愛知トヨタ自動車
座標: 北緯35度8分22.6秒 東経136度55分4.3秒 / 北緯35.139611度 東経136.917861度
愛知トヨタ自動車株式会社(あいちトヨタじどうしゃ、Aichi Toyota Motor Co., Ltd.)は、愛知県を主な販売エリアとするトヨタ自動車(販売チャネル/トヨタ店およびレクサス店)の正規ディーラーである。通称は愛知トヨタ。 同社を母体とする持株会社株式会社ATグループ(エィティグループ)も、本項で記述する。 愛知トヨタの概要愛知トヨタの前身「日の出モータース」は、日本ゼネラル・モータース(日本GM)の愛知県総代理店であった。 トヨタ自動車工業の前身となる豊田自動織機製作所自動車部が本格的に自動車生産へ乗り出した当時、日本GMを退職して1935年(昭和10年)10月に豊田自動織機製作所へ入社した神谷正太郎は、豊田喜一郎から自動車の販売網拡大を一任されていた。全国規模の販売網形成を模索する中で神谷は、GM時代に懇意にしていた山口昇が支配人を務める「日の出モータース」にトヨタ車販売代理店へ転向を打診した。山口は神谷の申出を承諾して同年11月にGM系車種の販売権を返上し、豊田自動織機専属の代理店[2]としてトヨタ販売チャンネル(トヨタ店)の第1号となる。 のちに社名を「名古屋トヨタ販売」とするが、1942年(昭和17年)11月に「自動車販売は1県1社を原則とする」戦時統制で、日産自動車販売名古屋支店[注釈 1]など愛知県内の自動車販売会社と合併して「愛知縣自動車配給」を設立する。これを現在の会社の発足としている。太平洋戦争後に配給制度が廃止されると、1946年(昭和21年)9月にトヨタ自動車工業と契約してトヨタディーラーとして営業を再開し、社名を「愛知トヨタ販売」とする。1948年(昭和23年)に社名を「愛知トヨタ自動車」に改めた。 トヨタの対米輸出第一号車の輸出業務を手掛けるなど、トヨタの販売の黎明期を支えた有力企業としてトヨタ系独立ディーラーで上位を売上る。 店舗には通常の「トヨタ店」の他、レクサスを扱う「レクサス店」(愛知県内6店舗の他、静岡県浜松市に1店舗)、「フォルクスワーゲン店(旧・DUO)」、中古車専門店「carat(キャラット)」、クラウンシリーズのみを扱う専門店「THE CROWN 愛知高辻」がある。事業所数は101か所。 2011年(平成23年)に初開催された「プリウスカップ」全国大会で2011年(第1回)、2013年(第2回)、2016年(第3回)と3連覇を達成している。 2015年(平成27年)の創業80周年を契機とし、SKE48とコラボレーション企画(テレビCMなど)展開を始めた。トヨタ自動車自体はAKB48 Team8のスポンサーとなっている。 トヨタブランド販売店の全車種取り扱い化に伴い、2023年(令和5年)5月、グループ傘下のトヨタカローラ愛豊・ネッツトヨタ愛知・ネッツトヨタ東海も統合し、「新生」愛知トヨタとして営業を開始した。 沿革
ATグループ旧愛知トヨタは2007年(平成19年)4月1日に関連会社12社を包括する純粋持株会社「株式会社ATグループ」へ移行した。新愛知トヨタは傘下の会社として新たに設立された。 名古屋証券取引所単独上場であったが、2022年(令和4年)2月4日に経営陣によるMBOを実施して上場を廃止すると発表し[6]、3月30日付で株式会社日の出が議決権所有割合ベースで84.78%の株式を取得した[7]。2022年6月14日に上場廃止となり、6月16日付けで株式併合により株主が株式会社日の出ほか2名となった[8]。
子会社概要現関連会社
元関連会社
ドラゴンズ・クラウン賞とグランパス・ランクル賞その年に最も活躍した中日ドラゴンズの選手を中日スポーツ読者による投票によって決める「ドラゴンズクラウン賞」に協賛及び商品のクラウンの提供を行っている(2019年(令和元年)現在は「クラウンハイブリッドRSADVANCE」)。制定は1982年(昭和57年)。当時現役選手の星野仙一が愛知トヨタの社長に提案した。 名古屋グランパス選手に対しても同様の「グランパス・ランクル賞」があり、選手はランドクルーザー(J2に降格した2017年(平成29年)のみはランドクルーザープラド)が贈られる。制定は1995年(平成7年)。2023年からグランパスクラウン賞に変更し、投票したファンの中から抽選で各1名にプリウス(クラウン賞)C-HR(ランクル賞)が贈られる。以前はカリーナやアクアが贈呈された。自動車の授与は、愛知県内居住の普通自動車免許取得者のみ対象としている。 不祥事
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |
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