徹明町駅
徹明町駅(てつめいちょうえき)は、岐阜県岐阜市徹明通1丁目にあった、名古屋鉄道の駅(停留場)。2005年(平成17年)4月1日に廃駅となった。 乗り入れ路線名鉄岐阜市内線と美濃町線が乗り入れ、このうち美濃町線は当駅を起点とした。美濃町線の起点ではあるが、廃止直前は終点関駅への直通列車は下り1本のみ(土休日は新関駅止め)で、ほとんどは野一色駅、日野橋駅で折り返していた。 岐阜市内線には、2005年(平成17年)の全線廃止時に残っていた忠節駅方面の忠節支線(忠節線[1])のほかに長良北町駅方面の本線(長良線[1])がかつて存在し、両者は当駅で分岐していた。 岐阜市内線(忠節方面と長良北町方面)と美濃町線は当駅で乗り換えとなっていたが、他都市の路面電車のような乗り継ぎ割引はなく、運賃は当駅で一旦打ち切られて乗り継ぎ先で新たに支払う形となっていた。 歴史1911年(明治44年)に岐阜市内線の前身である美濃電気軌道市内線の駅として開業した。岐阜市内線は2005年の全線廃止時こそ忠節駅方面へ向かう路線のみが残っていたものの、開業当初はまず長良北町駅方面へ向かう本線(通称、長良線)を旨として鉄路を伸ばしていた。当駅から忠節駅方面への支線は1925年(大正14年)の当駅 - 千手堂駅間の開通を待たねばならない[1]。 一方、美濃町線も1911年に美濃電気軌道の路線として開通していたが、市内線と分岐する起点は当駅ではなく隣にあった神田町駅(のちの岐阜柳ヶ瀬駅)であった。経路変更により美濃町線の起点が当駅に移るのは1950年(昭和25年)のことである。 1950年以降当駅は岐阜市内線の本線(長良線)と忠節支線、それに美濃町線の結節点となったが、1988年(昭和63年)に本線の一部である当駅 - 長良北町駅間が廃止される。岐阜市内線は残った岐阜駅前駅 - 当駅 - 忠節駅間へと区間が変更されたが、それも美濃町線と同時に2005年(平成17年)に廃止された。
駅構造全廃時の構造岐阜市内線は相対式2面2線、美濃町線は単式1面1線の乗り場を持つ。併用軌道のため両線とも乗り場は道路上に設けられていたが、安全地帯はなく、道路に「グリーンベルト」と称する緑色のペイントがされているのみであった。このグリーンベルトは、1992年に岐阜市内線の新岐阜駅前駅とともに全国で初めて施されたものであった[2]。電車待ちをする乗客のために、忠節方面の乗り場の向かいにある歩道上には歩道に面して支店を構えていた十六銀行により椅子が設置されていた[7]。線路は営業運行がない美濃町線 - 岐阜市内線忠節方面にもつながっており、忠節で接続する揖斐線の電車が市ノ坪の岐阜工場へ出入庫する際に通っていた[8]。 美濃町線乗り場南側に名鉄徹明町駅ビル(駅施設は1階部分)があり、かつては駅員が配置されていたが、1999年3月31日限りで無人駅化されている。駅ビルの建物自体は2019年9月現在で存在しているが、全階空き家状態である。1階外面のガラス部分に残る駅関連のシールの痕跡から、駅施設であることが容易に判断できる状況である。
1991年までの構造長良北町方面が廃止される前は下図のように複線ダイヤモンドクロッシングとなっており、その中に支線の外側が通る珍しい形態をとっていたが、その分、車輪のフランジを通す為に線路が途切れている個所が増え、通過中の乗り心地の悪さ、騒音、メンテナンスの増大を招く原因となっていた。 長良北町廃止後は忠節方面 - 美濃町線の線路は美濃町線乗り場を含め単線に変更された[6]。
駅周辺
(当時は岐阜メルサ)
隣の駅脚注
関連項目 |
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