グリーンベイ・パッカーズ(英語: Green Bay Packers、略称: GB)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。1921年、当時まだ創立2年目だった頃にNFLに加盟しており、現在あるチームの中ではアリゾナ・カージナルス、シカゴ・ベアーズに次いで3番目に古いチームとなっている。また、現在アメリカに本拠地を置くプロスポーツチームの中で唯一、一般市民がチームを100%保有している。ホームスタジアム、ならびにチームの本部は、ランボー・フィールドである。
概要
パッカーズは1920年代から1930年代のリーグ創成期に一般的だった、小さな町をホームとする最後のチームであると言われている。チームは、1919年にカーリー・ランボーとジョージ・ホイットニー・カルフーン(英語版)によって設立され、当初はウィスコンシン州内のセミプロチームと試合をしていたが、1921年にNFLへ加入した。1933年から1995年までの間、グリーンベイと並行してミルウォーキーでもホームの試合を行っていた。ミルウォーキーは現在でもチームのメディア圏内にあり、多くのファンが存在している。グリーンベイならびにグリーンベイ都市圏は、北米4大プロスポーツリーグのホームタウンのうち最も規模の小さい地域である[注釈 2] ものの、フォーブスによる「世界の価値あるスポーツチームランキング」では2019年に27位にランクインした[1]。
パッカーズのNFLチャンピオン獲得回数は、リーグ最多の13回である。リーグ(旧NFLチャンピオンシップ)3連覇を成し遂げた唯一のチームでもあり、1929年から1931年と、1965年から1967年の2度にわたってこの記録を打ち立てた。スーパーボウル優勝は4回でそのうち2回はAFLとNFLチャンピオンの対戦として行われた第1回スーパーボウル、第2回スーパーボウル、1970年のAFLとNFL統合後の優勝は1996年度の第31回スーパーボウル、2010年度の第45回スーパーボウルである。アメリカでは非常に人気の高いチームであり、人気チームの世論調査においてもダラス・カウボーイズなどと共に常に上位に位置している[2]。
歴史
チーム創成期
グリーンベイ・パッカーズは、1919年8月11日に創設された。当初はアクミー・パッカーズといった。創設者のカーリー・ランボー[注釈 3] は、彼の勤めるインディアン・パッキング・カンパニーに、ユニフォーム購入の資金提供を求めた。同社がこのチームを支援していたのは最初のシーズンのみだったが、グリーンベイのフットボールクラブの名称は、今も変わらず「パッカーズ」である。ノートルダム大学出身のランボーは、母校の校歌にちなんで、青と金 (黄) をチームカラーとした。この色は後に、現在の、緑と金 (黄) に変更される。この配色から、「ザ・グリーン・アンド・ゴールド」というチームの愛称が生まれた。
1921年、パッカーズは前年に設立されたプロフェッショナルリーグ(のちのNFL)に加盟したが、同じ年、缶詰会社のスポンサーが手を引いたため財政難によりフランチャイズを失う。ランボーは自ら資金を調達し、再びフランチャイズを得た。1922年から1923年にかけて、ランボーや地元新聞社主アンドリュー・ターンブルをはじめとする5人(通称"ハングリー・ファイブ")が奔走し、グリーンベイ・フットボール・コーポレーションを設立した。こうして、現在も続くパッカーズの基礎が形作られた。
1923年の グリーンベイ・フットボール・コーポレーション定款で、パッカーズのフランチャイズが売却されることになった場合は、米国在郷軍人会(英語版)のサリバン・ウォーレン・ポストに、"正規兵士記念碑" 建設のため、すべての債務を清算したあとの残金を寄贈するものと定められた。この規定が設けられたのは、このクラブがグリーンベイで存続し続けることと、このクラブは株主の金銭的利益のためにあるものではないことを顕示するためであった。1997年11月の年次会議の株主投票で、受取人がサリバン・ウォーレン・ポストからグリーンベイ・パッカーズ・ファウンデーションへと変更された。1950年、パッカーズは、チーム運営資金調達のために再び株式を発行した。1956年には、新しいスタジアム(後のランボー・フィールド) の建設が承認された。
ロンバルディの時代
1958年地区最下位となったが、1959年にヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチになると開幕から3連勝した後5連敗したが残り4試合に連勝し1947年以来となる勝ち越しを果たした。翌年の1960年にはNFL西地区優勝を果たしポール・ホーナング(英語版)はNFLトップの176得点をあげた。フィラデルフィア・イーグルスとのNFLチャンピオンシップゲーム(英語版)は一進一退のシーソーゲームとなったが最後の攻撃が敵陣8ヤードで止められて4点差で敗れた。1961年のNFLチャンピオンシップゲームではニューヨーク・ジャイアンツと対戦し1944年以来となるNFLチャンピオンになった。1962年には開幕から10連勝し13勝1敗でシーズンを終えた。2年連続の対戦となったニューヨーク・ジャイアンツとのNFLチャンピオンシップゲームでは16-7で勝利した。
その後2シーズン間をおいて1965年にパッカーズは再びNFLチャンピオンシップゲームに出場した。ウェスタンカンファレンスを制したボルチモア・コルツ戦ではドン・チャンドラー(英語版)の右に外れたFGが得点を認められるといったことも起きた。NFLチャンピオンシップゲームではクリーブランド・ブラウンズを破りロンバルディが就任以来3回目の優勝をかざった。
1966年、12勝2敗でバート・スターがシーズンMVPに選ばれた。ダラス・カウボーイズとのNFLチャンピオンシップゲームでは最後自陣2ヤードまで攻め込まれたがドン・メレディス(英語版)のパスをトム・ブラウン(英語版)がインターセプトし34-27と勝利し、1970年に統合することが決定していたAFLのチャンピオン、カンザスシティ・チーフスと第1回スーパーボウルで対戦し35-10で勝利した。
1967年NFLチャンピオンシップゲームは後にアイスボウルと呼ばれる極寒の中で行われた。この試合残り16秒でバート・スターのQBスニークでタッチダウンをあげてダラス・カウボーイズを破り3年連続NFLチャンピオンとなった[3]。
第2回スーパーボウルでオークランド・レイダースを33-14と破りこの試合を最後にヴィンス・ロンバルディは勇退しゼネラルマネージャーとなり、後任には彼の下でアシスタントコーチを務めたフィル・ベングソン(英語版)がなった。ロンバルディは1969年にワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチとなったが1970年シーズン前の9月に亡くなった。
同チームは第1回と第2回のスーパーボウルを制した。この時代のスター選手はQBバート・スター、RBジム・テイラー(英語版)、キャロル・デイル(英語版)、ポール・ホーナング(エクストラポイントやFGも蹴った。)、RGのジェリー・クレイマー(英語版)、ディフェンスのヘンリー・ジョーダン(英語版)、ウィリー・ウッド、レイ・ニチキ(英語版)、デイブ・ロビンソン(英語版)、ハーブ・アダリー(英語版)らであった。1970年にロンバルディが死去すると、スーパーボウル優勝トロフィーは彼の功績を称えて「ヴィンス・ロンバルディ・トロフィー」と名づけられ、今に至っている。
ロンバルディ退団後の長期低迷
1968年から1991年までの24シーズン中パッカーズが勝ち越したのはわずか5シーズンであった。この間プレーオフに出場したのは2回で5人のヘッドコーチ(フィル・ベングソン、ダン・ディバイン(英語版)、バート・スター、フォレスト・グレッグ(英語版)、リンディー・インファンテ(英語版))が交代した。1974年のドラフトでは1巡目指名権2つ、2巡目指名権2つ、3巡目指名権をロサンゼルス・ラムズのピークを過ぎたQBジョン・ヘイドル(英語版)を獲得するために手放した。ヘイドルは1年半しかパッカーズでプレイしなかった。1989年のドラフトでは、ほとんどのスカウトから高く評価されていたOTのトニー・マンダリッチ(英語版)を全体2位指名したものの、歴史的な大失敗に終わった。
1975年9月29日のデンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールで、ケン・ペイン(英語版)が12レシーブと活躍したが、13-23で敗れた[4]。
1982年9月20日、ニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで、ジェームズ・ロフトン(英語版)は83ヤードのTDランをあげた。これはアール・キャンベルが持っていたMNF記録を更新するものであった[5]。
ファーヴの時代
1991年にロン・ウルフがゼネラルマネージャーに就任、1992年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンスコーディネーターであったマイク・ホルムグレン(英語版)がヘッドコーチに就任した。エースQBのドン・マコウスキー(英語版)がシンシナティ・ベンガルズ戦で負傷退場したが、ロン・ウルフによってドラフト1巡目指名権と引き換えにアトランタ・ファルコンズから獲得したブレット・ファーヴがリリーフ、キトリック・テイラーへのTDパスで逆転勝利した[6]。
翌週のピッツバーグ・スティーラーズ戦以降ファーヴはプレーオフも含めて271試合に先発出場する不動のエースQBとなった。
1993年にはフリーエージェントになっていたフィラデルフィア・イーグルスのDE、レジー・ホワイトを獲得した。12月26日のロサンゼルス・レイダース戦でファンブルリターンタッチダウンをあげたリロイ・バトラー(英語版)がランボー・フィールドの観客席に飛び込んだ。これが「ランボー・リープ」の始まりとなった[7]。この年チームは1982年以来11年ぶりとなるプレーオフ進出を果たした。
1994年にもチームはプレーオフ2回戦まで勝ちあがるようになった。
1995年には1972年のNFL以来となるNFC中地区優勝を果たした。プレーオフではアトランタ・ファルコンズに37-20、前年のスーパーボウルチャンピオンであるサンフランシスコ・フォーティナイナーズに27-17と勝ったがNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズに38-27で敗れた。シーズン終了後、3シーズン連続でオールプロに選ばれていたWRスターリング・シャープが首の負傷の影響で引退した[8]。
1996年にはリーグベストの13勝3敗でプレーオフのホームフィールドアドバンテージを取るとフォーティナイナーズに35-14、カロライナ・パンサーズに35-14で勝利し第31回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを35-21で破り12度目のNFLチャンピオンとなった。この試合では第3Qにキックオフリターンタッチダウンを決めたデズモンド・ハワード(英語版)がMVPとなっている[9]。
1997年シーズンもプレーオフでタンパベイ・バッカニアーズに21-7、フォーティナイナーズを23-10で破り第32回スーパーボウルに出場した。この試合ブックメーカーはパッカーズが11.5得点有利としたが24-31でデンバー・ブロンコスに敗れた[10]。
1998年、1995年9月17日から続いていたホームでの連勝を10月5日、25連勝まで伸ばした。これはNFL歴代2位の記録であった[11]。10月5日まで11勝5敗でシーズンを終えてプレーオフで3シーズン連続破っていたフォーティナイナーズと対戦したがこの試合に敗れた。この試合を最後にホルムグレンヘッドコーチは退団し[11]、シアトル・シーホークスの副社長、ゼネラルマネージャー、ヘッドコーチを兼ねるようになった。この時に多くのコーチがホルムグレンに従った。またレジー・ホワイトも現役を引退した。(彼は2000年現役復帰してカロライナ・パンサーズでプレイした。)
1999年、レイ・ローズ(英語版)がヘッドコーチとなり8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン終了と共にローズは解任された。この年チームには規律が欠けていたとロン・ウルフは語った[11]。
2000年、マイク・シャーマン(英語版)が就任し9勝7敗でシーズンを終えた[11]。
地元で行われたプレーオフでは1933年以来13勝0敗であったが2002年1月4日にアトランタ・ファルコンズに敗れてこの記録は途絶えた。
2005年、マイク・ホルムグレンの下で働いていたテッド・トンプソン(英語版)がゼネラルマネージャーに就任した[12]。このシーズン、4勝12敗となり1991年以来となるシーズン負け越しを喫するとチームはマイク・シャーマンヘッドコーチを解任し、1999年にパッカーズのQBコーチ、その後サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンシブ・コーディネーターを務めていたマイク・マッカーシー(英語版)が新ヘッドコーチとなった[12]。2006年は8勝8敗でシーズンを終えた。
2007年、チームはフリーエージェントとなったエースRBのアーマン・グリーン(英語版)を失い、WRランディ・モスの獲得に敗れるなど十分な補強がされなかったと見られていたが最初の11試合中10試合に勝利するなど13勝3敗でNFC第2シードとなりNFCチャンピオンシップゲームでニューヨーク・ジャイアンツにオーバータイムの末20-23と敗れてシーズンを終えた。チーム躍進の立役者としてトンプソンGMが最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2008年3月4日、ブレット・ファーヴが引退を表明したためアーロン・ロジャース(2005年ドラフト1巡目に指名)をエースQBに指名した。その後ファーヴは同年7月29日に引退を撤回したがチームはロジャースをエースQBとして起用する姿勢を崩さず8月6日、ファーヴをニューヨーク・ジェッツへ放出した[13]。
ロジャースの時代
2008年、ファーヴの引退表明によりエースQBに指名されたアーロン・ロジャースは好成績を残したがチームは4点差以内で7敗するなど6勝10敗でシーズンを終えた。
2009年、チームはディフェンスコーディネーターにドム・ケイパース(英語版)を招きそれまでの4-3ディフェンスから3-4ディフェンスに変更を行った[14]。前半8試合を4勝4敗で折り返したが[15] 11勝5敗でワイルドカードでプレーオフに進出を果たしたが[16]アリゾナ・カージナルスにオーバータイムの末、45-51で敗れてシーズンを終えた[17]。
2010年、開幕戦のフィラデルフィア・イーグルス戦でエースRBのライアン・グラント(英語版)がシーズン絶望となり[18]、第5週のワシントン・レッドスキンズ戦でロジャースが脳震盪、ニック・バーネット(英語版)、ジャーマイケル・フィンリー(英語版)がシーズン絶望となった[19][20]。第14週のデトロイト・ライオンズ戦でロジャースが再度脳震盪を起こし途中退場して敗れるなどプレーオフ出場が一時危ぶまれた[21]。第15週をロジャースは欠場したが第16週にプレーオフを争うニューヨーク・ジャイアンツを破り[22][23]、最終週でシカゴ・ベアーズを下してNFC第6シードでプレーオフ出場を果たした[24][25]。
この年チームには故障者リスト入りする選手が続出したがワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルス戦でロジャースが3タッチダウンパスをあげて21-16で[26][27]、ディビジョナルプレーオフではNFC第1シードのアトランタ・ファルコンズをロジャースがパス36回中31回を成功させ48-21と大差で勝利[28]、NFCチャンピオンシップゲームで地区ライバルのシカゴ・ベアーズを下しNFCのチームとしては初めて第6シードからのスーパーボウル出場を決めた[29]。スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズを31-25で破り14年ぶりにタイトルを取り戻した[30]。MVPには3TDパスをあげたアーロン・ロジャースが選ばれた[31]。
続く2011年から2016年までプレーオフに6年連続出場したが、スーパーボウル出場はなかった。
2017年には途中ロジャースを負傷で欠き、2008年以来初めてプレーオフを逃した。長らくGMを務めたテッド・トンプソン(英語版)はシーズン終了後に退任し、ブライアン・ギュートカンスト(英語版)が後継となった。
2018年12月2日、成績不振のためにHCのマイク・マッカーシー(英語版)は解任され、ジョー・フィルビン(英語版)が暫定HCとなった。2018年シーズンは二年連続してプレーオフを逃した。元タイタンズOCのマット・ラフルアー(英語版)が後継HCとなった。
2019年は地区優勝を遂げ、第2シードで3年ぶりにプレーオフに進出した。初戦ではシアトル・シーホークスを破ったがサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れてスーパーボウル出場はかなわなかった。
2020年はコロナウイルス感染症流行のため、全主催試合を無観客とした。ドラフトでは1巡目にQBジョーダン・ラブを指名した。第14週、2年連続で北地区優勝を遂げ、最終週も勝って第一シードでプレーオフに進んだが、カンファレンス・チャンピオンシップでタンパベイ・バッカニアーズに敗れた。
2021年はチームに不快感を表明したロジャースの練習への参加が遅れたが、ロジャースをエースQBとして勝ち進み、地区優勝で全チームの中で最も早くプレーオフ進出が決定し、2年連続して第一シードとなった。初戦でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに逆転負けした。2022年3月8日、ロジャースと4年231億円の契約を結んだ[32]。
2022年は途中で5連敗を喫するなど苦しみ、最終戦では既にプレーオフの望みを絶たれたデトロイト・ライオンズに勝てばプレーオフ進出だったものの敗れた。
2023年4月、大型トレードによりロジャースをニューヨーク・ジェッツに譲渡した[33]。
ラブの時代
ロジャースの去った2023年シーズンはジョーダン・ラブをQB1に指名し、ワイルドカードでプレーオフ出場を果たした。プレーオフ初戦ではシード2位のダラス・カウボーイズを破ったがディビジョナル・プレーオフではシード1位のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに3点差で惜敗した。
2024年もワイルドカード、第7シードでプレーオフに進んだ。プレーオフ初戦でフィラデルフィア・イーグルスに敗れた。
公有企業
グリーンベイ・パッカーズ(Green Bay Packers, Inc.)は、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のグリーンベイ・パッカーズを所有する公有の非営利法人である。
パッカーズは、現在のアメリカのプロスポーツチーム中唯一の、取締役会を持つ公有企業である。約36万人の株主がおり、一人が保有できる株数は全体の約4%以下に限られる。株式は議決権付きであるが、償還価格は最低限であり、配当はなく、株価が上がることもなく、株式を保有していてもシーズンチケットの権利は得られない。株式の売買は禁止され、家族間の贈与のみが可能である。NFLの規則では、1チームの所有者は最大で32人までであり、一人が最低30%の株式を所有しなければならないため、パッカーズは例外とされている。グリーンベイは人口10万余りにすぎず、ローカルテレビ局の視聴者総数も60万人程度である。パッカーズには長年にわたってウィスコンシン州全体に熱心な支持者がおり、またNFLにはレベニュー・シェアリングのシステムが充実しているため、経営が成り立っている。プロスポーツ中唯一、パッカーズは毎年収支を公開している。2022年の収入の内訳は、自前の収入が2億3170万ドルであり、リーグからの分配金は3億4727万ドルであった [1]。会社運営のため、株主の投票で取締役会が選出される。この取締役会により、経営委員会(役員)が選出される。この委員会は、社長、副社長、会計、秘書の各1名ずつと、株主代表の3名の計7名で構成される。このうち報酬が支払われるのは社長のみで、その他の役職は無給である。
グリーンベイ・パッカーズ財団
チームは1986年12月にグリーンベイ・パッカーズ財団を設立した。同財団は、教育、市民活動、保健サービス、ヒューマンサービス、青少年関連プログラムなど、幅広い活動やプログラムを支援している。1997年に行われたチームの年次株主総会では、サリバン・ウォーレン郵便局の兵士の記念碑の代わりに、球団の売却や解散に伴う残余財産の受取人としてチームが指定された。
応援スタイル
パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールド(1シーズン8試合)での試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(6万5000人以上)。現在、シーズンチケット入手までには実に40年を要する。このため、ファンがシーズンチケット権の相続人を遺言で指名することも珍しくない。
パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味)である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。
2024年シーズン
2024年シーズンのパッカーズの対戦相手
|
AFC |
NFC
|
前年 |
西地区 |
南地区 |
北地区 |
東地区 |
西地区 |
南地区 |
北地区 |
東地区
|
1位
|
チーフス
|
テキサンズ
|
レイブンズ
|
ビルズ
|
49ers
|
バッカニアーズ
|
ライオンズ
|
カウボーイズ
|
2位
|
レイダース
|
ジャガーズ
|
ブラウンズ
|
ドルフィンズ
|
ラムズ
|
セインツ
|
パッカーズ
|
イーグルス
|
3位
|
ブロンコス
|
コルツ
|
スティーラーズ
|
ジェッツ
|
シーホークス
|
ファルコンズ
|
バイキングス
|
ジャイアンツ
|
4位
|
チャージャーズ
|
タイタンズ
|
ベンガルズ
|
ペイトリオッツ
|
カージナルス
|
パンサーズ
|
ベアーズ
|
コマンダース
|
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
年 |
成績 |
NFC |
地区 |
勝 |
敗 |
分 |
率 |
Div |
Con |
総得点 |
総失点 |
平均得点 |
平均失点 |
SOS |
SOV
|
2024
|
ワイルドカード敗退 |
7位 |
3位 |
11 |
6 |
0 |
.647 |
1-5 |
6-6 |
460 |
338 |
27.1 |
19.9 |
.533 |
.412
|
2023
|
ディビジョナル敗退 |
7位 |
2位 |
9 |
8 |
0 |
.529 |
4–2 |
7–5 |
383 |
350 |
22.5 |
20.6 |
.474 |
.458
|
2022
|
レギュラー敗退 |
10位 |
3位 |
8 |
9 |
0 |
.471 |
3-3 |
6-6 |
370 |
371 |
21.8 |
21.8 |
.524 |
.449
|
2021
|
ディビジョナル敗退 |
1位 |
1位 |
13 |
4 |
0 |
.765 |
4-2 |
9-3 |
450 |
371 |
26.5 |
21.8 |
.479 |
.480
|
2020
|
カンファレンス敗退 |
1位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
5-1 |
10-2 |
509 |
369 |
31.8 |
23.1 |
.428 |
.387
|
2019
|
ワイルドカード敗退 |
2位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
6-0 |
10-2 |
376 |
313 |
23.5 |
19.6 |
.453 |
.428
|
2018
|
レギュラー敗退 |
11位 |
3位 |
6 |
9 |
1 |
.406 |
1-4-1 |
3-8-1 |
376 |
400 |
23.5 |
25.0 |
.488 |
.417
|
2017
|
レギュラー敗退 |
11位 |
3位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
2-4 |
5-7 |
320 |
384 |
20.0 |
24.0 |
.539 |
.357
|
2016
|
カンファレンス敗退 |
4位 |
1位 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
5-1 |
8-4 |
432 |
388 |
27.0 |
24.3 |
.508 |
.453
|
2015
|
ディビジョナル敗退 |
5位 |
2位 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
3-3 |
7-5 |
368 |
323 |
23.0 |
20.2 |
.531 |
.450
|
2014
|
カンファレンス敗退 |
2位 |
1位 |
12 |
4 |
0 |
.750 |
5-1 |
9-3 |
486 |
348 |
30.4 |
21.8 |
.482 |
.440
|
2013
|
ワイルドカード敗退 |
4位 |
1位 |
8 |
7 |
1 |
.531 |
3-2-1 |
6-5-1 |
417 |
428 |
26.1 |
26.8 |
.453 |
.371
|
2012
|
ディビジョナル敗退 |
3位 |
1位 |
11 |
5 |
0 |
.688 |
5-1 |
8-4 |
433 |
336 |
27.1 |
21.0 |
.508 |
.440
|
2011
|
ディビジョナル敗退 |
1位 |
1位 |
15 |
1 |
0 |
.938 |
6-0 |
12-0 |
560 |
359 |
35.0 |
22.4 |
.457 |
.458
|
2010
|
スーパーボウル制覇 |
6位 |
2位 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
4-2 |
8-4 |
388 |
240 |
24.3 |
15.0 |
.520 |
.475
|
2009
|
ワイルドカード敗退 |
5位 |
2位 |
11 |
5 |
0 |
.688 |
4-2 |
9-3 |
461 |
297 |
28.8 |
18.6 |
.441 |
.381
|
2008
|
レギュラー敗退 |
13位 |
3位 |
6 |
10 |
0 |
.375 |
4-2 |
5-7 |
419 |
380 |
26.2 |
23.8 |
.504 |
.365
|
2007
|
カンファレンス敗退 |
2位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
4-2 |
9-3 |
435 |
291 |
27.2 |
18.2 |
|
|
2006
|
レギュラー敗退 |
7位 |
2位 |
8 |
8 |
0 |
.500 |
5-1 |
7-5 |
301 |
366 |
18.8 |
22.9 |
|
|
2005
|
レギュラー敗退 |
14位 |
4位 |
4 |
12 |
0 |
.250 |
1-5 |
4-8 |
298 |
344 |
18.6 |
21.5 |
|
|
2004
|
ワイルドカード敗退 |
3位 |
1位 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
5-1 |
9-3 |
424 |
380 |
26.5 |
23.8 |
|
|
2024年シーズン成績
NFC北地区 2024
|
チーム |
勝 |
敗 |
分 |
勝率 |
Div |
Con |
総得点 |
総失点 |
平均得点 |
平均失点 |
SOS |
SOV
|
(1)デトロイト・ライオンズ
|
15 |
2 |
0 |
.882 |
6-0 |
11-1 |
564 |
336 |
33.2 |
19.8 |
.516 |
.494
|
(5)ミネソタ・バイキングス
|
14 |
3 |
0 |
.824 |
4-2 |
9-3 |
432 |
332 |
25.4 |
19.5 |
.474 |
.408
|
(7)グリーンベイ・パッカーズ
|
11 |
6 |
0 |
.647 |
1-5 |
6-6 |
460 |
338 |
27.1 |
19.9 |
.533 |
.412
|
シカゴ・ベアーズ
|
5 |
12 |
0 |
.294 |
1-5 |
3-9 |
310 |
370 |
18.2 |
21.8 |
.554 |
.388
|
NFC 2024
|
順 位 |
チーム |
地 区 |
勝 |
敗 |
分 |
勝率 |
DIV |
CON |
SOS |
SOV
|
地区優勝
|
1
|
ライオンズ
|
北
|
15 |
2 |
0 |
.882 |
6-0 |
11-1 |
.516 |
.494
|
2
|
イーグルス
|
東
|
14 |
3 |
0 |
.824 |
5-1 |
9-3 |
.453 |
.424
|
3[a]
|
バッカニアーズ
|
南
|
10 |
7 |
0 |
.588 |
4-2 |
8-4 |
.502 |
.465
|
4[b][a]
|
ラムズ
|
西
|
10 |
7 |
0 |
.588 |
4-2 |
6-6 |
.505 |
.441
|
ワイルドカード
|
5
|
バイキングス
|
北
|
14 |
3 |
0 |
.824 |
4-2 |
9-3 |
.474 |
.408
|
6
|
コマンダース
|
東
|
12 |
5 |
0 |
.706 |
4-2 |
9-3 |
.436 |
.358
|
7
|
パッカーズ
|
北
|
11 |
6 |
0 |
.647 |
1-5 |
6-6 |
.533 |
.412
|
|
8[b]
|
シーホークス
|
西
|
10 |
7 |
0 |
.588 |
4-2 |
6-6 |
.498 |
.424
|
9[c]
|
ファルコンズ
|
南
|
8 |
9 |
0 |
.471 |
4-2 |
7-5 |
.519 |
.426
|
10[c]
|
カージナルス
|
西
|
8 |
9 |
0 |
.471 |
3-3 |
4-8 |
.536 |
.404
|
11
|
カウボーイズ
|
東
|
7 |
10 |
0 |
.412 |
3-3 |
5-7 |
.522 |
.387
|
12
|
49ers
|
西
|
6 |
11 |
0 |
.353 |
1-5 |
4-8 |
.564 |
.402
|
13[d]
|
ベアーズ
|
北
|
5 |
12 |
0 |
.294 |
1-5 |
3-9 |
.554 |
.388
|
14[e][d]
|
パンサーズ
|
南
|
5 |
12 |
0 |
.294 |
2-4 |
4-8 |
.498 |
.329
|
15[e]
|
セインツ
|
南
|
5 |
12 |
0 |
.294 |
2-4 |
4-8 |
.505 |
.306
|
16
|
ジャイアンツ
|
東
|
3 |
14 |
0 |
.176 |
0-6 |
1-11 |
.554 |
.412
|
タイブレーク
|
- ^ a b 対NFCでバッカニアーズがラムズを上回る
- ^ a b 勝利相手の勝率でラムズがシーホークスを上回り、地区優勝
- ^ a b 対NFCでファルコンズがカージナルスを上回る
- ^ a b 直接対決でベアーズがパンサーズに勝利
- ^ a b 勝利相手の勝率でパンサーズがセインツを上回る
|
成績
NFC北地区(2002年-現在)
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
2024
|
DET(1d) |
15 |
2 |
0
|
MIN(5w) |
14 |
3 |
0
|
GB (7w) |
11 |
6 |
0
|
CHI |
5 |
12 |
0
|
2023
|
DET(3c) |
12 |
5 |
0
|
GB (7d) |
9 |
8 |
0
|
MIN |
7 |
10 |
0
|
CHI |
7 |
10 |
0
|
2022
|
MIN(3w) |
13 |
4 |
0
|
DET |
9 |
8 |
0
|
GB |
8 |
9 |
0
|
CHI |
3 |
14 |
0
|
2021
|
GB (1d) |
13 |
4 |
0
|
MIN |
8 |
9 |
0
|
CHI |
6 |
11 |
0
|
DET |
3 |
13 |
1
|
2020
|
GB (1c) |
13 |
3 |
0
|
CHI(7w) |
8 |
8 |
0
|
MIN |
7 |
9 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
2019
|
GB (2c) |
13 |
3 |
0
|
MIN(6d) |
10 |
6 |
0
|
CHI |
8 |
8 |
0
|
DET |
3 |
12 |
1
|
2018
|
CHI(3w) |
12 |
4 |
0
|
MIN |
8 |
7 |
1
|
GB |
6 |
9 |
1
|
DET |
6 |
10 |
0
|
2017
|
MIN(2c) |
13 |
3 |
0
|
DET |
9 |
7 |
0
|
GB |
7 |
9 |
0
|
CHI |
5 |
11 |
0
|
2016
|
GB (4c) |
10 |
6 |
0
|
DET(6w) |
9 |
7 |
0
|
MIN |
8 |
8 |
0
|
CHI |
3 |
13 |
0
|
2015
|
MIN(3w) |
11 |
5 |
0
|
GB (5d) |
10 |
6 |
0
|
DET |
7 |
9 |
0
|
CHI |
6 |
10 |
0
|
2014
|
GB (2c) |
12 |
4 |
0
|
DET(6w) |
11 |
5 |
0
|
MIN |
7 |
9 |
0
|
CHI |
5 |
11 |
0
|
2013
|
GB (4w) |
8 |
7 |
1
|
CHI |
8 |
8 |
0
|
DET |
7 |
9 |
0
|
MIN |
5 |
10 |
1
|
2012
|
GB (3d) |
11 |
5 |
0
|
MIN(6w) |
10 |
6 |
0
|
CHI |
10 |
6 |
0
|
DET |
4 |
12 |
0
|
2011
|
GB (1d) |
15 |
1 |
0
|
DET(6w) |
10 |
6 |
0
|
CHI |
8 |
8 |
0
|
MIN |
3 |
13 |
0
|
2010
|
CHI(2c) |
11 |
5 |
0
|
GB (6v) |
10 |
6 |
0
|
DET |
6 |
10 |
0
|
MIN |
6 |
10 |
0
|
2009
|
MIN(2c) |
12 |
4 |
0
|
GB (5w) |
11 |
5 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
DET |
2 |
14 |
0
|
2008
|
MIN(3w) |
10 |
6 |
0
|
CHI |
9 |
7 |
0
|
GB |
6 |
10 |
0
|
DET |
0 |
16 |
0
|
2007
|
GB (2c) |
13 |
3 |
0
|
MIN |
8 |
8 |
0
|
DET |
7 |
9 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
2006
|
CHI(1s) |
13 |
3 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
MIN |
6 |
10 |
0
|
DET |
3 |
13 |
0
|
2005
|
CHI(2d) |
11 |
5 |
0
|
MIN |
9 |
7 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
GB |
4 |
12 |
0
|
2004
|
GB (3w) |
10 |
6 |
0
|
MIN(6d) |
8 |
8 |
0
|
DET |
6 |
10 |
0
|
CHI |
5 |
11 |
0
|
2003
|
GB (4d) |
10 |
6 |
0
|
MIN |
9 |
7 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
2002
|
GB (3w) |
12 |
4 |
0
|
MIN |
6 |
10 |
0
|
CHI |
4 |
12 |
0
|
DET |
3 |
13 |
0
|
NFC中地区(1970年-2001年)
- GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
2001
|
CHI(2d) |
13 |
3 |
0
|
GB(4d) |
12 |
4 |
0
|
TB(6w) |
9 |
7 |
0
|
MIN |
5 |
11 |
0
|
DET |
2 |
14 |
0
|
2000
|
MIN(2c) |
11 |
5 |
0
|
TB(5w) |
10 |
6 |
0
|
GB |
9 |
7 |
0
|
DET |
9 |
7 |
0
|
CHI |
5 |
11 |
0
|
1999
|
TB(2c) |
11 |
5 |
0
|
MIN(4d) |
10 |
6 |
0
|
DET(6) |
8 |
8 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
CHI |
6 |
10 |
0
|
1998
|
MIN(1c) |
15 |
1 |
0
|
GB(5w) |
11 |
5 |
0
|
TB |
8 |
8 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
CHI |
4 |
12 |
0
|
1997
|
GB(2s) |
13 |
3 |
0
|
TB(4d) |
10 |
6 |
0
|
DET(5w) |
9 |
7 |
0
|
MIN(6d) |
9 |
7 |
0
|
CHI |
4 |
12 |
0
|
1996
|
GB(1v) |
13 |
3 |
0
|
MIN(6w) |
9 |
7 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
TB |
6 |
10 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
1995
|
GB(3c) |
11 |
5 |
0
|
DET(5w) |
10 |
6 |
0
|
CHI |
9 |
7 |
0
|
MIN |
8 |
8 |
0
|
TB |
7 |
9 |
0
|
1994
|
MIN(3w) |
10 |
6 |
0
|
GB(4d) |
9 |
7 |
0
|
DET(5w) |
9 |
7 |
0
|
CHI(6d) |
9 |
7 |
0
|
TB |
6 |
10 |
0
|
1993
|
DET(3w) |
10 |
6 |
0
|
MIN(5w) |
9 |
7 |
0
|
GB(6d) |
9 |
7 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
1992
|
MIN(3w) |
11 |
5 |
0
|
GB |
9 |
7 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
CHI |
5 |
11 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
1991
|
DET(2c) |
12 |
4 |
0
|
CHI(4w) |
11 |
5 |
0
|
MIN |
8 |
8 |
0
|
GB |
4 |
12 |
0
|
TB |
3 |
13 |
0
|
1990
|
CHI(4d) |
11 |
5 |
0
|
TB |
6 |
10 |
0
|
DET |
6 |
10 |
0
|
GB |
6 |
10 |
0
|
MIN |
6 |
10 |
0
|
1989
|
MIN(3d) |
10 |
6 |
0
|
GB |
10 |
6 |
0
|
DET |
7 |
9 |
0
|
CHI |
6 |
10 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
1988
|
CHI(1c) |
12 |
4 |
0
|
MIN(4d) |
11 |
5 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
DET |
4 |
12 |
0
|
GB |
4 |
12 |
0
|
1987
|
CHI(2d) |
11 |
4 |
0
|
MIN(5c) |
8 |
7 |
0
|
GB |
5 |
9 |
1
|
TB |
4 |
11 |
0
|
DET |
4 |
11 |
0
|
1986
|
CHI(2d) |
14 |
2 |
0
|
MIN |
9 |
7 |
0
|
DET |
5 |
11 |
0
|
GB |
4 |
12 |
0
|
TB |
2 |
14 |
0
|
1985
|
CHI(1v) |
15 |
1 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
MIN |
7 |
9 |
0
|
DET |
7 |
9 |
0
|
TB |
2 |
14 |
0
|
1984
|
CHI(3c) |
10 |
6 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
TB |
6 |
10 |
0
|
DET |
4 |
11 |
1
|
MIN |
3 |
13 |
0
|
1983
|
DET(3d) |
9 |
7 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
CHI |
8 |
8 |
0
|
MIN |
8 |
8 |
0
|
TB |
2 |
14 |
0
|
1982
|
GB(3d) |
5 |
3 |
1
|
MIN(4d) |
5 |
4 |
0
|
TB(7w) |
5 |
4 |
0
|
DET(8w) |
4 |
5 |
0
|
CHI |
3 |
6 |
0
|
1981
|
TB(3d) |
9 |
7 |
0
|
DET |
8 |
8 |
0
|
GB |
8 |
8 |
0
|
MIN |
7 |
9 |
0
|
CHI |
6 |
10 |
0
|
1980
|
MIN(3d) |
9 |
7 |
0
|
DET |
9 |
7 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
TB |
5 |
10 |
1
|
GB |
5 |
10 |
1
|
1979
|
TB(2c) |
10 |
6 |
0
|
CHI(5w) |
10 |
6 |
0
|
MIN |
7 |
9 |
0
|
GB |
5 |
11 |
0
|
DET |
2 |
14 |
0
|
1978
|
MIN(3d) |
8 |
7 |
1
|
GB |
8 |
7 |
1
|
DET |
7 |
9 |
0
|
CHI |
7 |
9 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
1977
|
MIN(3c) |
9 |
5 |
0
|
CHI(4d) |
9 |
5 |
0
|
DET |
6 |
8 |
0
|
GB |
4 |
10 |
0
|
TB |
2 |
12 |
0
|
1976
|
MIN(1s) |
11 |
2 |
0
|
CHI |
7 |
7 |
0
|
DET |
6 |
8 |
0
|
GB |
5 |
9 |
0
|
|
1975
|
MIN(1d) |
12 |
2 |
0
|
DET |
7 |
7 |
0
|
CHI |
4 |
10 |
0
|
GB |
4 |
10 |
0
|
1974
|
MIN(s) |
10 |
4 |
0
|
DET |
7 |
7 |
0
|
GB |
6 |
8 |
0
|
CHI |
4 |
10 |
0
|
1973
|
MIN(s) |
12 |
2 |
0
|
DET |
6 |
7 |
1
|
GB |
5 |
7 |
2
|
CHI |
3 |
11 |
0
|
1972
|
GB(d) |
10 |
4 |
0
|
DET |
8 |
5 |
1
|
MIN |
7 |
7 |
0
|
CHI |
4 |
9 |
1
|
1971
|
MIN(d) |
11 |
3 |
0
|
DET |
7 |
6 |
1
|
CHI |
6 |
8 |
0
|
GB |
4 |
8 |
2
|
1970
|
MIN(d) |
12 |
2 |
0
|
DET(d) |
10 |
4 |
0
|
GB |
6 |
8 |
0
|
CHI |
6 |
8 |
0
|
NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)
- GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ
- 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1969
|
MIN(s) |
12 |
2 |
0
|
DET |
9 |
4 |
1
|
GB |
8 |
6 |
0
|
CHI |
1 |
13 |
0
|
1968
|
MIN(c) |
8 |
6 |
0
|
CHI |
7 |
7 |
0
|
GB |
6 |
7 |
1
|
DET |
4 |
8 |
2
|
1967
|
GB(v) |
9 |
4 |
1
|
CHI |
7 |
6 |
1
|
DET |
5 |
7 |
2
|
MIN |
3 |
8 |
3
|
NFL西カンファレンス(1953年-1966年)
年 |
優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位 |
6位 |
7位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1966
|
GB(V) |
12 |
2 |
0
|
BAL |
9 |
5 |
0
|
LA |
8 |
6 |
0
|
SF |
6 |
6 |
2
|
CHI |
5 |
7 |
2
|
DET |
4 |
9 |
1
|
MIN |
4 |
9 |
1
|
スーパーボウル開始
|
1965
|
GB(v) |
10 |
3 |
1
|
BAL |
10 |
3 |
1
|
CHI |
9 |
5 |
0
|
SF |
7 |
6 |
1
|
MIN |
7 |
7 |
0
|
DET |
6 |
7 |
1
|
LA |
4 |
10 |
0
|
1964
|
BAL(n) |
12 |
2 |
0
|
GB |
8 |
5 |
1
|
MIN |
8 |
5 |
1
|
DET |
7 |
5 |
2
|
LA |
5 |
7 |
2
|
CHI |
5 |
9 |
0
|
SF |
4 |
10 |
0
|
1963
|
CHI(v) |
11 |
1 |
2
|
GB |
11 |
2 |
1
|
BAL |
8 |
6 |
0
|
DET |
5 |
8 |
1
|
MIN |
5 |
8 |
1
|
LA |
5 |
9 |
0
|
SF |
2 |
12 |
0
|
1962
|
GB(v) |
13 |
1 |
0
|
DET |
11 |
3 |
0
|
CHI |
9 |
5 |
0
|
BAL |
7 |
7 |
0
|
SF |
6 |
8 |
0
|
MIN |
2 |
11 |
1
|
LA |
1 |
12 |
1
|
1961
|
GB(v) |
11 |
3 |
0
|
DET |
6 |
7 |
1
|
BAL |
8 |
6 |
0
|
CHI |
8 |
6 |
0
|
SF |
7 |
6 |
1
|
LA |
4 |
10 |
0
|
MIN |
3 |
11 |
0
|
1960
|
GB(n) |
8 |
4 |
0
|
DET |
7 |
5 |
0
|
SF |
7 |
5 |
0
|
BAL |
6 |
6 |
0
|
CHI |
5 |
6 |
1
|
LA |
4 |
7 |
1
|
DAL |
0 |
11 |
1
|
1959
|
BAL(v) |
9 |
3 |
0
|
CHB |
8 |
4 |
0
|
GB |
7 |
5 |
0
|
SF |
7 |
5 |
0
|
DET |
3 |
8 |
1
|
LA |
2 |
10 |
0
|
|
1958
|
BAL(v) |
9 |
3 |
0
|
CHB |
8 |
4 |
0
|
LA |
8 |
4 |
0
|
SF |
6 |
6 |
0
|
DET |
4 |
7 |
1
|
GB |
1 |
10 |
1
|
1957
|
DET(v) |
8 |
4 |
0
|
SF |
8 |
4 |
0
|
BAL |
7 |
5 |
0
|
LA |
6 |
6 |
0
|
CHB |
5 |
7 |
0
|
GB |
3 |
9 |
0
|
1956
|
CHB(n) |
9 |
2 |
1
|
DET |
9 |
3 |
0
|
SF |
5 |
6 |
1
|
BAL |
5 |
7 |
0
|
GB |
4 |
8 |
0
|
LA |
4 |
8 |
0
|
1955
|
LA(n) |
8 |
3 |
1
|
CHB |
8 |
4 |
0
|
GB |
6 |
6 |
0
|
BAL |
5 |
6 |
1
|
SF |
4 |
8 |
0
|
DET |
3 |
9 |
0
|
1954
|
DET(n) |
9 |
2 |
1
|
CHB |
8 |
4 |
0
|
SF |
7 |
4 |
1
|
LA |
6 |
5 |
1
|
GB |
4 |
8 |
0
|
BAL |
3 |
9 |
0
|
1953
|
DET(v) |
10 |
2 |
0
|
SF |
9 |
3 |
0
|
LA |
8 |
3 |
1
|
CHB |
3 |
8 |
1
|
BAL |
3 |
9 |
0
|
GB |
2 |
9 |
1
|
NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)
年 |
優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位 |
6位 |
7位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1952
|
DET(v) |
9 |
3 |
0
|
LA |
9 |
3 |
0
|
SF |
7 |
5 |
0
|
GB |
6 |
6 |
0
|
CHB |
5 |
7 |
0
|
DAL |
1 |
11 |
0
|
|
1951
|
LA(v) |
8 |
4 |
0
|
DET |
7 |
4 |
1
|
SF |
7 |
4 |
1
|
CHB |
7 |
5 |
0
|
GB |
3 |
9 |
0
|
NYY |
1 |
9 |
2
|
1950
|
LA(n) |
9 |
3 |
x
|
CHB |
9 |
3 |
x
|
NYY |
7 |
5 |
x
|
DET |
6 |
6 |
x
|
GB |
3 |
9 |
x
|
SF |
3 |
9 |
x
|
BAL |
1 |
11 |
x
|
NFL西地区(1933年-1949年)
年 |
優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位 |
6位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1949
|
LA(n) |
8 |
2 |
2
|
CHB |
9 |
3 |
0
|
CHC |
6 |
5 |
1
|
DET |
4 |
8 |
0
|
GB |
2 |
10 |
0
|
|
1948
|
CHC(n) |
11 |
1 |
0
|
CHB |
10 |
2 |
0
|
LA |
6 |
5 |
1
|
GB |
3 |
9 |
0
|
DET |
2 |
10 |
0
|
1947
|
CHC(v) |
9 |
3 |
0
|
CHB |
8 |
4 |
0
|
GB |
6 |
5 |
1
|
LA |
6 |
6 |
0
|
DET |
3 |
9 |
0
|
1946
|
CHB(v) |
8 |
2 |
1
|
LA |
6 |
4 |
1
|
GB |
6 |
5 |
0
|
CHC |
6 |
5 |
0
|
DET |
1 |
10 |
0
|
1945
|
CLE(v) |
9 |
1 |
0
|
DET |
7 |
3 |
0
|
GB |
6 |
4 |
0
|
CHB |
3 |
7 |
0
|
CHC |
1 |
9 |
0
|
1944
|
GB(v) |
8 |
2 |
0
|
CHI |
6 |
3 |
1
|
DET |
6 |
3 |
1
|
CLE |
4 |
6 |
0
|
Card-Pitt |
0 |
10 |
0
|
1943
|
CHB(v) |
8 |
1 |
1
|
GB |
7 |
2 |
1
|
DET |
3 |
6 |
1
|
CHC |
0 |
10 |
0
|
|
1942
|
CHB(n) |
11 |
0 |
0
|
GB |
8 |
2 |
1
|
CLE |
5 |
6 |
0
|
CHC |
3 |
8 |
0
|
DET |
0 |
11 |
0
|
1941
|
CHB(v) |
10 |
1 |
0
|
GB |
10 |
1 |
0
|
DET |
4 |
6 |
1
|
CHC |
3 |
7 |
1
|
CLE |
2 |
9 |
0
|
1940
|
CHB(v) |
8 |
3 |
0
|
GB |
6 |
4 |
1
|
DET |
5 |
5 |
1
|
CLE |
4 |
6 |
1
|
CHC |
2 |
7 |
2
|
1939
|
GB(v) |
9 |
2 |
0
|
CHB |
8 |
3 |
0
|
DET |
6 |
5 |
0
|
CLE |
5 |
5 |
1
|
CHC |
1 |
10 |
0
|
1938
|
GB(n) |
8 |
3 |
0
|
DET |
7 |
4 |
0
|
CHB |
6 |
5 |
0
|
CLE |
4 |
7 |
0
|
CHC |
2 |
9 |
0
|
1937
|
CHB(n) |
9 |
1 |
1
|
GB |
7 |
4 |
0
|
DET |
7 |
4 |
0
|
CHC |
5 |
5 |
1
|
CLE |
1 |
10 |
0
|
1936
|
GB(v) |
10 |
1 |
1
|
CHB |
9 |
3 |
0
|
DET |
8 |
4 |
0
|
CHC |
2 |
8 |
1
|
|
1935
|
DET(v) |
7 |
3 |
2
|
GB |
8 |
4 |
0
|
CHB |
6 |
4 |
2
|
CHC |
6 |
4 |
2
|
1934
|
CHB(n) |
13 |
0 |
0
|
DET |
10 |
3 |
0
|
GB |
7 |
6 |
0
|
CHC |
5 |
6 |
0
|
StL |
1 |
2 |
0
|
CIN |
0 |
8 |
0
|
1933
|
CHB(v) |
10 |
2 |
1
|
POR |
6 |
5 |
0
|
GB |
5 |
7 |
1
|
CIN |
3 |
6 |
1
|
CHC |
1 |
9 |
1
|
|
NFL(1921年-1932年)
年 |
チ | ム 数 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
順 位 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1932
|
8
|
1
|
CHB |
7 |
1 |
6
|
2
|
GB |
10 |
3 |
1
|
3
|
POR |
6 |
2 |
4
|
4
|
BOS |
4 |
4 |
2
|
5
|
NY |
4 |
6 |
2
|
7
|
CHC |
2 |
6 |
2
|
1931
|
10
|
1
|
GB |
12 |
2 |
0
|
2
|
POR |
11 |
3 |
0
|
3
|
CHB |
8 |
5 |
0
|
4
|
CHC |
5 |
4 |
0
|
5
|
NY |
7 |
6 |
1
|
1930
|
11
|
1
|
GB |
10 |
3 |
1
|
2
|
NY |
13 |
4 |
0
|
3
|
CHB |
9 |
4 |
1
|
7
|
CHC |
5 |
6 |
2
|
8
|
POR |
5 |
6 |
3
|
1929
|
12
|
1
|
GB |
12 |
0 |
1
|
2
|
NY |
13 |
1 |
1
|
4
|
CHC |
6 |
6 |
1
|
9
|
CHB |
4 |
9 |
2
|
1928
|
10
|
4
|
GB |
6 |
4 |
3
|
5
|
CHB |
7 |
5 |
1
|
6
|
NYG |
4 |
7 |
2
|
9
|
CHC |
1 |
5 |
0
|
1927
|
12
|
1
|
NYG |
11 |
1 |
1
|
2
|
GB |
7 |
2 |
1
|
3
|
CHB |
9 |
3 |
2
|
9
|
CHC |
3 |
7 |
1
|
1926
|
22
|
2
|
CHB |
12 |
1 |
3
|
5
|
GB |
7 |
3 |
3
|
6
|
NY |
8 |
4 |
1
|
10
|
CHC |
5 |
6 |
1
|
1925
|
20
|
1
|
CHC |
11 |
2 |
1
|
4
|
NY |
8 |
4 |
0
|
7
|
CHB |
9 |
5 |
3
|
9
|
GB |
8 |
5 |
0
|
1924
|
18
|
2
|
CHB |
6 |
1 |
4
|
6
|
GB |
7 |
4 |
0
|
8
|
CHC |
5 |
4 |
1
|
1923
|
20
|
2
|
CHB |
9 |
2 |
1
|
3
|
GB |
7 |
2 |
1
|
6
|
CHC |
8 |
4 |
0
|
1922
|
18
|
2
|
CHB |
9 |
3 |
0
|
3
|
CHC |
8 |
3 |
0
|
8
|
GB |
4 |
3 |
3
|
1921
|
21
|
1
|
CHS |
9 |
3 |
2
|
7
|
GB |
7 |
2 |
1
|
9
|
CHC |
3 |
3 |
2
|
主な選手
現役選手
|
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
|
|
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
|
|
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
|
|
|
|
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永久欠番
* 背番号92は実質1999年以降使用されていなかったが、2004年12月26日のホワイトの不慮の死を追悼し、2005年9月18日の試合のハーフタイムセレモニーで、永久欠番と定められた[34]
プロフットボール殿堂入り
チーム殿堂入り
その他主な選手
歴代ヘッドコーチ
脚注
注釈
- ^ 1933年から1994年の間、レギュラーシーズンの数試合をミルウォーキーで開催していた
- ^ グリーンベイ都市圏の人口はおよそ30万人
- ^ 選手兼ヘッドコーチ。パッカーズの本拠地であるランボー・フィールドに名前が残っている
- ^ マット・ミレンがフロント入りしてからというもの同地区ライバルのデトロイト・ライオンズは低迷し彼の解任の噂が絶えなかった。2008年シーズン16戦全敗したライオンズはミレンを解任した。
- ^ 1993年のドラフト5巡目で指名された
- ^ 1992年のドラフト9巡目で指名された
- ^ 2008年のドラフト7巡目で指名された
出典
外部リンク
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永久欠番 | |
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リーグ優勝 (13回) | |
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カンファレンス優勝 (9回) | |
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地区優勝 (20回) | |
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できごと | |
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所属 | |
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年代の分類は初先発のシーズンによる |