ピッツバーグ・スティーラーズ (英語 : Pittsburgh Steelers 、略称: PIT )はNFL に加盟し、アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ピッツバーグ に本拠地をおくNFL チーム。AFC北地区 に所属している。
1970年にNFLとAFL が統合した際AFC に組み入れられた旧NFLの3チーム(他の2チームはクリーブランド・ブラウンズ 、ボルチモア・コルツ )のうちの1つである。愛称の由来はピッツバーグはかつて鉄鋼業 が盛んだった事から“鉄の男達”から。スーパーボウル 制覇6回は、全NFLチーム中最多(2018年シーズンにニューイングランド・ペイトリオッツ が制覇し、最多記録に並んだ)であり、2度の連覇を達成した唯一のチームである。
QB テリー・ブラッドショー 、RB フランコ・ハリス 、WR リン・スワン の攻撃陣(1975年の公式戦では、ハリスとロッキー・ブライアー の2人が1000ヤード・ランを記録)に加え、DT ミーン・ジョー・グリーン 、MLB ジャック・ランバート 、OLB ジャック・ハム 、DB メル・ブラント 等による強力なディフェンス陣は「スティールカーテン 」と呼ばれ相手チームに恐れられた[ 1] 。
歴史
チーム創設から1968年まで
NFLに現存するチームでは7番目に古い歴史を持っている(アリゾナ・カージナルス 、グリーンベイ・パッカーズ 、シカゴ・ベアーズ 、ニューヨーク・ジャイアンツ 、デトロイト・ライオンズ 、ワシントン・レッドスキンズ )。チームは1933年7月8日、フィラデルフィア・イーグルスと同時に、アート・ルーニー によって設立された。設立当初はMLB のピッツバーグ・パイレーツ と同一名でNFLのイースタン・ディビジョンに所属した。1940年にチームはスティーラーズと改称した。1942年にチームは7勝4敗と初めて勝ち越し、ルーキーのビル・ダドリー はリーディングラッシャーとなった。翌1943年にダドリーや他の多くの選手が第二次世界大戦 に従軍したため1943年にはフィラデルフィア・イーグルス と1944年にはシカゴ・カージナルスと共同チームを形成した。1946年にジャック・サザーランド がヘッドコーチとなり復帰したダドリーがラッシング、インターセプト 、パントリターンでリーグトップの成績を残しMVP に選ばれる活躍を見せた。1947年には8勝4敗でディビジョンタイトルを獲得しプレーオフに初出場したがフィラデルフィア・イーグルスに0-21で敗れた[ 2] 。
サザーランドの次にヘッドコーチとなったジョン・ミケロセン は1948年から1951年の4シーズンで20勝26敗2分の成績に終わり、1952年にはジョー・バック (1935年から1936年にもヘッドコーチ)がヘッドコーチに復帰した。1954年にバックが健康上の理由で辞任し後任にはアシスタントコーチのウォルト・キースリング (1939年から1944年にもヘッドコーチ)が就任した[ 2] 。
1957年から1964年までの8シーズンはバディ・パーカー がヘッドコーチを務めた。この間の負け越しは3シーズンだけで1962年には9勝5敗でプレーオフに出場したがデトロイト・ライオンズ に10-17で敗れた。
チャック・ノールの時代
1969年1月27日にチャック・ノール が37歳でヘッドコーチに就任すると、ドラフトで後にプロフットボール殿堂 入りする選手を多く獲得した。彼が1969年にドラフト で最初に指名したのはDTのミーン・ジョー・グリーン だった。1969年 は1勝13敗に終わったがそれによって1970年 のドラフト全体1位指名権を得たチームはテリー・ブラッドショー を指名した。その年の3巡ではCBのメル・ブラント 、1971年 にはジャック・ハム 、1972年にはRBのフランコ・ハリス を獲得した[ 2] 。
1970年にはチームにとって大きな出来事が2つあった。1つはAFLとの統合によって、AFC中地区 に所属することになったこと、もう1つは本拠地をスリー・リバース・スタジアム に移転したことである。1972年 には11勝3敗で地区優勝を果たし、地元で行われたオークランド・レイダース とのプレーオフでは、試合終了直前にハリスが行った「イマーキュレート・レセプション」と呼ばれる伝説的プレイ(詳細後述)により逆転勝利を収める(最終スコア13-7)。しかしAFC優勝戦ではパーフェクトシーズンを達成したマイアミ・ドルフィンズ に17-21で敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった[ 2] 。
1973年 には10勝4敗でワイルドカード でプレーオフ出場を果たしたがオークランド・レイダースに14-33で敗れた。
1974年 から1979年までチームは6年連続地区優勝を果たした。1974年のプレーオフではバッファロー・ビルズ を32-14、オークランド・レイダースを24-13で破り第9回スーパーボウル に出場した。スティールカーテンと呼ばれたディフェンスがミネソタ・バイキングス の攻撃を完全に封じ16-6でスーパーボウル 初制覇を果たした。1975年 には11連勝を含み12勝2敗でシーズンを終え、プレーオフではボルチモア・コルツ を28-10、オークランド・レイダースを16-10で破り第10回スーパーボウル でダラス・カウボーイズ を21-17で破りスーパーボウル史上、グリーンベイ・パッカーズ 、マイアミ・ドルフィンズに次いで連覇を達成した3チーム目となった。
1976年 は開幕から1勝4敗と苦しんだがその後9連勝して10勝4敗でシーズンを終えた。ボルチモア・コルツを40-14で破ったがフランコ・ハリス、ロッキー・ブライアー が負傷欠場したオークランド・レイダース戦を7-24で落とした。この年のレギュラーシーズン、リン・スワン が脳震盪 を起こしたプレーについてレイダースのジョージ・アトキンソン を訴えた[ 3] [ 4] 。1977年 は9勝5敗で終えプレーオフ1回戦でデンバー・ブロンコス に21-34で敗れた。
1978年 にはNFLトップの14勝2敗でシーズンを終え、デンバー・ブロンコスを33-10、ヒューストン・オイラーズ 戦では9回のターンオーバーを奪い34-5で勝利[ 5] 、第13回スーパーボウル でダラス・カウボーイズを35-31で破りスーパーボウルを3回優勝した最初のチームとなった。1979年 には12勝4敗でシーズンを終え、プレーオフではマイアミ・ドルフィンズに34-14、ヒューストン・オイラーズを27-13で、ロサンゼルス・ラムズ との第14回スーパーボウル では試合終盤まで相手QBヴィンス・フェラガモ の活躍でリードを許したがジョン・ストールワース への2本のTDパスで逆転31-19で勝利、4回目のスーパーボウルを制した。現在のところ、スーパーボウル連覇を2度達成した唯一のチームとなっている[ 2] 。
1980年 は9勝7敗、1981年 は8勝8敗でプレーオフ出場を逃した。ストライキ でシーズンが短縮された1982年 は6勝3敗でプレーオフに出場したがサンディエゴ・チャージャーズ に28-31で敗れた。この試合の後、スリー・リバース・スタジアムでは10シーズンの間、プレーオフから遠ざかることとなった。1983年 は10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではロサンゼルス・レイダース に10-38で敗れた。1984年 も2年連続地区優勝を果たしデンバー・ブロンコスを24-17で破りAFCチャンピオンシップゲーム に進出したがこの年シーズンタッチダウンパス記録を更新したダン・マリーノ のマイアミ・ドルフィンズに28-45で敗れた[ 2] 。
1985年 には7勝9敗と14年ぶりに負け越し、1986年 には6勝10敗に終わった。ストライキで短縮された1987年 は最後の2試合を落とし8勝7敗でプレーオフを逃した。1988年 にはここ19シーズンで最悪の5勝11敗に終わり、1989年 は開幕2試合を0-51、10-41と大差で敗れたが若いチームはここから持ち直し9勝7敗でシーズンを終え、ワイルドカードプレーオフで26-23とヒューストン・オイラーズ を破り、デンバー・ブロンコス とのディビジョナル・プレーオフは23-24とわずか1点差の好ゲームを演じた。1990年 には9勝7敗でAFC中地区3チームが並んだが地区内成績が2勝4敗だったチームはプレーオフ出場を逃した。1991年 を7勝9敗で終えた後、23シーズンに渡ってヘッドコーチを務めたチャック・ノールが辞任を発表し後任にはビル・カウアー が就任することとなった。
ビル・カウアーの時代
熱血漢のビル・カウアーの下でチームは彼が就任してから6年連続でプレーオフに進出した。この記録は過去にはポール・ブラウン がクリーブランド・ブラウンズ 時代に達成しただけであった。カウアーがヘッドコーチを務めた15年間でチームは10回プレーオフに進出、Blitzburgh と呼ばれたブリッツ を多用した守備を武器に第30回スーパーボウル に出場したがダラス・カウボーイズ に敗れた。
2004年 シーズン守備でNFL1位。攻撃はラン中心で組み立てられ、新人QBのベン・ロスリスバーガー は数々の新人記録を打ち立てたがスーパーボウル出場を逃した。RBジェローム・ベティス はこの年で引退を決意していたがロスリスバーガーは自分がスーパーボウルに連れて行くのでもう1年プレーしてほしいとベティスに頼んだ。
2005年 シーズンでは、チームはAFC第6シードながらプレーオフに出場、インディアナポリス・コルツ 戦ではシーズン中ほとんどファンブル したことのないベティスが試合終盤にファンブルし、相手に攻撃権が渡り大ピンチとなったがコルツのミスに助けられるなど勝ち上がり、第6シードのチームとしては初めてスーパーボウルに出場を果たした。第40回スーパーボウル ではシアトル・シーホークス を破り26年ぶりに5度目となるスーパーボウル優勝を果たした。ベティスは故郷デトロイト で行われたこの試合で現役を引退した。
カウアーは2006年 シーズン終了後、翌2007年1月7日に家族との時間を大切にしたいと辞任した。
マイク・トムリンの時代
後任のヘッドコーチはアート・ルーニー2世 、ダン・ルーニー 、GMのトニー・トルバート の3人の話し合いで数人の候補に絞られた[ 6] 。オフェンスコーディネーターのケン・ウィゼンハント [ 注 2] 、オフェンスラインコーチのラス・グリム 、元オフェンスコーディネーターのチャン・ゲイリー 、ミネソタ・バイキングス のディフェンスコーディネーターのマイク・トムリン 、シカゴ・ベアーズ のディフェンスコーディネーターのロン・リベラ である。1月22日にマイク・トムリンが新ヘッドコーチに選ばれたことがチームから発表された。彼はスティーラーズの歴史上初のアフリカ系アメリカ人 ヘッドコーチであった。
2008年 度の第43回スーパーボウル では残り35秒からサントニオ・ホームズ への逆転タッチダウンでアリゾナ・カージナルス を27-23で破り史上最多6度目の優勝を飾った。
スーパーボウル連覇を狙った2009年 はトロイ・ポラマル の負傷などでチームはプレーオフ出場を逃した。この年ロスリスバーガーが脳震盪 を起こした次の試合で欠場したがその際ハインズ・ウォード は不満をもらした。
2010年 、エースQBのロスリスバーガーがNFLの行動規範に反する行いをしたとして、開幕から6試合[ 7] (その後ロジャー・グッデル コミッショナーにより4試合に減らされた。)出場停止になることが決定された。そのため、チームはかつて控えQBを務めたバイロン・レフトウィッチ と契約したが、故障のために欠場することになり、QBはデニス・ディクソン、チャーリー・バッチの2人でロスリスバーガーが復帰するまで開幕から3連勝し[ 8] 、3勝1敗で乗り切った。チームは12勝4敗でAFC第2シードでシーズンを終えた。ディビジョナルプレーオフでは31-24でボルチモア・レイブンズに勝利。AFCチャンピオンシップゲームでは、AFC第6シードながら第1シードのニューイングランド・ペイトリオッツ を破ったニューヨーク・ジェッツ と対戦して24-19で勝利し、第45回スーパーボウル 出場を果たしたがグリーンベイ・パッカーズ に25-31で敗れた[ 9] 。
2011年 、ボルチモア・レイブンズと同じ12勝4敗をあげたが、直接対決で2敗したためワイルドカードでのプレーオフ出場となった[ 10] 。最終週に負傷したRBメンデンホールが欠場[ 11] 、この年チーム最多タックルをあげたライアン・クラーク も鎌状赤血球形質 の症状がかつて高地であるデンバー で悪化したことがあるため欠場した[ 12] デンバー・ブロンコス とのワイルドカードプレーオフで、オーバータイムの末、23-29で敗れた[ 13] 。シーズン終了後、オフェンスコーディネーターのブルース・エリアンス が引退を表明した[ 14] 。
2013年 11月28日のボルチモア・レイブンズ 戦でジャコビー・ジョーンズ のキックオフリターン中にマイク・トムリンヘッドコーチがフィールド上に侵入し、ジョーンズの進路妨害をした疑いにより、10万ドルの罰金処分を受けた[ 15] 。
2014年 から三年連続してプレーオフ出場を果たし、うち2014年と2016年 は地区優勝を果たしたが、いずれもスーパーボウル出場はならなかった。2017年 もまた地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でジャクソンビル・ジャガーズ に敗れた。
2018年 は最初の10試合を7勝2敗1分と好調に消化したものの、続く6試合で2勝4敗に終わりプレーオフ出場を逃した。2019年 9月、第2週の試合でロスリスバーガーは右肘を痛め、手術の結果シーズン絶望となった。2年連続してプレーオフを逃した。
2020年 は開幕から11連勝を果たし、最後の5試合は1勝4敗と失速したものの3年ぶりの地区優勝となった。プレーオフでは初戦でクリーブランド・ブラウンズ に敗れた。
2021年 1月21日、前ワシントン・フットボールチーム のQBドウェイン・ハスキンズ と契約した。ロスリスバーガーがシーズン後の引退を示唆する中、チームは地区二位でシーズンを終え、プレーオフに進出するも初戦でカンザスシティ・チーフス に敗れた。シーズン終了後、ロスリスバーガーが引退を発表した。さらにGMのケビン・コルバートが2022年のNFLドラフト 後に退任することが発表された。後任にはコルバートの部下であったオマール・カーンが就任した。
2022年 4月9日、QBのドウェイン・ハスキンズ が交通事故で死亡した[ 16] 。この年のドラフト 1巡目でQBケニー・ピケット を指名した。シーズン序盤はミッチェル・トゥルビスキー を先発QBとするも、5戦目以降はピケットを先発とした。最終戦までプレーオフの望みを残したが、地区3位でシーズンを終えプレーオフ進出はならなかった。
2023年 、20シーズン連続で勝率を5割以上とした。最終週にワイルドカードでのプレーオフ進出を決めた。プレーオフ初戦でバッファロー・ビルズ に敗れた。
2024年 、ラッセル・ウィルソン と1年契約を結び、ピケットをフィラデルフィア・イーグルズ にトレードした[ 17] [ 18] 。
イマーキュレート・レセプション(Immaculate Reception)
1972年12月23日のAFCプレーオフ、対レイダース戦。スティーラーズは残り22秒時点で6対7でリードを許している状況。自陣40ヤードからの攻撃、残り10ヤード、既に4thダウンという瀬戸際に追い込まれていた。
ボールを受けたQBのテリー・ブラッドショーは、自陣29ヤード地点から、敵陣35ヤード地点にいたHBのジョン・フッカにパス。しかしフッカはレイダースのセーフティであるジャック・テイタム と接触してパスを取りそこね、ボールはテイタムの体に触れてスティーラーズ陣側に跳ね返った。そのボールを、フランコ・ハリスが地面まであとわずかの地点でキャッチ、相手陣に向けて疾走する。パス不成功が成立したと思って一瞬動きを止めていたレイダース選手は追いつくことができず、ハリスはそのままタッチダウンを奪った。
試合はその後、スティーラーズがTFPも決め終了。13対7により、スティーラーズがAFC優勝戦へ駒を進めた。
このプレイはのちに、無原罪の御宿り (Immaculate Conception=清浄なる受胎)に引っ掛け、「イマーキュレート・レセプション」(Immaculate Reception=清浄なるパスキャッチ)と呼ばれるようになった。絶体絶命の場面からの大逆転を実現したこのプレイは、チーム史上のみならず、NFLの歴史においても屈指の奇跡的プレイとして現在でも語り継がれている。
文化
スティールカーテン
1970年代のスティーラーズの強力なディフェンス陣はスティールカーテン (Steel Curtain)と呼ばれている。スティーラーズは1970年代に第9回 (1974 )、第10回 (1975 )、第13回 (1978 )、第14回 (1979 )と4回ものスーパーボウル 制覇を経験し、特に強力なディフェンスで敵を圧倒していたことから名付けられた。メンバーはドワイト・ホワイト 、アーニー・ホームズ 、ミーン・ジョー・グリーン 、L・C・グリーンウッド の4人を指す場合が多い。
ファン
第43回スーパーボウル 優勝パレードに押し寄せるスティーラーズのファン(2009年)
スティーラーズのファンは、スティーラー・ネーション (Steeler Nation)と呼ばれ、ピッツバーグのみならず全米中に居住していると言われている。また、ピッツバーグやその他の地域のスティーラーズファンが集まる地域は、たびたびスティール・カウントリー (Steel Country)と呼ばれている。
スティーラーズが人気になった理由として、工業都市ピッツバーグの特異性が挙げられる。1970年代に4度のスーパーボウル 制覇を経験し、市民は大いに盛り上がったものの、この頃からピッツバーグの鉄鋼業はすでに下火となっていた。そのため、市民にとって唯一の希望の存在がスティーラーズであった。また、1980年代のいくつかの製鉄所の閉鎖で、ピッツバーグから転居する住民は相次いだ。しかし、ピッツバーグを離れた市民であったが、転居先でも引き続き故郷へのアイデンティティを強く持っており、それが今日までスティーラーズファンが全米中に所在している状況になっている。
近年では、スティーラーズのファンがアウェイのスタジアムにも多く押しかけることから、チームによってはスティーラーズファンに対して、入場制限を掛けている場合もある[ 19] 。
テリブルタオル
テリブルタオルを振って応援するファン
スティーラーズファンによる応援はNFLでもとりわけ熱狂的であり、特にテリブルタオル (Terrible Towel)というゴールドのタオルを振り回すことで知られている[ 20] 。このテリブルタオルは、地元ラジオ局「WTAE」のスティーラーズ専門アナウンサー、マイロン・コープ(Myron Cope、2005年に引退)の発案で広まった。1975年 プレーオフのボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ )戦で初めて行われ、以降スティーラーズの象徴的な応援となっている。また、応援グッズに留まらず、ファンの日常生活でも用いられており、今日ではピッツバーグ市民の日用品として定着している。
テリブルタオルの販売による収入は、発達障害 と身体障害 を持つ人々をケアするアレゲニー・バレー・スクール へ寄付され、2007年時点で600万ドル以上を集めている。近年、さまざまなスポーツの応援でたびたび用いられているタオル回しは、このスティーラーズのテリブルタオルが元祖であると言われている。
マスコット
マスコットのスティーリー・マクビーム
2007年 シーズン前、チームは公式マスコットとしてスティーリー・マクビーム (Steely McBeam)を発表した。チームの75周年記念として発表されたスティーリーは、ファンからの7万を超える応募から命名された。
ライバル
同地区のライバル、クリーブランド・ブラウンズ、ボルチモア・レイブンズ、シンシナティ・ベンガルズに加えてこれまでポストシーズンの対戦を繰り返しているニューイングランド・ペイトリオッツ、オークランド・レイダース、テネシー・タイタンズ、ダラス・カウボーイズなどが挙げられる。また現在のスケジュールでは4シーズンに1回しか対戦しないがフィラデルフィア・イーグルス とはプレシーズンゲームで毎年のように対戦している。
クリーブランド・ブラウンズ
1950年からの対戦成績は最初の40試合の勝敗では9勝31敗であったが2008年終了時点での対戦成績は57勝55敗とスティーラーズがリードしている。1999年にブラウンズが再結成された後の対戦成績では17勝3敗と圧倒しており現在10連勝中である。また1970年から1985年までの16年間はスティーラーズの全勝でスリー・リバース・スタジアム での対戦はスティーラーズの24勝5敗となっている。ビル・カウアーはスティーラーズのヘッドコーチに就任する前、ブラウンズでスペシャルチームコーチ、ディフェンスバックコーチを務めている。
ボルチモア・レイブンズ
1996年からの対戦成績は16勝10敗でスティーラーズがリードしている。両チームとも強力なディフェンスで知られている。2001年、アクリシュア・スタジアム を本拠地にしてから初のホームでの敗戦がレイブンズ相手の試合であった。このシーズンプレーオフで対戦し、前年のスーパーボウル チャンピオンのレイブンズを27-10で破った。2008年のAFCチャンピオンシップゲーム でも対戦しスティーラーズが勝利している。
シンシナティ・ベンガルズ
NFLとAFL が統合された1970年からの対戦成績は47勝30敗でスティーラーズがリードしている。2005年のワイルドカード プレーオフではAFC第6シードのスティーラーズが31-17でベンガルズを破り、ベンガルズQBのカーソン・パーマー はKimo von Oelhoffenのヒットを受けて膝を負傷し退場した。ベンガルズの選手たちは汚いプレーだと非難したがNFLのルールでは正当なルールであり事故と判断されている。2005年、2006年はお互い11勝5敗、8勝8敗で終わり対戦成績も1勝1敗であったがディビジョン内の対戦成績でベンガルズが上位となった。
ニューイングランド・ペイトリオッツ
1996年、1997年のプレーオフで両者は対戦している。ペイトリオッツにはタイ・ロー 、カーティス・マーティン とピッツバーグ近郊出身の2人の選手が在籍していた。2001年の当時のハインツ・フィールドで行われたAFCチャンピオンシップゲームで番狂わせ で敗れた。2004年の第6週で対戦しペイトリオッツの連勝を21で止めたがAFCチャンピオンシップゲームでチームは敗れた。1998年から2007年までの10年間で7回対戦したがその内6回チームは敗れた。2008年フォックスボロ・スタジアム で行われた試合で相手QBのマット・キャセル から5回のターンオーバー を奪って33-10で勝った。通算成績はスティーラーズが14勝10敗とリードしている。
オークランド・レイダース
1970年代からのライバル関係にある。プレーオフでの初対戦となった1972年12月23日の試合ではフランコ・ハリス のイマーキュレート・レセプション で13-7と勝利した。翌1973年のプレーオフでは敗れたが1974年、1975年のAFCチャンピオンシップゲームではいずれもレイダースを降した。1976年のチャンピオンシップゲームでも両者は対戦したがこの試合でリン・スワン がジョージ・アトキンソン の激しい当たりで負傷退場し試合はレイダースの勝利に終わった。チャック・ノール ヘッドコーチがこれを厳しく批判したことに対してレイダースとアトキンソンはノールに対して名誉毀損 で訴訟 を行ったが敗れている。近年はレイダースが低迷しているためプレーオフでの対戦はない。通算成績は11勝12敗でレイダースにリードされている。
ダラス・カウボーイズ
1960年にカウボーイズが創設された際、コットン・ボウル で最初に対戦したのがスティーラーズであった。この試合は35-28でスティーラーズが勝利した。両チームはスーパーボウルで3回対戦しており、最初の2回の対戦(第10回スーパーボウル、第13回スーパーボウル)ではスティーラーズが勝利した。第13回スーパーボウルに出場した選手、コーチの合計20人がプロフットボール殿堂 入りを果たしておりこれはこれまでのスーパーボウル最多の人数となっている。1977年にカウボーイズは第12回スーパーボウル を制覇したが11月にスリー・リバース・スタジアム での対戦ではスティーラーズが28-13で勝利した。ロジャー・ストーバック 現役最後のシーズンとなった1979年にも両チームはスリー・リバース・スタジアムで対戦し14-3でスティーラーズが勝利した。1970年代、1980年代合計8回の対戦中6回はスティーラーズが勝利したが1990年代には第30回スーパーボウル [ 注 3] での27-17の勝利を含めて4試合ともカウボーイズが勝利した。通算成績は15勝15敗のタイ。
2024年シーズン
2024年シーズンのスティーラーズの対戦相手
AFC
NFC
前年
西地区
南地区
北地区
東地区
西地区
南地区
北地区
東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
年
成績
AFC
地区
勝
敗
分
率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
2024
3位
1位
3
1
0
.750
0-0
2-1
75
53
18.8
13.3
.500
.500
2023
ワイルドカード敗退
7位
3位
10
7
0
.588
5–1
7–5
304
324
17.9
19.1
.540
.571
2022
レギュラー敗退
8位
3位
9
8
0
.529
3-3
5-7
308
346
18.1
20.4
.519
.451
2021
ワイルドカード敗退
7位
2位
9
7
1
.559
4-2
7-5
343
398
20.2
23.4
.521
.490
2020
ワイルドカード敗退
2位
1位
12
4
0
.750
4-2
9-3
416
312
26.0
19.5
.475
.448
2019
レギュラー敗退
7位
2位
8
8
0
.500
3-3
6-6
289
303
18.1
18.9
.502
.324
2018
レギュラー敗退
7位
2位
9
6
1
.594
4-1-1
6-5-1
428
360
26.8
22.5
.504
.448
2017
ディビジョナル敗退
2位
1位
13
3
0
.813
6-0
10-2
406
308
25.4
19.3
.453
.423
2016
カンファレンス敗退
3位
1位
11
5
0
.688
5-1
9-3
399
327
24.9
20.4
.494
.423
2015
ディビジョナル敗退
6位
2位
10
6
0
.625
3-3
7-5
423
319
26.4
19.9
.504
.463
2014
ワイルドカード敗退
3位
1位
11
5
0
.688
4-2
9-3
436
368
27.3
23.0
.451
.372
2013
レギュラー敗退
7位
2位
8
8
0
.500
4-2
6-6
379
370
23.7
23.1
.469
.441
2012
レギュラー敗退
7位
3位
8
8
0
.500
3-3
5-7
336
314
21.0
19.6
.465
.438
2011
ワイルドカード敗退
5位
2位
12
4
0
.750
4-2
9-3
325
227
20.3
14.2
.492
.411
2010
スーパーボウル敗戦
2位
1位
12
4
0
.750
5-1
9-3
375
232
23.4
14.5
.500
.417
2009
レギュラー敗退
8位
3位
9
7
0
.563
2-4
6-6
368
324
23.0
20.3
.488
.521
()内はシード順
2024年シーズン成績
AFC北地区 2024
チーム
勝
敗
分
勝率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
得失差
SOS
SOV
残試合
ピッツバーグ・スティーラーズ
3
1
0
.750
0-0
2-1
75
53
18.8
13.3
5.5
.500
.500
13
ボルチモア・レイブンズ
2
2
0
.500
0-0
1-2
106
88
26.5
22.0
4.5
.688
.625
13
クリーブランド・ブラウンズ
1
3
0
.250
0-0
1-1
66
87
16.5
21.8
-5.3
.313
.000
13
シンシナティ・ベンガルズ
1
3
0
.250
0-0
0-2
102
104
25.5
26.0
-0.5
.563
.250
13
ワイルドカード・プレーオフ
ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
1月26日
2月9日シーザーズ・スーパードーム
6
3
2025年1月11日か12日か13日
7
AFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
AFCチャンピオンシップ
1月26日
5
4
1
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
6
第59回スーパーボウル
3
2025年1月11日か12日か13日
7
NFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
NFCチャンピオンシップ
5
4
1
対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
チーム名の左の数字はシード順。
* は延長戦 決着
日付はアメリカ東部時間
成績
AFC北地区(2002年-現在)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2023
BAL(1c)
13
4
0
CLE(5w)
11
6
0
PIT(7w)
10
7
0
CIN
9
8
0
2022
CIN(3c)
12
4
0
BAL(6w)
10
7
0
PIT
9
8
0
CLE
7
10
0
2021
CIN(4s)
10
7
0
PIT(7w)
9
7
1
CLE
8
9
0
BAL
8
9
0
2020
PIT(3w)
12
4
0
BAL(5d)
11
5
0
CLE(6d)
11
5
0
CIN
4
11
1
2019
BAL(1d)
14
2
0
PIT
8
8
0
CLE
6
10
0
CIN
2
14
0
2018
BAL(4w)
10
6
0
PIT
9
6
1
CLE
7
8
1
CIN
6
10
0
2017
PIT(2d)
13
3
0
BAL
9
7
0
CIN
7
9
0
CLE
0
16
0
2016
PIT(3c)
11
5
0
BAL
8
8
0
CIN
6
9
1
CLE
1
15
0
2015
CIN(3w)
12
4
0
PIT(6d)
10
6
0
BAL
5
11
0
CLE
3
13
0
2014
PIT(3w)
11
5
0
CIN(5w)
10
5
1
BAL(6d)
10
6
0
CLE
7
9
0
2013
CIN(3w)
11
5
0
PIT
8
8
0
BAL
8
8
0
CLE
4
12
0
2012
BAL(4v)
10
6
0
CIN(6w)
10
6
0
PIT
8
8
0
CLE
5
11
0
2011
BAL(2c)
12
4
0
PIT(5w)
12
4
0
CIN(6w)
9
7
0
CLE
4
12
0
2010
PIT(2s)
12
4
0
BAL(5d)
12
4
0
CLE
5
11
0
CIN
4
12
0
2009
CIN(4w)
10
6
0
BAL(6d)
9
7
0
PIT
9
7
0
CLE
5
11
0
2008
PIT(2v)
12
4
0
BAL(6c)
11
5
0
CIN
4
11
1
CLE
4
12
0
2007
PIT(4w)
10
6
0
CLE
10
6
0
CIN
7
9
0
BAL
5
11
0
2006
BAL(2d)
13
3
0
CIN
8
8
0
PIT
8
8
0
CLE
4
12
0
2005
CIN(3w)
11
5
0
PIT(6v)
11
5
0
BAL
6
10
0
CLE
6
10
0
2004
PIT(1c)
15
1
0
BAL
9
7
0
CIN
8
8
0
CLE
4
12
0
2003
BAL(4w)
10
6
0
CIN
8
8
0
PIT
6
10
0
CLE
5
11
0
2002
PIT(3d)
10
5
1
CLE(6w)
9
7
0
BAL
7
9
0
CIN
2
14
0
AFC中地区(1970年-2001年)
年度
地区優勝
2位
3位
4位
5位
6位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2001
PIT(1c)
13
3
0
BAL(5d)
10
6
0
CLE
7
9
0
TEN
7
9
0
JAX
6
10
0
CIN
6
10
0
2000
TEN(1d)
13
3
0
BAL(4v)
12
4
0
PIT
9
7
0
JAX
7
9
0
CIN
4
12
0
CLE
3
13
0
1999
JAX(1c)
14
2
0
TEN(4s)
13
3
0
BAL
8
8
0
PIT
6
10
0
CIN
4
12
0
CLE
2
14
0
1998
JAX(3d)
11
5
0
TEN
8
8
0
PIT
7
9
0
BAL
6
10
0
CIN
3
13
0
1997
PIT(2c)
11
5
0
JAX(5w)
11
5
0
TEN
8
8
0
CIN
7
9
0
BAL
6
9
1
1996
PIT(3d)
10
6
0
JAX(5c)
9
7
0
CIN
8
8
0
HOU
8
8
0
BAL
4
12
0
1995
PIT(2s)
11
5
0
CIN
7
9
0
HOU
7
9
0
CLE
5
11
0
JAX
4
12
0
1994
PIT(1c)
12
4
0
CLE(4d)
11
5
0
CIN
3
13
0
HOU
2
14
0
1993
HOU(2d)
12
4
0
PIT(6w)
9
7
0
CLE
7
9
0
CIN
3
13
0
1992
PIT(1d)
11
5
0
HOU(5w)
10
6
0
CLE
7
9
0
CIN
5
11
0
1991
HOU(3d)
11
5
0
PIT
7
9
0
CLE
6
10
0
CIN
3
13
0
1990
CIN(3d)
9
7
0
HOU(6w)
9
7
0
PIT
9
7
0
CLE
3
13
0
1989
CLE(2c)
9
6
1
HOU(4w)
9
7
0
PIT(5d)
9
7
0
CIN
8
8
0
1988
CIN(1s)
12
4
0
CLE(4w)
10
6
0
HOU(5d)
10
6
0
PIT
5
11
0
1987
CLE(2c)
10
5
0
HOU(4d)
9
6
0
PIT
8
7
0
CIN
4
11
0
1986
CLE(1c)
12
4
0
CIN
10
6
0
PIT
6
10
0
HOU
5
11
0
1985
CLE(3d)
8
8
0
CIN
7
9
0
PIT
7
9
0
HOU
5
11
0
1984
PIT(3c)
9
7
0
CIN
8
8
0
CLE
5
11
0
HOU
3
13
0
1983
PIT(3d)
10
6
0
CLE
9
7
0
CIN
7
9
0
HOU
2
14
0
1982
CIN(3w)
7
2
0
PIT(4w)
6
3
0
CLE(8w)
4
5
0
HOU
1
8
0
1981
CIN(1s)
12
4
0
PIT
8
8
0
HOU
7
9
0
CLE
5
11
0
1980
CLE(2d)
11
5
0
HOU(5w)
11
5
0
PIT
9
7
0
CIN
6
10
0
1979
PIT(2v)
12
4
0
HOU(4c)
11
5
0
CLE
9
7
0
CIN
4
12
0
1978
PIT(1v)
14
2
0
HOU(5c)
10
6
0
CLE
8
8
0
CIN
4
12
0
1977
PIT(3d)
9
5
0
CIN
8
6
0
HOU
8
6
0
CLE
6
8
0
1976
PIT(3c)
10
4
0
CIN
10
4
0
CLE
9
5
0
HOU
5
9
0
1975
PIT(1v)
12
2
0
CIN(4d)
11
3
0
HOU
10
4
0
CLE
3
11
0
1974
PIT(v)
10
3
1
HOU
7
7
0
CIN
7
7
0
CLE
4
10
0
1973
CIN(d)
10
4
0
PIT(d)
10
4
0
CLE
7
5
2
HOU
1
13
0
1972
PIT(c)
11
3
0
CLE(d)
10
4
0
CIN
8
6
0
HOU
1
13
0
1971
CLE(d)
9
5
0
PIT
6
8
0
HOU
4
9
1
CIN
4
10
0
1970
CIN(d)
8
6
0
CLE
7
7
0
PIT
5
9
0
HOU
3
10
1
NFL東カンファレンス・センチュリー地区(1967年-1969年)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1969
CLE(n)
10
3
1
NY
6
8
0
StL
4
9
1
PIT
1
13
0
1968
CLE(n)
10
4
0
StL
9
4
1
NO
4
9
1
PIT
2
11
1
1967
CLE(c)
9
5
0
NY
7
7
0
StL
6
7
1
PIT
4
9
1
NFL東カンファレンス(1953年-1966年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1966
DAL(n)
10
3
1
CLE
9
5
0
PHI
9
5
0
StL
8
5
1
WAS
7
7
0
PIT
5
8
1
ATL
3
11
0
NY
1
12
1
スーパーボウル開始
1965
CLE(n)
11
3
0
DAL
7
7
0
NY
7
7
0
WAS
6
8
0
PHI
5
9
0
StL
5
9
0
PIT
2
12
0
1964
CLE(v)
11
3
0
StL
9
3
2
PHI
6
8
0
WAS
6
8
0
DAL
5
8
1
PIT
5
9
0
NY
2
10
2
1963
NY(n)
11
3
0
CLE
10
4
0
StL
9
5
0
PIT
7
4
3
DAL
4
10
0
WAS
3
11
0
PHI
2
10
2
1962
NY(n)
12
2
0
PIT
9
5
0
CLE
7
6
1
WAS
5
7
2
DAL
5
8
1
StL
4
9
1
PHI
3
10
1
1961
NY(n)
10
3
1
PHI
10
4
0
CLE
8
5
1
StL
7
7
0
PIT
6
8
0
DAL
4
9
1
WAS
1
12
1
1960
PHI(v)
10
2
0
CLE
8
3
1
NY
6
4
2
StL
6
5
1
PIT
5
6
1
WAS
1
9
2
1959
NY(n)
10
2
0
CLE
7
5
0
PHI
7
5
0
PIT
5
6
1
WAS
1
9
2
CHC
2
10
0
1958
NY(n)
9
3
0
CLE
9
3
0
PIT
7
4
1
WAS
4
7
1
CHC
2
9
1
PHI
2
9
1
1957
CLE(n)
9
2
1
NY
7
5
0
PIT
6
6
0
WAS
5
6
1
PHI
4
8
0
CHC
3
9
0
1956
NY(v)
8
3
1
CHC
7
5
0
WAS
6
6
0
CLE
5
7
0
PIT
5
7
0
PHI
3
8
1
1955
CLE(v)
9
2
1
WAS
8
4
0
NY
6
5
1
CHC
4
7
1
PHI
4
7
1
PIT
4
8
0
1954
CLE(v)
9
3
0
PHI
7
4
1
NY
7
5
0
PIT
5
7
0
WAS
3
9
0
CHC
2
10
0
1953
CLE(n)
11
1
0
PHI
7
4
1
WAS
6
5
1
PIT
6
6
0
NY
3
9
0
CHC
1
10
1
NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1952
CLE(n)
8
4
0
NY
7
5
0
PHI
7
5
0
PIT
5
7
0
CHC
4
8
0
WAS
4
8
0
1951
CLE(n)
11
1
0
NYG
9
2
1
WAS
5
7
0
PIT
4
7
1
PHI
4
8
0
CHC
3
9
0
1950
CLE(v)
10
2
x
NYG
10
2
x
PHI
6
6
x
PIT
6
6
x
CHC
5
7
x
WAS
3
9
x
NFL東地区(1945年-1949年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1949
PHI(v)
11
1
0
PIT
6
5
1
NYG
6
6
0
WAS
4
7
1
NYB
1
10
1
1948
PHI(v)
9
2
1
WAS
7
5
0
NY
4
8
0
PIT
4
8
0
BOS
3
9
0
1947
PHI(n)
8
4
0
PIT
8
4
0
BOS
4
7
1
WAS
4
8
0
NY
2
8
2
1946
NY(n)
7
3
1
PHI
6
5
0
WAS
5
5
1
PIT
5
5
1
BOS
2
8
1
1945
WAS(n)
8
2
0
PHI
7
3
0
NY
3
6
1
BOS
3
6
1
PIT
2
8
0
NFL西地区(合同チーム、1944年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1944
GB(v)
8
2
0
CHI
6
3
1
DET
6
3
1
CLE
4
6
0
Card-Pitt
0
10
0
NFL東地区(合同チーム、1943年)
年
優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1943
WAS(n)
6
3
1
NY
6
3
1
Phil-Pitt
5
4
1
BK
2
8
0
NFL東地区(1933年-1942年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1942
WAS(v)
10
1
0
PIT
7
4
0
NY
5
5
1
BK
3
8
0
PHI
2
9
0
1941
NY(n)
8
3
0
BK
7
4
0
WAS
6
5
0
PHI
2
8
1
PIT
1
9
1
1940
WAS(n)
9
2
0
NY
8
3
0
BK
6
4
1
PIT
2
7
2
PHI
1
10
0
1939
NY(n)
9
1
1
WAS
8
2
1
BK
4
6
1
PHI
1
9
1
PIT
1
9
1
1938
NY(v)
8
2
1
WAS
6
3
2
BK
4
4
3
PHI
5
6
0
PIT
2
9
0
1937
WAS(v)
8
3
0
NY
6
3
2
PIT
4
7
0
BK
3
7
1
PHI
2
8
1
1936
BOS(n)
7
5
0
PIT
6
6
0
NY
5
6
1
BK
3
8
1
PHI
1
11
0
1935
NY(n)
9
3
0
BK
5
6
1
PIT
4
8
0
BOS
2
8
1
PHI
2
9
0
1934
NY(v)
8
5
0
BOS
6
6
0
BK
4
7
0
PHI
4
7
0
PIT
2
10
0
1933
NY(n)
11
3
0
BK
5
4
1
BOS
5
5
2
PHI
3
5
1
PIT
3
6
2
主な選手
現役選手
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
リザーブリスト
練習生
Roster December 26, 2023現在
アクティブ 53名 インアクティブ 8名 練習生 14名
永久欠番
プロフットボール殿堂入り
ホール・オブ・オナー
スーパーボウルMVP
75周年オールタイムチーム
2007年にファン投票で75周年を記念したオールタイムチームが決められた[ 21] 。
†プロフットボール殿堂 入り選手
イタリック - キャリアをスティーラーズのみで終えた選手
歴代ヘッドコーチ
ビル・カウアー
マイク・トムリン
その他
脚注
注釈
出典
外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (6回) カンファレンス優勝 (8回) 地区優勝 (24回) 所属
1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる