クリフ・エイバーソン
クリフ・エイバーソン(Cliff Aberson, 1921年8月28日 - 1973年6月23日)は、メジャーリーグベースボールの右投右打の外野手。アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴ出身。NFLの選手として、グリーンベイ・パッカーズでプレイした経験がある。第二次世界大戦に従軍し、最終階級は軍曹[1]。 経歴1941年にウィスコンシン州リーグのジェーンズビルでプレー、打率.232、14本塁打の成績を残した。翌年も同チームでプレー、打率.282、22本塁打と成績を伸ばした[2]。 1943年はアメリカ空軍に入隊、ミシシッピ州のキースラー基地に駐屯した。そこでパッカーズのヘッドコーチを務めていたハーム・ローリッグに見いだされ、カーリー・ランボーヘッドコーチに紹介され、1946年春に除隊した。退役前の1945年には第97歩兵師団の第314連隊に所属し、ヨーロッパ戦線に派遣され、1946年3月22日、ウィスコンシン州のキャンプマッコイで除隊した[2]。 1946年は、グリーンベイ・パッカーズでテイルバックとしてプレーした[2][3]。10試合に出場した彼は、ランで48回ボールを運び[2]、パス41回中14回成功、タッチダウン0回、インターセプト5回の成績を残している[4]。 1947年に野球に復帰し、シングルAのデモイン・ブルーインズで打率.279、4本塁打、20打点と活躍した彼は、シカゴ・カブスに昇格した[2]。1年目は47試合の出場で打率.279、4本塁打、20打点とまずまずの数字を残した。 1948年はパシフィックコーストリーグのロサンゼルス・エンゼルスでプレー、34本塁打を放ち、カブスでも12試合に出場した。1949年はメジャーでの出場は4試合であった[2]。1949年5月9日が最後の試合となった。3シーズンでメジャーリーグで出場した試合数は63であった[4]。 1950年はパシフィックコーストリーグのハリウッド・スターズ、サザン・アソシエーションのモバイル・ベアーズ、アメリカン・アソシエーションのセントポール・セインツでプレーした。シーズン終了後、野球でのキャリアを断念し、NFLのシカゴ・カージナルスとの契約を目指したが、果たせなかった[2]。 1954年にマイナーリーグに復帰、ウェスタン・リーグのシングルA、プエブロ・ドジャースで20試合に出場した[2]。 ガンとの長い闘病生活の末、1973年にカリフォルニア州ヴァレーホのカイザー病院で亡くなった。51歳であった[2]。墓地は同州フェアフィールドにある[2]。 詳細情報年度別打撃成績
脚注
関連項目外部リンク
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