第44回スーパーボウル
第44回スーパーボウル(Super Bowl XLIV)は2010年2月7日にフロリダ州マイアミガーデンズのサンライフ・スタジアムで開催されたアメリカンフットボール(NFL)の試合。プレーオフを勝ち上がったニューオーリンズ・セインツとインディアナポリス・コルツとの対戦となった。セインツは1967年のチーム結成以来初出場、コルツは1953年にボルチモア・コルツとしてチーム結成以来4回目の出場。マイアミで行われるスーパーボウルでコルツは1969年の第3回は敗れたが1971年の第5回、2007年の第41回は優勝している。 3年ぶりのスーパーボウル制覇を目指したコルツは最終第4Qで逆転され、創設43シーズン目で初出場したセインツが31-17で初優勝を果たした。MVPにはセインツのQBドリュー・ブリーズが選ばれた[5]。 開催地スーパーボウル2005年5月23日のNFLオーナー会議での投票でニューヨークに建設されて2008年からニューヨーク・ジェッツの本拠地となる予定のウェストサイド・スタジアムで開催することが決まっていた。しかしニューヨークが2012年オリンピックの誘致に失敗し、ニューヨーク州政府が建設費に300万ドルを出すことを拒否したため開催地は白紙に戻った[6]。NFLは第43回スーパーボウルの開催に立候補して敗れたアトランタ、ヒューストン、マイアミを開催地候補に選んだ。2008年10月6日にマイアミ・ドルフィンズの本拠であるサンライフ・スタジアムでの開催が決定された。 フロリダ州南部でのスーパーボウル開催は10回目となった(マイアミ・オレンジボウルで5回、サンライフ・スタジアムでは5回目の開催となった。)。 第43回スーパーボウルの開催地が同じフロリダ州のタンパであり、同じ州でのスーパーボウル開催が連続したのは史上3回目のことであった(第2回、第3回がオレンジ・ボウルで、第21回がパサデナのローズボールで第22回がサンディエゴのクアルコム・スタジアムで開催された。)。 マイアミは2001年にアメリカ同時多発テロが起きて以降スーパーボウル(第36回以降)が国家特別警備行事になってから2度目の開催となる初めての都市となった。 プロボウルの開催変更これまでプロボウルはスーパーボウルやNFLチャンピオンシップゲームの開催された後に行われていたがカンファレンス・チャンピオンシップゲームとスーパーボウルの間の週に開催されることが2008年12月に発表された。また開催地もスーパーボウルと同じドルフィン・スタジアムで行われることとなり1979年以来アロハ・スタジアム以外での開催となった。スーパーボウルに出場するチームの選手はプロボウルには出場しないことが予想されている。従来どおりスーパーボウルの翌週の2月14日に開催した場合、NBAオールスターゲーム、バンクーバーオリンピック、第52回デイトナ500と競合する日程であった。 出場チームインディアナポリス・コルツ![]() コルツはNFLベストの14勝2敗でシーズンを終えて3年ぶりのスーパーボウルを目指した。コルツのパワフルなオフェンスはプロボウル選出10回のペイトン・マニングに率いられ、マニングは4500ヤードを獲得、33タッチダウンパス、16被インターセプト、QBレイティング99.9でシーズンを終え4度目のMVPに選ばれた[7]。主なパスターゲットはレジー・ウェイン、ダラス・クラークでそれぞれ100キャッチ、10回のタッチダウンレシーブをあげた。ウェインはチームトップの1,260ヤード、クラークは1,106ヤードを稼いだ。他にもオースティン・コリーが60回のキャッチで676ヤード、7タッチダウン、ピエール・ガーソーンが47回のキャッチで756ヤードを獲得した。地上戦はRBのジョセフ・アダイが821ヤードを走り10タッチダウンをあげると共に51回のキャッチで336ヤードを獲得、3タッチダウンをあげた。またオフェンスラインはプロボウルセンターのジェフ・サタデーに率いられた。 ディフェンスラインはプロボウルに選ばれたロバート・マシス、ドワイト・フリーニーに率いられた。フリーニーはチームトップの13.5サックをあげ、マチスも9.5サック、5ファンブルフォースの成績をあげた。ラインバッカーのクリント・セッション、ゲイリー・ブラケットはそれぞれ80タックルをあげた。プロボウルセイフティのアントワン・ベセアは70タックル、4インターセプトの成績をあげた。 新ヘッドコーチとなったジム・コールドウェルの下、チームは開幕から14連勝しニューヨーク・ジェッツ戦の途中から主力選手を下げたため15-29と敗れ連勝が止まった。コールドウェルヘッドコーチはレギュラーシーズン16連勝よりもスーパーボウルに優勝するのための決定を下した。最終週も敗れて14勝2敗となった。 ニューオーリンズ・セインツ![]() NFCベストの13勝3敗でレギュラーシーズンを終えたセインツはチーム創設43年目で初のスーパーボウル出場を果たした。セインツの歴史は長い苦難の道のりであり、1967年に創設されたセインツは1987年まで勝ち越しすることなく、2000年のレギュラーシーズン後のプレーオフでセントルイス・ラムズを破りようやくプレーオフ初勝利をあげた。2005年にはハリケーン・カトリーナの被害で本拠地のルイジアナ・スーパードームは大きな被害を受けてバトンルージュにあるルイジアナ州立大学のタイガー・スタジアム、サンアントニオのアラモドーム、開幕戦はアウェイであるニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ジャイアンツ・スタジアムで行うなど地元でのホームゲーム開催ができずに3勝13敗に終わった。しかしオフシーズンにプロボウルQBのドリュー・ブリーズ(彼はチームに加入後の4年間で最もパス獲得ヤードを稼いでいるQBである。)を獲得、2006年のドラフトでハイズマン賞受賞者のレジー・ブッシュ、WRのマーカス・コルストンを獲得した。2006年にチームは10勝6敗で終え、初めてNFCチャンピオンシップゲームまで進出したがシカゴ・ベアーズに敗れてスーパーボウル出場はならなかった。続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかったが新しい戦力を加え2009年スーパーボウルを目指す戦力が整った。 セインツのオフェンスはNFLトップの1試合あたり32得点をあげた。ブリーズはNFL記録のパス成功率70.6%、4,338ヤード獲得、34タッチダウンパス、11被インターセプトの成績を残しNFLトップのQBレイティング109.6でシーズンを終えた。メインターゲットのコルストンは70回のキャッチで1,074ヤードを獲得し9タッチダウンをあげた。またデバリー・ヘンダーソンが51回のキャッチ、ロバート・ミーチェムが45回のキャッチ、タイトエンドのジェレミー・ショッキーが48回のキャッチをマークするなどパスターゲットは多かった。地上戦はピエール・トーマス、マイク・ベルらによって行われトーマスはランで793ヤードを獲得すると共に39回のキャッチで302ヤードを獲得、ベルも654ヤードを走った。またブッシュが390ヤード(平均5.6ヤード)を走ると共に47回のキャッチで335ヤードを獲得すると共にパントリターンで130ヤードを稼いだ。強力なオフェンスラインからはガードのジャーリ・エバンス、センターのジョナサン・グッドウィン、タックルのジョン・スティンチコムはプロボウルに選ばれた。 プロボウルディフェンスラインマンのウィル・スミスは13サック、ラインバッカーのジョナサン・ヴィルマはチームトップの87タックル、3インターセプトをあげた。ディフェンスバックは12年目のベテラン、ダレン・シャーパーに率いられ彼は9回のインターセプトでNFL記録となる376ヤードをリターン、3タッチダウンをあげた。コーナーバックのトレイシー・ポーターは49タックルで4インターセプトをあげた。 チームは開幕から13連勝したがその後ダラス・カウボーイズに17-24で敗れ、タンパベイ・バッカニアーズ戦ではギャレット・ハートリーの勝ち越しを狙ったFGが失敗に終わり延長の末敗れた。最終週もブリーズに代わって控えQBのマーク・ブルネルが先発し[8]カロライナ・パンサーズに10-23で敗れたが第1シードを獲得、プレーオフ2試合では76得点をあげてスーパーボウル初出場を決めた。 プレーオフコルツはプレーオフ初戦のディビジョナルプレーオフでボルチモア・レイブンズと対戦した。9勝7敗でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたレイブンズはニューイングランド・ペイトリオッツのトム・ブレイディから4つのターンオーバーを奪い、33-14で勝ち上がってきていた。コルツはレイブンズの最初の攻撃でFGを許したがマット・ストバーのFG、ウェイン、コリーへのマニングからのTDで17-3でリードしてハーフタイムを迎えた。後半エド・リードが2度マニングのパスをインターセプトしたが最初は自身のファンブルでもう1回は他の選手の反則でインターセプトが取り消された。レイブンズのオーナー、アート・モデルのチーム(元のクリーブランド・ブラウンズオーナーでもある。)で18シーズンプレーしたストバーが2本目のFGを決めて20-3で勝利した。AFCチャンピオンシップゲームは第16週で敗れたニューヨーク・ジェッツとの対戦になった。6-17とリードされたがコリーへ3本のパス(最後は16ヤードのTDパス)が成功し13-17と4点差でハーフタイムを迎えた。後半ガーソーン、クラークへのTDパス、ストバーのFGで得点を重ねると共に相手を無得点に抑えて30-17で勝利した。マニングはこの試合で377ヤードを投げて、ガーソーンとコリーはそれぞれ100ヤード以上を獲得した。 セインツはワイルドカードプレーオフでグリーンベイ・パッカーズを延長の末、51-45で破った前年のNFC覇者のアリゾナ・カージナルスを45-14で破った。この試合でセインツは相手の最初のプレーでタッチダウンを奪われたがライネル・ハミルトンの1ヤードラン、シャーパーのファンブルリカバーから得た攻撃権でブリーズがショッキーにTDパス、パントリターンでのレジー・ブッシュの46ヤードリターンTDも飛び出し、フリーフリッカーからのヘンダーソンへのTDパス、コルストンへのTDパスと前半だけで35得点をあげて35-14とリードした。後半にもハートリーのFG、ブッシュの83ヤードのパントリターンTDで10点を加えて45-14で勝利した。ブッシュはリターンなどで217ヤードを獲得、ブリーズは247ヤードを投げて3TDパスを成功させた。 NFCチャンピオンシップゲームは11回プロボウルに選出されており、ディビジョナルプレーオフのダラス・カウボーイズ戦で4TDパスを決めたブレット・ファーヴのミネソタ・バイキングスとの対戦になった。セインツのオフェンスはラン、パス合計で257ヤードしか獲得できなかったがディフェンスが5回のターンオーバーを奪った。第4Q終盤28-28と同点で迎えた場面でバイキングスは勝ち越しFGを狙える圏内に向けてボールを進めた。残り1分を切ってセインツは自陣33ヤード地点まで攻め込まれたが2回のランプレーで前進を許さず、続く相手のペナルティで38ヤードまでボールが戻った後、ファーヴのパスをポーターがインターセプトし試合は延長に持ち込まれた。コイントスに勝ったセインツはピエール・トーマスが40ヤードのキックオフリターンを見せた後、10プレイで39ヤード前進し最後はハートリーが40ヤードのFGを決めてスーパーボウル初出場を決めた。 コルツ、セインツとプレーオフ1回戦を免除されたチームがスーパーボウルで対戦するのは第39回スーパーボウル以来5年ぶりのこと。この間、4回のスーパーボウルではいずれかのチームがワイルドカードプレーオフから勝ち上がっており、2チームは地区優勝を逃し、ワイルドカードでプレーオフ出場を決めたチームであった。第41回スーパーボウルでのコルツを含めた3チームがプレーオフ1回戦から勝ち上がりスーパーボウル優勝を果たしている。また、両カンファレンスの第1シードのチーム同士の争いになるのは第28回以来16年ぶりのことであった。 トーナメント表
試合経過
コルツのキックオフで試合開始。コルツはマット・ストバーのFGで3点先制、その後自陣4ヤードからの攻撃をマニングからガーソーンへのTDパスで締めくくりスーパーボウル記録タイとなる96ヤードのTDドライブが決まり、コルツが10-0とリードを広げた[9]。その後セインツはギャレット・ハートリーの2本のFGで6点を返し、10-6とコルツがリードしてハーフタイムを迎えた。後半開始早々のキックオフで、セインツはパンターのトーマス・モーステッドがオンサイドキックを試み成功させて攻撃権を得ると[10]、ピエール・トーマスの16ヤードのTDランで13-10と逆転した。その後コルツはアダイのTDラン、セインツはFGで加点し17-16とコルツ1点リードで第4Qを迎えた。残り5分42秒、ショッキーへのTDパスと[11]2ポイントコンバージョンでセインツは24-17と再逆転した。残り3分半にトレイシー・ポーターがマニングのパスをインターセプト、74ヤードをリターンしてTDをあげ31-17と勝利を決定づけた[12]。 ブリーズはこの試合、パス39回中32回成功、288ヤード、2TDをあげた。一方マニングはパス45回中31回成功、333ヤード、1TD、1INTであった[13]。コルツのディフェンスは、セインツのランオフェンスは止めたが、ブリーズを抑えることができなかった[14]。 スターティングラインアップテレビ中継全米での試合中継はNFLの放送を開始して50年目のCBS(1956年-1993年、1998年-現在)が行った。同局がスーパーボウルの中継を行うのは第41回スーパーボウル以来であった。 NFL on CBSの解説者として知られたフィル・シムズ(ニューヨーク・ジャイアンツに所属し1987年の第21回スーパーボウルでMVPに選ばれた。)、実況はジム・ナンツが担当した。ソロモン・ウィルコッツ(シンシナティ・ベンガルズ在籍時に第23回に出場している。)、スティーブ・タスカー(バッファロー・ビルズでスペシャルチームとして活躍し第25回から第28回まで4年連続スーパーボウルでプレーしている。)がサイドラインレポートを務めた。試合終了後には新番組『アンダーカバー・ボス』(リアリティ番組)が放送され、3860万人が視聴した。 日本におけるテレビ中継テレビ広告アンハイザー・ブッシュ・インベブ、キャリアビルダー、ペプシコがスーパーボウルの広告主としてすでに決まっていたが[15]、12月ペプシコは広告スポンサーから降りることを発表した[16]。2009年9月フリトレーがドリトスの広告をする計画であることがわかった。 エンターテイメントキックオフ前キャリー・アンダーウッドがアメリカ国歌斉唱、クィーン・ラティファがAmerica the Beautiful(第35回スーパーボウルでレイ・チャールズが歌っている。)を歌った。 ハーフタイムショー11月26日放送のザNFLトゥデイで、ハーフタイムショーにはイングランドのロック・バンドであるザ・フーが起用されることが発表された[17]。スポンサーは3年連続でブリヂストンが担当。企画制作はホワイト・チェリー・エンターテインメントである。 脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia