札幌トヨペット
札幌トヨペット株式会社(さっぽろトヨペット)は、北海道札幌市豊平区月寒東1条14丁目に本社を置くトヨペット店であり、トヨタカローラ札幌グループである。 道内のうち、石狩(札幌エリア)・胆振(室蘭・苫小牧エリア)・後志(小樽エリア)・空知(岩見沢エリア)・日高エリアが主な営業エリア。かつては新ひだか町にも店舗を設けていたが、トヨタ車種を取り扱う子会社「ひだかトヨタ自動車販売」に運営を譲渡した。その他、札幌市内のレクサス店(月寒)を運営している。 沿革→「岩澤靖」も参照
1956年5月4日「札幌トヨペット販売株式会社」創業(札幌市中央区南6条西6丁目(現札幌トヨペット札幌店))。創業者は岩澤靖。(株)北海道興農公社の社長秘書であった岩澤は牛乳集配を馬車からトラックへ切り替えたことから自動車の将来性を感じ、1948年(昭和23年)10月、戦後第1号となる事業許可を得て、電気自動車3台、全従業員数5名で「金星自動車株式会社」を設立。その後、1950年(昭和25年)に「西山自動車工業株式会社」を設立。1956年(昭和31年)4月に岩澤がトヨタ自動車の販売権を獲得したのに伴い、西山自動車工業は社名変更し、自動車販売部門は札幌トヨペット(株)、石油製品を扱う部門は西山自動車興業(株)として分離独立した。札幌トヨペット販売(株)はトヨペット・ライト・トラック、トヨペット・マスターラインの2車種とこれの純正部品を取り扱うこととなった。社員は43名、セールスマンはわずか9名という少人数だった。 1957年(昭和32年)5月に社名を「札幌トヨペット株式会社」に変更。1966年(昭和41年)7月に「パブリカ道都株式会社(トヨタカローラ道都→現トヨタカローラ札幌)」、1968年(昭和43年)4月には「トヨタオート南札幌(現ネッツトヨタ札幌)」と「トヨタオート旭川(現ネッツトヨタ旭川)」の営業を開始。翌1969年(昭和44年)には「トヨタオート室蘭(現ネッツトヨタ苫小牧)」を設立。1967年(昭和42年)4月には「札幌大学」を開校。1967年(昭和42年)12月にはHTB(北海道テレビ)を開局する。1972年(昭和47年)4月には「トヨタレンタリース新札幌」が発足。 1969年9月に本社を札幌市豊平区月寒東1条14丁目に移転。当時、この土地の道路を挟んで向かいに月寒店を建設する予定であったが、地鎮祭に参加した岩澤が道路を挟んで反対側の広大な土地に目を付け、本社はここにすると決め、地鎮祭を途中で中止。本社社屋建設のために切り替えた。政商として鳴らした岩澤の人脈により、1969年の新本社社屋落成の際には北海道政財界の要人や重宗雄三、福田赳夫といった自民党重鎮が出席した。 1972年から1983年まで硬式野球部を持っており、1980年には第51回都市対抗野球大会で準優勝を果たした。 岩澤の仕手株の失敗などで経営が傾き、1981年3月に会社更生法適用申請。負債総額は329億円。1981年(昭和56年)3月24日、札幌地方裁判所に会社更生法の申し立てを行い、事実上の倒産に追い込まれる。1982年(昭和57年)3月に更生計画が認可され、再建に向けてのスタートが切られた。以降トヨタ自動車の直営販売会社となる。1988年(昭和63年)には年商300億円企業となる。 1999年(平成11年)11月クルマックス琴似がオープン。ショールームは常時40台を展示できるという、これまでにない広さを持つものだった。クルマックスには「くるま=車」「くるまっ=来る待つ(お客様に来ていただく、お待ちする)」「まっくす=MAX(札幌最大、最高のショールーム)」「つくす=お客様へ配慮する」の4つの意味が込められている。 2001年(平成13年)には自動車販売会社として道内初のISO14001の認証を受ける。 その後トヨタ自動車本社が株式を売却したため、2020年10月からトヨタカローラ札幌グループとなり[1]、翌年にはトヨタカローラ札幌等とともに持株会社「アンビシャスグループ北海道」の傘下となった。トヨタ本社の直営販売会社はトヨタモビリティ東京のみとなった。 2024年10月1日、アンビシャスグループ北海道は傘下のトヨタカローラ札幌、札幌トヨペット、ネッツトヨタ函館の3社を2025年4月1日に統合し、AGHトヨタ札幌株式会社を設立することを発表した[2]。 店舗石狩札幌市
その他石狩空知後志胆振日高中古車販売店
レクサス販売店
法人営業部門
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク |