第42回スーパーボウル
第42回スーパーボウル(Super Bowl XLII)は、2008年2月3日にアメリカ合衆国アリゾナ州グレンデールのユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムで開催されたアメリカンフットボールの試合。2007年シーズンのNFL優勝をかけて、AFC王者ニューイングランド・ペイトリオッツとNFC王者ニューヨーク・ジャイアンツが対戦した。その結果、ジャイアンツが17-14でペイトリオッツを下し、17年ぶり3回目の優勝を果たした。MVPにはジャイアンツのQBイーライ・マニングが選ばれた。 この両チームはレギュラーシーズン最終週でも対戦しており、このときは38-35でペイトリオッツが勝利していた。この勝利でペイトリオッツは、1972年のマイアミ・ドルフィンズ以来となるレギュラーシーズン全勝を達成した。これは1978年にレギュラーシーズンの試合数が14から16に増加した後では初の快挙であった。一方のジャイアンツは10勝6敗で、NFC第5シードのワイルドカードとなった。両チームの対戦に対してラスベガスのブックメーカーはペイトリオッツが13.5点有利とハンディをつけた[3]。しかし1972年のドルフィンズが無敗で第7回スーパーボウルまで制したのに対し、今回のペイトリオッツは最後に敗れてシーズン全勝優勝を逃した。 試合は第3Qまでは両チームのディフェンスが頑張りペイトリオッツが7-3でリードして第4Qを迎えた。残り11分05秒でジャイアンツがTDをあげて10-7と逆転したが残り2分42秒でペイトリオッツが逆転TDで14-10とリードした。ジャイアンツの攻撃、残り1分15秒で3アンド5、自陣44ヤード地点からの攻撃の場面でQBサックされそうになったイーライ・マニングからデビッド・タイリーへの32ヤードのパスが通り敵陣24ヤードまでボールが前進した。4プレイ後残り時間35秒にプラキシコ・バレスへのTDパスが決まり17-14でジャイアンツが勝利した。 背景開催地についてNFLは当初、アメリカ同時多発テロ事件からの回復をアピールしようと、アリゾナ州ではなくニューヨークまたはワシントンD.C.での開催を考えていた。まずドーム球場がなくスタジアムの老朽化しているニューヨークは厳しい気象条件のため候補から外された。ワシントンD.C.にはドーム球場はなかったものの、新しいスタジアムであるフェデックスフィールドがあり、ニューヨークよりは気象条件が穏やかであることから候補に残った。最終的にグレンデール、ワシントンD.C.、フロリダ州タンパが開催地候補となり、2003年10月にイリノイ州シカゴで開かれたNFLオーナー会議の結果、グレンデールでの開催に決定した。開閉式ドーム球場での開催は、テキサス州ヒューストンのリライアント・スタジアムで行われた第38回(2004年2月)に次いで2度目となった。2007年2月6日、アリゾナ州知事のジャネット・ナポリターノによってフェニックス・スカイハーバー国際空港でスーパーボウル開催のための組織委員会設立のセレモニーが行われた。スーパーボウルのロゴは、アリゾナ州の形である赤地の背景に、アリゾナ州におけるネイティブアメリカンの文化を表すターコイズブルーでXLIIの文字を描き、赤い星でAFCを、青い星でNFCを表した。 プレーオフペイトリオッツはプレーオフ初戦のディビジョナルプレーオフでジャクソンビル・ジャガーズ戦でブレイディは28本中26本のパス成功(パス成功率92.9%のNFL記録)、268ヤードを投げて3本のタッチダウンパスを通し31-20で勝利した。またロドニー・ハリソンはNFLタイ記録となるプレーオフ4試合連続でのインターセプトを決めた。AFCチャンピオンシップゲームではブレイディが3回のインターセプトを喫したがローレンス・マロニーが122ヤードを走る活躍を見せると共にディフェンスがサンディエゴ・チャージャーズをFG4本に抑え21-12でスーパーボウルに勝ち上がった。 一方ジャイアンツはNFCのチームとしてロードでのプレーオフを3連勝してスーパーボウルに勝ち上がった最初のチームとなった。第4シードのタンパベイ・バッカニアーズを24-14で破ると第1シードのダラス・カウボーイズとの対戦でR・W・マクォーターズがエンドゾーンでトニー・ロモのパスをインターセプトする活躍を見せ21-17で勝利しNFCチャンピオンシップゲームに進出した。グリーンベイ・パッカーズとの対戦は氷点下18.3度(体感気温氷点下31.1度)のランボー・フィールドで行われた[4]。オーバータイムにもつれたこの試合でコリー・ウェブスターがブレット・ファーヴのパスをインターセプト、最後はローレンス・タインズがポストシーズンにランボー・フィールドでプレイしたアウェイのキッカーとしては最長となる47ヤードのFGを決めて23-20でスーパーボウルに勝ち上がった。 試合経過
気温は摂氏21度(華氏70度)、開閉式ドームの屋根は閉じられた状態で試合が始まった。キックオフ後、ジャイアンツのドライブは自陣23ヤードから、スーパーボウル記録の9分57秒をかけて16プレイで63ヤード前進し、32ヤードのフィールドゴールで3点を先制した。 第1Q最後、トム・ブレイディからベンジャミン・ワトソンへのパスをアントニオ・ピアースがエンドゾーン内でパスインターフェアランスの反則を犯し、ペイトリオッツはゴール前1ヤードからのファーストダウンの権利を得た。 第2Qに入り、1プレイ目に、ローレンス・マロニーの1ヤードランで、7-3と逆転した。 その後、両チームとも得点が無く第4Qに入った。 ジャイアンツは自陣20ヤードから、ケビン・ボスへの45ヤードのパスが決まり敵陣に攻め込むと、残り11分05秒、最後はデビッド・タイリーへの5ヤードのタッチダウンパスが決まり10-7と逆転した。 その後、1回ずつパントを蹴り合った後、ペイトリオッツは自陣20ヤードからのドライブで、10プレイで75ヤード進むと、残り2分42秒、最後はランディ・モスへの5ヤードのタッチダウンパスが決まり、14-10と再逆転した。 後が無くなったジャイアンツは、自陣17ヤードからの攻撃となった。7プレイで27ヤード前進し、残り1分15秒で3アンド5となった。 自陣44ヤード地点からの攻撃の場面でQBサックされそうになったイーライ・マニングは、ユニフォームをつかまれながらも辛くもQBサックを免れると、デビッド・タイリーへの32ヤードのパスを決め、敵陣24ヤードまで前進した。次の2プレイで1ヤード後退したが、3ダウン11でスティーブ・スミスへのパスが決まり、敵陣13ヤードまで進んだ。次のプレイ、残り時間35秒にプラキシコ・バレスへのTDパスが決まり17-14と、再度ジャイアンツがリードした。 →詳細は「ヘルメットキャッチ」を参照
ペイトリオッツは、残り29秒という時間の中、自陣26ヤードからの最後の攻撃に賭けた。ブレイディはロングパスを4回試みたが、サック1回、不成功3回に終わり、ジャイアンツの勝利が決定した。 MVPには第4Qに2本のTDパスを決めたジャイアンツのQB・イーライ・マニングが選ばれた。 両チーム合計31点は、第40回スーパーボウルと並び、第10回スーパーボウル以降ではもっともロースコアとなった。また、試合前劣勢を伝えられていたジャイアンツが勝利したことで、NFLの世紀の番狂わせTOP10の第2位に選ばれている。 スターティングラインアップエンターテイメントNFLが主催したプレゲームパーティではウィリー・ネルソノがサラ・エバンズとデュエットで熱唱した。
放送全米でのテレビ中継はFOXが担当し、国際映像はNFLネットワークを通じて全世界に中継された。また、ハーフタイムショーの冠スポンサーには日本のタイヤメーカーブリヂストンが務めた。テレビ中継の全米視聴率は43.1%、平均視聴者数は約9,750万人を記録した。この平均視聴者数は、スーパーボウル中継では第30回(1996年1月)の約9,408万人を上回る当時の史上最高記録であり、全ジャンルを通してもテレビドラマ『マッシュ』最終話(1983年2月28日、CBS)の約1億600万人に次いで史上2位となる[2]。 日本国内の放送評価2016年2月の第50回スーパーボウル開催を目前に控えた時期、複数のメディアが過去49回のスーパーボウルすべてを名勝負順に並べたランキングを発表した。そのうち『スポーツ・イラストレイテッド』のドン・バンクス、『USAトゥデイ』のネイト・デービスと『ニューヨーク・ポスト』のスティーブ・サービー、『ニューズデイ』のニール・ベストと『ヒューストン・クロニクル』のグレッグ・レイジャンの5者が、この第42回をスーパーボウル史上最高の名勝負に選んだ[5][6][7][8][9]。他のメディアでは『サンディエゴ・ユニオン=トリビューン』のエディ・ブラウンが第2位[10]、『ワシントン・ポスト』のジェレミー・ゴットリーブと『ニューヨーク・デイリーニューズ』のゲイリー・マイヤーズがそれぞれ第3位[11][12]、ESPNのジョン・クレイトンが第5位という順位をつけている[13]。 トーナメント表
脚注
関連項目
外部リンク |
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