JR東日本キハ100系気動車
キハ100系気動車(キハ100けいきどうしゃ)およびキハ110系気動車(キハ110けいきどうしゃ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の一般形気動車。 概要老朽化したキハ20系・キハ45系などの取り替えとローカル線における輸送サービスの改善を目的に製造され[1]、1990年(平成2年)3月10日に北上線でキハ100形、釜石線と山田線でキハ110形量産先行車がそれぞれ営業運転を開始した。製造メーカーは富士重工業および新潟鐵工所である。 16m級の短尺車体を持つグループ(キハ100形・キハ101形)と、20m級の長尺車体を持つグループ(キハ110形・キハ111形・キハ112形)に大別されるが、両車は基本設計に共通部が多いこともあり、総称して「キハ100・110系」と呼称される[JR東 1]。デザインは剣持デザイン研究所が担当した[3]。 車体と台車の軽量化を図り[1]、高出力直噴式エンジンと効率の高い液体変速機との組み合わせにより電車並みの加速性能を有している。ブレーキシステムも電車で実績のある応答性の高い電気指令式を採用した[4]。特に急勾配の多い山岳路線では速度向上による時間短縮が実現し、冷房装置を搭載したことによって[5]夏期における旅客サービスの向上が図られている。 本項目では便宜上、短尺車体のグループをキハ100系、長尺車体のグループをキハ110系と呼称する。 凡例
構造車体車体は普通鋼製ながら、角を落とした独特の形状、板厚の見直しと強度に無関係な箇所への穿孔、プラグドア化および固定窓化による側構体の厚みの低減(50 mm、通常の電車は100 mm)により軽量化を図る[4]一方、キハ54形などの従来型気動車並み[6]の車体前面強度も確保している。キハ101形および各形式の200番台以降はさらなる車体の強化とドアの引き戸化が行われている。 床面高さは1,175 mmであり、地方線区の低いプラットホーム[注 8]に対応するため出入り台にはステップ(高さ1,036 mm)が設けられている。キハ101形および各形式の200番台以降のステップの高さは970 mmに変更されている。窓は複層ガラスの固定窓である。 塗装はキハ101形および特別仕様車を除いて共通となっており、わずかに緑がかった白色(ベリーペールグリーン)[4]を基本に、車体隅などにダークライムグリーンを配してアクセントとした。 キハ100系16 m級車体(後年の設計変更で17 m級車も存在)の車両である。いずれも両運転台。
キハ110系20 m級車体となっており、片運転台車も設定されている。キハ111形とキハ112形はそれぞれ単独で運用することも可能であるが、基本的に同番号の車両とユニットを組んで運用される。 機器類キハ100系はDMF11HZ(コマツ製SA6D125H)[5]、DMF13HZ(新潟鐵工所製)、DMF14HZ(カミンズ製NTA855-R1)のいずれか[5](ともに連続定格出力330 PS/2,000 rpm、排気量は順に11,045 cc、12,742 cc、14,016 cc)、キハ110系はDMF13HZA(新潟鐵工所製)[2]またはDMF14HZA(カミンズ製NTA855-R4)[2]ともに連続定格出力420 PS/2,000 rpm、排気量は順に13.3 l、14.0 l)である。いずれも直列6気筒、直接噴射式エンジンで、排気タービン過給器・吸気冷却器付きであり、これを1台搭載している。乾燥重量はキハ40系のDMF15HSAの2,720 kgに対して1,365 kg[要出典]となっており、従来の国鉄型エンジンより小型・軽量になっている。 キハ110系の50 km/hでの動輪周引張力は約1,300 kgで、キハ20系の約600 kgやキハ40系の約800 kgと比較して大幅に向上している。キハ100系・110系とも25 ‰の上り勾配で、補機負荷100 %・乗車率100 % でも60 km/h 以上の均衡速度となっている。 変速機は試作車・量産車を通じ、すべての形式がトルクコンバータを1組内装する液体式である。キハ100系はDW14Bを1台[5]、キハ110系についてはDW14A-Bを1台搭載する。湿式多板クラッチ式の変速1段、直結2段の多段式で[5]、トルクコンバータは3段6要素である。コンバータブレーキ機能も搭載している。なお、キハ110形量産先行車は充排油式の変速1段、直結(流体継手)1段式のフォイト製T211rzで、リターダブレーキ機能付きであったが[2]、量産化改造時に他と同様とされた。いずれもプログラマブルコントローラにより機関とともに制御され、力行指令は5ノッチ、変直の切り換えも自動である。 ブレーキは応荷重装置付電気指令式空気ブレーキ装置で[5]、制御装置形式はC-76、常用(8ノッチ)、非常[2]、直通予備[2](保安ブレーキとして使用)、耐雪、抑速(2段指令で押しボタン式)の各ブレーキを装備している。このうち、抑速ブレーキは機関ブレーキ+コンバータブレーキ(キハ110形量産先行車はリターダブレーキ)で対応し、空気ブレーキは使用しない。ブレーキシステムも電車で実績のある応答性の高い電気指令式を使用している。 台車いずれもボルスタレス式の空気ばね方式で[5]、動台車は2軸駆動[5]、基礎ブレーキは片押し式のユニットブレーキである。 キハ100系は動台車がDT59、従台車はTR243となっている[5][8]。キハ110系は動台車がDT58、従台車がTR242であるが[2]、量産車では動台車が減速機の歯数比の変更によりDT58Aに区分されており[9]、さらに200番台の陸羽東線・陸羽西線向け増備車については軸ばねをロールゴムから円すいゴムへ変更したDT58B・TR242Aとなっている。キハ100系とキハ110系では軸距の違い(2,000 mm[5]と2,100 mm[2])がある。 冷房はコンプレッサを機関で駆動する機関直結式のAU26J-B×1台(キハ100形)・AU26J-A×2台(キハ110・111・112形)で除湿機能付き、暖房は機関の廃熱を利用する温水・温風方式であるが、始動性の良い直噴エンジンの採用により機関予熱器を装備しないため、下り勾配での暖房能力低下対策としてコンバータブレーキでの変速機油の廃熱を暖房に利用している[注 9]。 内装車内温度保持のために、客用ドアは半自動扱いが可能であり、ドアの横に開閉スイッチが設置されている。また、ドアチャイムも搭載されている。 他形式との混結について連結器は従来車の小型自動密着連結器に代わって電気連結器付きの密着連結器を採用し[2]、分割併合を容易としている。電気連結器は当初1段式を採用したが、後年高崎車両センター所属車については2段式に変更されている。ブレーキや連結器の違いから既存車(国鉄形)との併結はできない[2]。なお、後年登場したキハE130系0番台・キハE120形とは混結が可能となっている[注 10]。 また、同じ系列内でも、キハ100・101形(および登場時のキハ110形0番台)については幌枠の形状がキハ110系列とは異なっており、そのままでは幌を直接つなぐことはできない。
キハ100系特記ない限りは、2024年(令和6年)4月1日現在の情報を示す[10][11]。 キハ100形0番台キハ100系グループの基本形として1990年(平成2年)から翌年にかけ46両が製造された。 ワンマン運転を前提に運転台は半室構造となっており[4]、側面は左右非対称となっている。車内はセミクロスシートで、クロスシート部は車内中央に2+2の配列で左右3組設置されている。トイレは和式のものを4位側に設けるが、2008年の一ノ関運輸区所属車を皮切りに順次洋式化されている[12]。 大船渡・北上線向けが一ノ関運輸区(→盛岡車両センター一ノ関派出所)、釜石・山田線向けが盛岡客車区(→盛岡車両センター)にそれぞれ投入された。のちに、2010年12月ダイヤ改正での大湊線の編成増強と大湊 - 八戸間直通列車を増発するためキハ100-21が2010年11月下旬に、2014年3月ダイヤ改正での大湊線の快速「しもきた」増発および多客期増結対応によりキハ100-20がそれぞれ盛岡から八戸運輸区 (→盛岡車両センター八戸派出所)へ転属し、200番台と混用されている。 試作車1990年(平成2年)1月から2月にかけ1、2が新潟鐵工所、3、4が富士重工業で制作された[13]。車体側の排障器は一般的な鋼板製のスカート形ではなく、ステンレス製丸鋼管の3段組みとされ、側面は吹き寄せおよびトイレ部分にもダミーガラスを使用して、連続窓のように見せるデザインとなっている。また、量産車と異なり、乗務員室の側窓が鋼製枠支持となっている[14]。 登場当初は、先頭車の正面の左右が黒色に塗装されていたが、後に量産車に合わせてベリーペールグリーンに変更された。また、車体に雨どいを設置していなかったが、のちに量産車同様、客用扉・乗務員室扉上部に取り付けられている。ワンマン運転への対応は落成当初は準備工事のみとされ、1991年(平成3年)に改造工事が行われている[15]。 室内は1・2・3位側出入り口付近のロングシート2席ずつを収納式とし[13][14]、混雑時に対応している点が特徴である。定員103名(折り畳み座席格納時は104名)。 なお、1と3は2012年に後述の「POKÉMON with YOU トレイン」へ改造されている。 車歴表車歴表(キハ100形0番台試作車)
量産1次車1991年(平成3年)3月に富士重工業で製造された5 - 8では、側面のダミー窓の廃止、運転室側窓のHゴム支持への変更、室内の折りたたみ座席の廃止が行われた[14]。また、以降のグループは当初より車内収受方式のワンマン運転に対応して製造されている[15]。定員103名[14]。 車歴表車歴表(キハ100形0番台量産1次車)
量産2次車1991年(平成3年)6月から10月にかけ製造された9 - 46では、スカートのパイプによる補強が廃止されたほか、側面方向幕がHゴム押さえに変更されている[14]。室内はつり手の支持方式が曲げパイプからブラケット支持に変更されている[14]。製造は、9 - 29が富士重工業、30 - 46が新潟鉄工所である[14]。 なお、キハ100-29は2017年(平成29年)に後述のキハ103形に改造されている。 車歴表車歴表(キハ100形0番台量産2次車)
POKÉMON with YOU トレイン→詳細は「POKÉMON with YOU トレイン」を参照
大船渡線を中心に運転される「POKÉMON with YOU トレイン」専用車として、郡山総合車両センターで改造された。車両は、一ノ関運輸区(→盛岡車両センター一ノ関派出所)所属のキハ100-1・3を改造している[28]。 なお、内外装は2017年(平成29年)7月15日から「親子でピカチュウと楽しむ列車」をコンセプトとした新しいデザインとなった[29][JR東 2]。 2012年12月22日から[注 11]臨時列車として大船渡線の一ノ関 - 気仙沼間で運行を開始している[JR東 3]。このほか、2014年には東日本大震災復興支援事業の一環として、同年1月から2月にかけて水郡線・常磐線・総武本線・磐越西線・磐越東線・只見線・左沢線へ出張運転されている[JR東 4]。
キハ100形200番台1993年(平成5年)に大湊線で使用されていたキハ40形を置きかえるために201 - 205の5両が富士重工業で製造された[14][30]。 後述のキハ101形の改良を踏襲し、客用側扉を引き戸式へ変更、車体の延長・強化、3位側出入口への車いすスペースの設置、音声合成方式のワンマン機器搭載、TE装置新設が行われた[30]。 室内は車いすスペースが設置された以外、0番台量産2次車からの変化はなく、トイレも和式となっている(のちに2010年から洋式化)[12]。定員は103名で変更はないが[12]、車いすスペースの設置により座席定員が減少している。 八戸運輸区 (→盛岡車両センター八戸派出所)に投入され、大湊線と直通先の青い森鉄道線(←東北本線)で運用されている。
車歴表車歴表(キハ100形200番台)
キハ101形左沢線用として1993年(平成5年)10月に6両、1994年(平成6年)9月に5両、1997年(平成9年)2月に2両の計13両が製造された。後述の室内レイアウトの変更に伴い、区別を明確にするため形式が分けられている[6]。全車が新潟鐵工所で製造されている[6]。 本形式が導入された左沢線は、朝夕を中心に非電化線区としては比較的混雑する状況にあったため、流動を均一にする目的でオールロングシートを採用し、営業距離・乗車時間も比較的短いことからトイレを省略し車椅子スペースとしている[6]。このため一部機器類の配置・形状が変更されている。これにより定員は107名に増加している[32]。 車体は、1992年(平成4年)に発生した成田線大菅踏切事故を受けて、キハ100形をベースに、運転室部分の鋼体を台車中心から車端部にかけて250 mm延長し、衝突時の乗務員の挟まれを抑制している[6]。このため全長は16.5 mから17 mへ延長されている[32]。このほか、前面鋼体の構造見直しによる強度向上が行われている[6]。また、側扉の方式をプラグドアから引き戸に変更したことで、側扉出入り口(ステップ)の高さを従来の1,036 mmから970 mmに変更している[6]。これに伴い戸袋部は側板厚みが50 mmから90 mmに増加している[6]。また、側扉にはドアチャイムが装備されている。 機器類についても従来は優等列車用や機関車のみに設置していたTE装置を設置したほか、運転台横の客室照明を運転台から消灯するスイッチが新設されている[32]。空調装置についても冷媒が環境対策としてフロンR-12からR134aに変更されている[32]。 車内の床材はピンクの色の物とブルーの色の物がある。ロングシート足元部の床に黒い線が引いてあるが、これは座席と立席の範囲を区分するために投入後に引かれたものである。車体塗色はホワイトを基調に最上川をイメージした青を配した同線独自のものを使用するとともに、前面とドア横に左沢線シンボルマーク、側面に「FRUITS LINER(フルーツライナー)」のロゴが施されている[32]。 運賃表示器は設置車と未設置車があったが、現在は全車両に液晶ディスプレイ (LCD) の運賃表示器が設置されている。かつての運賃表示器未設置車には運賃表示器の代わりに運賃表のステッカーを貼付してある。なお、LCDの運賃表示器が設置された現在もステッカーは貼付されたままである。運転台はキハ100形同様に半室運転台を採用しており、助士側で車掌がドア扱いを実施している時に乗客が立ち入らないように柵が設置されている。 1993年(平成5年)12月1日から左沢線で運用を開始し、同区間の所要時分を4分短縮した[32]。当初は新庄運転区配置であったが、山形新幹線の新庄延伸に伴う山形 - 新庄間の標準軌化に伴い、1999年(平成11年)度までに山形電車区(現・山形新幹線車両センター)に転配された。キハ101-12とキハ101-13には左沢方にメガホンが設置されている。 2021年現在、全編成の行先表示器のフルカラーLED化が完了している。
車歴表車歴表(キハ101形)
キハ103形小海線を中心に運転される観光列車「HIGH RAIL 1375」用として、2016年(平成28年)11月26日付で盛岡車両センター所属のキハ100-29が小海線営業所へ転属。後述のキハ110-108(→キハ112-711)とともに改造され、2017年7月1日から運行を開始した[36][JR東 5][JR東 6][JR東 7]。改造により連結面の運転台が使用停止となったため、新規形式のキハ103形に変更されキハ103-711となっている[37]。 本車は2号車となり、室内は「天空にいちばん近い列車」をコンセプトに、リクライニングシートを中心に、書棚「ギャラリーHIGH RAIL」を設置する[JR東 7]。 車歴表車歴表(キハ103形)
キハ110系特記ない限りは、2024年(令和6年)4月1日現在の情報を示す[10][11]。 0番台急行列車用として投入された番台である。1990年(平成2年)1月から2月にかけ試作車としてキハ110-1 - 3が製造されたのち、1991年(平成3年)3月に量産車となるキハ110-4, 5とキハ111・112-1 - 3が製造された[38][39]。製造所はキハ110-1, 2, 4, 5が富士重工業、そのほかが新潟鐵工所である。 外観上の特徴としては、他番台と異なり、パイプ式のスカートを使用している[38][39]。また、試作車についてはキハ100形試作車と同様、側面へのダミーガラス使用、先頭車の正面の左右が黒色に塗装(登場時のみ)が行われている[38]。 室内は他の番台と異なり940 mmピッチの回転リクライニングシート(キハ111・112の後位のみ4人掛けボックスシート[38][39])を装備し、照明にはグローブがつけられている。デッキは省略されているが、ガラス製の仕切りが設けられている。この番台のみキハ111・112形の後位側の貫通扉は前面と同じ狭幅となっており、通常ユニットで運用されるキハ111・112形も1両単位で運用されることが多い。 定員はキハ110形が52名、キハ111形が60名、キハ112形が64名となっている[38][39]。 2016年(平成28年)現在、JRグループにおいて急行列車で使用されることを前提として新製された最後の車両である。なお、2013年にキハ111-2およびキハ112-2は、700番台に改造されている。 当初は全車が盛岡客車区(→盛岡車両センター)に配属され、東北・釜石・山田線急行「陸中」で使用を開始した。2002年の「陸中」廃止後は、後継の快速「はまゆり」をはじめ、釜石線および東北本線日詰 - 盛岡間の普通列車に使用されている。快速「はまゆり」では、指定席となる3号車に優先的に使用される。キハ110-3が山田線盛岡駅 - 上米内駅間の運用についたことがある。また、東日本大震災以前の2007年(平成19年)7月から2011年(平成23年)3月まではキハ110形の1,2,4,5が小牛田運輸区(→仙台車両センター小牛田派出所)に所属し、石巻・気仙沼線快速「南三陸」の指定席車両でも使用されていた。震災後、小牛田所属キハ110形0番台は陸羽東線小牛田駅 - 鳴子温泉駅間の運用についていた。2013年(平成25年)にキハ111・112-2が後述の700番台へ改造され転出し、代替として小牛田からキハ110形が戻り、以後は全車が盛岡所属となっていた。2021年3月29日付でキハ111・112-3が小牛田運輸区に転出し、東北の祭りのラッピングを施した上で陸羽東線の快速「快速湯けむり号」の指定席車両として使用されている。2021年4月現在は盛岡に7両、小牛田に2両配置となっている。
車歴表車歴表(キハ110系0番台〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系0番台〈キハ111形・キハ112形〉)
100番台普通列車用として設計された番台であり、1991年(平成3年)2月から翌年2月にかけキハ110形39両、キハ111・112形2両編成21本の計81両が製造された[46][39]。郡山運輸区(→磐越東線営業所→郡山総合車両センター郡山派出所)を皮切りに新津運輸区・小海線営業所や常陸大子運転区(→水郡線営業所)に投入された。うち、新津運輸区投入車は後述の200番台投入でいったん全車が水郡線営業所に転属している。のちに水郡線営業所所属車についてもキハE130系投入による後述の転用により盛岡車両センターや小牛田運輸区、新津運輸区へ転属している。 外観はほぼ0番台と同様であるが、パイプ式スカート[47]は通常の鋼板によるものに変更され[46]、以降の番台にも踏襲されている。車内はキハ100形と同様のセミクロスシートであり[47]、クロスシート部はキハ100形と異なり、ワンマン運転時の旅客の動線や混雑時を考慮して1-3位側(キハ112形のみ2 - 4位側)を1人掛けとした横2+1列配置となっている。また、この番台以降、キハ111・112形の後位側貫通引き戸は幅広の両開きのものが採用されているため、ユニットを分割する場合、貫通扉にアダプターの装着が必要となっている。定員はキハ110形が119名、キハ111形が131名、キハ112形が136名である[46][48]。 なお、キハ110-105は2013年(平成25年)に700番台へ、キハ110-108は2017年(平成29年)に710番台へ改造されている(いずれも後述)。 キハ110-133は、2010年(平成22年)7月31日に岩泉線の押角 - 岩手大川間を走行中に土砂崩れに突っ込み脱線した(岩泉線列車脱線事故)。当該車両は、前面ガラス窓が破損し、11月18日に撤去されるまで4か月間にわたり現場に残されたが、後に復帰している。 車歴表車歴表(キハ110系100番台〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系100番台〈キハ111形・キハ112形〉)
特別塗装車小海線開業80周年記念事業の一環としてキハ110形キハ110-121が首都圏色に塗装変更された[56][JR東 8]。その後キハ111-111+キハ112-111も国鉄急行色に塗装変更された[57][JR東 8]。
150番台1994年にキハ111・112形2両編成2本が製造された。キハ110形は存在しない。水郡線営業所に投入された。 水郡線向け100番台の増備車という位置づけであるが、すでに製造が200番台へ移行した後であるため、後述の200番台中期車と同等の仕様(運転台強化に伴う車体延長や、乗降扉の引き戸化)とした一方、床面高さを100番台と同一 (1,036 mm) としている[48]。 水郡線からの撤退後は盛岡車両センターに転属し[48]、その後151は小牛田運輸区へ再転属している。 車歴表車歴表(キハ110系150番台)
200番台1993年(平成5年)2月から製造が開始されたマイナーチェンジ車であり、100番台と同様普通列車用となっている。キハ110形45両、キハ111・112形2両編成21本の計87両が導入された。そのうち、キハ110形14両 (223 - 236) とキハ111・112形2両編成3本 (210 - 212) の計20両は、後述の300番台からの改造編入車である[46][48]。新津運輸区、高崎運転所(→高崎車両センター高崎支所→ぐんま車両センター)を皮切りに、長野総合車両所(→長野総合車両センター)、小牛田運輸区に投入された。なお、以下に示す投入区分は本項における便宜上のものである。
初期車1992年度(1993年2月)に製造されたグループで、キハ110形のみ10両 (201 - 210) が制作された。同100番台と比較し、車体はドアが引き戸式とされたため、側扉出入口の高さを従来の1,036 mmから970 mmに変更している[58]。この側扉開閉機構の変更の関係で便所ユニットの位置、座席配置が100番台から変更されており[58]、定員は118名となっている[59]。 車歴表車歴表(キハ110系200番台初期車)
中期車1993年(平成5年)と1996年(平成8年)に製造されたキハ110形12両 (211 - 222) とキハ111・112形2両編成9本18両 (201 - 209) が該当[46][48]。本グループから同年度に製造開始したキハ101形などと同様のマイナーチェンジが行われた。外観上では踏切事故対策として運転台部鋼体が250 mm延長・強化し、乗務員室と側扉の間が広くなった[59]。室内はキハ110形およびキハ111形で室内3位側のロングシートを車いすスペースに変更した。このため定員はキハ110形121名・キハ111形131名・キハ112形136名となった。 車歴表車歴表(キハ110系200番台中期車〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系200番台中期車〈キハ111形・キハ112形〉)
300番台改造編入車1995年(平成7年)に特急仕様車として登場した300番台(後述)を使用終了後に改造の上編入したグループである。キハ110形14両 (223 - 236) およびキハ111+112形2両編成3本6両 (210 - 212) が1997年(平成9年)に改造された[46][48]。 改造工事は改造前に新津運輸区に転属していたキハ110-223, 224(←301, 302)のみ郡山工場、そのほかの長野総合車両所(→長野総合車両センター)所属車は同所で行われ[46]、それぞれ新潟地区、飯山線に投入されている。 他の200番台とは以下の相違点がある[46][59][63][48][64][65][66]。
飯山線眺望車ふるさと→おいこっとキハ110-235, 236(←313, 314)は、編入改造時に飯山線向け「眺望車"ふるさと"」として座席のすべてが1-3位側窓を向くオールロングシートとされ、1-3位側のカーテンは越後鹿渡駅以西で並行する千曲川(信濃川)を眺められるよう、ロールブラインドに変更された。定員は120名[59]。 その後、236は比較的早期に他の300番台編入車と同様の仕様となり、235も先に2-4位側に5組の4人掛けボックスシート(通常は4組)を設置したのち、1-3位側を他車と同様の仕様としたが、両車ともカーテンの違いは存置された[59][63]。 その後、2015年(平成27年)の北陸新幹線長野 - 金沢間延伸にあわせ、飯山線の観光列車「おいこっと」として、2両とも長野総合車両センターで再改造が行われている。駆動機関や台車などの変更、改番は行われていない[67]。 外装はアイボリーとえんじを基調に五線譜をイメージした格子様の塗装がなされ、沿線出身の高野辰之が作詞した唱歌「故郷」をイメージするアイコンがつけられている。ただし、前頭部のみ、235と236で色が反転している。 内装は「田舎のおばあちゃんち」を意識した古民家風とし、ロングシート部がソファタイプになり、ボックス部には着脱式のテーブルの設置が可能となっている。カーテンはすべて障子風の柄のブラインドへ変更されている。また、トイレが和式から車いす対応の洋式へ変更されている。なお、観光列車だけでなく、運転日以外には定期列車にも投入されるため、つり革や優先席は存置された。 2014年12月23日に先行して落成したキハ110-235が飯山駅で展示され、2015年1月2日から定期列車の運用に投入された。236の再改造が終了した2015年4月4日より臨時快速「おいこっと」として運用が開始された[68][JR東 9][JR東 10]。「おいこっと」のほか、定期列車として飯山線全線、しなの鉄道北しなの線(長野 - 豊野間)、上越線(越後川口 - 宮内間)、信越本線(宮内 - 長岡間)で運用される。
車歴表車歴表(キハ110系300番台改造編入車〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系300番台改造編入車〈キハ111形・キハ112形〉)
陸羽東線・陸羽西線向け車両1999年(平成11年)12月の山形新幹線新庄延伸に合わせ[70]、1998年から陸羽西線(キハ110-237 - 245)と陸羽東線に投入された車両(キハ111・112-213 - 221)はキハ110系の最終増備車となり、設計変更がなされている。いずれも小牛田運輸区に配置された。現在では明確な線区の区分は消滅し、どちらも両線および石巻線・気仙沼線鉄道区間で運用される。 外観は専用塗装とし、「雪景色」の白をベースに「豊かな自然」の緑を用いている[71]。窓下にはアクセントカラーとして、陸羽西線向けのキハ110形は「最上川のもたらす豊かな恵み」の黄色、陸羽東線向けのキハ111・112形は「鳴子渓谷の紅葉をイメージした」赤色を配している。先頭車前面左下に両線の愛称(奥の細道最上川ライン・奥の細道湯けむりライン)にちなみ「奥の細道」のロゴが表記されている[70][71][注 12]。なお、塗装については1998年度導入分のキハ110-237 - 239およびキハ111・112-213 - 217については従来のもので登場したのち、1999年度(平成11年)増備車に合わせ変更されている。 客室については基本的に従来どおりであるが、熱線吸収ガラスを採用してカーテンを省略し[71]、客用扉の車内側の化粧板が廃止されステンレス無地に変更された。キハ110-243 - 245の3両については「眺望車[70]」とされ、1-3位側に設置したクロスシートが窓側に45°回転[71]あるいは通路側に180°回転可能な1人掛けとなっている。そのためこの3両は定員が112名に減少している[71]。便所はいずれも車いす対応の洋式となり、キハ111形は300番台編入車同様、車端部に移設されている[71]。また、側面の行先表示器はキハ111形については省略、キハ112形は車端部に移設されている。 機器面でも、ワンマン機器がバス用の改良品から鉄道車両用のものとなり、自動放送装置もROM方式からICカード方式としている[71]。台車は軸ばねをロールゴムから円すいゴムへ変更した、DT58B形・TR242A形に変更されている[71]。
車歴表車歴表(キハ110系200番台陸羽東線・陸羽西線向け車両〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系200番台陸羽東線・陸羽西線向け車両〈キハ111形・キハ112形〉)
特別塗装車2014年10月、八高線全線開通80周年記念事業の一環として、高崎車両センター所属のキハ111・112-204が八高線をかつて走ったキハ38形の塗色に変更された[74][JR東 11]。これらは2018年の車両検査時に元の塗装に戻された。 2017年(平成29年)3月には、信州デスティネーションキャンペーンの一環として、キハ110-231, 233(元309, 311)が旧飯山線標準色に変更された[JR東 12]。 2022年11月からは、只見線全線復旧を記念してキハ110-223がかつて同線を走っていたキハ40系の塗色である東北地域本社色に変更された[75]。
300番台→「秋田リレー」としての運用・沿革の詳細については「たざわ (列車) § 特急「秋田リレー」」を参照
秋田新幹線開業に向けた田沢湖線の全面運休・改軌に伴い特急「たざわ」(盛岡 - 秋田間ほか)の代替として、北上線を経由して1996年(平成8年)3月30日から翌1997年(平成9年)3月21日まで運行された特急「秋田リレー」(北上 - 秋田間)に充当するために[注 13]、当時増備中の200番台の仕様を基本として、秋田新幹線開業後の転用を前提に内装等を暫定的な特急運用に対応させたグループである。1995年(平成7年)度にキハ110形14両 (301 - 314) 、キハ111・112形2両編成3本6両 (301 - 303) の計20両が製造され[7]、南秋田運転所に配属された。 外観はホワイト系の地色にタークピンクと灰色、ライトパープルで塗装され、前面と側面に先頭車の前面に竿灯をデザインしたイラストと「AKITA」の文字が施されていた[76]。 車内は当時増備が進んでいたE217系電車のグリーン車と同じ、回転リクライニングシート(950mmピッチ)を採用したが、喫煙車両として運用することがあるため、キハ111形を除き灰皿をひじ掛けに追加している[76]。デッキ部には自動扉つきの仕切りを設け、客室後位側には各車とも荷物置き場を設置した。キハ112形は加えて後位側車端部にも座席を1列設置しているが、ここについてはデッキとの仕切り扉を設置せず大形のガラス製仕切りのみとした[76]。キハ111形とキハ112形をつなぐ後位の貫通引き戸はドアクローザーを設置した[76]。室内灯についても蛍光管を2本としてカバーで覆っている[77][78]。 便所はキハ111形は車端部に設置位置を変更し、洋式化されているが、キハ110形は引き続き和式となっている[77]。また、特急用ながら洗面所がなかった。 運転台についてはワンマン関連機器を準備工事にとどめている[77]。 秋田新幹線開業を2日後に控えた1997年3月20日にキハ110-301, 302が新津運輸区に転属したことを皮切りに、順次他区所への転属が進められ、先述の2両が新津[注 14]、残りが長野総合車両所(現・長野総合車両センター)に転属した[注 15][79][80]。転属後は長野新幹線開業前に「信州循環列車[注 16]」や、仙台で開催された「国際ゆめ交流博覧会」への連絡列車「ゆめ交流博号[注 17]」などで運用された後、200番台(キハ110-223 - 236、キハ111・112-210 - 212)に編入改造され(#300番台改造編入車)て番台が消滅し、改造時に取り外したリクライニングシートはE217系のグリーン車に流用された。 車歴表車歴表(キハ110系300番台〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系300番台〈キハ111形・キハ112形〉)
700番台→詳細は「TOHOKU EMOTION」を参照
八戸線で運転されるジョイフルトレイン「TOHOKU EMOTION」専用車として、0番台と100番台から2013年9月26日に郡山総合車両センターで改造された。番号の新旧対照は次のとおり[83]。
車歴表車歴表(キハ110系700番台〈キハ110形〉)
車歴表(キハ110系700番台〈キハ111形・キクシ112形〉)
710番台小海線を中心に運転される観光列車「HIGH RAIL 1375」用として、2016年(平成28年)11月26日付で小牛田運輸区所属のキハ110-108が小海線営業所へ転属し、前述のキハ100-29(→キハ103-711)とともに改造され、2017年(平成29年)7月1日から運行を開始した[36][JR東 5][JR東 6][JR東 7]。改造と同時に連結部の運転台が使用停止となったため、形式をキハ112形に変更し、キハ112-711となっている[37]。 本車は1号車となり、室内は窓側を向いたシングルシート、ペアシートを中心とし、片側の扉を埋め込んでボックスシート(4人掛け×2)を設けるほか、トイレを撤去し物販カウンターも設けられる[JR東 7]。
車歴表車歴表(キハ110系710番台〈キハ112形〉)
配置と運用2023年(令和5年)現在、以下の車両基地に所属し、運用される。運用については各車両基地の項目も参照。 盛岡支社
東北本部
新幹線統括本部
新潟支社
長野支社
高崎支社水郡線からの撤退と転用水郡線では、キハ110系が2扉であることが混雑による列車遅延の要因となっていた。そのため、2006年(平成18年)から2007年(平成19年)度にかけて3扉の新型車両キハE130系を投入し、同線に在籍するキハ110系全車を他線へ転出させることとした。水郡線でのキハ110系の営業運転は2007年9月12日をもって終了となり、同年8月18日から運用終了までの間、先頭車の前面に「ありがとうキハ110系」の特製ヘッドマークが装着された。
沿革
事故廃車2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波では、盛岡車両センター所属のキハ100-9・12(山田線津軽石駅・1647D・津波により脱線)[85]、一ノ関運輸区所属のキハ100-30・38(大船渡線下船渡 - 大船渡間・338D・床下浸水で機器損傷)[85]、およびキハ100-31・41(大船渡線盛駅・333D・床下浸水)[85]が被災した。キハ100-31・41は郡山総合車両センターにて復旧されたが、床上まで浸水した9・12と、被災箇所からの搬出が困難だった30・38は現地で解体となり、本系列初の廃車となっている。 2015年(平成27年)12月11日には山田線の松草 - 平津戸間で、盛岡行きの上り最終普通列車に充当されていた盛岡車両センター所属のキハ110-132が線路上に崩れていた土砂に乗り上げ脱線した(山田線列車脱線事故)。同車は2017年(平成29年)5月2日付で廃車され[54]、その後復旧工事のため車体を重機で切断の上撤去された[新聞 6]。 譲渡車ひたちなか海浜鉄道一ノ関運輸区所属のキハ100-39・40・41が2024年7月以降順次ひたちなか海浜鉄道に譲渡[86]、老朽化したミキ300-103とキハ205の置き換え用および、新たに導入する観光用車両の改造種車としてJR東日本とひたちなか海浜鉄道の双方で整備を行ったのち、営業運転を開始するとしている[87]。 譲渡発表日の7月3日にキハ100-39がJR東日本からひたちなか海浜鉄道へ転籍し[88]、整備を行なった後、9月19日から翌日にかけて郡山総合車両センターから那珂湊駅へ陸送された。同年9月5日にキハ100-41も続いて転籍し[89]、10月24日から翌日にかけて陸送された。 脚注注釈
転属
旧車両番号
出典
JR東日本
新聞記事
参考文献鉄道ファン
付録「車両配置表/車両のデータバンク」
その他
関連項目
外部リンク |