『意味がなければスイングはない』(いみがなければスイングはない)は、村上春樹の音楽評論集。
2005年11月28日、文藝春秋より刊行された[1]。季刊オーディオ専門誌『Stereo Sound』(株式会社ステレオサウンド)に連載された評論をまとめたものである。表紙の絵は、「The Back Guild」シリーズのイラスト(SHERIDAN SQUARE RECORD社)。2008年12月4日、文春文庫として文庫化された[2]。2015年11月21日、電子書籍版が配信開始された[3]。
タイトルは、デューク・エリントンの作品「スイングがなければ意味はない (It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing) 」に由来する。あとがきで村上は「ただの言葉遊びでこのタイトルをつけたわけではない」「この場合の『スイング』とは、どんな音楽にも通じるグルーヴ、あるいはうねりのようなものと考えていただいていい」と述べている。
内容
すべて『Stereo Sound』に掲載された。
脚注
注釈
- ^ 村上は『村上ソングズ』(中央公論新社、2007年12月)において、『サーフズ・アップ』に収録されたブルース・ジョンストン作の「ディズニー・ガールズ (1957)」の歌詞を訳している。
- ^ 『海辺のカフカ』の登場人物の一人はこの曲をかけながらこう話す。「シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽なんだ。それがロマンティシズムの本質であり、シューベルトの音楽はそういう意味においてロマンティシズムの精華なんだ」[4]
- ^ 期間限定サイト「村上さんのところ」(2015年1月~5月)において村上は次のように述べている。「スタン・ゲッツの伝記を翻訳したいなと思っているんだけど、とくに後半部分の内容がかなりダークになるので、翻訳する方も読む方も、ちょっと落ち込むかなという懸念があります。なにしろかなりややこしい人生を送られた方なので。でも私生活の無茶苦茶さに比べて、彼の奏でる音楽はどうしてあんなに優しく、美しいのでしょうね」[5]
- ^ 「ハングリー・ハート」は村上の2つの長編小説に登場する。『ダンス・ダンス・ダンス』の語り手は次のように述べる。「ブルース・スプリングスティーンが『ハングリー・ハート』を歌った。良い歌だ。世界もまだ捨てたものではない。ディスク・ジョッキーもこれは良い歌だと言った」[7]
また、『騎士団長殺し』の語り手は次のように述べている。「B面の冒頭に注意深く針を落とす。そして『ハングリー・ハート』が流れ出す。もしそういうことができないようなら、『ザ・リヴァー』というアルバムの価値はいったいどこにあるだろう?」[8]
- ^ 村上のエッセイ集『やがて哀しき外国語』(講談社)にはこう書かれてある。「キース・ジャレットたち六〇年代の世代にとっては、音楽というのは戦い取るものだった。(中略) 僕は正直に言って、キース・ジャレットという演奏家の『創造性』をあまり高くは評価しない人間だけれど、それでもそこに『創造性』への希求があったことを認めるのにやぶさかではない」[10]
- ^ 長編小説『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)には以下の記述がある。「天井の真っ黒なボーズのスピーカーからはキース・ジャレットのいささかまわりくどいソロピアノが小さな音で流れていた」[11]
- ^ 村上は短編「日々移動する腎臓のかたちをした石」において、二人の登場人物にこのプーランクの言葉を述べさせている。主人公の淳平は「職業というのは本来は愛の行為であるべきなんだ。便宜的な結婚みたいなものじゃなくて」と言い[13]、キリエはラジオのインタビューで「高いところにいるのが私の天職です。それ以外の職業が頭に浮かびません。職業というのは本来、愛の行為であるべきなんです。便宜的な結婚みたいなものじゃなく」と答えている[14]。
出典
関連項目