雪印乳業株式会社(ゆきじるしにゅうぎょう、英: Snow Brand Milk Products Co.,Ltd.)は、かつて存在した乳製品を製造、販売する会社である。
2009年(平成21年)10月1日には、日本ミルクコミュニティと共に経営統合の上設立された持株会社雪印メグミルクの子会社となったが、その後2011年(平成23年)4月1日には、日本ミルクコミュニティと共に雪印メグミルクへ吸収合併された。
1925年(大正14年)創業。かつては牛乳・乳飲料などの市乳事業をはじめとして、バター・チーズなどの乳食品事業や、育児品、アイスクリーム、冷凍食品、医薬品なども手掛ける、総合乳業メーカーのトップであり、グループ全体の連結売上高が1兆円を超える巨大食品グループであった。
しかし、後述する2度にわたった不祥事発覚後は、乳食品事業以外の各部門を分社化し、バター・チーズ・マーガリンの製造を主な事業とするようになった。この乳食品事業部門は、その後もシェアが1位であった[要出典]。
社章は雪の結晶の中に、北海道を象徴する北極星を組み合わせたものである。「スノーブランド」(雪印)としても知られている。
営業上の本社(現:雪印メグミルクの本社)は東京都新宿区本塩町13(最寄駅は四ツ谷駅)であったが、登記上の本店(現:雪印メグミルクの登記上の本店)は札幌市東区苗穂町6丁目1-1(最寄り駅は苗穂駅。敷地内には、同社の北海道支店と資料館、持株会社時代の雪印メグミルクの登記上の本店、および旧:日本ミルクコミュニティの北海道事業部と札幌支店・札幌工場もある。)であった。
雪印・メグミルクでは以下の10冊を発行している。
1955年(昭和30年)に、東京都で学校給食に使用された脱脂粉乳による集団食中毒事件が発生した。前年、北海道八雲町の工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。
雪印乳業は事件発覚後、即座に謝罪と製品回収などといった対応措置を展開し、リスクマネジメントの観点からは当時の水準を大幅に上回る措置を行ったことで、企業イメージの打撃を最小限に抑えることに成功した(むしろ、長期的には企業イメージの向上に繋がったといわれている)。
2000年(平成12年)の6月から7月にかけて、雪印乳業大阪工場で製造された乳飲料によって、近畿地方で集団食中毒が発生した。食中毒の原因は北海道広尾郡大樹町にある大樹工場で製造された低脂肪乳の主原料だった脱脂粉乳製造時の停電事故による毒素(エンテロトキシン)の発生にあった。
45年前に起きた雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件と同様の事件だが、迅速な対応を行った45年前と異なり、安全文化の風化や責任回避に走る企業体質が一因となり、当事件での雪印乳業の対応は後手後手に回った。結果、雪印グループの企業イメージは大打撃を被り、2年後に起きた雪印牛肉偽装事件と合わせて、雪印グループ解体の主要因となった。
2002年(平成14年)には、ハム・ソーセージなどの肉製品の製造・販売を行っていた子会社雪印食品による雪印牛肉偽装事件(BSE対策として、農林水産省が疑いのある牛肉を買い上げる補助金制度を悪用)が発覚した。
雪印集団食中毒事件の発生直後に発覚したことで、食中毒事件からの再出発を図ろうとしていた雪印グループは再び大打撃を被り、グループ全体が会社存続の危機に立たされ、事業全体の再編成を余儀無くされる結果となった。さらに、雪印食品から発生した問題は、日本の農畜産業に内在する不正隠匿体質を暴露する結果となったり、グループ創業の地である北海道の農畜産業までもが存亡の危機にまで追い込まれるなどしたため、単なる食品メーカー1社の不祥事では済まされなかった。
支援企業については国内外から候補が上がったが、所轄官庁である農林水産省の意向で国内企業を主体とすることとなり、主に農協系(メインバンクの農林中央金庫及び全農)が主体となって経営再建の支援をすることとなった。
各事業部門毎に、他社との提携・分社化により再編された。
現在では、雪印乳業の乳食品部門のほか、日本ミルクコミュニティに移管された「雪印コーヒー」などでも「雪印」ブランドが使用されている(宅配製品を除く)。
雪印食品の北海道早来工場はその後、春雪さぶーる(エア・ウォーターグループ)に移管された。
他は、旧:雪印製品であっても別ブランドとなった。
☆は別会社に移管されたもの。
他、多数
2011年(平成23年)4月1日に同社は雪印乳業と共に、雪印メグミルクへ吸収合併された。
道内
道外
☆マークは雪印グループ(雪印乳業、雪印食品、雪印ローリー、雪印種苗)名義で提供していた番組。
北海道を代表する企業であったこともあり、各種スポーツに力を注いでいた。特に日本アイスホッケーリーグに所属するアイスホッケー部やノルディックスキー(スキージャンプ)の実業団チームである「チーム雪印」は、数少ないウィンタースポーツを代表する企業スポーツ部として名を知られた。また、雪印は全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)の常連チームといわれていた陸上競技部も所有していたが、一連の不祥事に伴うスポーツ活動の撤退に伴い、「チーム雪印」以外は2001年(平成13年)に廃部となった(なお、アイスホッケーチームは地元主体のクラブチーム「札幌ポラリス(のちの札幌ホッケークラブ)」に移行)。
唯一残ったスポーツ部となる「チーム雪印」は、ほかの多くの古参企業チームが撤退する中で、選手の雇用や競技のスポンサーなど積極的な支援を続けていた。その後雪印メグミルクへの再編に伴い、「雪印メグミルクスキー部」(英名はTeam Megmilk Snow Brand)へと改称した。
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