アルノー・ヴァンサン
アルノー・ヴァンサン(Arnaud Vincent、1974年11月30日 - )は、フランス・ムルト=エ=モゼル県出身のオートバイレーサー。2002年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。 経歴モトクロスやヒルクライムで活動した後、20歳の時にロードレースに転向。1994年と1995年にはフランス国内のロードレース選手権125ccクラスでチャンピオンとなった。 1996年にはフランスGP125ccクラスのレースに、アプリリアのマシンを駆ってワイルドカード枠でデビューを果たす。翌1997年にはロードレースヨーロッパ選手権125ccクラスでチャンピオンを獲得した。 1998年にはロードレース世界選手権125ccクラスにアプリリアを駆ってフル参戦を開始し、シリーズランキング12位でデビューシーズンを終えた。翌1999年は第6戦カタルニアGPでグランプリ初優勝を果たしシリーズ7位、2000年シーズンも同じく1勝を挙げてシリーズ7位となった。2001年にはマシンをホンダにスイッチしたが、未勝利でシリーズランキング10位に終わった。 2002年にはマシンをアプリリアに戻すと、ヴァンサンは16戦全戦でポイントを獲得し、5勝を含む10回の表彰台に立つ強さを見せ、ディフェンディングチャンピオンのマヌエル・ポジャーリを19ポイント差で破りワールドチャンピオンに輝いた。 翌2003年には新規参戦となるKTMチームに移籍しタイトル防衛を目指したが、チームメイトのロベルト・ロカテリ共々、開発途上にあったマシンのパフォーマンス不足に苦しむことになった。ヴァンサンはシーズン途中にチームを離脱しアプリリアに乗り換えたが、シリーズランキングは18位に沈んでしまった。 2004年シーズン、ヴァンサンは250ccクラスにステップアップを果たした。アプリリアのマシンを駆った初年度はシリーズ21位、翌2005年は新規参戦のイタリアのメーカーファンティック のマシンに乗ったが、競争力は全くなくノーポイントに終わってしまった。 2006年はアリー・モレナー・レーシングに移籍し、ホンダのマシンでシリーズ22位を記録した。ヴァンサンはこのシーズン終了をもってグランプリを去ることになった。 2007年、ヴァンサンはMillet ヤマハチームからスーパースポーツ世界選手権に参戦を目指していたが、資金面の問題から取りやめとなった。結局この年はフランス国内選手権600ccクラスに参戦し、シリーズランキング3位を記録した。 翌2008年シーズンは Gil Motor Sport チームからカワサキ・ニンジャZX-6Rを駆ってスーパースポーツ世界選手権に参戦を果たしたが、結果を残せないままチーム共々シーズン途中で撤退することになってしまった。 2009年シーズンはDuterne Racingチームからフランス国内のスーパーバイク選手権に参戦したが、年間ランキング19位に終わった[1]。 ロードレース世界選手権 戦績
(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
脚注外部リンク
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