風渡野
風渡野(ふっとの)は、埼玉県さいたま市見沼区の町丁および大字。現行行政地名は風渡野一丁目・二丁目および大字風渡野。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は337-0017[2]。本項では、かつて同地域に存在した北足立郡風渡野村(ふっとのむら)についても記す。 地理埼玉県南部、さいたま市見沼区東部(旧大宮市東部)の主に大宮台地上に位置する。北西側から北側にかけて大字小深作に、北西側と東側で大字東門前の飛地に、南東側で大字東宮下に、南東側から南側にかけて大字東門前に、南西側から西側にかけて大字蓮沼に、西側で堀崎町に隣接する。 北西部を東武野田線(東武アーバンパークライン)が南西側から北東側へ貫き、七里駅がある。南東部を埼玉県道2号さいたま春日部線が南西側から北東側へ貫通、同線上の七里駅入口交差点を起点とする埼玉県道322号東門前蓮田線が北西へ延びる。東部を見沼代用水東縁が南流し、直下には活断層の綾瀬川断層が存在する。この見沼代用水周辺の低地は埋め立てられて宅地に造成されている[5]。 見沼代用水東縁よりも西側は市街化区域に指定されており、東縁以東は市街化調整区域に指定されている[6]。なお、風渡野一丁目・二丁目の成立後、大字風渡野は2つに分断された形態となっている。 河川地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の国土交通省地価公示によれば、大字風渡野字往還下西303番10の地点で12万3000円/m2となっている[7]。 小字
歴史
かつては武蔵国足立郡南部領、古くは中世末期頃より存在した風渡野郷に属していたという[8]。 江戸時代初期、当村から、門前村(現・大字東門前)、宮下村(現・東宮下)、新堤村(現・大字新堤)の3村が分村した[8]。村高は、正保年間の『武蔵田園簿』では339石余(田13町6反余、畑35町余)、『元禄郷帳』では分村により減少し161石余、『天保郷帳』では162石余であった[8]。助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、宝暦年間は中山道大宮宿にも代出役していた。化政期の戸数は37軒で、村の規模は東西4町、南北8町であった[8][9]。 地名の由来女性器の古語「ホト」であり[8]、台地に挟まれたこの地域が女性器を連想させるからだといわれる。 沿革
世帯数と人口2023年(令和5年)4月1日時点の世帯数と人口は、以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[16]。
交通鉄道大字風渡野の北西部を東武野田線(東武アーバンパークライン)が通り、七里駅がある。最寄り駅は、全域が七里駅である。 道路地内に国道は通っていない。
路線バス
地域施設
脚注注釈
出典
参考文献
関連文献
関連項目外部リンク |