網走バス
網走バス株式会社(あばしりバス)は、北海道網走市に本社を置き、バス事業などを行う企業である[1]。 1962年(昭和37年)より名古屋鉄道(名鉄)が資本参加し名鉄グループの一員となったが、名鉄保有の株式は2012年(平成24年)4月2日付で網走市に本社を置くエンターテインメント企業の株式会社タカハシへ譲渡され、約半世紀ぶりに地元資本による運営となった[3][4][5]。 概要20233月30日現在、営業キロ程は934.892km、バス車両数は乗合車39台、貸切車31台、計70台を保有する[1]。 設立まで会社の流れとしては、1936年(昭和11年)に網走在住の有志が設立した三共自動車株式会社が前身である[2]。同社は網走市街線を運行したが、1943年(昭和18年)に戦時統合による北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱が発布され、北見乗合自動車株式会社(1946年に北見バスへ商号変更、北海道北見バスの前身)へ統合された後、網走市内路線は休止とされた[2]。 戦後の1949年(昭和24年)6月、網走商業組合など地元団体が、網走商工会議所に対し、バス企業設立を促す提案を行った[2]。そして北見バスに対しても、北見バスより休止路線の復活と、将来の独立を前提とした網走市を中心とする免許委譲および新規路線出願の協力を取り付けた[2]。同年9月に北見バスから網走 - 常呂間の営業権を譲受[2]、11月1日付で北見バス網走営業所として営業開始。網走市内線(甲・乙)、常呂線の3路線を運行開始した[2]。 1951年(昭和26年)に入り、北見バス監査役(網走バス設立発起人代表)および網走営業所従業員によって独立準備が急がれ、その前提として同年4月に北見バス網走支社を設立し、美幌、小清水、斜里方面へ路線を拡大した。 同年10月26日付でに北見バスと網走バス設立発起人代表の間で業務の譲渡・譲受契約が成立[2]。翌1952年(昭和27年)1月25日に網走バス株式会社として設立登記を完了、独立会社として営業を開始した[2]。 設立時の概要
沿革
事業所すべて北海道に所在。 本社・営業所
窓口
路線バス名鉄グループであったことから、三菱製車両を導入している。都市間バスは主にエアロクィーンが用いられ、独立3列シートで後部は4列となる。 一般路線車は1987年(昭和62年)から2002年(平成14年)まで、5年に1度のサイクルで湧網線に新車を導入しており、余剰車は他路線に転用していた。車体色は赤と白のいわゆる「名鉄カラー」だが、色面積や前面デザインが多少異なる。広告ラッピング車両もある。 女満別空港線には、一般路線車やエアロスター自家用マスク車が使われていたが、リムジンバス仕様車の譲渡を受け、知床エアポートライナーとともに専用車とする。 一般路線用・都市間用を合わせた路線バス車両は、2017年(平成29年)3月31日現在で41台保有する[13]。
都市間バスドリーミントオホーツク号
愛称名はドリーム、ミント(北見の名産)、オホーツク海(網走の海)を由来とする。1991年(平成3年)5月30日に夜行便を含む4往復で運行開始。安価も去ることながら1人掛け独立シートの採用や、北見から札幌では特急「オホーツク」との所要時間差があまりないことから平日でも増車する好調な滑り出しを見せ、翌1992年(平成4年)4月25日から7往復(うち、北見始発札幌行1本)に増やされた。当初はJR北海道や航空便を運航する日本エアシステムは乗客転移の影響を受けたが、近年では安価なバス、時間に正確なJR、速い航空便と客層や目的によって棲み分けがなされている[14]。繁忙期臨時便の運行を経て、1999年(平成11年)7月16日より10往復(うち、北見 - 札幌1往復)運行[15]。2023年(令和5年)10月1日より変動運賃制を導入し一部割引乗車券の発売を終了。夜行便を当面運休とし9往復(うち、北見 - 札幌3往復)の運行としたほか、北海道北見バス担当便の一部は管理委託により札幌観光バスが運行する[16]。 途中停留所は「北見バスターミナル」、降車専用は札幌行の「時計台前」・「北2条西3丁目」、網走行の「網走駅前」であったが、1997年(平成9年)4月1日より「美幌」[15](北見バス美幌営業所前)[17]、2004年(平成16年)4月1日より「女満別西通り」[15]、同年10月3日より「菊水元町7条」[15](札幌市白石区。札幌行降車専用)、2009年(平成21年)4月1日より「西7号線」[15](北見市。北見・網走行降車)を新設。美幌停留所は1998年(平成10年)12月1日より美幌駅前ターミナルに移設された[15]。北見・網走行は路線開設以来札幌ターミナル始発で、札幌駅前ターミナルは札幌行の終点として降車のみ扱っていたが、2016年(平成28年)4月1日より昼行便のみ乗車扱いを開始した[18]。2021年(令和3年)12月1日より西7号線で札幌行乗車扱いを開始[19]。2023年(令和5年)2月1日より「留辺蘂」を新設した[20]。 開設当初から国道39号石北峠経由で運行され、高速道路・自動車専用道路は旭川紋別自動車道上川層雲峡IC - 道央自動車道札幌IC間を利用する。旭川紋別自動車道のオホーツク管内側は順次延伸しているが(記事が出た当時は丸瀬布IC)、経路変更は走行距離の面などから2011年時点では計画されていない[21]。 昼行便は上川町の陸万観光センターで休憩時間を設定していたが、陸万観光センター都合により2012年(平成24年)12月1日から変更となり、通年2人乗務便の8往復は道央自動車道の比布大雪PAとなった[22]。1人乗務便の1往復は同日より比布大雪PA(網走行)/陸万観光センター(札幌行)と北見バスターミナルの2箇所となっていたが[22]、2013年(平成25年)度より夏季ダイヤ期間は道北バス層雲峡ターミナル(層雲峡観光ビル)1箇所[23]、冬季ダイヤ期間は2人乗務で他便と同じ所要時間、比布大雪PAで休憩となる[24][25]。 利用客は初年度の約7万9千人から1997年(平成9年)度には約17万3千人に増加。1998年(平成10年)度からの8年間は15万から16万人台で推移していたが、2006年(平成18年)度は約18万8千人と2万人以上増加し、2007年(平成19年)度から3年間は19万人台で推移。2010年(平成22年)度は18万3,483人であった。特に夜行便の需要が増加しており、JR北海道の夜行特急列車が季節運行化された2006年(平成18年)および完全廃止された2008年(平成20年)と増加時期が符合することから、JRから乗客転移があったものと分析されている[21]。 千歳オホーツクエクスプレス
予約購入はインターネット(北都交通の「バスNAVI北海道」および「WILLER TRAVEL」)のみで受け付けるが、48時間前の予約購入締切後に限り電話予約の上で当日乗務員へ支払う取り扱いを開始した。十勝オホーツク自動車道・道東自動車道経由で結ばれ、網走発は南千歳駅が終着となる。 2019年(令和元年)12月20日より通年運行開始。同年7月20日から10月14日までの期間限定運行では、当初は乗客一桁の日も多かったが販促活動等により採算ラインに近付いた。年末年始も運行し、それも含めて通年運行の可否を見極めるとしていたが、一足早く通年運行に踏み切った[26][27][28][29][30]。2023年(令和5年)9月より金曜から日曜までと祝日・祝前日および繁忙期の運行となった[31]。 廃止路線1995年(平成7年)より、くしろバスと共同で釧路線「特急流氷号」を季節運行していたが廃止されている。 一般路線バス運賃・乗車券類バスカードシステムは導入しておらず、定期乗車券・回数乗車券を発売する[32]。 車内での運賃支払い方法として、網走バス運行便ではQRコード決済(d払い、PayPay、au PAY、LINE Pay、Alipay、WeChat Pay)を導入している[33]。 女満別空港線、知床エアポートライナー、常呂線では、WILLER TRAVELの「飛び乗りチケット」を導入する[34]。 一部の停留所では網走観光交通の時刻を併記するが、乗車券類は運行会社発券分のみ使用可。 路線2024年(令和6年)6月1日現在。 常呂線、常呂栄浦線
網走発常呂行の一部はエコーセンターを、常呂発網走行の一部は向陽団地中央を経由する。 常呂線は北見バス網走営業所時の1949年(昭和24年)11月から60年以上に渡って運行される、網走バス現行路線ではもっとも歴史ある路線。二見ケ岡経由や常呂築港経由、1975年(昭和50年)7月から夏期ダイヤのみサロマ湖栄浦まで延長運行を行っていた。湧網線運行開始と同時に1977年(昭和52年)7月に開設された能取漁港経由常呂発着に一本化されていたが、湧網線廃止によりサロマ湖栄浦線を通年開設。2019年(令和元年)10月1日より常呂で系統を分割し、常呂 - サロマ湖栄浦間は1往復のみの運行となった[35]。 湧網線は1987年(昭和62年)3月20日に運行を開始した国鉄湧網線廃止バス代行路線。かつては佐呂間を経由せず国道238号を直行する急行バスの幌岩経由も運行されたが2002年(平成14年)3月をもって廃止され、佐呂間経由に一本化されていた。運行補助金が増額傾向であることから沿線市町などで組織する協議会で協議の結果2010年(平成22年)10月1日付で廃止され、主に網走市 - 北見市常呂町、佐呂間町内(佐呂間町ふれあいバス)、湧別町内(湧別町営バス)に分断されている。湧網線#代替バスも参照。 知床エアポートライナー1996年(平成8年)6月より「オホーツク知床線」「冬の知床ライナー」として季節運行を開始。斜里バスが同区間で「知床エクスプレス」を競合運行していたが、2008年(平成20年)4月28日より共同運行を開始。斜里バス管理のバスターミナルにも乗り入れ通年運行となったが、2010年(平成22年)度冬期より夏期・流氷観光期のみの運行に戻されている。 ウトロ温泉午前発はウトロ温泉主要ホテルを経由する。ウトロ地区内相互間を除き区間乗車も可能だが、両社が発行する回数乗車券や定期乗車券は運行会社に関わらず使用できない。 2024年(令和6年)夏期は斜里バスのみ運行、網走バスは運休となっていた。網走バスターミナル等での乗車券発売は引き続き行われる[36]。 女満別空港線
航空便に合わせた運行時刻を設定するが空港以外の停留所相互間でも乗降でき、複数の航空便発着時刻が近接する際は複数便に対し1台の運行となる場合がある。1月20日 - 3月の流氷観光砕氷船運航時間帯は網走道の駅発着となる。 1960年(昭和35年)6月28日より美幌線が立ち寄る形で運行を開始。1985年(昭和60年)の新女満別空港開港に伴い(旧)女満別空港線を廃止し(新)女満別空港線となった。かつては快速便として運行されていたが各停留所停車に変更。網走バスターミナル - 網走駅前間は北海道道23号網走停車場線を直行していたが、2006年(平成18年)10月1日より美幌線減便の代替として国道39号の網走支庁(現・オホーツク合同庁舎)経由に変更された。 美幌線は1951年(昭和26年)4月1日運行開始。報徳線直通や(旧)女満別空港経由などが運行され、美幌営業所設置時は滞泊便も設定されていたが、1995年(平成7年)10月8日の美幌営業所廃止後は当日中に折り返す運用となった。1993年(平成5年)5月2日より斜里線・小清水線との直通系統を設定。2012年(平成24年)10月1日より女満別空港経由便を設定[37]。利用客減少等から2019年(令和元年)10月1日より大空町・美幌町区間(女満別川 - 女満別高校前 - 女満別十字街 - 女満別西通り経由/女満別空港経由 - 19線西女満別 - 美幌橋 - 美幌町役場前 - 美幌駅前)を廃止し、網走市内の鱒取川で折り返す呼人線となった[35]。呼人線(網走バスターミナル - 西4丁目 - 網走駅前 - 女満別空港線と同経路 - 鱒取川)は一部経路変更を経て2024年(令和6年)3月24日付で廃止となった[38]。 1963年(昭和38年)10月26日[39]には北見バスと相互乗り入れで北見線の運行を開始。北見バス主管区間となる美幌 - 北見間、北見バス便は網走バス主管区間となる網走 - 美幌間で急行運転を行っていた。2001年(平成13年)4月1日に廃止され美幌線に振り替えられている。 小清水線
網走バスターミナル - 小清水の区間便あり。 1951年(昭和26年)4月1日運行開始。1981年(昭和56年)夏期までは川湯線直通便、1993年(平成5年)5月1日まではポンモイ経由も運行されたが、1979年(昭和54年)4月20日に開設されたつくしケ丘経由に統一、通学時間帯の便は南高前を経由。2015年(平成27年)12月14日より小清水発の一部に向陽団地中央経由を設定、小清水滞泊便の廃止が行われた[40]。 斜里線(網走駅前 - 小清水線と同経路 - 18線 - 12線止別入口 - 大栄小学校前 - 斜里小学校前 - 斜里高校 - 知床斜里)は1951年(昭和26年)4月1日に網走 - 斜里港町間の運行を開始。開発前(斜里橋)経由で運行され、1967年(昭和42年)3月3日に終点を斜里駅まで延長。1976年(昭和51年)12月24日に豊倉(斜里小学校)経由が新設された。1995年(平成7年)5月1日にはつくしケ丘経由が開設されたが、5箇月後の10月8日より早朝のポンモイ経由(網走市街 - 鱒浦間国道244号を直行)1往復のみの運行となり、それ以外の時間帯は小清水線と、同時に開設された小斜線(小清水営業所 - 18線 - 知床斜里)を18線乗り換えにより直通運賃適用とされた。2004年(平成16年)2月1日より早朝以外の運行を再開し小斜線を廃止。1992年(平成4年)10月22日に斜里橋経由、2004年(平成16年)2月1日にポンモイ経由を廃止。2018年(平成30年)に国・北海道からの運行助成が見込めなくなったことを受け沿線自治体等で協議の結果、同年6月1日付で廃止となった。同日より斜里バスが斜里町単独補助により斜里 - 網走間を運行する[41][42]。 1993年(平成5年)5月2日より北見線・美幌線(ともに廃止)との直通系統が設定されていた。 つくしケ丘団地線
つくしケ丘団地 - 網走バスターミナル、つくしケ丘団地→網走駅前・向陽団地中央、網走バスターミナル - 大曲2丁目の区間便あり。 1967年(昭和42年)10月2日に「網走市内線」をつくしケ丘団地まで延長し運行を開始した。団地造成などにより運行経路の延長・変更が行われ、北海道網走向陽高等学校が向陽地区に移転した際には向陽団地発着系統を新設している(統合閉校により2008年度以降は同位置に北海道網走桂陽高等学校が所在)。 お買い物バス
2003年(平成15年)4月1日に「病院循環線」(つくしケ丘団地 - 潮見団地 - 桂ケ丘 - 網走 - 網走駅前)を開設。日中は大型車が通行禁止となる道路を走行するため、専用に三菱ふそう・ローザが用意された。 2006年(平成18年)12月3日に廃止され、経路変更の上で「網走市内コミュニティバス」に振り替えられ、小・中型車限定運用はなくなっている。2010年(平成22年)4月4日より路線名を「お買い物バス」に変更し、一部を除き駒場8丁目発着に短縮すると同時に向陽団地系統を新設。2020年(令和2年)3月29日よりつくしケ丘団地発便をこが病院で系統分割し他便と統合(この便のみ潮見3丁目→桂町3丁目間、潮見4丁目経由)。大曲2丁目発こが病院行は網走バスターミナル始発に短縮された。 2022年(令和4年)1月23日より日中便もつくしケ丘団地発着とし、同日より減便となったつくしケ丘団地線を補う[43]。 なお、2000年(平成12年)11月23日より試行運行された、お買い物バス「団地循環線」(つくしケ丘団地 - 駒場 - 潮見団地 - 駒場 - つくしケ丘団地)では専用停留所の設置が行われたが、現行のお買い物バスでは行われていない。 羽衣・向陽線
羽衣公園 - 網走バスターミナル、潮見中央→向陽道職住宅、網走バスターミナル - 向陽道職住宅、向陽道職住宅→潮見南通りの区間便あり。 1974年(昭和49年)3月8日に「潮見団地線」(潮見団地 - 網走 - 職業訓練校(現・大曲)の運行を開始。1978年(昭和53年)10月31日より旭ケ丘団地経由便も運行された。1983年(昭和58年)10月31日には「向陽団地線」(東3丁目 - 網走 - 向陽団地)の運行を開始。1990年(平成2年)5月13日に両路線を統合し「潮見団地線」(潮見団地 - 東3丁目 - 網走 - 向陽団地)となった。1995年(平成7年)10月8日には「鱒浦・羽衣団地線」(羽衣公園 - 潮見団地 - 東3丁目 - 網走 - 北3条保健センター)の運行が開始されたが、潮見団地線との重複区間が多いことから統合され、現在の羽衣・向陽線として運行される。こが病院は一部便が経由。 農大線
東京農大 - 網走バスターミナル、東京農大→潮見6丁目の区間便あり。 東京農業大学オホーツクキャンパス開設に伴い、1989年(平成元年)3月27日より運行開始。潮見団地線との経路重複を抑えるために潮見4丁目経由に変更されている。2006年(平成18年)4月1日に向陽団地系統が新設された。 旭ケ丘団地経由は2006年(平成18年)4月1日に廃止されたが、学生の駒場地区商業施設利用を考慮し2010年(平成22年)4月4日に東京農大発1本のみ再開、2020年(令和2年)3月29日に再廃止された。 網走市内観光施設めぐり天都山線1957年(昭和32年)6月12日より運行される観光路線。1965年(昭和40年)10月14日より呼人・大観山経由も運行されたが1975年(昭和50年)の運行をもって廃止されている。 1982年(昭和57年)度より冬期運行を開始。通年運行化を経て、1997年(平成9年)より二ツ岩線・商港線との循環運行となった。2009年(平成21年)度には再度季節運行化されたが、2010年(平成22年)度からは通年運行に戻されている。 モヨロ貝塚の見学再開に伴い、2013年(平成25年)4月29日より国道39号のモヨロ入口経由となったが[44]、翌2014年度より非経由に戻された。 商港線
1991年(平成3年)1月15日の網走流氷観光砕氷船就航に合わせて運行を開始。砕氷船運航期間のみ運行され、一部を除き天都山線と直通する。2009年(平成21年)の砕氷船乗り場移転に伴い、網走道の駅(道の駅流氷街道網走)発着に短縮された。 網走どこでもおでかけ「どこバス」(受託)
通勤通学需要がなく一般路線バス便が減る9時から16時までの日中に、完全予約制にて既存停留所および「どこバス」専用停留所相互間を、予約情報に基づき人工知能が出した最適経路で結ぶ。NTTドコモが開発した「AI運行バス」の技術を採用しており、網走市内のドコモショップでは「どこバス」専用回数乗車券の販売を行う[45]。 実証実験運行を踏まえ、2023年(令和5年)度より本格運行へ移行した。運賃は同一エリア内500円、エリアを跨ぐ乗車700円の2種類で、既存停留所の一部はエリア内であっても対象外となる。本格運行への移行後も、運行内容は2022年(令和4年)度の実証実験内容を踏襲する[46]。
主な休廃止路線
西山通線は一定の人口がありながらバス路線廃止により公共交通が空白となった地区においての需要把握を目的に、網走市が運行主体のコミュニティバス試験運行として2012年(平成24年)12月1日から運行を開始。2013年(平成25年)3月31日までの予定であったが同年9月30日まで延長し[49]、同年10月1日より網走バス自主運行に切り替えられた[50][51]。 年間の平均乗客数が2人で従来車では無駄ではないかとの指摘があり、2015年(平成27年)12月より定員10人のワゴン車を導入。採算性向上のほか、従来車では走行不能となることもあった降雪により狭くなった住宅街道路走行などが期待された[52]。 その後も利用者僅少状態が続き、どこバスエリアと重複していることから、2022年(令和4年)10月1日に廃止された[53]。 錦町地区(南10条、錦町会館など)は1964年(昭和39年)10月26日から1998年(平成10年)10月14日まで「車止内線」が、海岸町地区(福祉センター前、北12条など)は1956年(昭和31年)5月23日から2006年(平成18年)3月31日まで「二ツ岩線」が運行されていた。 定期観光バス、周遊バス定期観光バスは1965年(昭和40年)12月24日に運行を開始した網走国定公園めぐり(国定公園定期観光線)が最初である。以降も網走国定公園めぐりを中心に運行されたが、1984年(昭和59年)の運行をもって「原生花園コース」などが廃止されるなど順次縮小された。1996年(平成8年)6月15日より「おーろらマリンコース(知床定期観光線)」、1998年(平成10年)6月1日より「パノラマライン(知床・摩周定期観光線)」を運行するなど知床国立公園方面への拡大も見られたが、いずれも廃止されている。最後まで網走国定公園めぐりとして運行された「流氷バス」は「砕氷船にノロッコ号」に振り替えたが流氷ノロッコ号の運行終了と同時に終了。2018年(平成30年)は定期観光バスとしての運行はなく旅行商品となった。 1988年(昭和63年)2月1日より、流氷観光期に「オホーツク流氷ロードバス」として、北紋バスと共同で「しんきろう号」(網走 - 紋別)、斜里バスと共同で「オーロラ号」(網走 - ウトロ)の周遊バス2路線の運行を開始した。現在は「ひがし北海道エクスプレスバス」として道東地区の冬期周遊バスが一括して取り扱われる。 2006年(平成18年)夏期には阿寒バスが単独運行していた「阿寒号(阿寒湖行)・知床ウトロ号(ウトロ行)」(ウトロ - 網走 - 美幌 - 川湯 - 弟子屈 - 阿寒湖)の運行に参入し共同運行を開始したが、網走バスはこの年のみの運行で撤退している。 貸切バス貸切バス事業は通常は北見運輸支局管内、釧路運輸支局管内、帯広運輸支局管内、札幌運輸支局管内、離島を除く函館運輸支局管内、および苫小牧市での発着が認められているが、貸切バス事業者安全性評価認定制度による優良事業者に限定した営業区域の弾力的な運用により北海道全域となっている[54][55][56]。。道東地区事業者10社で組織する東北海道貸切バス事業協同組合 (BUS CENTER)に加盟する。 2007年(平成19年)と2008年(平成20年)に北海道旅客鉄道が行ったデュアル・モード・ビークルの試験的営業運行では道路走行部分の運行委託を受け、貸切バスとしての名義は網走バスが登録していた。 2017年(平成29年)にはWILLERより1階が厨房、2階が客席となった食堂車仕様の2階建てバスを借り入れ、「北海道レストランバス」として7月下旬から8月中旬までは網走エリアで、8月中旬から9月までは札幌エリアで、網走バスによる主催旅行として催行された[57]。2018年(平成30年)は新たに函館エリアでも催行された[58]。 貸切車は23台保有する[54]。1980年代初頭までは「名鉄カラー」で導入され、郊外線共通車両などが導入された。1980年代は白いボディに紫色と紅色のラインが入ったBUS CENTERカラーが大多数を占めていたが、1990年代より白いボディに赤の波線が入ったオリジナルカラーが運用される。オリジナルカラー車には名鉄グループロゴが入れられていたが、後年導入車や塗装変更車では省略されていた。
北海道ABトリップ2021年(令和3年)3月26日をもって営業終了した近畿日本ツーリスト北海道の網走営業所、北見支店、函館営業所の業務を引き継ぎ、近畿日本ツーリスト特約店の北海道ABトリップ(旅行事業部)として同年4月5日より営業する。団体向けを取り扱うが、網走本店は窓口を設置し個人向け営業も行う[8][59]。 交通関連企業名鉄グループ当時は、網走バス、網走ハイヤー、道東観光開発の3社で「網走名鉄グループ」と称されていた。 →交通以外の関連企業については「タカハシ (北海道)」を参照
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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