瀬戸 (列車)
サンライズ瀬戸(サンライズせと)は、東京駅 - 高松駅間を東海道本線・山陽本線・宇野線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・予讃線経由で運行する寝台特急列車。 本項では「サンライズ瀬戸」の前身である寝台特急「瀬戸」(せと)、および東京と四国を結んでいた優等列車の沿革についても記述する。 概要「サンライズ瀬戸」は、1998年(平成10年)7月10日に[1]、それまで24系25形客車によって東京駅 - 高松駅間で1往復運転していた寝台特急「瀬戸」を、新たに製造した285系電車に置き換えて運転を開始した列車である。「瀬戸」では全区間単独運転であったが、東京駅 - 岡山駅間は同じく寝台特急「出雲」から置き換えられた「サンライズ出雲」とともに併結運転されるようになった。 2016年3月22日(到着)をもって急行「はまなす」が運行終了[注 1]となったため、翌23日以降は「サンライズ出雲」とともに唯一の定期寝台列車・夜行旅客列車となった。また、同月25日をもって特急「しなの」の大阪駅発着列車が区間短縮され、名古屋駅発着となったことにより、JR3社以上にまたがって運行される唯一の定期旅客列車となっている。 運行概況東京駅 - 高松駅間を約9時間30分で結び、毎日1往復が運転されている。上下列車とも始発駅を21時台後半に出発し、終着駅に翌7時台前半に到着する。 東京駅 - 岡山駅間では「サンライズ出雲」と併結して運転されており、併結区間の列車番号は同一となっているが、下記の臨時延長を行う場合は8000番台に改番し別番号となる。 かつては、坂出駅・高松駅で乗車日またはその翌日に別の特急列車に乗り継ぐ場合に、四国内の列車分の特急券に乗継割引が適用されたが、2023年4月1日乗車分限りで終了となった[2]。 臨時延長運転多客期など特定日に臨時扱いで四国内の延長運転を行うことがあり、2014年以降は下り列車のみ高松駅到着後に琴平駅まで延長運転を行っている。ただし、大幅な遅延が発生した場合は延長運転を取りやめることがある。また、延長運転区間のみの利用はできない。 1999年7月から2009年8月までは、多客期に松山駅発着で延長運転されていた[3][4]。丸亀駅 - 松山駅間の利用では坂出駅(正式には宇多津駅。同駅の項目および本四備讃線も参照のこと)- 高松駅間を往復することになるが、営業上の特例として高松駅の改札を出ない限り宇多津駅 - 高松駅間の運賃・特急料金は不要とした。設定当初は夏休み期間中ほぼ毎日運転されたり、春休み、大型連休や秋季にも運転されていたことがあったが、年々運転日が減少し、秋季に続いて2002年限りで春季の運転がなくなった[注 2]後はお盆と年末年始にそれぞれ数日運転されるのみとなり、2009年8月をもって松山への延長運転は取り止めとなった。 その後、2014年9月から11月までの金曜日・土曜日・休前日の合計31日間に、下り列車に限り琴平駅行きで運転され[7]、これは2015年夏以降も現在まで引き続き設定されている[8]。こちらも、営業上の特例として高松駅の改札を出ない限り宇多津駅 - 高松駅間の運賃・特急料金は不要としている。 停車駅
延長運転区間の停車駅
なお、土讃線の電化区間は電化設備の構造上電車を連続して運転すると電圧降下を引き起こす可能性があるため[9]、サンライズ瀬戸の延長運転に備えて、高松駅7:15発の普通列車は土休日は琴平行きから多度津行きに変更され、多度津 - 琴平間は時刻を変更のうえ気動車による運転となっている(折り返しの普通琴平発多度津行きも同様に、土休日は気動車での運転である)。 使用車両・編成→「JR西日本285系電車」も参照
西日本旅客鉄道(JR西日本)の後藤総合車両所および東海旅客鉄道(JR東海)の大垣車両区所属の、285系電車を使用している。7両編成で、客室は個室A寝台「シングルデラックス」、個室B寝台「サンライズツイン」「シングルツイン」「シングル」「ソロ」、普通車指定席「ノビノビ座席」で構成されている。また、3号車と10号車にはミニラウンジが設けられている。 東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」を併結して岡山駅で増解結を行うため、車両の運用は一巡するように組まれており、「サンライズ出雲」東京行→「サンライズ瀬戸」高松行→「サンライズ瀬戸」東京行→「サンライズ出雲」出雲市行の順に運用されている。この運用形態は1994年 - 1999年までの「さくら」、2005年 - 2009年までの「はやぶさ」「富士」で見られた。 3・4・10・11号車にはシャワー室があり、シャワーカードにより6分間利用することができる。このうち、4号車と11号車のものはA寝台利用客専用となっている。個室A寝台利用客は車掌から配布されるシャワーカードで利用できるが、個室B寝台・ノビノビ座席利用客は、3号車・10号車にある販売機でシャワーカードを購入する必要がある。
担当乗務員運転手、車掌共にJR西日本・JR四国・JR東海・JR東日本がそれぞれ自社区間のみを担当することから、会社境界である熱海駅・米原駅・児島駅で交代する。担当車掌の詳細は下記の通り(JR東日本区間の上り列車とJR東海区間の上下列車は車掌1人乗務)。
2015年3月14日改正前日発の下り列車まで車掌は、東京駅 - 児島駅間をJR西日本の岡山車掌区が担当していた[10][11]。2015年3月12日時点のJR線で車掌が会社境界を跨いでかつ長距離の越境乗務をしている列車は本列車(米原駅 - 東京駅間445.9km)と「サンライズ出雲」、「トワイライトエクスプレス」(直江津駅 - 青森駅間578.6km)の3列車のみであったが、本列車をもって国鉄時代から続いていた夜行列車の長距離越境乗務は消滅した[12]。岡山車掌区が越境乗務していた当時は車掌がシャワーカードとアメニティセットの販売も行っていたが、前者は自動券売機での販売へ移行、後者は販売を終了している。 東京対四国夜行列車概略瀬戸
「瀬戸」は、1950年10月に初の宇野線直通列車となる四国連絡の急行列車が東京駅 - 宇野駅間で運転を開始したのがルーツで、東京駅 - 岡山駅間は、東京駅 - 広島駅間急行の「安芸」と併結運転していた。一方、四国側の連絡列車は、高松桟橋駅 - 宇和島駅間に準急「せと」が設定された。準急「せと」は、高松桟橋駅 - 多度津駅間で、高松桟橋駅 - 窪川駅間の準急「南風」を併結していた。 1951年9月からは単独運転となったが、同年11月から1956年11月までは東京駅 - 大阪駅間で、東京駅 - 大社駅間を福知山線経由で運転する急行「出雲」に併結して運転されていた。 1951年12月に「せと」と名付けられ、1956年11月のダイヤ改正で再び「せと」は単独運転となり、列車名は漢字の「瀬戸」に変更した。1964年10月には寝台急行列車「さぬき」が新設されて四国連絡の2本目の列車としていたが、1968年10月のダイヤ改正で「瀬戸」に統合されて「瀬戸」は2往復になった。 1972年3月には、特急列車化されたが1往復に削減され、1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)開通後は、同線を経由して運転区間は東京駅 - 高松駅間に変更された[13]。 廃止時の運行概況(1998年)停車駅東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - (浜松駅) - 〔大阪駅〕 - 〔三ノ宮駅〕 - 姫路駅 - 岡山駅 - 児島駅 - 坂出駅 - 高松駅 使用車両・編成図
「瀬戸」として運転開始当初は10系客車を使用していたが、1971年、「瀬戸」1号・2号のB寝台車に新開発の14系寝台車を試用して、翌年には元の10系客車に戻された。1972年3月に特急列車化されたことにより20系客車に変更し、1977年9月に24系25形客車に置き換えられるまで使用された。置き換え以降は開放式B寝台のみのモノクラス編成が続いたが、1990年3月10日より、車両を共通運用していた「あさかぜ」2号・3号とともに個室A寝台「シングルデラックス」とラウンジカーが連結された。 機関車は田端運転所配置で田町車両センターに常駐のEF65形1000番台が全区間を牽引した。稀に田町に常駐しない初期型やスーパーエクスプレスレインボー塗色の1019・1118号機が充当される場合もあった。 さぬき「瀬戸」の増発列車として、1964年10月から1968年10月まで東京駅 - 宇野駅間で運転された寝台急行列車である。「瀬戸」に統合されて廃止されたが、サロンカーのオシ16形が連結された特徴ある列車であった。 列車名の由来は、香川県の旧国名である讃岐国である。当初は東海道新幹線の開業によって廃止される「すばる」が使用される予定であったが、香川県の要望によって「さぬき」が使用されるようになった。 東京対四国夜行列車沿革四国連絡急行の整備
四国連絡ブルートレイン「瀬戸」
電車寝台特急「サンライズ瀬戸」
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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