかしソフォーグルは新しいマシンへの順応に苦しみ、最高位は第13戦マニクールのレース1での9位に留まり、シリーズランキングは18位に終わった。最終戦ポルティマオではWSSのレースに復帰し、勝利を収めた[3]。 再びWSSへ(2009 - 2010)2009年シーズンはWSSにフル参戦復帰となった。2度目のタイトル獲得を目指したが、ヤマハのカル・クラッチローがチャンピオンを獲得、パーカルガー・ホンダチームのユージン・ラバティにも競り負けて、ソフォーグルはシーズン3勝でシリーズランキング3位に終わった。 テン・ケイトチーム在籍5年目を迎えた2010年シーズンもWSSに継続参戦。前年ランキング2位だったラバティがシーズン8勝を挙げる速さを見せたが、ソフォーグルは前年と同じ3勝に留まったものの全戦で表彰台に立つ安定度を見せ、11ポイント差でラバティを抑えてチャンピオンに返り咲いた。 Moto2参戦WSSの2010年シーズン閉幕後、ソフォーグルはロードレース世界選手権第12戦サンマリノGPMoto2クラスで事故死した富沢祥也の後任として、テクノマグCIPチームからシーズン終盤の2戦に出場することとなった[6]。第17戦ポルトガルGPではデビュー戦にもかかわらずいきなりレースの半分近くをトップ独走の形で主導権を握り、終盤はペースを落とすも5位入賞という大きく存在感を見せたレースとなった。続く最終戦バレンシアGPでも優勝争いを展開するが、ステファン・ブラドルと絡みコースアウトし、惜しくも二戦連続の入賞は逃した。だがこのパフォーマンスが認められ、2011年シーズンも同チームからフル参戦することが決定した[7]。 家族ケナンはアダパザルでオートバイの販売と修理を手がける一家の三男として生まれる。二人の兄もオートバイレーサーとして活躍していたが、長兄のバハッティン・ソフォーグルは2002年10月25日に交通事故に遭い24歳で亡くなった[8]。次兄のシナン・ソフォーグルは2006年にはロードレース世界選手権250ccクラスに2戦スポット参戦し、地元トルコGPでは19位完走の記録を残したが[9]、2008年5月9日、サーキットでの練習走行時にクラッシュし頭部に致命傷を負い、兄と同じ24歳で亡くなった[10]。 主なレース戦績スーパースポーツ世界選手権
スーパーバイク世界選手権
ロードレース世界選手権
脚注
外部リンク
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