デンバー・ブロンコス

デンバー・ブロンコス
Denver Broncos
創設 1959年8月14日 (65年前) (1959-08-14)
AFL参入 1960年シーズン
所属地区
チームデザイン
チームロゴ

精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬)
チームカラー
  オレンジ
  ネイビーブルー
 
ユニフォーム
チーム名
  • デンバー・ブロンコス(1960-現在)
ホームタウン
デンバー・ブロンコスの位置(アメリカ合衆国内)
1960-現在
1960-現在

コロラド州デンバー (1960-現在)

エンパワー・フィールド・アット・マイル・ハイ
 ブロンコス・スタジアム・アット・マイル・ハイ
 スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイ
 インベスコ・フィールド・アット・マイル・ハイ
(2001-現在)
マイル・ハイ・スタジアム
 ベアーズ・スタジアム
(1960-2000)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (3回)
カンファレンス・チャンピオン (8回)
AFC
  • 1977
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1997
  • 1998
  • 2013
  • 2015
地区優勝 (15回)
旧AFC西地区
  • 1977
  • 1978
  • 1984
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1991
  • 1996
  • 1998
AFC西地区
  • 2005
  • 2011
  • 2012
  • 2013
  • 2014
  • 2015
ワイルドカード(7回)
  • 1979
  • 1983
  • 1993
  • 1997
  • 2000
  • 2003
  • 2004
プレーオフ進出(22/59回)
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1983
  • 1984
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1991
  • 1993
  • 1996
  • 1997
  • 1998
  • 2000
  • 2003
  • 2004
  • 2005
  • 2011
  • 2012
  • 2013
  • 2014
  • 2015
球団組織
オーナー ウォルトン=ペナー・ファミリー・グループ
GM ジョージ・ぺートン
ヘッドコーチ ショーン・ペイトン

デンバー・ブロンコス英語: Denver Broncos、略称: DEN)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバーに本拠地をおくNFLチーム。AFC西地区に所属している。

愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。AFL時代にはプレーオフ出場経験がないが、1970年のNFLとAFLの統合の後、AFC西地区で優勝10回、スーパーボウルには6度出場しており、ミネソタ・バイキングスバッファロー・ビルズと同様に最初の4回は敗れたが第32回スーパーボウルで初優勝を果たし、翌シーズンの第33回スーパーボウルも優勝している。

歴史

1982年まで

1959年8月14日、プロ野球・マイナーリーグのオーナーであるボブ・ホーサムによってチームは創設され1960年のAFL開幕から新興リーグの一員として参加した[1]。ホーサムは当初、デンバーにNFLのエクスパンションチームを設立しようとしたが、シカゴ・ベアーズジョージ・ハラスオーナーらNFLのオーナーの承認を得ることができなかった[2][3]。1960年、ファンによる投票でブロンコスという愛称が決定された[4]

マイル・ハイ・スタジアム

チームはデンバー・ベアーズの本拠地だったベアーズ・スタジアム(後にマイル・ハイ・スタジアムと改称)を本拠地としてAFLのオリジナルメンバーとなった。ヘッドコーチにはフランク・フィルコック、エースQBにはフランク・トリプカがなった。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた[5]がチームは4勝9敗1分で最初のシーズンを終えた。シーズン終了後ハウサムオーナーはチームをサンアントニオシンジケートに売ろうとしたが1961年5月、ジェラルド・フィップスカル・クンツら投資家グループがチームを購入した[6]

1961年シーズンを3勝11敗で終えるとチームはフィルコックスに代えてジャック・フォークナーを新ヘッドコーチとした。1962年シーズンはAFL時代を通して最高成績である7勝7敗で終えたがその後5シーズンチームは10敗以上を喫した。その間チームは4人のヘッドコーチ、6人の先発QBを起用する迷走ぶりであった[7]

1964年シーズン5試合を経過したところでフォークナーからマック・スピーディーにヘッドコーチが交代しチームは2勝11敗1分に終わった。1965年シーズンは4勝10敗[8]、1966年シーズン、ヒューストン・オイラーズとの開幕戦に7-45と大敗、この試合でチームはファーストダウン更新わずか1回、パスで-7ヤード、トータルで26ヤードしかゲインすることができずに7-45で敗れた[9] 。2試合が経過したところでスピーディーヘッドコーチは辞任、レイ・マラヴェシが残りゲームの指揮を執りチームは4勝10敗でシーズンを終えた[10]

1965年にオーナーの一部にチームをアトランタに移転させようとする動きがあったがアラン・フィップス、ジェラルド・フィップスが彼らの経営権、ベアーズ・スタジアムを買取りチームはデンバーに留まることになった。

1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7とAFLに所属するチームとして最初にNFLのチーム相手に勝利をあげた.[11]。AFLでの10年間の成績は39勝97敗4分とリーグ最低でありAFLのオリジナルチーム中、唯一タイトルマッチに出場を果たせなかった[12]。アメリカのプロフットボールチームとして最初にアフリカ系アメリカ人プレースキッカーであるジーン・ミンゴを起用した[12]WRライオネル・テイラーはシーズン100キャッチを記録した。またアフリカ系アメリカ人QBのマーリン・ブリスコウが入団した。チームの移転騒動があった翌シーズンのシーズンチケットはおよそ3倍の売り上げを記録した[13]

チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。

チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[14]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[15]

レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年、その年加入したベテランQBクレイグ・モートンオレンジ・クラッシュ・ディフェンス英語版と呼ばれた守備の活躍で、プレーオフに初出場を果たし、第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた[16]

1979年9月23日のシアトル・シーホークス戦では10-34とリードされたところから、ノリス・ウィーズをリリーフしたクレイグ・モートンがハーベン・モーゼスリック・アップチャーチにTDパスを通し、最後はロブ・ライトルが1ヤードのTDランをあげるなど、27点を連取して37-34で勝利した。この試合が、現在までのところ、ブロンコスの最多得点差からの逆転勝利となっている[17]

1981年エドガー・カイザー・ジュニアがジェラルド・フィップスから3000万ドルでチームを買収した[18]

エルウェイの時代

1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[19]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた[20]

1984年にカイザーオーナーからパット・ボーレンにチームの所有権の60.8%を売却した。後にカイザーはボーレンに対して法廷闘争を行ったが敗訴している[18]

エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場(プレーヤーとしては最多記録)させたが、最初の3回は全て敗れてチームはミネソタ・バイキングスに続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チーム目となった。エースQBのエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲も深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームはエルウェイを選びリーブスはチームを去ることとなった。

1986年、チームは11勝5敗でAFC西地区優勝を果たし、プレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズをオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃でザ・ドライブとして知られる98ヤードの同点ドライブでオーバータイムに持ち込んだ。ニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れた。

ストライキで短縮された1987年シーズン、AFCトップの10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージを獲得、プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破り、クリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3とリードしたが、反撃を許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした。第4Q終盤に同点TDを狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点でファンブルを誘発し、38-33で逃げ切った。第22回スーパーボウルでは第1Qに10-0とリードしたが、第2Qに35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズに敗れた。

1988年は8勝8敗に終わりプレーオフを逃したが、1989年、開幕から12試合で10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウルに選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った。第24回スーパーボウルではジョー・モンタナスーパーボウル記録となる5TDパス[注 1]、合計8TDを許し、10-55で敗れた。55失点、45点差での負けはそれぞれスーパーボウルワースト記録となった。

1991年シーズン、ヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインドで迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウンに追い込まれたものの、残り16秒での逆転FGにより26-24で勝利、AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズと対戦した。この試合でディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイの投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードのリターンTDを許し、7-10で敗れた。

1992年シーズン終了後、4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった。1994年シーズン終了後、フィリップスは解任され、1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任した。

RBテレル・デービスがチームに加入した後、チームは1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージを獲得したがプレーオフ初戦でチーム創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズに苦杯をなめさせられた[21][22]

1997年チームはワイルドカードでプレーオフに出場、ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り、史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウルで前年優勝のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。下馬評はブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズを破り初優勝を果たした[23]。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走り、スーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。

1998年もプレーオフでマイアミ・ドルフィンズを38-3、ニューヨーク・ジェッツを23-10で破り、2年連続スーパーボウル出場を果たし、長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズとの対戦した。第33回スーパーボウルでは34-19で勝利し、スーパーボウル連覇を達成した。38歳のエルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

1999年から2011年

エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。

2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた[24]2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった[24]

スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変え[24]その後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった[25]

2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレンベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった[26]

2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化[27]、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しQBカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした[28]。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した[29][30]

2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りQBティム・ティーボウを1巡目で指名した[31]。そしてクリーブランド・ブラウンズとのトレードでブレイディ・クインを獲得した。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されて[30]エリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった[32]。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった[33][34]

2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代[35]、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ[36]、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした[37]。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが[38]、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた[39]

ペイトン・マニングの時代

2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。

2013年、前年と同様に13勝3敗でAFCの第1シードを獲得した。プレーオフでは、サンディエゴ・チャージャーズニューイングランド・ペイトリオッツを破り、AFCチャンピオンに輝いた。1997年、1998年の連覇以来のスーパーボウル出場となったが、シーホークスに8-43で完敗した。

2014年シーズンの開幕前に、1984年よりチームオーナーを務めていたパット・ボーレン英語版アルツハイマー病との闘病のため、チーム執行権を手放すことが発表された。結果として、ジョー・エリス英語版ジョン・エルウェイがチームの執行権を握った。この年は、12勝4敗でAFC第2シードを獲得した。しかし、ディヴィジョナル・プレーオフでインディアナポリス・コルツに敗北し、直近4年間で3度目のディヴィジョナル・プレーオフ敗退となった。

2015年からはゲイリー・キュービアックがHCとなり、 第50回スーパーボウルを制覇。この試合でQBを務めたマニングは、翌月に引退を発表した。

2016年以降

2016年は控えQBであったブロック・オズワイラーヒューストン・テキサンズへ移籍し、トレヴァー・シーミアンとこの年のドラフト1巡目に指名したパクストン・リンチが先発QBを務めたが地区3位に終わってプレーオフを逃し、シーズン終了後キュービアックの退任を発表した。後任のヘッドコーチには元マイアミ・ドルフィンズのディフェンシブ・コーディネーターであるバンス・ジョセフが就任した。

2017年2018年も連続してプレーオフを逃し、2018年シーズン終了後HCのバンス・ジョセフは解雇された。後任はシカゴ・ベアーズのディフェンシブ・コーディネーターであるヴィック・ファンジオとなった。2018年のシーズン終了後、ボルティモア・レイブンズよりQBジョー・フラッコをトレードで獲得した。

2019年ドラフト2巡目でQBドリュー・ロック英語版を指名した。この年フラッコは首を痛めて半数の試合の出場にとどまり、プレーオフを逃した。シーズン後、フラッコはリリースされた。この年、オーナーのパット・ボーレンが亡くなり、以後はオーナー不在が続いた。

2020年新型コロナウイルス感染症に大きく影響を受け、2020年11月29日の対ニューオーリンズ・セインツ戦では、すべてのQBが陽性あるいは濃厚接触者となって出場不可能となってしまい、大学でQBの経験があるルーキーで練習生のWRケンドール・ヒントンを先発QBとして大敗を喫した[40]。このシーズンも、プレーオフを逃した。2021年1月4日、ジョン・エルウェイは球団社長にはとどまりながら、GMを別に人物とすることを発表した[41]。2021年1月13日、ミネソタ・バイキングスのGM補佐だったジョージ・パトンがGMとなった。2021年4月28日、指名権との交換でカロライナ・パンサーズからQBテディ・ブリッジウォーターを獲得した。

2021年も地区最下位となり6年連続してプレーオフを逃した。最終戦直後、3年間プレーオフを逃したファンジオがHC職から解雇された。後任にはグリーンベイ・パッカーズOCのナサニエル・ハケットが就任した。2022年2月1日、オーナー不在だったチームは公式に買い手を探すことになった。2022年3月8日、1位指名権2個、2位指名権2個、5位指名権2個、さらにドリュー・ロックなど3選手と引き換えに、ラッセル・ウィルソンと4位指名権1個をシアトル・シーホークスから得ると発表し[42]、同月16日に正式決定した。

2022年、チームはS・ロブソン・ウォルトン率いるウォルトン=ペナー・ファミリー・グループにより買収された。グループはウォールマート創設者の子孫であるロブソン、その娘のキャリー、その夫であるグレッグ・ペナー、スターバックスの会長などを務めるメロディー・ホブソン、元国務長官のコンドリーザ・ライス、さらにはレーシング・ドライバーのルイス・ハミルトンからなる。2022年はウィルソンを迎えて期待されるも振るわず、第14週にカンザスシティ・チーフスに敗れて7年連続してプレーオフを逃した。第16週にはロサンゼルス・ラムズに敗れて地区最下位が決定した。翌日、HCのハケットが解任されてシニア・アシスタントのジェリー・ロズバーグが暫定HCとなった[43]。2023年1月31日、ニューオーリンズ・セインツとの契約を残して辞職していたショーン・ペイトンを2023年ドラフトの1巡目指名権、2024年ドラフトの2巡目指名権、さらに将来の3巡目指名権と引き換えに獲得した[44]

2023年、ブロンコスはショーン・ペイトンをHCに迎えたが成績は振るわず、16週を終わったところでプレーオフ進出の望みはわずかなものとなった。ウィルソンの契約には怪我の保証条項が含まれていたため、のこり2試合にはウィルソンを先発させないことをチームが発表した[45]。第17週の試合に勝利したもののプレーオフを逃した。シーズン後、ウィルソンはリリースされた。

文化

ホームスタジアムでの応援

1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。

マスコット

マイルズ(左)とセカンドマスコット(2015)

マイルズ(Miles)というマスコットとセカンドマスコットが存在する。

チアリーダー

公式チアリーディングは、「デンバー・ブロンコス・チアリーダース」として活動している。2007年に堀池薫子が日本人として初めてブロンコスのチアリーダーに合格し、2008年にも再度オーディションを突破して合格を果たした[46]。2012年には西村樹里がブロンコスのチアリーダーに合格している[47]

2024年シーズン

2024年シーズンのブロンコスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 7位 3位 9 6 0 .600 2-3 5-5 360 281 24.0 18.7 .465 .317
2023 レギュラー敗退 12位 3位 8 9 0 .471 3–3 5–7 357 413 21.0 24.3 .488 .485
2022 レギュラー敗退 14位 4位 5 12 0 .294 1-5 3-9 287 359 16.9 21.1 .481 .465
2021 レギュラー敗退 13位 4位 7 10 0 .412 1-5 3-9 335 322 19.7 18.9 .484 .357
2020 レギュラー敗退 12位 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 323 446 20.2 27.9 .566 .388
2019 レギュラー敗退 8位 2位 7 9 0 .438 3-3 6-6 282 316 17.6 19.8 .510 .406
2018 レギュラー敗退 11位 3位 6 10 0 .375 2-4 4-8 329 349 20.6 21.8 .523 .464
2017 レギュラー敗退 12位 4位 5 11 0 .313 2-4 4-8 289 382 18.1 23.9 .492 .413
2016 レギュラー敗退 8位 3位 9 7 0 .563 2-4 6-6 333 297 20.8 18.6 .549 .455
2015 スーパーボウル制覇 1位 1位 12 4 0 .750 4-2 8-4 355 296 22.2 18.5 .500 .479
2014 ディビジョナル敗退 2位 1位 12 4 0 .750 6-0 10-2 482 354 30.1 22.1 .521 .484
2013 スーパーボウル敗戦 1位 1位 13 3 0 .813 5-1 9-3 606 399 37.9 24.9 .469 .423
2012 ディビジョナル敗退 1位 1位 13 3 0 .813 6-0 10-2 481 289 30.1 18.1 .457 .385
2011 ディビジョナル敗退 4位 1位 8 8 0 .500 3-3 6-6 309 390 19.3 24.4 .520 .445
2010 レギュラー敗退 14位 4位 4 12 0 .250 1-5 3-9 344 471 21.5 29.4 .516 .453
2009 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 3-3 6-6 326 324 20.4 20.3 .527 .516

2024年シーズン成績

AFC西地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
(y)カンザスシティ・チーフス 14 1 0 .933 5-0 9-1 356 278 23.7 18.5 .458 .435 2
ロサンゼルス・チャージャーズ 9 6 0 .600 3-2 6-4 328 274 21.9 18.3 .509 .367 2
デンバー・ブロンコス 9 6 0 .600 2-3 5-5 360 281 24.0 18.7 .465 .317 2
ラスベガス・レイダース 2 12 0 .143 0-5 2-8 245 376 17.5 26.9 .572 .429 3
AFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 y-チーフス 西 14 1 0 .933 5-0 9-1 .458 .435
2 y-ビルズ 11 3 0 .786 3-0 7-2 .510 .481
3 x-スティーラーズ 10 5 0 .667 3-2 7-3 .458 .427
4 y-テキサンズ 9 6 0 .600 4-1 7-2 .488 .381
ワイルドカード圏内
5 x-レイブンズ 10 5 0 .667 3-2 6-4 .544 .531
6 チャージャーズ 西 9 6 0 .600 3-2 6-4 .509 .367
7 ブロンコス 西 9 6 0 .600 2-3 5-5 .465 .317
プレーオフ圏外
8 コルツ 6 8 0 .429 1-3 5-5 .503 .357
9 ドルフィンズ 6 8 0 .429 3-2 5-5 .449 .274
10 ベンガルズ 6 8 0 .429 1-3 3-6 .478 .226
11 ブラウンズ 3 11 0 .214 2-2 3-6 .530 .523
12 ジャガーズ 3 11 0 .214 2-2 3-6 .525 .286
13 ジェッツ 4 10 0 .286 1-3 4-6 .490 .321
14 タイタンズ 3 11 0 .214 1-2 3-6 .525 .419
15 ペイトリオッツ 3 11 0 .214 1-3 2-7 .408 .333
16 レイダース 西 2 12 0 .143 0-5 2-8 .572 .429
タイブレーク
参照
z - 第1シード確定・プレーオフ1回戦免除
y - 地区優勝
x - プレーオフ確定
w - ワイルドカード確定
暗転 - レギュラーシーズン敗退
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

AFC西地区(4地区制)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2024 KC LV
2023 KC (3v) 11 6 0 LV 8 9 0 DEN 8 9 0 LAC 5 12 0
2022 KC (1v) 14 3 0 LAC(5w) 10 7 0 LV 6 11 0 DEN 5 12 0
2021 KC (2c) 12 5 0 LV (5w) 10 7 0 LAC 9 8 0 DEN 7 10 0
2020 KC (1s) 14 2 0 LV 8 8 0 LAC 7 9 0 DEN 5 11 0
2019 KC (2v) 12 4 0 DEN 7 9 0 OAK 7 9 0 LAC 5 11 0
2018 KC (1c) 12 4 0 LAC(5d) 12 4 0 DEN 6 10 0 OAK 4 12 0
2017 KC (4w) 10 6 0 LAC 9 7 0 OAK 6 10 0 DEN 5 11 0
2016 KC (2d) 12 4 0 OAK(5w) 12 4 0 DEN 9 7 0 SD 5 11 0
2015 DEN(1v) 12 4 0 KC (5d) 11 5 0 OAK 7 9 0 SD 4 12 0
2014 DEN(2d) 12 4 0 KC 9 7 0 SD 9 7 0 OAK 3 13 0
2013 DEN(1s) 13 3 0 KC (5w) 11 5 0 SD (6d) 9 7 0 OAK 4 12 0
2012 DEN(1d) 13 3 0 SD 7 9 0 OAK 4 12 0 KC 2 14 0
2011 DEN(4d) 8 8 0 SD 8 8 0 OAK 8 8 0 KC 7 9 0
2010 KC (4w) 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 8 8 0 DEN 4 12 0
2009 SD (2d) 13 3 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 4 12 0
2008 SD (4d) 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 2 14 0
2007 SD (3c) 11 5 0 DEN 7 9 0 KC 4 12 0 OAK 4 12 0
2006 SD (1d) 14 2 0 KC (6w) 9 7 0 DEN 9 7 0 OAK 2 14 0
2005 DEN(2c) 13 3 0 KC 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 4 12 0
2004 SD (4w) 12 4 0 DEN(6w) 10 6 0 KC 7 9 0 OAK 5 11 0
2003 KC (2d) 13 3 0 DEN(6w) 10 6 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
2002 OAK(1s) 11 5 0 DEN 9 7 0 SD 8 8 0 KC 8 8 0

AFC西地区(3地区制)

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 OAK(3d) 10 6 0 SEA 9 7 0 DEN 8 8 0 KC 6 10 0 SD 5 11 0
2000 OAK(2c) 12 4 0 DEN(5w) 11 5 0 KC 7 9 0 SEA 6 10 0 SD 1 15 0
1999 SEA(3w) 9 7 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 6 10 0
1998 DEN(1v) 14 2 0 OAK 8 8 0 SEA 8 8 0 KC 7 9 0 SD 5 11 0
1997 KC(1d) 13 3 0 DEN(4v) 12 4 0 SEA 8 8 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
1996 DEN(1d) 13 3 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 OAK 7 9 0 SEA 7 9 0
1995 KC(1d) 13 3 0 SD(4w) 9 7 0 SEA 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 8 8 0
1994 SD(2s) 11 5 0 KC(6w) 9 7 0 RAI 9 7 0 DEN 7 9 0 SEA 6 10 0
1993 KC(3c) 11 5 0 RAI(4d) 10 6 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 8 8 0 SEA 6 10 0
1992 SD(3d) 11 5 0 KC(6w) 10 6 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SEA 2 14 0
1991 DEN(2c) 12 4 0 KC(4d) 10 6 0 RAI(5w) 9 7 0 SEA 7 9 0 SD 4 12 0
1990 RAI(2c) 12 4 0 KC(5w) 11 5 0 SEA 9 7 0 SD 6 10 0 DEN 5 11 0
1989 DEN(1s) 11 5 0 KC 8 7 1 RAI 8 8 0 SEA 7 9 0 SD 6 10 0
1988 SEA(3d) 9 7 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SD 6 10 0 KC 4 11 1
1987 DEN(1s) 10 4 1 SEA(5w) 9 6 0 SD 8 7 0 RAI 5 10 0 KC 4 11 0
1986 DEN(2s) 11 5 0 KC(5w) 10 6 0 SEA 10 6 0 RAI 8 8 0 SD 4 12 0
1985 RAI(1d) 12 4 0 DEN 11 5 0 SEA 8 8 0 SD 8 8 0 KC 6 10 0
1984 DEN(2d) 13 3 0 SEA(4d) 12 4 0 RAI(5w) 11 5 0 KC 8 8 0 SD 7 9 0
1983 RAI(1v) 12 4 0 SEA(4c) 9 7 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 6 10 0 KC 6 10 0
1982 RAI(1d) 8 1 0 SD(5d) 6 3 0 SEA 4 5 0 KC 3 6 0 DEN 2 7 0
1981 SD(3c) 10 6 0 DEN 10 6 0 KC 9 7 0 OAK 7 9 0 SEA 6 10 0
1980 SD(1c) 11 5 0 OAK(4v) 11 5 0 KC 8 8 0 DEN 8 8 0 SEA 4 12 0
1979 SD(1d) 12 4 0 DEN(5w) 10 6 0 SEA 9 7 0 OAK 9 7 0 KC 7 9 0
1978 DEN(3d) 10 6 0 OAK 9 7 0 SEA 9 7 0 SD 9 7 0 KC 4 12 0
1977 DEN(1s) 12 2 0 OAK(4c) 11 3 0 SD 7 7 0 SEA 5 9 0 KC 2 12 0
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0
1975 OAK(2c) 11 3 0 DEN 6 8 0 KC 5 9 0 SD 2 12 0
1974 OAK(c) 12 2 0 DEN 7 6 1 KC 5 9 0 SD 5 9 0
1973 OAK(c) 9 4 1 KC 7 5 2 DEN 7 5 2 SD 2 11 1
1972 OAK(d) 10 3 0 KC 8 6 0 DEN 5 9 0 SD 4 9 1
1971 KC(d) 10 3 1 OAK 8 4 2 SD 6 8 0 DEN 4 9 1
1970 OAK(c) 8 4 2 KC 7 5 2 SD 5 6 3 DEN 5 8 1

AFL西地区

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0
1967 OAK(s) 13 3 0 KC 9 5 0 SD 8 5 1 DEN 3 11 0
1966 KC(s) 11 2 0 OAK 8 5 1 SD 7 6 1 DEN 4 10 0
スーパーボウル開始
1965 SD(a) 9 2 3 OAK 8 5 1 KC 7 5 2 DEN 4 10 0
1964 SD(a) 8 5 1 KC 7 7 0 OAK 5 7 2 DEN 2 11 1
1963 SD(v) 11 3 0 OAK 10 4 0 KC 5 7 2 DEN 2 11 1
1962 DAL(v) 11 3 0 DEN 7 7 0 SD 4 10 0 OAK 1 13 0
1961 SD(a) 12 2 0 DAL 6 8 0 DEN 3 11 0 OAK 2 12 0
1960 LA(a) 10 4 0 DAL 8 6 0 OAK 6 8 0 DEN 4 9 1

主な選手

現役選手

永久欠番

デンバー・ブロンコス 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
7 ジョン・エルウェイ John Elway QB 1983–1998
18 フランク・トリプカ
ペイトン・マニング*
Frank Tripucka
Peyton Manning
QB 1960–1963
2012–2015
44 フロイド・リトル Floyd Little RB 1967–1975

* 2012年、マニングが加入した際、チームおよびトリプカが快諾し、旧所属のインディアナポリス・コルツで長らく使用してきた18番を継続して使用することになった[48]。2015年で引退した後、敬意を表してマニングの名前が永久欠番に追加された。

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
24 ウィリー・ブラウン Willie Brown CB 1963–1966 1984
33 トニー・ドーセット Tony Dorsett RB 1988 1994
7 ジョン・エルウェイ John Elway QB 1983–1998 2004
- GM 2011–2020
65 ゲイリー・ジマーマン Gary Zimmerman OT 1993–1997 2008
44 フロイド・リトル Floyd Little RB 1967–1975 2010
19 ジェリー・ライス Jerry Rice WR 2005 2010
84 シャノン・シャープ Shannon Sharpe TE 1990–1999, 2002–2003 2011
30 テレル・デービス Terrell Davis RB 1995–2001 2017
20 ブライアン・ドーキンズ Brian Dawkins SS 2009–2011 2018
24 チャンプ・ベイリー Champ Bailey CB 2004–2013 2019
26 タイ・ロー Ty Law CB 2009 2019
27 スティーブ・アトウォーター Steve Atwater SS 1989–1998 2020
47 ジョン・リンチ John Lynch SS 2004–2007 2021
18 ペイトン・マニング Peyton Manning QB 2011–2015 2021
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
パット・ボーレン Pat Bowlen オーナー/CEO 1984–2019 2019

リング・オブ・フェイム

スーパーボウルMVP

50周年記念チーム(2009)

歴代ヘッドコーチ

脚注

注釈

  1. ^ 第29回スーパーボウルスティーブ・ヤングが6TDパスを投げて記録を更新している。

出典

  1. ^ http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2008年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月26日閲覧。
  3. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月1日閲覧。
  4. ^ http://www.profootballhof.com/history/nicknames.jsp
  5. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196009090nwe.htm
  6. ^ Kansas City Chiefs - Dressing up the old AFL
  7. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/
  8. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1965.htm
  9. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196609030oti.htm
  10. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1966.htm
  11. ^ Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
  12. ^ a b Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
  13. ^ http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html
  14. ^ Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  15. ^ Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
  16. ^ 1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  17. ^ Dan Van Wie (2011年11月18日). “The Biggest Comeback in the History of Each NFL Franchise”. bleacherreport.com. 2013年5月22日閲覧。
  18. ^ a b Weston Gentry (2012年1月14日). “Former Denver Broncos owner Edgar Kaiser Jr. dies at 69”. デンバー・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ John Elway Timeline”. Sportingnews.com. 2008年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月12日閲覧。
  20. ^ Denver Broncos”. Football.com. 2008年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月12日閲覧。
  21. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ NFL JAPAN
  22. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Ambush At Mile High”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  23. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第5位:第32回スーパーボウル NFL JAPAN
  24. ^ a b c プラマーが現役引退を発表”. AFP (2007年3月4日). 2012年1月26日閲覧。
  25. ^ ブロンコスのダレント・ウィリアムズが射殺される”. AFP国際ニュース (2007年01月01日 23:52). 2009年1月12日閲覧。
  26. ^ チャージャース、ブロンコス圧倒して大逆転の地区3連覇!”. NFL JAPAN (2008年12月29日). 2011年4月10日閲覧。
  27. ^ マクダニエルスHC、「カトラーはブロンコスのQB」と残留に前向き発言”. NFL JAPAN (2009年3月24日). 2011年4月10日閲覧。
  28. ^ きっかけは新任HC、QBカトラーがベアーズへ移籍”. NFL JAPAN (2011年4月2日). 2011年4月10日閲覧。
  29. ^ 【第17週】チーフスが大勝、同地区ブロンコスに引導渡す”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年4月10日閲覧。
  30. ^ a b 低迷ブロンコス、マクダニエルスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年12月7日). 2011年4月10日閲覧。
  31. ^ 近藤祐司 (2012年1月13日). “ティーボウの活躍を切に願うのはペイトリオッツの新コーチ?【前編】”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  32. ^ ブロンコス、暫定HCにRBコーチのスタデスビル氏が就任”. NFL JAPAN (2010年12月8日). 2011年4月10日閲覧。
  33. ^ ブロンコス、前パンサーズ指揮官のフォックスが新HC就任”. NFL JAPAN (2011年1月14日). 2011年4月10日閲覧。
  34. ^ ブロンコスのフォックス新HCが就任会見”. NFL JAPAN (2011年1月15日). 2011年4月10日閲覧。
  35. ^ 近藤祐司 (2012年1月6日). ““マジック”はどこまで続く? いよいよプレイオフ開幕へ!【前編】”. 2012年1月21日閲覧。
  36. ^ 【第17週プレビュー】ブロンコス地区優勝に因縁のオートンが立ちはだかる”. NFL JAPAN (2011年12月29日). 2012年1月21日閲覧。
  37. ^ ブロンコス敗戦も、05年以来の地区優勝でプレイオフ進出”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  38. ^ ティーボウ大活躍、ブロンコスがOTの死闘を制す”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  39. ^ QBティーボウ、「何が起こるか分からない」と希望捨てず”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  40. ^ New Orleans Saints at Denver Broncos REG12 Game Center”. NFL.com. November 30, 2020閲覧。
  41. ^ DiLalla, Aric (January 4, 2021). “John Elway announces changes to Broncos football operations”. NFL Enterprises, LLC. https://www.denverbroncos.com/news/john-elway-announces-changes-to-broncos-football-operations January 4, 2021閲覧。 
  42. ^ Broncos land QB Russell Wilson from Seahawks in blockbuster trade”. USA Today. 2022年3月9日閲覧。
  43. ^ 今季4勝11敗のブロンコスがナサニエル・ハケットHCを解雇”. NFL Japan. 2022年12月27日閲覧。
  44. ^ Broncos agree to deal with Saints to hire Sean Payton as head coach”. NFL.com. 2023年2月1日閲覧。
  45. ^ Russell Wilson reveals Broncos approached him about contract during bye week”. 2023年12月30日閲覧。
  46. ^ 日本人初のデンバーブロンコス(NFL)チアリーダー 堀池薫子さんオーディション突破 (在デンバー日本総領事館)
  47. ^ NFLチアリーダーとして夢の世界ではばたきます 西村樹里”. 2013年1月14日閲覧。
  48. ^ NFLJAPAN「マニングが背番号18継続へ、永久欠番もOBが快諾」

外部リンク