宮ヶ谷塔
宮ヶ谷塔(みやがやとう)は、埼玉県さいたま市見沼区の町丁および大字。現行行政地名は宮ヶ谷塔一丁目から宮ヶ谷塔四丁目および大字宮ヶ谷塔。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は337-0011[2]。本項では、かつて同地域に存在した北足立郡宮ヶ谷塔村(みやがやとうむら)についても記す。 地理さいたま市見沼区東端部に位置する。町域は主に綾瀬川沿いの低地で、一部が細長い大宮台地上にあり古くからある民家や神社が立地する[5]。綾瀬川沿いに自然堤防(微高地)があり、そこに江戸期からの集落がある[5]。西で小深作・深作(飛地)に・東門前(飛地)に、北で深作・卸町に、南で東宮下に、東で岩槻区岩槻・並木・加倉に隣接する。 概ね綾瀬川の右岸にあたり、中央を深作川と国道16号(東大宮バイパス・岩槻春日部バイパス)が縦貫、南部を埼玉県道2号さいたま春日部線や東武野田線(東武アーバンパークライン)が横断する。 綾瀬川の対岸飛地を除く、概ね埼玉県道2号さいたま春日部線以北が宮ヶ谷塔一丁目 - 四丁目で、残部が大字宮ヶ谷塔である。 河川歴史
地名の由来鎮守であった氷川神社(宮)と、谷戸があったことから「宮ヶ谷戸」と呼ばれ、その表記が変化したもの[7]。 沿革もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する宮ヶ谷塔村であった[6]。『武蔵国田園簿』では宮ケ谷戸村とも記されているが、『元禄郷帳』では宮ヶ谷塔村と記されている。地勢上綾瀬川に近く、水利には恵まれていた反面、大水の被害に度々見舞われていたという[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では350石(田1町9反余、畑15町5反余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では350石余で以降は増減なしであった[6]。助郷は日光御成街道岩槻宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた[6]。化政期の戸数は50軒で、村の規模は東西5町、南北2町余であった[6]。
宮ヶ谷塔村に存在していた小字
世帯数と人口2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[14]。
交通鉄道宮ヶ谷塔一丁目および三丁目を東武野田線(東武アーバンパークライン)が通るが、地内に駅はない。最寄り駅は地点によって異なり、東武野田線(東武アーバンパークライン)の七里駅、または同岩槻駅である。 バス道路施設
※ 宮ヶ谷塔四丁目は、北部の低地はほぼ全域が農地で、南部の台地上に住宅や事業所がある。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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