『職業としての小説家』(しょくぎょうとしてのしょうせつか)は、村上春樹の自伝的エッセイ[注 1]。
概要
2015年9月10日、スイッチ・パブリッシングより刊行された[1]。雑誌『MONKEY』に連載されたエッセイ「村上春樹私的講演録 職業としての小説家」、『考える人』に掲載された講演原稿[注 2]、および書き下ろしの文章から成る。
台頭するインターネット書店への対抗策として、紀伊國屋書店が本書の初版10万冊のうち9割を出版社から直接買い取ったことで話題となった。紀伊國屋書店は9万冊のうち3万~4冊を自社店舗で販売し、残りを他社の書店に供給するという戦略をとった[2]。
2016年10月1日、新潮文庫として文庫化された[3]。
『MONKEY』Vol.7(2015年10月15日)に「『職業としての小説家』刊行記念 村上春樹インタビュー」が掲載された。聞き手は川上未映子[4][注 3]。川上のインタビューはのちに『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)に収録された。
内容
翻訳
脚注
注釈
- ^ 帯文の言葉より。「自分的エッセイ 村上春樹『職業としての小説家』」と書かれてある。
- ^ 2013年5月6日、村上は河合隼雄物語賞・学芸賞創設を記念して公開インタビューとスピーチを京都大学で行った。そのスピーチの原稿が『考える人』2013年夏号に掲載された。
- ^ 2015年11月28日~29日に郡山市で開催された文学講座「ただようまなびや 文学の学校」に村上はゲスト出演。会場で朗読を行うほか、28日に川上未映子が行った短歌のワークショップにも参加した[5]。
- ^ 村上はデビュー間もない頃『ナンバー』1980年10月5日号に「デイヴ・ヒルトンのシーズン」というエッセイを寄稿している。同エッセイは長い時を経て『村上春樹 雑文集』(新潮社、2011年1月)に収録された。
- ^ (僕らがいつも使っていた文学部の教室でも、ノンポリの学生が一人殺害されました)スイッチ・パブリッシング版37頁とあるが、これは川口大三郎事件である。
- ^ 村上は「僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは『何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ』ということです」と言い、リック・ネルソンが1972年に発表したヒット曲「思い出のガーデン・パーティー」の歌詞を引用する。「もし全員を楽しませられないのなら/自分で楽しむしかないじゃないか」[6]。
- ^ 『辺境・近境』所収の「メキシコ大旅行」でも村上は「ガーデン・パーティー」の歌詞を引用している。「彼はそんな熱い思いを託して『ガーデン・パーティー』という曲を書いた。リックはその中でこう歌った。『もし思い出の他に歌うものがないのなら、僕はトラック運転手にでもなるさ(If memories were all I sang, I'd rather drive a truck)』と」[7]
出典