寺津駅

寺津駅
廃止前の寺津駅(2004年)
てらづ
TERAZU
三河楠 (2.0 km)
(2.3 km) 西一色
地図
所在地 愛知県西尾市寺津町
北緯34度50分18秒 東経137度01分01秒 / 北緯34.838353度 東経137.0169度 / 34.838353; 137.0169座標: 北緯34度50分18秒 東経137度01分01秒 / 北緯34.838353度 東経137.0169度 / 34.838353; 137.0169
所属事業者 名古屋鉄道
所属路線 三河線
キロ程 26.4 km(知立起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
114人/日(降車客含まず)
-2003年-
開業年月日 1926年大正15年)9月1日
廃止年月日 2004年平成16年)4月1日
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寺津駅(てらづえき)は、かつて愛知県西尾市寺津町にあった名古屋鉄道三河線廃駅)である。

歴史

駅構造

廃線前までは4両編成に対応した1面1線ホームのみの地上駅であった。

交換設備の跡や、ホーム待合席の屋根の形状から、かつては島式の1面2線であったことや、ほかにも貨物用ホームがあったことがうかがえた。

配線図

寺津駅 構内配線略図

碧南方面
寺津駅 構内配線略図
吉良吉田方面
凡例
出典:[6]


利用状況

  • 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は467人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線田神線美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中278位、 三河線(38駅)中29位であった[7]
  • 『愛知統計年鑑』によると2003年度の乗車人員は1日平均114人であった[8]。2003年度までの1日平均乗車人員は下表の通り。
年度 1日平均
乗車人員
1998年 177 [9]
1999年 142 [10]
2000年 134 [11]
2001年 127 [12]
2002年 118 [13]
2003年 114 [8]

駅周辺

バス路線

三河線の碧南 - 吉良吉田間の廃止に伴う代替バスとして、ふれんどバスが運行されている。なお、駅跡地付近にある同路線の停留所は「寺津神社前」、「巨海」である。この他、六万石くるりんバスの「寺津本町」停留所が駅跡地付近に設けられている。

隣の駅

名古屋鉄道
三河線(廃止区間)
三河楠駅 - 寺津駅 - 西一色駅

その他

北寺津駅

寺津駅は当初0.6km三河楠寄りにあり、1927年昭和2年)3月25日に廃止時の位置へと移転した[2]。その後、同年7月25日には移転後の寺津駅から三河楠寄り0.5kmの位置に北寺津駅が設置されている[14]

北寺津駅は1944年(昭和19年)に休止され1969年(昭和44年)4月25日正式に廃止となるが、三河鉄道時代のホームは廃止後もそのまま残されていた[15]

寺津高架橋

三河線は西三河南部地域から衣浦トンネルを通り、中部国際空港への主要アクセス道路となる都市計画道路衣浦岡崎線と西尾市寺津町で交差する(座標[16]。同道路と三河線の交点を含む同道路の西尾市上矢田町 - 寺津町間(約1.1 km)は1998年(平成10年)11月20日に開通したが[16]、名鉄は1983年(昭和58年)から始まった愛知県との協議で、安全性などを理由に「廃止の計画があるなら、〔道路との交差地点は〕踏切で」という県の申し出を拒否したため、県と名鉄は協議の末、交点付近の三河線の線路を高架化することで合意した[17]。県は道路建設に合わせて三河線の高架化事業、周辺の土地区画整理事業を行い[16]、道路開通に先行して同年4月、三河線の高架橋が供用開始された[17]。この高架橋は寺津高架橋と呼ばれる[18][19]

高架橋の全長は約530 m[16]、もしくは約1 kmで[17]、事業着手以来19年目の完成だった[16]。総事業費は道路建設と鉄道高架化、土地区画整理事業費を合わせて約31億円で[16]、うち鉄道高架化のために要した費用は約20億円だが、この内訳は国と県の負担分が19億5500万円で、名鉄の負担分は3000万円だった[17]。高架橋は完成後に名鉄の財産となったが[17]、道路開通直後の同月24日、名鉄は三河線(碧南 - 吉良吉田間、猿投 - 西中金間)の区間廃止の意向を表明[20]、2000年(平成12年)3月2日には沿線自治体に対し、当該区間の廃止届を同年9月末までに運輸大臣に届け出る旨を通知した[21]。名鉄は1993年(平成5年)ごろから碧南 - 吉良吉田間を廃止対象として県に伝えていた旨を主張しているが、多額の税金を投じて建設された高架橋が完成からわずかな期間で廃止される事態となったことに対し、事業主体となった県からは反発の声が上がった[17]

脚注

  1. ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、45頁。ISBN 978-4107900258 
  2. ^ a b 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補 7号 東海 - 鉄道フォーラム
  3. ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、88頁。ISBN 978-4876701292 
  4. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、870頁。 
  5. ^ a b “三河線も一部ワンマンに 名鉄、来月レールバス投入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年6月23日) 
  6. ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
  7. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。 
  8. ^ a b 平成17年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  9. ^ 平成12年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  10. ^ 平成13年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  11. ^ 平成14年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  12. ^ 平成15年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  13. ^ 平成16年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  14. ^ 鉄道省 編 『鉄道停車場一覧 昭和12年10月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)』、川口印刷所出版部、1937年、355頁
  15. ^ a b 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、151頁。ISBN 978-4533039232 
  16. ^ a b c d e f 中日新聞』1998年11月20日朝刊西三河版「【愛知県】県道西尾幸田線 きょう一部開通 上矢田-寺津間、暫定2車線」(中日新聞社
  17. ^ a b c d e f 朝日新聞』2000年3月17日名古屋朝刊第三社会面33頁「三河線の一部廃止、名鉄に県議会反発 「多額の税金」」(朝日新聞名古屋本社
  18. ^ 名古屋鉄道株式会社における運賃改定申請について(運輸審議会ご説明資料) (PDF)国土交通省鉄道局、2023年6月22日、18頁。2025年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ (PDF)。2025年1月18日閲覧
  19. ^ 伊藤博康「名鉄三河線“海線”のいま2…廃線跡探訪(32):達人に訊け!」『中日新聞中日新聞社、2022年1月20日。オリジナルの2025年1月18日時点におけるアーカイブ。2025年1月18日閲覧。
  20. ^ 『中日新聞』1998年11月25日朝刊一面1頁「名鉄が赤字鉄道廃止 岐阜・愛知両県の6線区 地元に意向」(中日新聞社)
  21. ^ 『中日新聞』2000年3月3日朝刊一面1頁「名鉄 三河線など赤字6線区 廃止、9月までに届け出」(中日新聞社)

関連項目

 

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